2005  5月

NO68 人生いろいろ 両国国技館。
2005/05/31
涙もろくなっているようです!。二子山親方55歳死去のニュースが放映されるたびに、涙が止まりません。このところ悲しいコトも、楽しいコトにも、、みょうに反応し涙腺がとても弱くなっているんじゃないかと思うのです。
自然体でいいじゃないと思うのですが男の涙はヒトにはそうそう見せたくないものでしてー。へんなプライドですかねー。
ワタシが国技館で相撲を見たのは、後にも先にもたった1回のみ。それも45年ちかく前の小学生の時。
館内で鬼ごっこばかりしてちっとも見ちゃいなかったですけど、若の花対栃錦戦だけは見た記憶はあります。ワタシは、その時、子供ごころに鮮烈に感じたコト。今も忘れません!お相撲さんがしめているまわしの鮮やかな色に衝撃をうけたのです。当時テレビ中継は白黒でしたが、それだからすべて世間が白黒なんぞとは子供だって思っちゃいませんが、どう見ても、お相撲さんのまわしは、頭の中で当たり前のイメージとして“黒”と思いこんでいたのです。
ところが鮮やかな黄緑色だったり紫色だったり!
自分の頭の中のイメージが一瞬にして破壊される瞬間って強烈なインパクトですー。その時は涙はでませんでしたけれど、大変なショックでした。おもいこみってすごいですねー。
1970年(昭和41年)大阪万国博覧会とともにテレビはオールカラー化しましたが、その時は特に印象には残っていません。
もし、その当時の衝撃に出会ったら、きっと今のワタシだったら、人目をはばからず国技館で号涙しているかもしれませんねー。

NO67 石津謙介さんの遺伝子。南青山・原宿。
2005/05/30
1964年頃、細身のスーツでパンツの丈を短くした「みゆき族」 現在の若者の細身の三つボタンスーツも、ルーツは、ここからですね。ミスターダンディ「アイビールックVAN」の創始者“石津謙介さん”93歳が旅立たれました。ワタシも中学1年生の時、イエローのボタンダウンシャツを買い、アメリカンプレミアムをいただいたコトを強烈に覚えています。
昨年、偶然南青山の大坊珈琲店のカウンターでゆっくりとコーヒーを飲まれているお元気な姿をお見受けしたコトもあって、なおさら残念でなりません。
日本の男性にファッションを定着させただけでなくファッション以外の生活全般に影響をあたえた存在は大変なものでした。VANも東京青山から発信し始めたのですが、今は、青山、原宿はすっかり世界のファッション発信拠点になってしまいましたねー。
1964年東京オリンピックのユニホームデザインは“石津謙介さん”でした。当時、ワタシは中学生、海外からくるオリンピック選手のサインを求めに選手村にかよっておりました。そこは旧アメリカ進駐軍のワシントンハイツで、今は代々木公園となっているところです。いずれにしろ、原宿や渋谷界隈の繁栄のきっかはアメリカ軍がつくったといって過言ではありません。キディランドやオリエンタルバザーも巨大なアメリカの街、ワシントンハイツのアメリカ軍住人相手がはじまりですものね。バービー人形もキディランドが最初です。もとから青山原宿渋谷はそういうファッション環境があったのですねー。ワタシは選手村へかよった理由は、フランスの16歳の女の子水泳選手キャロンさんに会いたかった一心からでした。今でいうテニス界のシャラポアさんといったところですかねー。
おかげで柔道のヘーシングさんやマラソンのアベベの友人マモーさんなど、たくさんの選手のサインをいただいたのですが、あこがれのキャロン選手には会えなかった悔しさを思いだしましたぁー!。
とにかく青山・原宿のめまぐるしい変化は刺激的でした。
“巣鴨の原宿は歩けるけど、ここはで若いヒトでいっぱいで疲れるわー”それはわかります。でも視点を変えて街を歩いてみてください。たとえば原宿の玄関口。JR山の手線の原宿駅。木造二階建てでトンガリ塔付きの屋根にハーフティンバーの白い外壁は、英国調のアンテークな駅舎。
すでに80年近い歴史を持つ東京で一番古い木造の駅舎なんですよ。お気づきでしたか?

NO66 豊月(ほうげつ)85歳が行く。 “日本橋三越編”
2005/05/28
豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

久しぶりに、のどかな郊外より、娘3人に連れられて長年住んだ日本橋。車にて三越デパートに来ました。
早目に着いたので、少し時間が有り、ふと見ると三越並びに一流創作呉服店“つづれ屋”。元は日本橋東急百貨店内に有り、主人健在の頃、一緒に次女の成人式の晴着買い求め、あれから三十六年。今は着る事のない晴着、今も大切に箪笥に残っています。
私は呉服を見るのが趣味、久し振りに見る落ち着いた個人店。立派な訪問着模様、帯の織柄、附属品、日本橋に来て見る気持ちは、又格別心休まる思い出の“つづれ屋”さんでした。
十時開店、案内嬢の笑顔での出迎えのあいさつも、さわやか気持ちよく、早速、娘たち「おばあちゃん、どこを見ましょうか」 「そうねー。」普段みられない8階美術工芸展示会場、ゆっくり観覧しながら一廻り。
私の好きな茶道具、画廊、日本画も美しく優雅。久し振りに見るにぎやかな三越、少し疲れたので早目に特別食堂入り。案内にて椅子に腰掛けた瞬間のなんと気持ちの良さ。
「何を食べましょうか」迷いながら注文。
母子揃っての雑談をしながら、ゆっくり食事するのは、とても楽しく、食事中のお客様は中年の方も大分多く、皆上品でとてもおしゃれ。
すてきな風景を見るだけで長生きしそう。
私も出来るだけおしゃれをし頑張って、にぎやかな雰囲気に時々浸りたいと思いました。そして静かな郊外に帰り思います。
長年住んだ日本橋、今日の一日はとても幸せ。明日又元気で過ごしたいと祈ります。

NO65 さりげない、でも魔法の言葉 “一緒に花園へ!”
2005/05/27
初登場、妻のヒトリゴトです。

はじめまして。
「地球人のヒトリゴト」に立ち寄って下さる皆様、本当にありがとうございます。妻の流風雫(るふか)です。私も一ファンとして毎日PCを覗いているのですが、実は驚きでした。
“こんな事を考えているんだ。こんな文章を書くんだ!”・・・と。 毎日顔を合わせているのに私にはわからなかった、夫の意外な一面をこの「地球人のヒトリゴト」を通して伝えてくれています。
 私からも厚くお礼申し上げます。

