2006  6月

No403 koh−ichirohさんソロライブ。北青山の夜。
2006/06/30
Koh−ichirohさんのソロライブですよぅ!
北青山のビル地下にひろがるゆったりとしたラウンジ“D's BAR”いよいよ始まりましたぁ。
いつもなら六本木にあるライブハウス“スプラッシュ”で冒険団の仲間達とライブをしているから、どんなソロライブか楽しみ!
お店に入ると、なんと冒険団の4人のお仲間がリラックスして客席でなごんでおりましたぁ〜。
六本木ではステージ衣装を着た彼らを見慣れているけど、それぞれの思い思いのセンスの私服を着こんで出会うとなんだかとっても新鮮ですよぅ。
さぁてさて、TAGOSは正直、こんな席に座ってどうしよう!などとライブが始まるまでドキドキしていたのです。
どでかい音響スピーカーが鼻の先っちょに鎮座しているので、もしかしてライブがはじまったならあのKoh−ichirohさんの大声量と演奏で10メートルぐらい後ろへ吹っ飛ばされるんじゃないの!!。鼓膜破れちゃうんじぁないの!!などとびくついておりましたぁ!TAGOSもお歳なのか大音量には弱くなっていますもの・・・・。
と、思っているうちに、いよいよKoh−ichirohさんステージに登場、ソロライブのスタートです。
ほぅ〜ピアノ、アコースティックギター、パーカッションをバックに美しいバラードを歌いあげるKoh−ichirohさん、ゆったりとリラックスした雰囲気が、なんと心地いいんでしょう!
初めて目の前で聞いた曲“So Long Way”
冒険団の“カラス”“今、僕は六本木の交差点に立つ”“愛しき君へのバラード”アコーステックバージョン素敵です。
TAGOSはびっくりしましたぁ。ちょっと前に書いた地球人のヒトリゴトの題目に映画の“ノッティングヒルの恋人”その映画の曲目“シー”エルビスコステロを最後の曲として歌ったんですから。
あのシャンソン歌手“シャルルアズナブール”さんの美しき曲ですねぇ。
北青山の静かに流れる時を昨夜は充分味わうことができました。

NO402 傘がない!。鬼が笑った日。
2006/06/29
もう半年になるんですよねぇ〜。
来年のことを言うと鬼が笑うというけれど今年も残すところ186日なのです。
特に日々劇的で強烈なインパクトを受けるような大変化が身の回りにおこることなく、こうして今日までただただ一日一日を過ごしているうちに、半年たったわけです。
気づけばいつの間にか気温は30度を超える夏日に。
2階の窓を臨めば迫るようにもうもうと茂る緑葉をつけた桜の木の存在。庭に出ればトンボが空を飛び、雑草が梅雨時に芝から一気に噴出し、地面をじっくり見ればアリがぞろぞろ大行進。
庭花は紫陽花と桔梗と擬寶珠(ぎぼし)と白蝶草が主役に躍り出ています。
そしてなんと!ツゲの木から挨拶もせず巣立っていった鳩夫婦が小鳩2羽との親子つれで瓦屋根の隅に住みついていることを発見しました。
うぐいすは春先から変わることなく鳴きつづけていますが、もうすっかり手のとどかない小梅の木からは毎日のように黄色になった梅の実がポトポト落ちてくるのです。
いやぁ〜すっかり庭の光景が違っているじゃない!
いつの間にか庭の中の生き物達は目に見えて大変化していたのですねぇ!
さぁて、日々の生活をじっくり思い起こせば6ヶ月の間にも、う〜ん、喜怒哀楽の感情に揺れた出来事もけっこうあるもんだぁ〜!
それにしても毎日世間に目を通せば、いつの間にかすっかり日本はジャングル地帯になってしまっているかのよう。
野獣がうようよ、毎日のようにTVで恐ろしい被害が報告されていますぅ!。
すっかり人のココロから何かが枯渇してしまったんでしょうかぁ?
それは“何である?愛デアル!。これ常識!”
覚えていますかぁ?植木等さんの昭和38年の5秒CM。
そうそう、あの傘メーカー“アイデアル”も時代の波に飲み込まれ自己破産申告を出しましたね。
♪行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ 雨に濡れて行かなくちゃ 傘がない♪ 
(1972年 傘がない)

NO401 今どき地球の歩きかた。シーラカンスが怒ってます!
2006/06/28
4億年前ですよ!4億年前!
気の遠くなるはるか太古の4億年前の化石から発見され8千年前に絶滅したはずのお魚が1998年にインドネシアで発見されたと聞いた時はのけぞりましたねぇ!
その生きてる化石“シーラカンス”を5月30日にアクアマリンふくしまスタッフが撮影に成功した映像を7月13日に公開することになったんですぅ!
かって“あの人ってシーラカンス見たいねぇ”などとまるで時代遅れの化石人のような比喩にこのお魚は使われたりしていましたが、今度はどうなることでしょうかぁ?
トボトボ、ダラダラ、ヒョコヒョコ、なんだなんだぁ!!あんたはピテカントロプスかぁ!
この頃街を歩いている人間の歩行姿勢、なんだか退化しているんではないかと心配になってきましたよぅ!
人類は直立二足歩行によって喉の構造が変化し、飲食物と呼吸ができるようになって、それでそれでそれが結果として複雑多様な発音が出来るようになってその多様な発音のおかげで言葉の世界がひろがっていったそうです。
せっかく2足歩行して健康を保っているんだから、いくら今日が30度超えたとはいえ、背筋がまがってしかもあごやお腹をつきだしながら歩いている人が何と多いことかぁ!
チャップリン歩きやモンローウォーク、キンちゃん歩きはユニークでいいけれど、やっぱり“シャキーンシャキーン”がさわやかですねぇ!
でも〜もしかすると健康を害している人が多いってことでしょうか?とても心配です。
さぁて、さて現代の歩きかたは“ねじり歩き”というらしいけど古来日本人の歩き方は“ナンバ歩き”であったといわれていますがぁ〜。
へぇ〜なんともなにげなく歩いているその歩きかた1つにも時代とともに変遷があるんですねぇ!

NO400 ノッティングヒルの恋人?アメ色に輝く“ラグビーボール”
2006/06/27
つらい、つらい、つらい、本当につら〜いだらけなんです!
英国旅行から戻ってきた来た義兄より息子へと持ち帰ってくれたアメ色ににぶく光り輝く楕円の皮製“ラグビーボール”
2年前にロンドンを訪れた時、ポートベローストリートのアンティーク屋さんで一度見かけた“ラグビーボール”当時ラグビーを始めたばかりの息子へどうだろうなどとずっと気にかけていてくださったのです。
今回、再び義兄の英国旅行の機会に母豊月(ほうげつ)86歳から是非、孫である毎日がラグビー三昧の息子におばあさんからの記念のプレゼントとして持ち帰ってくれるように頼んでいてくれたのです。
豊月(ほうげつ)86歳の依頼した気持ちはその“ラグビーボール”をおばあさんから孫への形見というぐらいの気持ちだったんですねぇ!
義兄の持ち帰ったその“ラグビーボール”はノッティングヒル駅近くのポートベローのアンティークショップ
“HENRY GRAGORY”で見つけた1950年代の未使用ボール7つあったうちの最後の1個。
ラグビー発祥地のラグビー校前の“GILBERT”という靴屋さんからスタートしたギルバート社のルーツのボールなのでした。
取りづらい!投げづらい!蹴りづらい!予想しづらい!つらいだらけの“ラグビーボール“
得点のチャンスもあっという間にピンチに変わる予想不可能なこの“ラグビーボール”をもってトライを決めるのは大変!!
“油断せず!諦めず!最後までつらさをのりきりトライを決めろ〜!”
こんなメッセージを皆からいただいたようで、んまぁ〜“ラグビーボール”をいただいた息子は何とも幸せものよ〜と感謝!感謝の日となったのです!

