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NO396 格子戸をくぐりぬけ。江戸を見たけりぁ佐原へござれ。
2006/06/22
江戸を見たけりゃ佐原へござれ〜。暖簾、格子戸、蔵造り・・・・。
またまたやって来ましたぁ!北総の小江戸と呼ばれる千葉県佐原市に。
佐原は時代劇のロケにもよく使われるほど江戸・明治・大正期の古い商家や醸造元の建物が本当によく保存されているうえに今でも立派な現役ですから街並みが素晴らしいんですねぇ。
このところ、都心で次々に起こる思い出深い建造物が取り壊されていく姿があまりにも多いので、この佐原にやってくるとフゥ〜と心がおだやかになれるのです。
“江戸まさり”といわれるほど栄えた佐原の街は柳の枝の揺れる小野川あたりをそぞろ歩けば誰もが身体から毒素が抜けていきますよ。TAGOSのデトックスの街ですよ。
お昼はオーベルジュ・ド・マノアール“吉庭”を予約しました。明治初期に建てられた民家を改装し八百坪の日本庭園を眺めながらお食事できるレストランなのです。その後“カフェしえと”にも立ち寄ってみました。
ここは母屋、土蔵、小さな味噌蔵が中庭を囲む明治時代後期に建てられ商家、質屋と何代か使用されてきたところなんですよ。
小野川の下に浮かぶさわらを巡る小船を漕ぐかさをかぶるかすり姿の船頭さんがいいですねぇ。。
橋のかかる交差点の角地には安政2年(1855年)建築の千葉県有形文化財指定の“中村屋商店”などなど建物だけでもタイムスリップしてるのに、本当にうれしくなるのは街に誇りを持っている住民の方々の心いき!
各家ごとに街全体を活性化するために“まちぐるみ博物館”として自慢のお宝や家に伝わる伝統の品々を見せるために土蔵などを解放したりしているのです。
だからどなたも本当に親切に色々と説明してくれます。程よいふれあいがとてもいいんですねぇ。
さぁてさて、曇り空に良く似合うあやめの花も充分めでたことだし気分は晴れ晴れ!
さて、さていよいよブラジル戦近しですね!。
東関東自動車道をスタコラサッサ、エーィ気分は一心太助よぅ!

約300年の伝統 佐原の大祭 7月9日〜18日


NO395 ドンブラコドンブラコ。水中散歩は頭の体操。
2006/06/21
ドンブラコ〜ドンブラコ〜と大きな桃が漂流中?
いやぁ〜自分で言うのも恥ずかしいのですがぁ体型がすっかり桃になっちゃいましたぁ!あのまあ〜るいモモですよ!モモ!
そんなわけで最近妻とかよいはじめたご近所のプールへとやってきたのです。
なんと泳いでいる人より歩いている方のほうが多いんですねぇ。
のんびり観察しているとプールのガラス越しからのぞむトレーニングジムでは、若き女性方はエアロバイクやバランスボール、マシーンなどを次々と使いこなすもののプールまで来られる方は少ないようですねぇ。
プールは年配の男性がお一人で黙々とプールを2時間ぐらい休まず往復されていたし、中高年女性方はおしゃべりをしながらゆっくりゆっくり歩いておりました。
TAGOSは前になったり後ろになったり横向きに歩いたと思えばもぐったり泳いだりと・・・・・。
なんだか久しぶりに身体を動かすことが楽しくて楽しくて子供のようにはしゃぎながら水と戯れておりましたぁ。
そうそう、30分後にすでにプールサイドですっかり眠りに落ちた妻を尻目にピョコピョコ水中散歩をしている時ふと頭に浮かんだたわいのないコト!
TAGOSがまだ体型もアスパラガスの頃、いつも早足で歩いていたような?出勤時の駅までの道のりでさえ誰れかれとなく勝手に競争をしかけ抜かれ抜かれつのデットヒートを毎日くりかえしたことを。
何もみえなかったなぁ!まわりの風景など・・・・。
こうしてプールを歩いたりもぐったりしていると、頭がスッキリクリアーになるのでしょうか?
いやいや思いもかけぬ頭のスイッチがONになってとっくに忘れていたコトがフラッシュバックしてくる効果もあるのですね。
思えばつい最近になってかもしれませんねぇ。ゆっくり歩くようになったのは。
散歩時でも妻やチビ助犬に追いつかなかったり、都心でも次々と追い抜かれることに平然としていられるようになっていたなんて!
こりゃ自分自身の再発見だぁ!
そういえば何気なく人の観察がなんとなくできるようになったのも歩きのスピード違反がなくなってからでしょうかねぇ!