さてさて、私のヒトリゴト。

 先日の母の日の事です。私用で帰宅した私へのサプライズ。ボリュームたっぷりのフラワーアレンジとそれに添えられたカードがテーブルの上に飾られておりました。夫・息子・娘とそれぞれがメッセージ。健康を気遣い、感謝の言葉が綴られておりました。それはそれは嬉しい出来事。綺麗なお花を愛でながら、「ありがたいわぁ〜。」何度となく口から出た言葉です。
そのメッセージの中で、思わず釘付けにされた一文がありました。

『一緒に花園目指しましょう』と息子から。

 そうです。お気付きの方もいらっしゃるでしょう。息子は現在高校生。部活でラグビーをしております。
でも、その一文がどうしたの?って思われますよね・・・。
私にとって、≪一緒に目指す≫ というところが、胸の奥底の触覚に触れたようなのです。感知してしまったのです。
息子と一緒に・・なんて、ココ数年来記憶がありませんもの。しかも息子からの言葉です。
 成長過程でのごくごく当たり前の反抗期がありました。幾重ものバリアーを身に纏い、会話をするのも面倒臭い、自分は無なんだと言わんばかりの冷酷な背中。私は、小さな光さえ見えない迷路でもがき、カラ回りを繰り返すという切ない時期がありました。でも、時を経て、名門ラグビー部に入部。花園(ラグビーの全国大会開催地です。)常連組というのは、ちょっぴり・…イヤ、随分過去の話となるのが残念なのですが、今は懸命に花園目指して奮闘中です。
 “先生・コーチが素晴らしい! 頼れる!トレーナー!  最高の仲間! OBが熱い! もちろん、父兄も熱い!”  今、こんなに恵まれた環境の中で息子は頑張っています。だから、このメッセージが生まれたと思うのです。自己中心ではダメ。周りの方への感謝・優しさ・あたたかさ・思いやり・・・などなど少しずつ身に付けているのでしょう。
「一緒に花園目指しましょう」
 ラグビーをするのは息子。花園行きのチケットをゲットするのも息子達。でも、私も家族もみんなで目指しましょうね。貴方と一緒に。そして掴み取るのです!みんなの手で。
 家族一同、みんなで花園、行くぞー! 

他愛のないヒトリゴト。でも、ちょっぴり誰かに聞いてもらいたいヒトリゴトでした。


NO64 消費はストレスパワーだ!
2005/05/26
地球人の皆さんはどう思われますか?
“便利になリ過ぎると昔の不便だった生活にノスタルジーを感じ、ムダのある非効率な生活にゆとりを感じる”
この感覚は、いったいどこから生まれてくるんでしょう?画一的な経済成長路線の反動としての社会現象から“ストレス”が生まれ、「ワタシは横並びは嫌!」と、ヒトは非日常的な世界を求めるようになるのでしょうね。「自由になる自分だけの時間や居場所がほしーい!」こう叫ぶスローライフ予備軍が大勢いるのです。
“ストレス”は自分がこうしたいという思いが本当にかなえば瞬間に解消されるのでしょうか?
“ストレス”が人間の持つ本質の“わがまま”だとしたら日常の消費行動は“ストレス”を何かで満たそうとするコトが原動力。
現代の日本人の生活は、子供からご老人まで朝から夜まで“ストレス”から抜け出すことってむずかしい社会かもしれません。だからこそ、素敵なレストランに出かけて行くのも、スポーツセンターや文化教室に通うのも、カラオケに行くのも、「アア、スッキリした!」と、いう気分“ストレス”の解消が原動力になっているかもしれませんねー。
人間って日常に“ストレス”があるからこそ、何かで心を満たそうと動きまわるし、それを解消する新ビジネスが日本に竹の子のようにあらゆる業界にニョキニョキでてくるんですねー。憎き“ストレス”も、つき合い方によっては、良いお友達になれるかも。
でも“ストレス”が強過ぎると身体を病んでしまうのですから“毒と薬”を合わせ持っているのには要注意ですよ。
今日もウグイスが、可愛く鳴いています。五月晴れの気持ちいい日が続いてますねー。

NO63 “イエス・アイ・ドゥー” 再誓式。
2005/05/25
“51歳の妻は庭でたくさんのバラを育て、55歳のボクは実をとって庭で野菜を育てる。お互い夫婦は、休日には土に触れ、大地のパワーで心の健康を保っているよ”と南青山で長年ビジネスをされている先輩が言いました。
仲の良いご夫婦だなーと微笑ましく思いました。
結婚式の時に誓った言葉「アイ・ドゥー」
アメリカでは結婚式ならぬ再誓式(もう1度誓い合う儀式)が4年前からおおはやりと日経MJにでていました。結婚の半分が離婚に終わるアメリカでは数年間でも無事に伴侶でいられたコトは一種の功績。だから夫婦の“絆”(きずな)を再確認する再誓式が業界(リゾートホテル・観光地・クルーズ船)のビジネスのしかけもあって盛り上がっているらしいのです。
結婚式を2回すると同じですから記念品マーケットも一役買ってます。アメリカもベビーブーマーの高齢化と不安な世の中が、“絆”を確認し合うコトの背景になっているみたいですねー。
“共に白髪まで”いったいどうなりますことか?。長寿国日本!

NO62 伝えるというコト。“マゼランの気持ち” お台場編。
2005/05/24
イタリアではレオナルドダビンチがモナリザを描き、日本では「一枚〜ニ枚〜」番町皿屋敷でお菊さんが割れたお皿を数えていた年。(永生2年)1505年。
今から500年前、25歳のポルトガルで生まれた若きマゼランがビクトリア号に乗って見果てぬインド洋へ航海した、はるか遠くの昔の出来事。
「行くしかない!」友人から電話を受け取り、外出先からビクトリア号へとワープしたのです。
スペインから7ヶ月かかって到着した帆船。ワタシが生きているうちにもう見るコトがないと思えばなおさらです。
ワタシは思います。25歳の多感な若きマゼランがどんな気持ちで海を航海していたのでしょうか。海上にさまようちいさな帆船の上では、毎日、変化する心のなかの気持ちを大陸にいる人々に伝える手段は、まったくなかったのですね。大きな声で伝えたいことが、いっぱいあったのではないでしょうかねー。
恐怖、不安、責任感、希望、感動。そんな気持ちすべてに命がかかっていたのですから。
そんなコトを思うと現代は、電話やメール、携帯、FAXあらゆる手段で一瞬に情報は伝わります。
ただ情報を受けとって、それがバーチャルで終わるか。リアルで終わるかは人間次第。
今日はこの目でこの足で、そしてこの手でふれて感じてきました。幸せですねー。今日の感動をこうして一瞬にして地球人の皆さんに伝えるコトができるのですから!
そして、今日ビクトリア号と引き合わせてくれた友人に深く感謝いたします。