NO399 謎めく月曜日。それでも増える“シネマコンプレックス”
2006/06/26
お〜お、先が見えない!
早朝に車を走らせていた時、街は深い霧に覆われておりましたぁ!地面を這うようにあらたに発生する霧に車のライトがあたるといっそう道路先が謎めいた世界へ誘われて行くかのよう!
プルプルちょっと朝からミステリーゾーン体感を楽しむことができましたぁ。
梅雨時は霧の発生って多いんですよぅ。
さぁて、どんより曇る昼過ぎにはTAGOSは見知らぬお方より“どうぞこちらへ〜”といざなわれたのです。
誘われるまま入り込むとそこは妙にひんやりしたひと気のない闇の世界。
やがて正面が明るくなり大音響とともに目の前で次々に起こるなんとも謎めいた世界の連続・・・・。
は〜い!ここはとある郊外SCの巨大な“シネマコンプレックス”に妻と2人であの“ダ、ヴィンチ・コード”を見に車でやって来たのです。
いやぁ〜謎だぁ!謎だらけだぁ!“ダ・ヴィンチ・コード”のことではありません!
館内にいる人がTAGOS夫婦をいれて総勢たった8人です!えっ嘘でしょ?本当に?
皆様ご存知“シネマコンプレックス”は最低100席から400席規模の部屋にクラスわけされた6以上のスクリーンを備えている複合映画施設が定義です。
とにかく最新鋭設備の環境が備わっているから梅雨時でもスッキリ涼しくて長時間でもとっても快適だしサービスシステムも充実しているから好印象を持てます。
だから予想外でした!。普通日にこれほど人がいないのは怖いぐらい!思わず大丈夫なのこれって?
TAGOSにとっては最新鋭の館内をまるで貸切にしてゆったり話題の映画を見れるのは大変贅沢な気持ちになって最高なのですがぁ。
思えば“シネマコンプレックス”は1992年に大店法の改定が出店攻勢の始まりでしたね。
郊外型から始まった攻勢は都心にもおよび、2000年がピークといわれていたけれど、まだまだ増え続けています。既存映画館衰退とミニシアターの独自性そしてシネコンのエリア格差が透けて見えてきています!
先月20日有楽町で大行列していたのを見ていたのにここでは8人なんてねぇ!すごすぎるぅ〜。

●ユニーク地球人 

サントガリア星人さんNO5 NEW UPです。
今回も深いんです。サントガリアビームは地球人の心をとても暖かくしてくれますね。
さぁ、どうぞサントガリアビームを浴びてください!


NO398 日曜日の長寿番組。それはご存知“笑点”だ〜よ。
2006/06/25
パフーパフーパフ〜
この音聞くと自然ホンワカしちゃうんですぅ!。
んまぁ〜パブロフの犬じゃないけれ思わず反応しちゃうんですねぇ。
日曜日の夕刻5時半からテレビから流れてきたのは長寿番組“笑点”の音楽。
もう長らく見ることはなくなっていたけど、たまたまテレビから“2022回を迎えま〜す”という声が聞こえてきたので思わず見てしまいましたぁ!
1966年(昭和41年)からですからなんと40年も続いているんですねぇ。
同じ日曜日の長寿番組のホンワカ番組といえばアニメサザエさん!
サザエさんは1969年(昭和44年)だからこの“笑点”のほうがテレビでは先輩格なんだぁ!
1966年といえば大衆車サニーが発売された時代、もっとわかりやすくいうと日本武道館にビートルズが来日した時代なんですから、“笑点“って本当に息の長い番組なんですねぇ〜。これって本当にすごいことですよぅ!。
そう思ったら“笑点”という文字の命名のルーツが妙に気になってきてさっそく調べてみたのです。
初代司会者の立川談志さんが同時期放映されたテレビ連続ドラマ“氷点”(三浦綾子さんのベストセラー)をパロッたとか。
いやぁ、あらためて“笑点”という文字いいですねぇ。
なんか人間の笑いの沸点はどこからよ?と問われているようで!
それはユーモアで心の氷が溶け出し、やがて自然にお腹の底からワッハッハって大笑い!過ぎては昇天してしまう瞬間かなぁ〜。
♪ゲラゲラ笑って見るテレビ ドキドキしながら見るテレビ メソメソ涙で見るテレビ いろんなテレビがあるけれど 同じ見るなら笑わにゃ損損 笑う点ならそのものズバリ それはご存知 それはご存知 笑点だよ♪
(作詞 前田武彦 作曲 中村八大) 

NO 397 忘れなぐさをあなたに。W杯ブラジル戦?
2006/06/23
あ〜記憶にありません。え〜記憶にありません。
う〜記憶にございません。
いまだ耳に残る言葉“記憶にございません”
1976年のロッキード事件の証人喚問の答弁・・。
いやぁ〜当時、テレビに映るニュースを見ながら“なんでつい最近のことも覚えていないのよ!このおじさん!”などと思っていたらまたたく間にこの言葉が当時世間で大流行になっちゃいましたね!
なんとも不思議な言い回し“記憶にございません”。
さぁてさて、早朝よりの日本VSブラジル戦の結果を見とどけ、日常生活に戻っていった皆様の心情やいかに?
皆さん、歴史と記憶に残るW杯を期待していたことでしょうね!。薄型TVはバンバン売れたようだし、記録に残すDVDレコーダーも同様です。
記録再生は今回はミッションインポシブルのごとくその場で抹消抹消!。
TVでの繰り返し繰り返しの映像はとてもつらいものがありますねぇ。
日常生活に健全な気持ちで復帰するには早すぎる金曜日かも?
TAGOSさんはどうよ?
“はぁ〜記憶にございません”
今日は週末の金曜日。楽しくいきましょうねぇ〜。
だから〜TAGOSさん!今日の試合はどうだってば?
“記憶にございません!記憶に!”