●アートなお部屋コーナー

豊月(86歳)の新作12点の水彩画 NEW UPです。四季折々自宅の庭に咲く花々を眺めながら。


NO394 TAGOS今夜もヒトリゴト。“銀座・新富町編”
2006/06/20
また見慣れた風景がなくなるのでしょうか?
かっては花街だった中央区新富町!
昨年4月にまったく知らずに最後のお食事となってしまったのが京橋税務署すぐ裏手にあった威風堂々たる白かべと木造の和風建築の料亭本館“松志満(まつしま)”でしたぁ!10月頃から解体が始まりまたまたマンションなのです。
新館はどうやら残ったのですがあの建物は本当に残念で仕方ありませ〜ん。
目だつようで以外と知られていないエリアの建物かも?
それは銀座一丁目の“銀座タワー”です。
平成15年8月に完成した銀座地区初の超高層マンションですよぅ!。
もっともっと知られていないのは、“銀座タワー”が建つ以前の風景。
んまぁ〜この地は明治15年創業の老舗料亭“万安樓(まんやすろう)ですよ。敷地面積約900坪の優雅さ。
くやしい!一度中を見てみたかったぁ!
どうにも由来がわからないのでもどかしいのが“銀座タワー裏にある赤い鳥居の安平神社の存在で〜す!。
いやぁ〜銀座一丁目と新富町は隣接して特に新富橋にかかる鯛焼き屋さんの“沢田商店”、もうボロボロというかなんとも味のある名店“天ぷらさがわ”付近は今目を離すとなんかなくなってしまうんじゃないかと不安にかられる危険地帯。
まさかここはなくなるはずがないと思っていたあの小粋な店構えの“まぐろ亭”さえ駐車場になっているじぁない〜!!
もういやだいやだぁ〜。シェ〜ンカンバック!!
♪おふくろ今夜も〜ひとりごと 帰ってこいよ 帰ってこいよ 帰って来いよぅ〜♪
(昭和55年 帰って来いよ)
そしてそして新富町郵便局前の地上5階地下1階の昭和3年竣工の“旧回効散ビル”しばらく前を通らなかったらすっぽり網をかぶってさびしそう!
いよいよもっていざ〜さら〜ばとなりそうです。

●ユニーク地球人 
 
スーサン連続のよもやま話NO17は無名仙人さんの第2弾 NEW UP ですよ!!。


NO393 息子より父への1通の手紙。お父さんは頑張るぞぉ〜!
2006/06/19
今までどうもありがとうございましたぁ!
TAGOSはピョコリと頭を下げそっと撫でながらテーブルの上に置いたのです。
昨日“父の日”に妻子全員が揃い祝ってくれたのです。父の日用にごちそうを用意してくれて家族全員でいただきま〜す!
お父さん!ちょっと待って!高校3年のでかい息子がのっしのっしと近づいてきて、TAGOSと妻に大学ノート1枚を裏返しにしてしおらしく手渡したのです!
何これ?渡されたノートをTAGOSがすぐに見ようとすると息子が“ちょっと待って!食事の後に見てあ、いや明日僕が学校にいった後に見てよ”
高校2年の娘は小さな時からオリジナルのメッセ−ジカードをつくっては手渡してくれていたのですが、息子が自主的にメッセ−ジカードをつくり手渡したことはありませんでした。
息子の言うとおりノートは伏せたままにし、じきに始まるクロアチア戦など予想をしながら家族で食事を楽しみましたぁ!
最後に“お父さんいつもありがとう”という言葉を添えてお財布とキーケースをプレゼントにもらったのです。
いやぁ〜うれしかったですねぇ!!
そして今朝方、長年使っていた財布とキーケースにお礼をいって新品へ・・・・。
そして約束通り、学校に行った後に息子からのメッセージ見ることに!
・・・・・・。ふむぅ〜こんなこといつの間にか言えるようになったんだぁ!
息子のメッセージ読んでいるとやっぱりTAGOSって“頑張る”って言葉好きなんだよねぇ〜思わずムラムラとファィトが沸いて来ますもの。
なんだかとってもとっても熱く元気になれた月曜日です!