副編集長飛び入り”ビクトリア号”
2005/05/24
500年の時空を超えて! 帆船ビクトリア号!!
東京ビッグサイトそばの埠頭(ゆりかもめ国際展示場駅から徒歩3分)に、樫と松でできた漆黒の船体がスペイン国旗をなびかせて浮かんでいる。お台場に係留すればPR効果は断然違うと感じたが、それはさておいて、大航海時代に初めて世界一周をしたマゼラン船団の帆船ビクトリア号(全長25.9m、最大幅6.72m、排水量170t)だ。500年ぶりの復元で、船内にいたスペイン人スタッフと話したら、セビリアから大西洋・太平洋を横断して日本までなんと、7ヶ月の船旅、更にこの帆船、世界でたった一隻しかない復元船とわかった。当時は正確な海図もないだろうし、食糧備蓄問題、クルーの医療問題など、どのように対処したんでしょう? 東京に停泊している船を見ながら、遠い昔に思いをめぐらしてしまいました。 歴史に名を残したビクトリア号の未知なる世界へのチャレンジ、現代に生きる我々もこの気概だけは持ち続けたいものですね。
帆船ビクトリア号、東京港は2005年5月25日まで、その後名古屋港、大阪港に停泊し、インド洋・地中海を経由してセビリアに2006年帰港。

NO61 第3の居間。“マンガ喫茶”
2005/05/23
「家にいる時、何をしているのが楽しいのですか」との問いに10代の男性は「インターネットをしている時」(70.5%)が1位。10代の男性は1日平均で2.49時間インタネットと接し、2.2時間テレビを見ていると解答したのだそうです。
それにしても長いですねー。ヘルニアになりそうです。
さて、今までけばけばしい看板を見て、気になりながらも絶対入らなかったビルの上階にある“マンガ喫茶”。名前だけで引いていました。
ところが、今、丸の内カフェのように、カフェ風のおしゃれな空間に進化。このところ興味深々で楽しんでいるのです。24時間営業はあたりまえ。接客もファミリーレストラン並みの明るい応対。ドリンクバーサービス。お食事。シャワールーム完備。ダーツ・プールバーの施設。マッサージチェアや座敷タイプ、リクライニングシート。会議のできるスペース。安眠もできるし音楽ゲームも楽しめる。ビジネス環境もととのっている。新聞もそろっているし、雑誌も映画ソフトも揃っている。インタネット環境は快適。“マンガ喫茶”のイメージがまったく変わりました。「これっていいじゃない。使えるではない。」
今はやりの女性用や若いヒトに人気のマンガを本屋で立ち読みして内容をチェックするには、さすが気がひけるけれど、ここなら人目も気にならないで堂々と見るコトできますからねー。
素直にそう思ったのです。確かに第3の居間をうたっているだけのコトはあります。かっては若者中心、ビジネスマンからファミリー、シニア世代も大きくターゲットに入ってきていますね。
シニア層が定年を迎え、気軽な外出先を公園、カフェや図書館などに求めていましたが、とても快適な情報収集場所ができましたね。益々進化する第3の居間の居心地に期待!

NO60 健康だからこそ見れる“六本木ヒルズ”の夜景。
2005/05/22
3回目の登場です。豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

私は85歳。長女、次女、三女、3人は皆子供達を育上げ、気楽な家庭人なので、私によく旅行など時々誘ってくれます。この度ハトバス東京新名所夜景ドライブ。主に六本木ヒルズ展望台をながめるのが主体。
娘達は「お母さんは元気だから安心よ。みんなで守ってあげるから。」
その時「ちょっと無理かな」 夜は早く休むので心配でしたが言われる通り心の中で“決心”しました。
当日が来ました。いよいよ子供達に守られながらバスに乗り込みました。いざ出発!バスはゆるやかに東京駅を基点として高い窓より見る初めての都心の夜景。高層ビルが立ち並ぶ灯りだけが美しく、レインボーブリッジ長い橋の照明、よくぞ考えもつかない美しい闇の幻想でも見ているような心地。
いよいよ六本木ヒルズ展望台、心配したわりには、たやすく53階、一望に見下す都心の町と云うより、天上の何物かが見る火の海。流れる車の列の赤い火、白い火は異様にも不思議な世界のように思いました。
85歳になって初めて見た都心の夜景を見る事が出来たのも、健康でいればこそと、つくづく幸せと思いました。

NO59 “地球人のヒトリゴト”2ヶ月目に感謝。
2005/05/20
“地球人のヒトリゴト”2ヶ月目に入りました。
紙にメッセージを書いて、ビンの中に詰め込み、そっと海に流したような気持ちでスタートしました。今も太陽の光をうけキラキラ輝くビンが、ゆらゆらと真っ青な海の上をさまよっている情景を想像したりもします。
手紙やFAXと違って、インターネットでどう絆(つな)
がっていくんでしょうか?ワタシには未知の世界。
おおげさではなく冒険している気分!
ドキドキワクワクは、ちっとも変わりませーん。
暖かく見守りながら見てくださっている地球人の皆様!ありがとうございます。
“地球人のヒトリゴト”今後とも宜しくお願いいたします。

NO58 タダでも競争!“フリーペーパー”。
2005/05/19
「これでよく商売になっているものだ!」今や大型書店は多くのゆったりしたソファーで本を読むヒトがあちらこちらに。これってもうあたりまえの光景。
昔は、本の立ち読みなどするとハタキでパタパタが定番でしたねー。「タダ読みするなぁ!」のサイン、今となっては、なつかしーい!。
そして今、たまげた!2000億円市場だー。ターミナルや街中にすっかり定着した“フリーぺーパー”0円。発行数増大の背景はターゲットを絞り込んだ読者層を持っていて、個性を発揮した編集になっているからだそうです。
例えばR25は団塊ジュニア男子26歳〜34歳(リクルート)。スポンサーの企業にとっても無駄な広告宣伝をしたくないので、自らの狙いを定めた読者層を持つ“フリーペーパー”に興味がわくのでしょうね。
“フリーペーパー”は旬の情報を得る媒体になっているけれど、既に過剰気味。タダでも競争の世界なんですね!
ならば、こんどはタダでオマケつきというのは!
ティシュペーパーは飽きましたぁー。現代はなんでもタダで贅沢できる環境がととのっていますから。
どうりで!お金をとるサービス業って本当に本当に大変ですよねー。