NO396 格子戸をくぐりぬけ。江戸を見たけりぁ佐原へござれ。
2006/06/22
江戸を見たけりゃ佐原へござれ〜。暖簾、格子戸、蔵造り・・・・。
またまたやって来ましたぁ!北総の小江戸と呼ばれる千葉県佐原市に。
佐原は時代劇のロケにもよく使われるほど江戸・明治・大正期の古い商家や醸造元の建物が本当によく保存されているうえに今でも立派な現役ですから街並みが素晴らしいんですねぇ。
このところ、都心で次々に起こる思い出深い建造物が取り壊されていく姿があまりにも多いので、この佐原にやってくるとフゥ〜と心がおだやかになれるのです。
“江戸まさり”といわれるほど栄えた佐原の街は柳の枝の揺れる小野川あたりをそぞろ歩けば誰もが身体から毒素が抜けていきますよ。TAGOSのデトックスの街ですよ。
お昼はオーベルジュ・ド・マノアール“吉庭”を予約しました。明治初期に建てられた民家を改装し八百坪の日本庭園を眺めながらお食事できるレストランなのです。その後“カフェしえと”にも立ち寄ってみました。
ここは母屋、土蔵、小さな味噌蔵が中庭を囲む明治時代後期に建てられ商家、質屋と何代か使用されてきたところなんですよ。
小野川の下に浮かぶさわらを巡る小船を漕ぐかさをかぶるかすり姿の船頭さんがいいですねぇ。。
橋のかかる交差点の角地には安政2年(1855年)建築の千葉県有形文化財指定の“中村屋商店”などなど建物だけでもタイムスリップしてるのに、本当にうれしくなるのは街に誇りを持っている住民の方々の心いき!
各家ごとに街全体を活性化するために“まちぐるみ博物館”として自慢のお宝や家に伝わる伝統の品々を見せるために土蔵などを解放したりしているのです。
だからどなたも本当に親切に色々と説明してくれます。程よいふれあいがとてもいいんですねぇ。
さぁてさて、曇り空に良く似合うあやめの花も充分めでたことだし気分は晴れ晴れ!
さて、さていよいよブラジル戦近しですね!。
東関東自動車道をスタコラサッサ、エーィ気分は一心太助よぅ!

約300年の伝統 佐原の大祭 7月9日〜18日

NO395 ドンブラコドンブラコ。水中散歩は頭の体操。
2006/06/21
ドンブラコ〜ドンブラコ〜と大きな桃が漂流中?
いやぁ〜自分で言うのも恥ずかしいのですがぁ体型がすっかり桃になっちゃいましたぁ!あのまあ〜るいモモですよ!モモ!
そんなわけで最近妻とかよいはじめたご近所のプールへとやってきたのです。
なんと泳いでいる人より歩いている方のほうが多いんですねぇ。
のんびり観察しているとプールのガラス越しからのぞむトレーニングジムでは、若き女性方はエアロバイクやバランスボール、マシーンなどを次々と使いこなすもののプールまで来られる方は少ないようですねぇ。
プールは年配の男性がお一人で黙々とプールを2時間ぐらい休まず往復されていたし、中高年女性方はおしゃべりをしながらゆっくりゆっくり歩いておりました。
TAGOSは前になったり後ろになったり横向きに歩いたと思えばもぐったり泳いだりと・・・・・。
なんだか久しぶりに身体を動かすことが楽しくて楽しくて子供のようにはしゃぎながら水と戯れておりましたぁ。
そうそう、30分後にすでにプールサイドですっかり眠りに落ちた妻を尻目にピョコピョコ水中散歩をしている時ふと頭に浮かんだたわいのないコト!
TAGOSがまだ体型もアスパラガスの頃、いつも早足で歩いていたような?出勤時の駅までの道のりでさえ誰れかれとなく勝手に競争をしかけ抜かれ抜かれつのデットヒートを毎日くりかえしたことを。
何もみえなかったなぁ!まわりの風景など・・・・。
こうしてプールを歩いたりもぐったりしていると、頭がスッキリクリアーになるのでしょうか?
いやいや思いもかけぬ頭のスイッチがONになってとっくに忘れていたコトがフラッシュバックしてくる効果もあるのですね。
思えばつい最近になってかもしれませんねぇ。ゆっくり歩くようになったのは。
散歩時でも妻やチビ助犬に追いつかなかったり、都心でも次々と追い抜かれることに平然としていられるようになっていたなんて!
こりゃ自分自身の再発見だぁ!
そういえば何気なく人の観察がなんとなくできるようになったのも歩きのスピード違反がなくなってからでしょうかねぇ!

●アートなお部屋コーナー

豊月(86歳)の新作12点の水彩画 NEW UPです。四季折々自宅の庭に咲く花々を眺めながら。

NO394 TAGOS今夜もヒトリゴト。“銀座・新富町編”
2006/06/20
また見慣れた風景がなくなるのでしょうか?
かっては花街だった中央区新富町!
昨年4月にまったく知らずに最後のお食事となってしまったのが京橋税務署すぐ裏手にあった威風堂々たる白かべと木造の和風建築の料亭本館“松志満(まつしま)”でしたぁ!10月頃から解体が始まりまたまたマンションなのです。
新館はどうやら残ったのですがあの建物は本当に残念で仕方ありませ〜ん。
目だつようで以外と知られていないエリアの建物かも?
それは銀座一丁目の“銀座タワー”です。
平成15年8月に完成した銀座地区初の超高層マンションですよぅ!。
もっともっと知られていないのは、“銀座タワー”が建つ以前の風景。
んまぁ〜この地は明治15年創業の老舗料亭“万安樓(まんやすろう)ですよ。敷地面積約900坪の優雅さ。
くやしい!一度中を見てみたかったぁ!
どうにも由来がわからないのでもどかしいのが“銀座タワー裏にある赤い鳥居の安平神社の存在で〜す!。
いやぁ〜銀座一丁目と新富町は隣接して特に新富橋にかかる鯛焼き屋さんの“沢田商店”、もうボロボロというかなんとも味のある名店“天ぷらさがわ”付近は今目を離すとなんかなくなってしまうんじゃないかと不安にかられる危険地帯。
まさかここはなくなるはずがないと思っていたあの小粋な店構えの“まぐろ亭”さえ駐車場になっているじぁない〜!!
もういやだいやだぁ〜。シェ〜ンカンバック!!
♪おふくろ今夜も〜ひとりごと 帰ってこいよ 帰ってこいよ 帰って来いよぅ〜♪
(昭和55年 帰って来いよ)
そしてそして新富町郵便局前の地上5階地下1階の昭和3年竣工の“旧回効散ビル”しばらく前を通らなかったらすっぽり網をかぶってさびしそう!
いよいよもっていざ〜さら〜ばとなりそうです。

●ユニーク地球人 
 
スーサン連続のよもやま話NO17は無名仙人さんの第2弾 NEW UP ですよ!!。

NO393 息子より父への1通の手紙。お父さんは頑張るぞぉ〜!
2006/06/19
今までどうもありがとうございましたぁ!
TAGOSはピョコリと頭を下げそっと撫でながらテーブルの上に置いたのです。
昨日“父の日”に妻子全員が揃い祝ってくれたのです。父の日用にごちそうを用意してくれて家族全員でいただきま〜す!
お父さん!ちょっと待って!高校3年のでかい息子がのっしのっしと近づいてきて、TAGOSと妻に大学ノート1枚を裏返しにしてしおらしく手渡したのです!
何これ?渡されたノートをTAGOSがすぐに見ようとすると息子が“ちょっと待って!食事の後に見てあ、いや明日僕が学校にいった後に見てよ”
高校2年の娘は小さな時からオリジナルのメッセ−ジカードをつくっては手渡してくれていたのですが、息子が自主的にメッセ−ジカードをつくり手渡したことはありませんでした。
息子の言うとおりノートは伏せたままにし、じきに始まるクロアチア戦など予想をしながら家族で食事を楽しみましたぁ!
最後に“お父さんいつもありがとう”という言葉を添えてお財布とキーケースをプレゼントにもらったのです。
いやぁ〜うれしかったですねぇ!!
そして今朝方、長年使っていた財布とキーケースにお礼をいって新品へ・・・・。
そして約束通り、学校に行った後に息子からのメッセージ見ることに!
・・・・・・。ふむぅ〜こんなこといつの間にか言えるようになったんだぁ!
息子のメッセージ読んでいるとやっぱりTAGOSって“頑張る”って言葉好きなんだよねぇ〜思わずムラムラとファィトが沸いて来ますもの。
なんだかとってもとっても熱く元気になれた月曜日です!