●ユニーク地球人
スーサンのよもやま話NO16 NEW UPです!
W杯に不完全燃焼のスーサン!掲示板での鋭い見方が光ます!。
今回はザビエル生誕500年にちなんだスーサンの四方山話、是非見てくださいね。


NO392 モーレツからチカレタビ〜。頑張れは禁句?
2006/06/18
がんばれ!がんばれ!玄さ〜ん!ガンバレガンバレ
玄〜さん!覚えている人いますかぁ?
4歳の可愛い女の子が“ガンバレ!”を連呼するキッコーマン(1984年)の鮭そうすいのCMでした。
今日は“父の日”ですねぇ!
現在は“頑張って〜”って言葉、どうもうかつにつかったら嫌われてしまう雰囲気が漂っています。
企業では“頑張ります”という言葉を社員に禁止しているところは多いみたいですねぇ。理由はあまりにも具体性を欠く言葉だから“今回は失敗したけど、次は頑張りま〜す!”言葉だけでその場逃れに使用される危機感があるようです。
一般的にも今、安易に“頑張れよ!”なんて言ったら言葉の暴力になっちゃうことも多いんですね!。
“おお〜モーレツ!”いやぁ〜1969年(昭和44年)のドキドキCMの時代はすでに超ミニスカートから流行は一気にマキシに移行していました。
GNPは世界第2位、10年間の伸び率は第一位というまさにGNP神話時代の幕開けには“頑張れ”の言葉はしっかり生きていましたぁ。
“チカレタビー”疲れたよ〜と本音を出したCMも覚えていますぅ?
1975年(昭和50年)完全失業者が100万人を突破する不況が深刻化し“ニューファミリー”という言葉が流行した時から“頑張れ”の言葉がちょっと控えめにぃ〜。そしてまたまた84年に“頑張れ玄さん!”で“頑張れ”が復活を遂げたのでした!
“頑張る”という言葉が時代によって取り上げられ方が変化しているんですねぇ〜。
“我に張る”“眼に張る”@あることを成し遂げようと、困難に耐えて努力する。A自分の意見を強く押し通す。我を張ると国語辞典には意味が出ています。
いやいや、近頃は挨拶言葉みたいに何気なく“頑張ってねぇ!”“頑張ってますかぁ!なんて言えなくなっていますねぇ!
さて、さて“頑張れ“だけでなく気づかないうちに世間で何気なく使用していた言葉も人それぞれお相手の気持ちにいやな思いをいだかすこともあるのでしょうねぇ!
今日は“父の日”お父さんにどんな言葉を伝えるのでしょうかぁ?
ウォーウォークロアチア戦だぁ!頑張れ〜頑張れ〜ニッポ〜ン!!
ありぁ?


NO391 人間らしく生きたいなぁ。ユーモアのセンスって?。
2006/06/16
鏡を見ながら“いやぁこりゃ絶対できない!”
笑いながら同時に腹をたてることは不可能だとある本に書いてあったので“よ〜し!それでは実験して見ようじゃないの”などと鏡の前に立って何度も試みたものの失敗に終わりました。
かってお笑い芸人だった竹中直人さんが笑いながらおこってるギャグを何度も見たことを特に気にもしていなかったけど、これってすごいことなんだぁ!とあらためて感心してしまいましたぁ!
先日、あるお方とお会いした時、ええ〜っ!!と思うことがあったからです。
これだけ日本中でW杯サッカーがもりあがっているものだからどの会社でもさぞかしサッカー話題で社員同士がランチタイム時など盛り上がりのコミュニケーションがあるのだろうと思って聞いてみたら拍子抜け!
TAGOSさん!まったく盛り上がっていませんよぅ!皆個人的に楽しいんではいるらしいけど、かってのように社員同士が笑顔で話すことがないんです。シラ〜っとした空気が漂っていますねぇ〜。
愕然としましたねぇ!笑顔が消えたぁ?いつから?
思わずびっくりして聞いてしまいましたぁ!
さぁてさてこの頃なんか世の中に漂う殺伐とした空気が気になります。“ユーモア”不足でしょうか?
身体の中の“液体”のラテン語“フモール”の複数形“フモーレス”体液が流れれば人間は健康で入られるという医学的概念だったり、“ヒューマン;人間”が変化してumourになったといわれています。
いざ”ユーモア”のセンスはどうよ?などと問われたらモゴモゴモゴと口ごもるしかありません!
“ジョーク”と区別するのもなかなかできないレベルではセンスどころではありません!
いやぁ落語家さんじゃないけれど相手を悲しませることなく粋で機知に富んだ会話ができたらどんなに世の中明るくなるでしょうかぁ!
んまぁ〜日常生活の中のささいな矛盾や出来事でさえも笑いとばして楽しむができるようになるのも各々の“ユーモア”感覚ですかね。