初めて編集顧問登場!
2005/05/19
知人のアーティスト柳原さんの作品一例を写真付きで編集長にプレゼントいたします。暇なとき、よく似顔絵描いたり、ヒトリゴト書いたりしている人です。

ありがとうございます。ほのぼのした作品ですね。
こうして子供が、遊んでいる姿みかけなくなりました。

NO57 ハッスルからリラックスへ“男性誌の増殖”。
2005/05/18
40歳〜50歳を狙った男性雑誌が増殖していますよねー。
近頃、本屋さんで感じるコトです。
人口からいえば40歳〜60歳は3800万人。なんと人口の3分の1を占めるのですね。出世魚じゃないのに呼び名が次々に変わった世代(IV世代・全共闘世代・ニューファミリー世代)しかし最近まで56歳〜58歳のヒトは、まったく市場から見離されていたのです。
この世代が2007年に60歳の定年に入るので各業界がこぞって、てぐすねひいてお待ち申しあげているのです。
なんせ、数が多い!大漁になるかならないのか、潮をじーっとよんで、網を張っている状況ですねー。
かって渋谷に“30代のファッション館”をうたい文句で出店し大失敗した渋谷丸井サーティーズさん。「恥ずかしくて行けないわ!30歳ってわかっちゃうじゃない!」女性から不評でした。
30代女性を“トランタン”なんて呼んでましたよねー。
今、50代ってけっこう誇っていっているヒト多いですよ!
30代より50代のほうがどうやら自然体になれるみたいです。不思議な心理です。
今、ファッション雑誌では50代を何て呼んでいるのでしょうかね?シニアは一般的?男性誌は“かっこいいオヤジを目指す”レオンとかオヤジドリル・カムジンなど直接的なネーミングは、ないようですが?

NO56 共生は異文化コミュニケーション。
2005/05/17
日本全体が侵略されてしまう!
戦後、日本の高度成長に合わせるかのように、空き地や線路際、土手など、至るところに群生する北アメリカからの侵略者“セイダカアワダチソウ”。
昔からの原っぱの住人“ススキ”をけちらしながら太平洋ベルトに沿って九州から北海道へと猛烈な勢いで北上していったのでした。
危うし!日本のススキ達の運命やいかに。
“セイダカアワダチソウ”は長い間の戦いの末、ある時から侵略をやめススキと共生するコトを学んだのでした。
これは知り合いから聞いた“めでたし、めでたしの共生の美談”
ワタシは良い話だと思い、みんなに話したのです。
彼女はこの話を聞くや否や、首を強く横にふりました。「それは共生とは言わないわ!」
「共生って言うのは魚類のクマノミとイソギンチャクの関係のように、互いに何等かの利益を提供するといったギブ&テイクの関係のコト!セイダカとススキの間にはないでしょ。」
「そういわれてもねー。」彼女に返す言葉がなかったのでした。
調べてわかりました。“セイダカアワダチソウ”は自ら出した毒にやられ自滅したのです。そこでススキが再び奪い返すコトに。これって共生って確かに言えないかも?
人間の世界の異業種業務提携なども同じですねー。
自然界の“共生”の世界は、地球人にとって学ぶことがいっぱいあるようです。
それは、それは海の底のように深ーい深ーい大切な関係のようですねー。



NO55 彼女は異端児中高年ダイバー。
2005/05/16
「今日、娑婆(しゃば)に出て来たのよ!」彼女は指で目がねを、ちょこっとあげながら、そう言ったのです。
「なんだ、なんだ!いったい彼女は何者なんだ!」
その正体とは、彼女は、異端児中高年女性ダイバーなのです。この3ヶ月間、狭い部屋のベットの上で、ずーっと、テレビを見て過ごしていたのだそうです。
「何と幸せなコトだったか!何もしないでぼーっとしている時間って!でも、友達に飲みにいこうって言われて足がたたなくなっちゃ駄目だと思ったから、今日ベットから離れて家から出てきたのよ!」
なーんてヒトだ!彼女は、若い時から、海に魅せられ、海と結婚したのだと言いきる。海は宇宙よと言う。
海と引き合わされたとも言う。たった1人で世界の海をまわりダイブする自由人らしいのです。
彼女は、嘆いて言いました。「今年に入って、またサンゴの天敵“赤ヒトデ”が増殖しているのよ。」
いつの間にかへんな彼女とワタシの友人と3人で海の中の
お話になりました。
アニメで話題になった“ファインディングニモ”このニモちゃんは、生命力がとてもつよーい魚だそうです。
彼女は世界の海で何度も死にかけたサンゴの近くにひそむニモちゃんを見て、強くその印象を持ったようです。
そして“共生”という話題に移り、場はさらに熱気をおびたのでした。今、人間社会にも理想とするヒントが海の深ーい底にあったのですねー。
ワタシが彼女に話した、ヒトから聞いた“共生のお話”
彼女にバッサリ切り捨てられたのでした。
その続きは、又明日。それにしても彼女自由人過ぎるー。

NO53 今日はキツネのお嫁入り。
2005/05/15
今日は、2回目の登場です。
豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

五月十五日、朝よりはっきりしないお天気。
暖かくなったり、肌寒くなったり。遠くを見れば青空。
お庭に出て花を見ながら雑草とりすると、急にぽつぽつ小雨。又急に大雨。
あわてて家にかけ込み、一寸すると明るく上天気。
私は子供の頃、よく母親より今日のお天気のような日を
「キツネのお嫁入りの日よ」と聞かされ
昔のお嫁入り、静かな田んぼのあぜ道、キツネの花嫁は、真白い絹真綿の帽子を深くかぶり、長い白衣装。
おむこさんは、黒い紋付袴(もんつきはかま)。
キツネの行列、遠く見ているような明治時代の母親の話。
子供の頃を思い浮かべ、今日のお天気は
“キツネのお嫁入り”のお天気でした。