●ユニーク地球人
スーサンのよもやま話NO16 NEW UPです!
W杯に不完全燃焼のスーサン!掲示板での鋭い見方が光ます!。
今回はザビエル生誕500年にちなんだスーサンの四方山話、是非見てくださいね。

NO392 モーレツからチカレタビ〜。頑張れは禁句?
2006/06/18
がんばれ!がんばれ!玄さ〜ん!ガンバレガンバレ
玄〜さん!覚えている人いますかぁ?
4歳の可愛い女の子が“ガンバレ!”を連呼するキッコーマン(1984年)の鮭そうすいのCMでした。
今日は“父の日”ですねぇ!
現在は“頑張って〜”って言葉、どうもうかつにつかったら嫌われてしまう雰囲気が漂っています。
企業では“頑張ります”という言葉を社員に禁止しているところは多いみたいですねぇ。理由はあまりにも具体性を欠く言葉だから“今回は失敗したけど、次は頑張りま〜す!”言葉だけでその場逃れに使用される危機感があるようです。
一般的にも今、安易に“頑張れよ!”なんて言ったら言葉の暴力になっちゃうことも多いんですね!。
“おお〜モーレツ!”いやぁ〜1969年(昭和44年)のドキドキCMの時代はすでに超ミニスカートから流行は一気にマキシに移行していました。
GNPは世界第2位、10年間の伸び率は第一位というまさにGNP神話時代の幕開けには“頑張れ”の言葉はしっかり生きていましたぁ。
“チカレタビー”疲れたよ〜と本音を出したCMも覚えていますぅ?
1975年(昭和50年)完全失業者が100万人を突破する不況が深刻化し“ニューファミリー”という言葉が流行した時から“頑張れ”の言葉がちょっと控えめにぃ〜。そしてまたまた84年に“頑張れ玄さん!”で“頑張れ”が復活を遂げたのでした!
“頑張る”という言葉が時代によって取り上げられ方が変化しているんですねぇ〜。
“我に張る”“眼に張る”@あることを成し遂げようと、困難に耐えて努力する。A自分の意見を強く押し通す。我を張ると国語辞典には意味が出ています。
いやいや、近頃は挨拶言葉みたいに何気なく“頑張ってねぇ!”“頑張ってますかぁ!なんて言えなくなっていますねぇ!
さて、さて“頑張れ“だけでなく気づかないうちに世間で何気なく使用していた言葉も人それぞれお相手の気持ちにいやな思いをいだかすこともあるのでしょうねぇ!
今日は“父の日”お父さんにどんな言葉を伝えるのでしょうかぁ?
ウォーウォークロアチア戦だぁ!頑張れ〜頑張れ〜ニッポ〜ン!!
ありぁ?

NO391 人間らしく生きたいなぁ。ユーモアのセンスって?。
2006/06/16
鏡を見ながら“いやぁこりゃ絶対できない!”
笑いながら同時に腹をたてることは不可能だとある本に書いてあったので“よ〜し!それでは実験して見ようじゃないの”などと鏡の前に立って何度も試みたものの失敗に終わりました。
かってお笑い芸人だった竹中直人さんが笑いながらおこってるギャグを何度も見たことを特に気にもしていなかったけど、これってすごいことなんだぁ!とあらためて感心してしまいましたぁ!
先日、あるお方とお会いした時、ええ〜っ!!と思うことがあったからです。
これだけ日本中でW杯サッカーがもりあがっているものだからどの会社でもさぞかしサッカー話題で社員同士がランチタイム時など盛り上がりのコミュニケーションがあるのだろうと思って聞いてみたら拍子抜け!
TAGOSさん!まったく盛り上がっていませんよぅ!皆個人的に楽しいんではいるらしいけど、かってのように社員同士が笑顔で話すことがないんです。シラ〜っとした空気が漂っていますねぇ〜。
愕然としましたねぇ!笑顔が消えたぁ?いつから?
思わずびっくりして聞いてしまいましたぁ!
さぁてさてこの頃なんか世の中に漂う殺伐とした空気が気になります。“ユーモア”不足でしょうか?
身体の中の“液体”のラテン語“フモール”の複数形“フモーレス”体液が流れれば人間は健康で入られるという医学的概念だったり、“ヒューマン;人間”が変化してumourになったといわれています。
いざ”ユーモア”のセンスはどうよ?などと問われたらモゴモゴモゴと口ごもるしかありません!
“ジョーク”と区別するのもなかなかできないレベルではセンスどころではありません!
いやぁ落語家さんじゃないけれど相手を悲しませることなく粋で機知に富んだ会話ができたらどんなに世の中明るくなるでしょうかぁ!
んまぁ〜日常生活の中のささいな矛盾や出来事でさえも笑いとばして楽しむができるようになるのも各々の“ユーモア”感覚ですかね。

NO390 お父さん達の公園デビューは愛犬とともに?。
2006/06/15
やっぱり連れてこればよかったぁ〜!
毎日の散歩道をガ〜ンとして変えようとしない頑固なわが家のチビ助犬!
たまには違う散歩道を行くぞい!TAGOSも意地になって散歩コースを変えようと何度も試みるのだけど、こいつは引きづられながらもウ〜ンウ〜ンとふんばって鉄壁のディフェンス“イッヒ・フンバルト・ジーケン”?になっちゃうのです。
健康保持の為にも必需の散歩!それならばたまに1人で。
“散歩に連れてけ〜”とうなるチビ助犬をふりきって夕刻のお散歩・・・・・。
道端で会うのは塾帰りの小学生たち、部活帰りの中学生達!う〜んどうにも気になって仕方ありません。
日本中の子供達に降りかかる凶悪事件の数々。
日本もついに子供を公園で遊ばせるのも親がしっかりついていなくては危険な状況になってしまったし、学校から自宅までのわずかな距離でも危険に会う時代になってしまいましたぁ!
夕刻の散歩を運動がてらに知らないおじさん1人が腕をグルグルまわしながら歩けば、通りかかる子供達も“あの人!変なおじさんじゃないの〜”などと思われはしないか、日中でもおじさん一人が公園でボーっとしているだけでお母さん方から“なんか怪しいのよねぇ〜”などと思われはしないか気になりますよぅ〜。
一応、身なりはそれなりに整えて無精ひげにボサボサ頭などはご法度です。
そうそう散歩道はメイン通りでなく人気のない脇道を巡るのがとても楽しですからねぇ!。
若いお母さん達はいまだ“公園デビュー”なんていう我が子を近所の公園ではじめて遊ばせるのに他のお母さん方の輪に入れてもらうデヴューがあるらしいけれど、これから定年を迎えるお父さん達も“ご近所さんデビュー”を果たさねばぁ〜。
いやぁ、冗談はさておき、どいういわけかあの頑固なチビ助犬が一緒だと、見知らぬ奥様達からも子供達からも“今日は!○○君のお父さんですね!。”と認知されるんですねぇ〜。
さてさてさてどうしたものかぁ?なんとも、夜道を歩く子供達をおどろかせないようにするには、すでにご近所では顔を売って信頼を得ているチビ助犬を当分連れて歩かなければぁ!
んまぁ〜それにしても犬連れって安心感のシンボルみたいになっちゃ、いませんかぁ!
♪危ない 危ない 夏は本当に ご用心♪
(昭和51年 夏にご用心)