NO390 お父さん達の公園デビューは愛犬とともに?。
2006/06/15
やっぱり連れてこればよかったぁ〜!
毎日の散歩道をガ〜ンとして変えようとしない頑固なわが家のチビ助犬!
たまには違う散歩道を行くぞい!TAGOSも意地になって散歩コースを変えようと何度も試みるのだけど、こいつは引きづられながらもウ〜ンウ〜ンとふんばって鉄壁のディフェンス“イッヒ・フンバルト・ジーケン”?になっちゃうのです。
健康保持の為にも必需の散歩!それならばたまに1人で。
“散歩に連れてけ〜”とうなるチビ助犬をふりきって夕刻のお散歩・・・・・。
道端で会うのは塾帰りの小学生たち、部活帰りの中学生達!う〜んどうにも気になって仕方ありません。
日本中の子供達に降りかかる凶悪事件の数々。
日本もついに子供を公園で遊ばせるのも親がしっかりついていなくては危険な状況になってしまったし、学校から自宅までのわずかな距離でも危険に会う時代になってしまいましたぁ!
夕刻の散歩を運動がてらに知らないおじさん1人が腕をグルグルまわしながら歩けば、通りかかる子供達も“あの人!変なおじさんじゃないの〜”などと思われはしないか、日中でもおじさん一人が公園でボーっとしているだけでお母さん方から“なんか怪しいのよねぇ〜”などと思われはしないか気になりますよぅ〜。
一応、身なりはそれなりに整えて無精ひげにボサボサ頭などはご法度です。
そうそう散歩道はメイン通りでなく人気のない脇道を巡るのがとても楽しですからねぇ!。
若いお母さん達はいまだ“公園デビュー”なんていう我が子を近所の公園ではじめて遊ばせるのに他のお母さん方の輪に入れてもらうデヴューがあるらしいけれど、これから定年を迎えるお父さん達も“ご近所さんデビュー”を果たさねばぁ〜。
いやぁ、冗談はさておき、どいういわけかあの頑固なチビ助犬が一緒だと、見知らぬ奥様達からも子供達からも“今日は!○○君のお父さんですね!。”と認知されるんですねぇ〜。
さてさてさてどうしたものかぁ?なんとも、夜道を歩く子供達をおどろかせないようにするには、すでにご近所では顔を売って信頼を得ているチビ助犬を当分連れて歩かなければぁ!
んまぁ〜それにしても犬連れって安心感のシンボルみたいになっちゃ、いませんかぁ!
♪危ない 危ない 夏は本当に ご用心♪
(昭和51年 夏にご用心)


NO 389 頑張れ日本のお父さん!クロアチア戦の日がやってくる。
2006/06/14
亭主元気で留守がいい!
1984年キンチョーのコマーシャル覚えてますか?
80年代にはすでにに父親像の存在はすっかりしぼんでしまっていましたねぇ。
箸で夫のパンツをつまんじゃう分け洗い洗濯機のCMもずいぶん話題になりましたぁ〜。
その洗濯機の名は大和撫子のような“静御前(しづかごぜん)”というネーミングなんですから皮肉です。
さぁて絶対勝たなければならな〜いクロアチア戦!
6月18日ですよ!
多くのお父さん方はこの日ばかりは家路を急ぎTVの前でビール片手に観戦態勢に!
おっと〜サッカーに熱中のあまり忘れちゃいませんかぁ!ご家族の皆さ〜ん!その日は“父の日”なんですよ!
しか〜したいていはお父さん本人がその日をすっかり忘れているんですねぇ。まぁ忘れているというかぁ〜まったく意識してない人がけっこう多いんじゃないでしょうかねぇ。
まぁ、そんなことでご家族皆がサッカー観戦に夢中でまったく“父の日”の存在すらも忘れていたとしたらそれはそれでちょっとさびいしいものが・・・・。
さぁてさて、すでに仕事や子育てを離れ、いよいよ定年を迎えるお父さん達も多くなっている日本です!
“毎日が日曜日”の日々を家で送るようになられる方々はこれから益々多くなっていくのです。
そうそう“亭主元気で留守がいい”と言われていたあのお父さん達が元気で家にドンドンカムバックしてくるんです。
どうする?お母さん達の運命は〜いかに!
いやぁ〜どういう訳か男って他の人がどう見てもただの石ころにしか見えないモノをコレクションして目に見えるところに陳列するスペースがほしい!書斎がほしい!オーディオルームがほしい!などと家の中に我が城を築きたがる傾向があるようです。
奥様もようやく子育てから解放され家に趣味の陶芸のスペースでも〜などと思っていた矢先に夫が城を強行に築こうなどと企てているのを知ればこりゃまさに陣取り合戦勃発ですよぅ!
でも〜奥様はすでにとっくに進化を遂げて外様化していますから陣取りに負けたふりなぞをして夫に城をさっさと明け渡しお友達と旅行や演劇、レストランやエステへといざ出陣!
さぁてさて今中高年男性の1人旅がじんわりふえているそうですねぇ。
今は団塊世代層では夫婦旅行のシェアーが最も大きく36.6%、男性1人旅はまだまだ3%ぐらいだけど5年後には2倍の6パーセントが見込まれるんだとか。
中高年の男一匹みちのく一人旅!
旅空でお父さん方はいったい何を思うのでしょうかぁ?
♪時の流れに逆らいながら ひとりゆく身の胸のうち
俺は男とつぶやきながら みちのくひとり旅♪
(昭和55年 みちのくひとり旅)