NO52 よみがえった“ゴールデンコーヒー” 笹塚編。
2005/05/13
寒いですねー。今日のような“寒”の戻る時期を“九十九夜の泣き霜”っていうらしいですね。立夏に近い頃が“八十八夜の別れ霜”こんな表現を聞くとなんだかうれしくなってしまいます。絵に描いたような情景が目に浮かび寒さの度合いが実感できませんか?
先日、捻挫がいまだ直らず、自転車を足がわりにしている友人よりお食事のお誘いをうけました。京王線笹塚駅から15分くらの笹塚中学校近くの道路から奥まった所にある、かわいいビストロでした。。おいしいモノに目がない友人なので、誘われた時は、どんなに遠くであろうと、駆けつけるコトに決めているのです。いただいたディナコースは、値段も値ごろでとてもおいしかったー。ワタシはいつも誘われるたびに思うのです。友人はとにかくどこの店に入っても、オーナシェフとよくしゃべるコト、しゃべるコト!でもその会話がおもしろいー。シェフや隣にたまたまいるお客さまと、いつの間にか一緒になって、「この店がおいしかった。あの店がおいしかった」などと情報を楽しそうに交換しあっています。フレンチをつくっているシェフを巻きこんで、ご近所のフレンチ料理店の話や中華料理の話。シェフが普段食べにいっているお店などの話が、なんのためらいもなく、店内で飛び交うのです。ワタシなど、この店に食事に来ているのですから、その店の料理をいただきながら、とても他のレストランの話などはタブーだと思ってしまうのですが、友人の、そのあっけらかんとした態度に脱帽でーす。
おいしいモノが好きなヒトは、これってあたりまえの行動なんでしょうか?。おかげさまで、地元のヒトやシェフがおいしいと推薦してくれる店の情報にはコトかきませーん。
ワタシは、この日、友人のおかげで30年ぶりの再発見をしたのです!それは友人がシェフと会話中にでてきた“エッグコーヒー”。これってNO14で書いた“まぼろしのゴールデンコーヒー”だったのです!。「存在していたんだぁ!あの黄みの入ったコーヒーが!」ワタシが30年前に“日本橋のコーヒー専門店”で絶対しなければいけなかった事。それは“わからなければ聞くコト”だったのでした。そう、大人になっても、“わからないコトは素直に聞くコトがこれほど大切なモノなんだ”と強ーくココロに再認識した瞬間なのでした。まさに、“聞くは一時の恥”良く言ったモノです。翌日友人に電話で聞きました。「その店で飲んだ“エッグコーヒー”ってどんなモノ?」
友人が答えました。「黄みが3つ入っているねー。オーダーする時はコレステロールくださーいって言うんだけれどねー。フフフフ」
これは、“自分が確かめるしかない”と思ったのでした。

NO51 “気”になる五月病。
2005/05/12
早朝、ウグイスがまだまだきれいな声で鳴いています。
ゴールデンウィ−ク明けからの週中、地球人の皆さん!元気に過ごされていますかぁ?
この時期、必ず耳にするのが“五月病”。近年は学生さんなどは少なくなって、新社会人に増えているようですねー。新しい環境に適応することに精一杯、それが大きなストレスを貯め込んで、やる気のでない症状に陥ってしまったりするんですねー。この“五月病”の主な原因は新しい人間関係が思うようにいかないコトみたいです。
見知らぬヒトたちとの初対面の時はすぐに、なんらかの声かけをするとあとからでも話やすいと思いませんか。“おはようございます”“こんにちわ”“さようなら”ごく日常のあたりまえの“挨拶”です。
ヒトのコミュニケーションがうまくいく瞬間って、互いの“気”が合う時。そして“機”が熟した時。ですよねー。
それならば、五月病の予防策はむづかしいコトを考えずに、“さぁ地球人のみなさーん行きますよ!気合だー、気合だ!気合だぁー!”大きな声で挨拶を交わしましょう!

NO50 スローな“ムギ”にしてくれ!ユニクロの農業。
2005/05/11
“20世紀最後の大量生産時代の終了とこれからの21世紀にむけた新しい産業の始まり”そんな予感を感じさせた企業がありましたー。誰でも知ってるあの“ユニクロ”さんです。2001年には“ユニクロ”現象を巻き起こしたものの、翌年には、いきなり大幅減益、苦境におちいったのでした。2002年は飲食ブーム、ダイニングバーやレトロ(懐古)主義が大ヒットしましたねー。“帰”の年といわれました。この年にファーストフードに対するスローフード運動が表舞台に飛び出しスローな生きかたなどの提言もさかんになったコトを覚えています。そこで“ユニクロ”さんは食品事業部として“SKIP(スキップ)”ブランドで農作物販売をはじめたのでした。2003年銀座松屋に第1号店を出店しましたが、残念ながらすぐにお店を閉じてしまいましたー。
“SKIP”の社員さんの半数は異動を希望した“ユニクロ”社員さん。あの、糸井重里さんがこの“SKIP”の命名者。農業産地を一緒に半年間まわり、大々的なマス広告はしないで“ユニクロ”さんの店舗スタッフ社員2万人にファンになってもらい、口コミ効果を狙ったのだそうです。契約農家も「農業家」と呼び、大切なパートナーとして関わったのでした。全員パートナーとなって作り上げるという理想があったのですね。“ユニクロ”さんの店舗スタッフ社員2万人。メールマガジン読者14万人。でもこの事業は、残念ながら失敗に終わりました。永田農法の素晴らしさは知っていましたが、企業を育てていく“スピード”が“スローフード”との両輪には、なれなかったのでしょうか?利益を追求する大企業では大株主たちは“スロー”な選択を許さなかったのでしょうか? 
“ユニクロ”さんは、農業をあきらめ、“スピード”を重視するM&Aという方法で会社を軌道にのせる選択をしたのでした。いずれ再チャレンジするのでしょうね。“食エネルギー”は21世紀の注目ビジネスですものね。がんばってくださーい!