NO 389 頑張れ日本のお父さん!クロアチア戦の日がやってくる。
2006/06/14
亭主元気で留守がいい!
1984年キンチョーのコマーシャル覚えてますか?
80年代にはすでにに父親像の存在はすっかりしぼんでしまっていましたねぇ。
箸で夫のパンツをつまんじゃう分け洗い洗濯機のCMもずいぶん話題になりましたぁ〜。
その洗濯機の名は大和撫子のような“静御前(しづかごぜん)”というネーミングなんですから皮肉です。
さぁて絶対勝たなければならな〜いクロアチア戦!
6月18日ですよ!
多くのお父さん方はこの日ばかりは家路を急ぎTVの前でビール片手に観戦態勢に!
おっと〜サッカーに熱中のあまり忘れちゃいませんかぁ!ご家族の皆さ〜ん!その日は“父の日”なんですよ!
しか〜したいていはお父さん本人がその日をすっかり忘れているんですねぇ。まぁ忘れているというかぁ〜まったく意識してない人がけっこう多いんじゃないでしょうかねぇ。
まぁ、そんなことでご家族皆がサッカー観戦に夢中でまったく“父の日”の存在すらも忘れていたとしたらそれはそれでちょっとさびいしいものが・・・・。
さぁてさて、すでに仕事や子育てを離れ、いよいよ定年を迎えるお父さん達も多くなっている日本です!
“毎日が日曜日”の日々を家で送るようになられる方々はこれから益々多くなっていくのです。
そうそう“亭主元気で留守がいい”と言われていたあのお父さん達が元気で家にドンドンカムバックしてくるんです。
どうする?お母さん達の運命は〜いかに!
いやぁ〜どういう訳か男って他の人がどう見てもただの石ころにしか見えないモノをコレクションして目に見えるところに陳列するスペースがほしい!書斎がほしい!オーディオルームがほしい!などと家の中に我が城を築きたがる傾向があるようです。
奥様もようやく子育てから解放され家に趣味の陶芸のスペースでも〜などと思っていた矢先に夫が城を強行に築こうなどと企てているのを知ればこりゃまさに陣取り合戦勃発ですよぅ!
でも〜奥様はすでにとっくに進化を遂げて外様化していますから陣取りに負けたふりなぞをして夫に城をさっさと明け渡しお友達と旅行や演劇、レストランやエステへといざ出陣!
さぁてさて今中高年男性の1人旅がじんわりふえているそうですねぇ。
今は団塊世代層では夫婦旅行のシェアーが最も大きく36.6%、男性1人旅はまだまだ3%ぐらいだけど5年後には2倍の6パーセントが見込まれるんだとか。
中高年の男一匹みちのく一人旅!
旅空でお父さん方はいったい何を思うのでしょうかぁ?
♪時の流れに逆らいながら ひとりゆく身の胸のうち
俺は男とつぶやきながら みちのくひとり旅♪
(昭和55年 みちのくひとり旅)

NO388 日本の心はブルー一色に!。頑張れサムライブルー達よ!
2006/06/13
チ〜ン・・・・。トムライブルーだぁ!
いやぁ、昨晩10時からスタートしたW杯日本VSオーストラリア戦はなんとTV最高視聴率61%(平均49%)を記録しました!
日本中の皆さんがいたるところで深夜まで一生懸命に応援していたんですねぇ!
明けの日本は“残り9分の逆転負け”に悔し〜い、残念、まさかぁ〜の悲鳴に近いものがあちこちで聞かれましたぁ。
今日は、まさに日本国民が真っ青に染まってしまったかのような一日でしたね。
入梅のジトジト天候続きに加えて、昨夜の応援ガックリ疲労、そして輪をかけてドド〜ンと日経平均今年最大614円の大幅下げ幅を記録(米同時多発テロ影響2001年9・12以来)と重なる日となりましたぁ!
さぁて“サムライブルー!サムライブルー!”もう今さら聞けませんよぅ!
そもそもTAGOSは強烈なサポーターではないからなぜユニホームの色がブルー色なんだろう?(すいません)さえ意味がわからずこっそり調べてみたのです。
なるほどそうなんだぁ!ユニホームの青は日本は海に四方囲まれているからその海の青、日の丸に使われている赤色も入っていて、ウェーブのようなラインは日本刀があしらわれていたんだぁ!
いやぁ、それにしても熱烈なサポーターの方々は本当に皆さん心の切り替えが早いですねぇ!
口々に次の試合にむけて“頑張ってねぇ〜”という心温まるメッセージを送ることができるんですから。
TAGOSも見習って“サムライブル〜よ頑張れ〜”
♪ブルーブルーブルーブルーブル〜勝トゥー♪
さぁて、夕方の空にはま〜るい優しい夕日がほんわり浮かんでいますよぅ。

NO387 ひばりが泣いています。あ〜あ“ファミレス”の変遷。
2006/06/12
飛んでますねぇ!空高〜く!
ピィピィピィ リリリ ヒリリリ
この時期、雲雀(ひばり)が天空でさかんにおしゃべりしていますよぅ!可愛いですねぇ〜。
空高く舞い上がっていたはずのあのファミリーレストランの巨人“すかいらーく”が株非公開へ!。
国内最大2600億円超えの経営陣買収(MBO)を実施したことが8日に発表され話題になりました。
つまり〜少子高齢化がどんどん進んじゃって将来ファミリーレストランだけじゃやっていけないってことなんですねぇ。
思えば早いもんです!日本で最初のファミリーレストランのこの“すかいらーく”が東京府中市に第1号店を昭和46年(1970年)出店ですからもう36年たったんですよぅ。
当時、車を気楽に駐車し洋食を食べる郊外型スタイルレストランは都心にはまったくなかったのでTAGOSは仕事で毎週車で府中方面に行くときなどは物珍しくて立ち寄っていたことがなつかし〜い。
いやぁ!大阪万博にケンタッキーフライドチキンもこの年だし、東京では歩行者天国(銀座・新宿・池袋・浅草)が始まった年でしたね。
次年には銀座三越前にファストフードマクドナルド1号店が出た時期ですし、カップヌードルも出ましたよ。
まぁ、今まで外食などというものが日常生活に定着していない時代に、この“外食”をささえたのがベビーブーム世代でしたぁ。
2人以上子供をつくることが稀の世代が外食にお金をまわすようになった始まり始まりの時代ですねぇ。
さぁてさぁて今や“ファミレス”という名前は浸透したけれどいずれこの名前も時代の変化に飲み込まれ死語になることでしょうね!
ピークは1983年頃の首都高速3号線の用賀インター近くの環八通り瀬田に出現したアメリカ村のカジュアルレストラン集合体。
“ブレストンウッド・イエスタディ・デニーズ”の頃だったのかも。
さぁて、さてこれからの少子化にどう変化していくのでしょうかぁ?楽しみにしていますぅ!