NO388 日本の心はブルー一色に!。頑張れサムライブルー達よ!
2006/06/13
チ〜ン・・・・。トムライブルーだぁ!
いやぁ、昨晩10時からスタートしたW杯日本VSオーストラリア戦はなんとTV最高視聴率61%(平均49%)を記録しました!
日本中の皆さんがいたるところで深夜まで一生懸命に応援していたんですねぇ!
明けの日本は“残り9分の逆転負け”に悔し〜い、残念、まさかぁ〜の悲鳴に近いものがあちこちで聞かれましたぁ。
今日は、まさに日本国民が真っ青に染まってしまったかのような一日でしたね。
入梅のジトジト天候続きに加えて、昨夜の応援ガックリ疲労、そして輪をかけてドド〜ンと日経平均今年最大614円の大幅下げ幅を記録(米同時多発テロ影響2001年9・12以来)と重なる日となりましたぁ!
さぁて“サムライブルー!サムライブルー!”もう今さら聞けませんよぅ!
そもそもTAGOSは強烈なサポーターではないからなぜユニホームの色がブルー色なんだろう?(すいません)さえ意味がわからずこっそり調べてみたのです。
なるほどそうなんだぁ!ユニホームの青は日本は海に四方囲まれているからその海の青、日の丸に使われている赤色も入っていて、ウェーブのようなラインは日本刀があしらわれていたんだぁ!
いやぁ、それにしても熱烈なサポーターの方々は本当に皆さん心の切り替えが早いですねぇ!
口々に次の試合にむけて“頑張ってねぇ〜”という心温まるメッセージを送ることができるんですから。
TAGOSも見習って“サムライブル〜よ頑張れ〜”
♪ブルーブルーブルーブルーブル〜勝トゥー♪
さぁて、夕方の空にはま〜るい優しい夕日がほんわり浮かんでいますよぅ。


NO387 ひばりが泣いています。あ〜あ“ファミレス”の変遷。
2006/06/12
飛んでますねぇ!空高〜く!
ピィピィピィ リリリ ヒリリリ
この時期、雲雀(ひばり)が天空でさかんにおしゃべりしていますよぅ!可愛いですねぇ〜。
空高く舞い上がっていたはずのあのファミリーレストランの巨人“すかいらーく”が株非公開へ!。
国内最大2600億円超えの経営陣買収(MBO)を実施したことが8日に発表され話題になりました。
つまり〜少子高齢化がどんどん進んじゃって将来ファミリーレストランだけじゃやっていけないってことなんですねぇ。
思えば早いもんです!日本で最初のファミリーレストランのこの“すかいらーく”が東京府中市に第1号店を昭和46年(1970年)出店ですからもう36年たったんですよぅ。
当時、車を気楽に駐車し洋食を食べる郊外型スタイルレストランは都心にはまったくなかったのでTAGOSは仕事で毎週車で府中方面に行くときなどは物珍しくて立ち寄っていたことがなつかし〜い。
いやぁ!大阪万博にケンタッキーフライドチキンもこの年だし、東京では歩行者天国(銀座・新宿・池袋・浅草)が始まった年でしたね。
次年には銀座三越前にファストフードマクドナルド1号店が出た時期ですし、カップヌードルも出ましたよ。
まぁ、今まで外食などというものが日常生活に定着していない時代に、この“外食”をささえたのがベビーブーム世代でしたぁ。
2人以上子供をつくることが稀の世代が外食にお金をまわすようになった始まり始まりの時代ですねぇ。
さぁてさぁて今や“ファミレス”という名前は浸透したけれどいずれこの名前も時代の変化に飲み込まれ死語になることでしょうね!
ピークは1983年頃の首都高速3号線の用賀インター近くの環八通り瀬田に出現したアメリカ村のカジュアルレストラン集合体。
“ブレストンウッド・イエスタディ・デニーズ”の頃だったのかも。
さぁて、さてこれからの少子化にどう変化していくのでしょうかぁ?楽しみにしていますぅ!


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