NO49 “お茶をにごしてはいけません” 裏千家15代家元のお言葉。
2005/05/10
「“慈愛”“忍耐”“寛容”が日常生活で一番大切なことです。」 千玄室大宗匠(裏千家15代家元 82歳)さんがこう言いました。
「人によっては“茶道なんて高ーいお道具ばかり使って、ありがとうございます。お先にどうぞ。などと上品ぶって、お金持ちのお道楽じゃないのー”なんておっしゃる方もおります。また、こんなことを言われる方もおられます。“お茶なんぞもったいぶって両手でクルクルまわさないで、片手でぐっーと飲んじゃったほうが早いじゃない”。」
サードエイジフォーラムでおこなわれた千玄室大宗匠さんの講演からのお話です。ワタシも茶道は詳しくないのでじっくり耳を傾けました。
「片手で飲んでもちっともかまいません。ただ、お茶を自分のために一所懸命たててくれた人のこころに答えて精一杯のありがとうございますを伝えるのです。覚えていてほしいことは、わんの出されたところが正面ということです。己を謙虚にし正面をさけて飲むから、わんをまわすのです。ありがとうございます。お先にどうぞもこの気持ちから出る言葉です。」
「茶室は、扇子1本で腰をかがめて入ります。武士も町人もまったく分け隔てのない空間なのです。これが昔からあった日本の民主主義なのです。」
なるほど。奥が深いのですねー。
家元がいいました「言葉を大切にしなさい。」 
「ちょい聞き、また聞き、知ったかぶり、これが今日本を病しています。言葉は言霊(ことだま)。勝手に一人歩きするのです。言葉を大切に。」
考えてしまいます。インターネットで流す“言葉”お気楽でいられません。

NO48 “デパオク”の変身がはじまった。日本橋編。
2005/05/09
“さよならだけが人生ならば、人生なんかいりません”これ寺山修司さんがうたっていましたねー。ゴールデンウイーク5月6日。テレビで“男の涙”を見たのでした。310年の歴史に幕を閉じる“さよなら”の瞬間の大阪三越社員さん達の涙です。その気持ち充分感じました。いまだ、デパートの不振がとまりませーん!今日は、“デパオク”(デパート屋上)を見に日本橋高島屋さんにやってきたのですー。東京でも大阪でもデパートが屋上をサービス施設などに改装する動きがあるからです。“デパチカ”から今は“デパオク”競争時代に入りましたー。どのデパートも35年ぶりぐらいの大変身なんですねー。コノ空間は、しばらく時代から忘れさられた存在だったようですね。かわいそぅ!。デパートの屋上は、高度成長時代は、子供の遊園地、金魚すくいやゲームセンターなど。夏はサラリーマン対象のビヤガーデン。右にならえの同じようなもんでしたよねー。デパートは少子化問題直撃ですよね。子供がすっかりいなくなってしまったので遊技場はなくなり、今はガーデニングや、お弁当が食べられるようなベンチが設置されているぐらい。そして、さぁ!これからはいったいどうなるのでしょうか?日本橋高島屋さんは「トップアイランド」という名称で新規オープン。ペット運動場やカフェ、家具や生活雑貨の店、ガーデニングなど、大変身です。でもー、ドッグランにワンちゃんがまったくいませんねー。ワンちゃんを連れてやってくるお客サマはどこにいるんでしょうかね?うーんキョロキョロ?。さぁて、ベンチの方を見てくださーい!スーツを着た男性たちが気持ちよさそうにあちこちで睡眠中でーす!ここはタダで休めるビジネスマンたちの隠れオアシスだったのでーす。“ワンちゃん”がいなくて“オジちゃん”がいる屋上では、ドッグランで“ワンちゃん”を“走らせる”のではなく“オジちゃん”を“休ませる”ほうがよさそうです。そういえばこの屋上にあがってくるまでに、いました、いました!“デパ奥”(デパートの奥)に!。各階段脇のソファー、玄関脇のソファー。たくさんのスーツ姿のビジネスマンたちが、目をとじて、じっと眠っていたのでしたぁ。“デパオク”競争がはじまっています!お願いです!ビジネスマンたちのオアシスは残しておいてくださーい。2007年以降、きっと重要なお客さまになるお宝集団なんですからぁ。デパートは、かって“シャワー効果”を狙って、美術館や、劇場など、上階に設置しました。お客さまを順番に下階へと誘導するコトに必死でした。今は“サブマリーン効果”となり“デパチカ”に潜ってしまっています。さぁ、どうするのでしょうか?屋上は、そリャー今は気持ち良い季節ですよ。でも日本には四季がありますからねー。
「テヤンデーそんなこと知ったことかい」あれー、どなたですか?そんなに威勢が良いお方は?おっとこれは、3年ぶりの神田祭りじゃないですか!。5月16日から史上初!!!「二大神輿の宮入共演」。 江戸神社(旧神田青果市場)の千貫神輿5年ぶり宮入り。水神社(築地魚市場魚河岸会)の大神輿史上初宮入。こりゃこうしちゃいられない!祭りだ!まつりだぁー!

NO47 豊月(ほうげつ)85歳、母の日を語る。
2005/05/08
ゴールデンウィーク最後の日は、“母の日”です。今日は特別ゲストとして、85歳になるワタシTAGOSの母のコラムを掲載しまーす。ハンドルネームを豊月(ほうげつ)と名乗ります。地球人の皆様方、どうぞ今後とも宜しくお願いいたします。

今日は風もない青葉の候、5月8日ちょうど日曜日。私は、4人の子供達よりそれぞれのプレゼントを頂き85歳高齢にて赤いカーネーション幸せです。夕方駅前に散歩に出かけ、花屋さんの前は買う客でにぎやかでしたが、白いカーネーション静かに買って帰る客もいました。母親のいない子供は、さぞさみしいのではないかと私は思いました。この行事もいつ始まったのかわかりませんが、うれしい人、さみしい人のはっきり見える“母の日”のように思いました。けれど、母親を思う感謝の心は誰も変わらない“母の日”は良いと思いました。