NO386 おいらショクだぁ!テッシュペーパーの値上げ。
2006/06/11
手を差しのべてニッコリ笑顔でハイどうぞ!
ポケットティシュ1万個配れば2〜3人がお客様になる確率があるんですって!駅前でよ〜く見かけるのがテッシュ配り。
“ティシュ大手3社値上げ!”
いよいよ日用品にも原油高の影響がじわっとやってきましたよぅ!
思えば昭和48年(1973.10.19)第一次オイルショックのあのトイレットペーパーが日本中から突如消失した出来事は忘れることはできません。
パニック現象を目の当たりにみると本当に怖いものですねぇ〜。
ご近所の日本橋の各デパートのトイレからも束でごっそりトイレットペーパーが略奪されておりましたぁ!
日本中がトイレットペーパーハンターになり砂糖、醤油、洗剤なども相次いで姿を消したんですからねぇ。
いやぁ〜、その当時にインターネットがあったならどうなっていたでしょうかぁ?
口コミとテレビで全国に拡がったパニック現象にさらに拍車をかけたのか?それとも理性を取り戻す為のストッパーとしての役割りをはたしたことでしょうか?
さらに5年後の昭和53年(1978年)には第2次オイルショックでしたぁ。
デパートではエスカレーターは止まってしまうし、銀座等の華やかなネオンも暗ら〜くなった時でしたぁ!
さぁてテッシュという言葉は1924年にアメリカのキンバリー・クラーク社が化粧落としとして売り出されたものなんだだそうですね。
日本に上陸したのはそれから40年後の1964年。
TAGOSの幼少ときは、日常の紙といえば鼻紙・ちり紙の時代、ロール状のトイレットペーパー?
そんなのなかったですよぅ。“浅草紙”という再生紙でうすいねずみ色で表面はこまかなシワがよっていたぁ!
そりぁそリぁ日用品の変化はものすごいものがありますねぇ〜。
そんなことを思い出すにつれてあの光景がとっても奇妙にうつるのです。!
受け取る人はわずかでも街頭で毎日ポケットテッシュを山のように無料で配り続ける日本という国を!

NO385 華美すぎはダメよ!。梅雨に入りました。
2006/06/09
つゆと聞けばそうめんを食べた〜い!
さぁて、いよいよ今日から梅雨入りとなりましたぁ!
梅雨(ばいう)の名の通り先日娘と梅とりを終えたばかりの週ですねぇ。
つゆの語源は長雨で腐ったり痛んだりするから、モノが潰える(ついえる)→潰ゆ(ついゆ、つゆ)が定説らしいけど梅雨(ばいう)も黴雨(ばいう)つまり黴(かび)が語源。
なんかこれだけ聞いちゃうと梅雨のイメージって腐ったり、痛んだり、カビが生えたりと気持ちがなんとなくジトジトしちゃいますねぇ。
さらに輪をかけて“潰える”の言葉が減る、衰える、崩れる、やつれるという意味ときているからもうヘトヘトで〜す!
確かにこの時期、うっかりするとカビ君は元気に繁殖しアレルギー鼻炎や皮膚炎、喘息、食中毒なんていう悪さを働きますぅ!。
特に食べ物はカビるようなものをカビないうちに食べなければなりません!
ダイエットとかいってチョビチョビと食べ残しているうちにいやぁ〜それって危険がいっぱいです!
そうそう、もっと危ないのはそういえば・・・・・。あれ?ちっともカビない!
危ない!危ない!聞けば食品表示にない殺菌剤、防腐剤など各種の薬剤が添加されている加工食品ってけっこう多いんですってねぇ。
さぁてさてジメジメしたお話はこれまでにして、梅雨になれば紫陽花、花菖蒲の色彩のグラデーションがすがすがしいですねぇ〜。
梅雨に映える華美のない涼やかで美しい花々いいですねぇ〜。日本の代表的な素敵な風景です。

●ユニーク地球人
サントガリア星人からのメッセージNO4 NEW UPです。
サントガリア星人さんからのありがとうシャワーが再び注がれました!。“いのちのバトン”パート2
是非是非見てくださいね。

NO384 空中散歩もいいもんだぁ!気分もすっきり“東京国際フォーラム”
2006/06/08
ゴミはゴミ箱に!生き物を大切に!緑を大切に!
電気をこまめに消そう!川にゴミを捨てるな!
“東京国際フォーラム”の長〜いスロープの壁にズラ〜っと展示された小学生達の絵画が300以上は展示されているでしょうか?。誰1人としてその絵の前にたたずむ大人がいないことに気づきました。
TAGOSのお気に入りの都心の絶景オアシス“東京国際フォーラムはあのガラス棟が大きな特徴で全長210メートル、地下1階から地上7階までの吹き抜けになった地下から見るガラス空間が圧巻ですねぇ。
木の葉型のガラス棟と4つのホールが向かい合っていてその間が植樹に覆われた公共空間だから、たいていの方々はそこでゆったりするので、ひょっとして壁際の地下階からスロープで一番上までの空中散歩を楽しめることに気づかないお人もいらっしゃられるかも?
子供達の絵はそのスロープに展示されているからわかりずらいかもしれませ〜ん。
この巨大な都心のガラス棟の誰ひとりいない空中散歩は贅沢というかぁその天空を横断する空中スロープ・ブリッジは足がすくむくらい!
植樹が緑の絨毯のように下界に広がり、最上階の空間は東京タワーや高層オフィスビルからのぞく視界とはまったく違った気分になれる大空間なのです。
7階最上階にはレストランの東天紅と吉祥がありますが吉祥は5月23日、9年目にして退店の張り紙が・・・。日常は毎日のように移り変わっていますねぇ。
さぁて、かっては明治27年以来96年間の都政をつかさどってきた都庁跡、黒い建物が印象に残るビルでしたぁ!すぐ横には建物の中央がギリシャ風の日赤がありこれもまた歴史を感じる立派なビルでしたよ。
今だったらきっと保存したのでしょうねぇ。
TAGOSは爽快な気分になりたい時、たまに東京タワーや“東京国際フォーラム”の空中散歩をするが大〜好きです。
いやぁ、それにしても小学生の子供達の絵をじっくり見ながら、いつの間にか大人になった多くの人がこうしたあたり前の“ゴミはゴミ箱へ”さへ出来なくなってしまったのは子供から大人への時間経過の間にいったいその人達に何が起こったのかしらん?などとふと思った空中散歩なのでしたぁ。