NO46 時代はまわるよ!“アイポッドミニ”。
2005/05/06
“リンゴ”は腐っていませんでした!アップル社“アイポットミニ”の人気が爆走しています。その横で元祖日本の“歩くヒト”(WALKMAN)がおもわず石にズっこけてしまいましたぁー!おーソニーショック!がんばれー!創業60周年をめざして!。IT産業の次なる潮流は、すでにコンピューターとは感じさせないモノに移っているんですねー。 「ハーイ、それでは地球人の皆さん“アイポットミニ”をジーっと見つめてみてくださーい。雄大な富士の山が透けてみえてきませんかぁー。ハーイ冗談です。」でも中身の部品のなんと8割が日本製でできているって知っていましたか?。ワタシはテレビで知りましたー。“アイポットミニ”は日本生まれだったんですね。アメリカの大手企業なぞは、モノづくりより“コーディネイト力(りょく)”・“アイデア力”・“スピード力”で生きているんですねー。日本企業は、こうして実に細かい部分で大健闘しているんです。逆転劇が、もうじきみられそうですねー。そういえば2年前に“江戸の智恵 デジタルで浮世絵を読む”というテーマで日経ホールに行ったことを思いだしました。安藤広重の浮世絵をデジタル化してスクリーンいっぱいに拡大すると、あーら不思議。一枚の絵の中のすみずみまで繊細に描かれており、看板の文字など、肉眼では見えなかった情報が出てくる、出てくる!。その色彩の美しさ、精緻を極めた描写に、あらためて驚嘆するともに、浮世絵に対するイメージが変わってしまいましたぁー。日本人の繊細な技術は、現代にこうして脈々と受け継がれているんですね。戦国時代の「憂き世」から庶民にも娯楽が楽しめる世の中「浮世」が訪れ、そんな浮かれた庶民を描いた「浮世絵」。そして今、IT産業もまた戦国時代をむかえています。やがて、庶民にわかりやすくて親しみやすい浮き浮きした娯楽の世界をつくりあげていくのでしょうねー。
さぁて、地球人のみなさん。ゴールデンウィークは、ウキウキ楽しく過ごすことができましたでしょうか?

NO45 わかって兜の緒をしめよ。
2005/05/05
“屋根よりたーかーい鯉のーぼーり”今日は、“子供の日”でお休みですよ。今日のテレビニュースは、少子化のことばっかり強調しますねー。 “鯉のぼりは、橘香る朝風に高く泳いでいないと、男の子の節句として迫力にかけますよねー。”などと発言するとジェンダーフリーにひっかかるかも。“男らしさとはいったい何なんだ、君ーぃ!”と迫られる時代に入ってきました。オーこわ。子供の頃、鯉のぼりの歌詞で“百瀬の滝をのぼりなば、たちまち龍になりぬべき、わが身にによや男(お)の子ごと空に踊るや鯉のぼり”なんかぁ意味など難しくてわからなかったけれどなんとか歌えましたね。でも、なぜ鯉が龍になるのかいままでまったく気にも留めておりませんでしたー。子供の日にあらためてインターネットで調べてみることに。これってきっとあの登竜門(とうりゅうもん)の故事だったんですねー。“中国の霊山に「龍門」という滝があり、その急流の滝を登った鯉に霊力が宿り、龍になるといわれていました。ある一匹の鯉が激しく落ちる滝水にさからいながらも、懸命に滝を登りきったまさにその時!鯉の体はまぶしい光を放ち輝きながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていきました”というお話なんです。そーなんだ。鯉がいきなり龍になっちゃった理由が今日わかりました!中国では龍(ドラゴン)は皇帝の象徴で、とても縁起がよいものだったのですね。得した気分!。きっかけがなければずーっと知らずじまいでしたから。こんな“コト”って日常にざらにあるんでしょうねー。五月人形1つとっても、兜の意味。弓と太刀の意味。柏餅を食べる意味。ちまきの意味。菖蒲の意味。端午の節句の意味。真鯉・緋鯉・子供鯉3匹の意味。黒・赤・青の鯉の色の意味。なーに、それっていまはやりのうんちく?いいえ知らないからっていっても何も変わるわけじゃないんです。ただ、忙しいから五月人形飾るのをやめましょうなんて、おし入れの中に入れっぱなし。これじゃーもったいない。人形は“モノ”じゃぁありませんよ。お子さんに大切な“コト”を伝える役目があるんです。日本の行事って、奥が深いんですねー。ワタシなんぞ目からウロコのことばっかりです。ハイ。 ところで地球人のみなさーん、家の中に柱のキズのこっていますかぁ?

NO44 サードエイジって?A。
2005/05/04
昨日の“サードエイジフォーラム”の続きです。加藤タキさん(1945年生まれ)桐島洋子さん(1937年生まれ)兼高かおるさん(1928年生まれ)日野原重明さん(1911年生まれ)みなさん現役で今も大活躍されている方々ですねー。有名人なので、そのご活躍の程は、皆様のほうがよくごぞんじだと思います。ワタシは客席にすわりながら、このフォーラムにいる方々が何に反応するのかとっても興味がありました。その反応は、ライブコンサートと同じで、拍手の大きさや、どよめき、笑い、歓声となって現われます。共鳴、共感は、すぐに身体にはねかえってくるのでとてもわかりやすいですよねー。このフォーラムで何度も拍手と歓声がおこったのは日野原さんのお言葉でした。ワタシもまったく同じでした。兼高かおるさんは、サードエイジに貢献する活動をしているとして表彰されただけで一言もおしゃべりする場面はなかったけれど、さすが拍手と歓声がわきましたねー。その立ち振る舞いの美しいコト!
別格ですねー。加藤タキさんはやはり聡明で、ヒトの気を感じながら絶妙なコーディネーターぶりを発揮して、本質をぐいぐいと引き出しておりました。桐島洋子さんは、ずっとカナダと日本を行ったり来たりしていたけれど、本格的に仕事モードに入ったコトをありありと感じましたー。以前から桐島さんは“人生を4つの季節に生き分け暮らすインドの「林住期」(自然に向き直って自分自身の人生をみつめる時期)を提唱して実践していましたが、きっと次ぎの期に突入したのでしょうねー。やはり、日野原さんの話は、自然にココロにはいってきましたねー。しゃべりかたにユーモアがつまっていて、とっても楽しいんですねー。それでいて説得力がある。高年齢現役だからじゃぁありません。誰でもが元気になれるパワーを席からでも感じられたのは、すごいコトです!。共通して感じたコトは、皆さんたくさーんの本をよんでいること。好きを極めているコト。ユーモアのあるコト。笑顔があるコト。興味を失わないコト。ご健康なコト。フォーラム内にいた多くのヒトが元気になって帰っていったんじゃぁないですかねー。楽しかったです。日野原さんが言っていました。“始めるコトさえ忘れるコトがなければ老いるコトはありません。若いというコトは新しいコトをはじめるというコト。”“長生きすれば、若い時の失敗を取り戻せるコトができます。若い時には失敗が多い。だから長生きしなければ取り戻せませんよ。”
なーるほど。