NO383 熱き思いはサンバに乗せて!壊さないでよ有楽町一丁目“三信ビル”
2006/06/07
パウリスタとええとそれそれ!その小さくてコロコロしているのくださ〜い!
は〜いここは日比谷帝国劇場地下2階のブラジルスタイルのバールカフェ“カフェ・ド・セントロ”です。
“パウリスタ”と聞けばすぐに銀座8丁目の大正2年創業の老舗“カフェーパウリスタ”を思い浮かべます!
この老舗カフェーは東洋においてコーヒーの販売権をブラジル共和国サンパウロ州政府より一手にひきうけ“パウリスタ”の意味とはサンプロっ子っという意味なんだそうです。
“カフェ・ド・セントロ”ではエスプレッソとホットウォーターを1:1で割ったサンパウロ式エスプレッソなんです。
小さくてコロコロしていた食べ物はポンデケージョというチーズパンでしたぁ!。
5月29日にこのブラジルカフェはオープンしたんですよぅ。
さぁてさて、今や世界第3位のコーヒー輸入国のニッポン!
高品質コーヒー競争が起こってから、最近でもシアトル系のコーヒー店が幅を利かせていますが、コナコーヒーなどのハワイも加わり、そしてこうしてブラジルを代表するコーヒーカンパニーもやって来たんです。ところで今ニッポンでも“ブラジル”人気がどんどん高まっていますねぇ。サッカーはもちろん音楽、ダンス、映画、ファッションにいたるまで情熱的な熱風をニッポンに吹き込んでいます。
そんな熱い気分にひんやり冷たい風が吹く・・・・。
帝国劇場からも近い日比谷シャンテ前、東宝ビル横、日比谷公園前のあのレトロビル有楽町“三信ビル”に再び足を踏み入れましたぁ。表から見ても解体看板など出ていないから気がつかない人が多いかも。
昭和5年(1930年)に竣工されたそのビルは館内に入った瞬間にタイムスリップしてしまうまさにタイムトンネルでねぇ!
エレベーター前に佇めば誰もがモノクロ映画スターの主役になりきれますよ!
1階のレストラン“ラ・プロムナード・ヌヴェルヴァーグ”もエルドン・バルコン・ワールド航空サービスなどすでに移転してしまい残るはコーヒー&グリル“ニューワールドサービス”設立57年目、ソフトクリームとハンバーガーをはじめて日本に紹介したお店です。
薄暗い店内のシャンデリアが泣けますねぇ〜。
今日も87歳のウォンおじいさんが現役で出迎えていました。
いやぁ、確か6月解体だと血の気が凍るような発表があったのは去年のことですが、どうやら大きな反対ムーブメントが今巻き起こっているようです。その名も“三信ビル保存プロジェクト”!
あのビルの中に入った人なら“なぜ解体しちゃうの?”きっとそう思うはず!
日比谷にお立ち寄りの際是非“三信ビル”をそ〜っと静かに覗いて見てくださ〜い!

●ユニーク地球人 

スーサンのよもやま話NO15 NEW UPです。
ラテン系のあの人気歌手!日本の女性の間でも大変なもの。スーサンからの密かなる素敵なプレゼントが最高!

NO382 ルンルン気分で命の洗濯がした〜い! by流風雫
2006/06/06
流風雫(るふか)のひとりごと。

お待ちしておりましたぁ〜。ついに来ました、来ましたよぉ〜!
毎日毎日、週一のお休みすらもらえずに365日稼働。汗にも負けず、泥にも負けず、そしてイヤ〜な臭気にも負けずに頑張り続けたマシーンもついにギブアップかぁ?
そうです、そうなんです。ついに洗濯機・乾燥機の買い替えです。当時にしては容量の大きな物を購入したはずなのですが、10年ひと昔。
10年以上もせっせせっせと働いてくれたのですから、ご苦労様です。
多少の不便は感じながらも、お洗濯をし、外に干し、それでもダメなら乾燥機、と長年その工程に慣れ親しんでしまうと、この全自動ってやっぱりすごい! 優れものです。 何よりも大容量なのにコンパクト。一応、ランドリー室として扉にすっかり覆われていたそのスペースに今は全自動洗濯機1台だけ。 乾燥機のあった場所は収納スペースに様変わりです。また、今までの2倍の量が一度に洗える。・・・ということは、ラガーマン息子の合宿後のお洗濯に例えてみると、5回も6回も洗濯機を回していたのがその半分で済むという事。時間短縮・節水でエコ、その他諸々の機能付き。とまぁ、なんて嬉しいコトでしょう。
ただ何が悲しいって、洗濯機に入れる前の作業だけは
解放されることはありません。何って? 腰を曲げ、100均で買ったちっちゃなプラスティックの洗濯板でゴシゴシするその作業。エプロン姿にゴム手袋。呼吸はもちろん、口呼吸です。間違っても鼻を使っちゃぁいけません。それから、ゴム手袋は必須アイテムです。砂・泥の類は恐るべし! 本来は苦手で嫌いなゴム手袋なのですが、息子高1の冬はあかぎれボロボロの手となり、悲惨な目にあいました。

今日も今まで通りに、お洗濯物はお外に干しました。汚れが落ちるって、爽快感。
白くなるって、なにか気持ちいい!
皆さんにとっては当たり前のことで笑われちゃいますけど、私、ちょっぴりルンルン気分です。(うわぁ〜、これって死語?)

そうそう、白つながりということで、お庭に干す度に目に留まる3年前に植えた真っ白いブッドレアの木。当初は10センチ程の緑の苗って感じだったのに、今年は3メートル近くまで成長。和名フサフジウツギ、別名バタフライ・ブッシュ。5ミリ位の小さな花を房状につけ咲く姿が私は好き。今からの楽しみ!

余談ですが、先程(といっても10時半位)睡魔に勝てずにベッドに向かった娘の一言。
「明日、3時半に起こして!」今週末に控えた英検対策。と言えば聞こえはいいのだが、実情は着手したのが修学旅行から戻った日曜日から。本日、別売りだったと気が付きあわてて問題集用のCD購入。さすが我が子!? 早寝早起きTAGOS家! 毎朝、その1時間後には起床して朝練習に向かう息子。
この日常って、ある意味すごくないですかぁ?