NO43 サードエイジって?@。
2005/05/03
今日は憲法記念日(日本憲法の施行を記念し国の成長を期する日)。友人よりビックプレゼントをいただきましたぁー。東京フォーラムでおこなわれた“サードエイジフォーラム”へのご招待です。ワタシが頭の中で、ひそかにこのヒトに一度是非お会いできたらなーという“思い”が、今日突然かなってしまったのです。それも1度に数人のおヒトと!!。その方々は、聖路加国際病院名誉医院長日野原重明さん。兼高かおるさん、加藤タキさん、桐島洋子さんです。これこそ、なにかのご縁。友人がワタシのチケット分も1ヶ月程前から応募してくれていて、その抽選がみごと当たり、こうして今、友人の隣席にちゃっかりすわっているわけですから。友人に感謝です。このようなチャンスに恵まれ最高の気分です!。、パネラーのお言葉を一所懸命メモして五時間。でもあっという間に感じられましたねー。それほど強く興味を覚えたからでしょうか。久しぶりですねーこんな感覚は!ところで“サードエイジ”って何かわかりませんよね?この意味は“年齢にとらわれずアクティブに日々をエンジョイして人生の黄金期を過ごす人々に対する尊称”だそうです。“退職して自分のために時間、お金、智恵を使いエンジョイする時期をサードエイジ”と分類しているとパンフレットに書かれていました。東京フォーラムもいつもなら音楽コンサートなどで、多くの若い人達が群れをなしているのに、今日は昭和22年以前のヒト達で会場は埋め尽くされていましたぁー。すごい“サードエイジ”パワーでしたねー。ワタシも違和感なくスッポリ入り込んでおりました。元気さは、エイジレスなものなんですねー。フォーラムの内容をひとりじめするのはもったいないので、明日は中身を是非とも、地球人の皆様にお伝えしたいと思いまーす。

NO42 “キヨスケ”と呼ばれた男。KIOSKの進化!
2005/05/02
PIOSK(ピヨスク)? 妙竹林な名前だぁ!。新宿南口JR構内で見つけたその場所は、後から調べてみたらあのKIOSK(キヨスク)の新しいお仲間だったのです。昨年11月に開店してたのですね。知りませんでしたぁー。KIOSK(キヨスク)は長年、見なれているお店だけに、意識するコトはまったくない空気みたいな存在だったけれど、この“ピヨスク”に出会ったおかげで新しい風が身体をスーっと吹きぬけていった快い感じです。思えば、あのKIOSK(キヨスク)の発音や、意味などすっかり忘れていました。今では“キヨスク”っていってますが、以前は“キオスク”かどっちか、わかりませんでしたけどねー。もともとは、トルコ語“キオスク”で“あずまや”の意味でーす。昭和48年駅売店の愛称募集で選ばれたんでしたねー。“清い”のキヨとお客サマに気安く来て頂く“気安く”をかけて“キヨスク”になったのでした。そぉー。思いだしました。当時、友人が読み間違えて“キヨスケ”と発音したものだから、その友人は当分あだ名が“キヨスケ!”“キヨスケ!”とからかわれていましたっけー。おっと、話がそれてしまいましたー。そう“ピヨスク”は東日本キヨスクが異業種と組んだアンテナ店「ラッピングキヨスク」の1つ。今までと違っているのは、お店を広告宣伝に丸ごと活用したコトと女性層を意識したコトですねー。ラッッピング店舗は森永製菓(JR田町)さんや東ハト(JR渋谷)さんなど計7社と契約と日経MJの記事にでておりましたー。そういえばー、ありました。ありましたぁ!JR東日本さんは、駅内コンビニ型のNEWDAYS(ニューデイズ)そして“ニューデイズミニ”も運営してるし、“プラスキヨスク”なんてのもJR大宮駅にありますよ。これから駅内から外に飛び出して行くんだそうです。かっては、駅前が商業一等地だったけど、知らぬ間に東京駅などの駅内は、お店だらけの一等立地に。昨年2004年には、東京駅内は大変身してしまいましたー。1日のニュースを知るには、“キヨスク”をチラッ見るだけで、夕刊フジなどの大見出しが教えてくれますよねー。そんな馴染みの“キヨスク”が、こんなにも変身し続けているなんて!地球は今日も動いているんですねー。「ごまごまごまごま、ごまたまご!ごまたまごはいかがですかぁー!」

NO41 御用邸の街。葉山編。
2005/05/01
えんやこら葉山にやってきましたー。町中で自由に楽しみ集う住民と作家さん達のユニークなイベント葉山芸術祭が、開かれているからです。向かったのは、“葉山文化園”。逗子駅よりバスにのり、一色小学校下車徒歩3分の場所にありました。坂をあがると存在感のある瀟洒な館が見えてきました。風光明媚なイイ場所にありますねー。大別荘です。そこは庭園を有する和洋折衷の芸術的な館でした。大先輩に招かれてやってきたのですが、聞けばこの建物は、日本の代表建築家隈研吾(くまけんご)さんデザインの会員制文化施設なんだということです。隣接して2F会員制陶芸教室と1Fギャラリー蓮(レン)という構成になっておりましたー。普段は一般は、入れないけれど、葉山の町おこしイベントにギャラリーとして1Fだけを解放したのだそうです。高橋政巳先生「くらしの中の書」展が開かれており、書を通じて文字のもつ歴史的な意味や美しさの伝承を展示した素晴らしい作品に感激いたしました!!
NPOにかかわっている方に聞くと、葉山の街も、やはり歴史的な建物を残すのが困難で、みな相続があると手放さなくてはならず、もう個人では、守りきれないということですー。ドイツはうまくやっていると言ってましたねー。だから、こうして町ぐるみでイベントを毎年企画して頑張っているのですねー。ごくろうさまです。そういえば“葉山文化園”に、たくさーんの睡蓮の大鉢がずらっと並べられておりました。これがいちどきに開花したら、綺麗をこえて荘厳な風景になるでしょうねー。
親しい方から、こんな不思議な話を聞いたことを思いだしました。「ハスの華は、花の頂点にたつ存在なのです。生命エネルギーが、とっても強いのです。よーくブッタがハスの華にのっていますでしょ。」 「ワタシは実際、自分で家の中で実験してみたのです。あの華麗なバラ達でさえも、ハスの華にちかづけて置くと、一夜後に、ハスの華のカタチになってしまうんです。びっくりしました。」 そりゃースゴーイことです。でもすっかり自分でも実験するのを忘れていました。お近くのお寺からでもハスの華をゆずってもらえないものでしょうかねー。家の中でワタシも実験でもしてみたいですね。でも、ワタシが寝ている間に生命エネルギーがつよすぎて、ハスの華のカタチになっちゃうどころかホトケサマになっちゃうのは、イヤーですよ。チーン。