NO381 渡る世間に鬼はなし?日常騒がすニュース達。
2006/06/05
エ〜そうだったのぉ〜!!。
テレビを見て娘がびっくりしたように叫びましたぁ!
エッ!うそでしょぅ?本当〜に?わぁ〜やだぁ今どきの子だぁ〜!妻が呆れ顔・・・・・。
“渡る世間に鬼はなし”のことわざを今の今まで、どうも娘は“渡る世間は鬼ばかり”と思い込んでいたらしんですねぇ。
1990年から始まった日本のお茶の間で愛され続ける典型的なホームドラマのテーマ名が頭に残っちゃいますからねぇ。
う〜ん!娘の大きな勘違いにもびっくりしたけれど休み明けの月曜日の朝から流れてくるニュースを聞けばまさに“鬼ばかり”青鬼、赤鬼いやいや妖怪どもがうごめいている姿にゾォ〜恐ろしさを感じますねぇ。
“渡る世間は鬼ばかり”のほうがいやにリアリティ!
で〜も娘よ!間違ちゃいけません!
さぁてさて夕方6時過ぎから娘と母豊月86歳とチビ助犬と庭の梅とりをしたのです。
夕空を見上げると黄金色の太陽が優しく木々を照らし、ひんやり冷たい風は真っ白で可憐ないっぱ〜いの雪の下の花をなびかせ、薄ピンクとクリーム色のあわじ草、、黄色のセダム、紫のふうろ草が美しい!
はしゃぎながらはしごに登りつく高校2年の娘と木の下から見上げる母とチビ助犬の姿を見つめながらTAGOSはもう一度心の中でつぶやいたのです。
“娘よ!きっと将来も“渡る世間に鬼はなし”なんだから。
さぁて、来年の梅は何個とれるかなぁ?
いやいやそんな来年のこと言えば“鬼が笑います!”

NO380 ころばぬ先のつえ〜味方。幸せは歩いて来ない。
2006/06/04
♪うっかり信じたら〜ダメダメあ〜ダメダメよ
SOS SOS ほらほら呼んでいるは〜今日もまた誰かぁ〜乙女のピンチ♪(1977年 SOS)
いやぁ、乙女じゃなくてもピンチなんです!
表通りだけだと信じていたのに裏通りもねぇ〜ハイしっかり駐車違反取締り強化対象ですよ〜。
さぁてさて都市部で民間の監視員が駐車を取り締まる“改正道路交通法”が一日に施行されましたねぇ。
短時間の車放置でも違反、もちろん逃げ得は許されず違反未納金あらば車検も受けられず車両の使用も制限されるのです。コンビニ各社や運送会社等は大ピンチなんです。
TAGOSもフ〜とため息をもらします。
これからは母豊月86歳(ほうげつ)と銀座等を移動
するにはタクシーかないかなぁ?
益々コインパーキングや駐車場は不足状態!お気に入りのレストラン前などに車をつけて豊月を降ろしてから駐車場を探しにグルグルまわっていたらとてもじゃないけど時間がかかってしまうから駄目ですねぇ。
豊月が健康でありながら車イスで街中を移動というのもなんだかねぇ〜。
いずれにせよ都心は歩きまわれる健康な人にはいいけれど今後ますます高齢化を迎える世代にはちときびしいですねぇ!
TAGOSは今日“人工関節治療とは”という講演を聴きに有楽町マリオン11階の有楽町朝日ホールにやって来ました!
驚きましたねぇ!会場は満席ですよ。
そりゃ多いはずです!高齢者の増加とともに患者数が1.000万人を超えると推定される変形関節症や関節リュウマチが増え続け日本では年に10万件、世界では130万件の人工関節手術が行われているんですね・・・・。
シルバー世代が今後一番したいものにいつも上位にランクされるのが“旅”ですねぇ!
ころばぬ先の杖?なるほどこれだけ“人工関節”に注目が集まるのはあたり前ですねぇ。

●ユニーク地球人 NEW UPです。
スーサンの四方山話NO13・14なんと連続です。
NO13はスーサンの謎の御友人“無名仙人”さんからの特別寄稿!ありがとうございます。
NO14はスーサンが語るサミエル・ウルマンのあの世界!


NO379 あなたの過去など知りたくないの〜。“日比谷編”
2006/06/02
♪日本の水は甘いぞ〜ホ・ホ・ホ〜テル来い!♪
東京の水は甘いんですかねぇ?
日比谷公園と皇居の境、日比谷交差点の絶好のロケーションに姿を現し始めたのが香港からやって来た“ペニンシュラ東京”。昨年2005年秋の日本橋室町の“マンダリンオリエンタルホテル”に次いで2007年に完成ですよぅ。
2003年からのホテルラッシュはとまりません。
とまらないどころかとまる人が多いんでしょうかぁ!
2007年“ラッフルズ”2008年“リッツカールトン”まだまだ先も続きます。
さぁて、先のことはさておき、ではでは今の“ペニンシュラホテル”の建築地区は元何だったのでしょうかぁ?
そんな質問にはっきり答えられる人も2.3年後はねぇ・・・・。
は〜い、ここは昭和27年竣工の“日比谷パークビル”もともとは“日活国際会館”日活ホテルのあった
ところですがこれだけじゃピンとこないお方が多いかも?
それでは〜と、誰でもこの名を聞けばお判りになるかも“日比谷アメリカンファーマシー”が入っていたレトロなビル!
そう“アメリカンファーマシー”はドラッグストアの草分け的存在でしたねぇ。とにかくここのお店だけ空気感がまったく違っていました。日用品から新聞・雑誌・お菓子そしておもちゃのような雑貨・化粧品から薬、すべてがモノ珍しかったですよ!
ソニープラザがアメリカスタイルのドラッグストアを始めたのが1966年ですからそれでも40年前になっちやうのです!
TAGOSには“アメリカンファーマシー”の存在はあの日比谷パークビルのレトロな雰囲気とネオン管看板といつもセットで目に焼きついています。
そんな感傷にひたっている間に、オ〜今度は日比谷シャンテ前の1930年(昭和5年)竣工の“三信ビル”がぁ・・・・・。
♪あなたの過去など知りたくな〜いの 済んでしまった ことは 仕方ないじぁないの〜♪
(1965年 知りたくないの)

NO378 クールビズが浸透?来年こそは“霞が関”がクールです。
2006/06/01
“霞が関R7プロジェクト”って何よ?
今開発がズンズン進んでいる霞が関3丁目付近は中央官庁エリアと虎ノ門・新橋に広がる位置にあります。
都市再生・官民共同・石垣や旧文部省の保存の頭文字“R”と来年2007年に完成予定の“7”をとって“R7”なのです。
ふ〜ん、目の前に大きく姿を現している超高層ビルを見あげながらパンフレットを見ればこう書いてあります。
我が国初の大規模な官民共同施設で旧文部省保存庁舎、広場に面した店舗などからなり、2つの超高層ビルは官庁棟は文部科学省など、そして官民棟には金融庁等入居し、広大な広場空間には豊かな季節感を生み出す木々や美しく残る江戸城外堀の石垣、ほ〜ほ〜そして多くの店舗が来年に姿を見せるんですねぇ。
来年には“霞が関”も話題スポットエリアとして復活を遂げるので〜す。
さぁて霞が関から神谷町・虎ノ門・六本木とくればそこには森が広がります。いやいや森は森でも森ビルだらけ・・・。
森林浴をするならやはり都会のオアシス日比谷公園に限りますよ〜。
公園内にベンチでゆったりするのも良し、公園内に点在するレストランでビールやワインを飲むのも最高!
30年間親しまれていた“日比谷パレス”が昨年改装され緑の中に現れた雰囲気のある真っ白い館のレストランテ“ヒビヤ ナチュール”に。
オープンエアカフェにラウンジバー・パティーフロア・シャンパンテラスの館です。
松本楼とともに公園内の素敵なスポット、今の時期、公園内がとてもさわやかでいいですねぇ。