2005  8月

NO147 流風雫より改めて、“地球人のヒトリゴト”
2005/08/31
妻、流風雫(るふか)のヒトリゴト。

みなさ〜ん、お変わりございませんか?
小さいお子様や小学生などのお母様、大変お疲れ様でした。ようやく明日から、学校も始まりますよぉ〜。
今年も酷暑。そんな時には薬味たっぷりツルツルお素麺でも、といきたいところ、子供がいるとなればせっせとお昼ご飯を作り、たまには遊びにも連れて行かなくては、とお出かけをする。過ぎてしまえばほんの一時とさえ思えるのですが、渦中となるとそうはいかぬもの。私も当時は“9月1日”この日を恋こがれておりました。(笑)
サマーバカンスは、いかが過ごされましたか? エーーーッ、ちょっと海外にご旅行ですって。まぁ、ご夫婦で・・仲がおよろしいことでなによりで〜す。

さて、私が出会った本の一文をご紹介したいと思います。

あなたはいつ、歌いたい気分になりましたか。
あなたはいつ、幸わせな気分で食事をしましたか。
あなたはいつ、気持ちよく目覚めましたか。
あなたはいつ、心から笑いましたか。
あなたはいつ、自分を美しい、と感じましたか。
あなたはいつ、きれいな空気を吸いましたか。
あなたはいつ、生きているのは楽しいことだと思いましたか。
あなたはいつ、イヤなことがあっても、それは自分の感じ方によるのかもしれないと思ってみましたか。
あなたはいつ、ゆっくりお茶を飲みましたか。
あなたはいつ、誰かのために何かをすることが楽しいことだと感じましたか。

        「元気な私」になれる本 海原純子著より 

ちょっぴり疲れがたまったり、何となくブルーになった時、是非自問して下さい。

フツーの毎日が、ワタシにとってEveryday Special.
毎日を、元気に楽しんで生きましょう。
それが“地球人のヒトリゴト”の思いです。




NO146 もう ど・う・に・も とまらない!平成の若武者達。
2005/08/30
日経新聞の一面にめがねをかけた和服姿の男性が将棋をさしているモノクロ写真が22日に掲載されていました。
普段なら一面を飾る内容は「厚生基金給与額引き下げ」とか「年金積み立て不足」とか「内閣支持49%上昇」などの固〜い見出しと記事文だけなのでみょうに印象に残っていたのです。
あらためて見てみるとその将棋をさす人物はあの将棋界の羽生善治四冠で記事タイトルはネットと文明“時代進める「知の修羅場」”というなんとも不思議なものでしたぁ。
以前から不景気やネット対局の普及で会社帰りのサラリーマンが、親しまれていた町の将棋道場に平日の夜立ち寄らなくなり閉鎖に追いやられるという事態は聞いていました。
今やネットに関して羽生さんは「知の高速化」と表し“将士への道は従来の半分で済むことも”と記事にかかれていました。
インターネットを通して世界中の将棋のプロ・アマ問わず修羅場対戦の戦法がコンピューターに蓄積、公開することによってどんどん共有情報として開放されていく世の中になっちゃったてことですねぇ。
日本伝統の代表的なイメージがある将棋の世界にもインターネット普及わずか10年にもかかわらず、大きな変容をもたらしているんですね。
近頃ゴルフ界、テニス界、卓球界、平成生まれの若者達が大活躍する姿を目にする機会がグ〜ンと増えました!
これからは、格式伝統ある世界にも平成の若武者達が次々に名乗りをあげてくることでしょうねぇ〜。


NO145 朝からドッキリ!。オニヤンマと柱時計。
2005/08/29
朝方、2階のバルコニーの窓ガラスに小型の黒いラジコンヘリコプターのような物体が浮上し空中に静止していますぅ!驚きました〜おにやんまでした。
体長12センチ日本で一番大きなトンボです。調べてみたら約5年間水の中で生活して成虫になるのだそうです。4枚の羽根を大きくひろげて空中に垂直に浮上する様は感動ものです。
朝から感動して1階におりていくと、今度は柱時計の分銅の鎖が切れてドカ〜ンと垂直に落下しがっくりです。
気分も朝からあがったりさがったりと乱高下気味ですぅ!
早速、柱時計を直してもらおうと、10年前に遠くから一度直しに来てくださった岐阜県の職人さんにお電話したら廃業とのこと。もう1箇所の若弟子を連れてきた頑固職人さんにお電話したらまたしても廃業〜。購入した元受けにお電話したところ、「今柱時計修理の職人さんが老齢化して廃業してしまうところが非常に多くて困っています。お探しはしますがねぇ・・・。」
何だ!なんだぁ!これじゃぁこの歌はなりたたなくなっちゃう。♪大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計100年いつも動いていた ご自慢の時計さ ♪
柱時計とともによりそってくれる家族がいないとアナログ時計は生きていけないのです。だからこそ家族同様、親しみと愛情を深く感じるんでしょうね。
チクタクチクタクと息を吹きこんでくれる職人さんが早く見つかるようにと願っていますぅ!
それにしてもこんな身近なところでも老齢化問題を聞くなんて思ってもいませんでしたぁ・・・。

NO144 昔の名前で出ています。“リバイバルキャラクター達”。
2005/08/28
朝夕、すっかり涼しくなってきましたねぇ。今週までが気分として夏とのお別れでしょうか。
朝、新聞に目を通すと“ボンカレー、37年ぶりのお母さんに松坂慶子さんへ”の記事が郵政問題より先に目にとまりましたぁ。
1968年に発売されたボンカレーの顔といえば今だ沖縄で根強い人気があるボンカレークラシックパッケージのあの“琴姫七変化の琴姫様”松山容子さんです。若い人には名前を知らないまでも大塚食品のレトロなボンカレー看板の中で着物姿で笑顔を浮かべ微笑む昭和のお母さんといえばご存知でしょうかぁ?。
一人の女優さんのお顔で37年のロングセラーとはなんともすごいコトですぅ!
先日は、八重洲ブックセンターで1988年に絶版され今年4月に復刻になった絵本“ちびくろ・さんぼ”とらとバターのお話をなつかしく手にとりました。
世界的な黒人差別解消のうねりで姿を消した絵本でしたがもう17年も経ってしまっていたのですねぇ〜。1953年発売当初から子供達に親しまれていたかわいらしい真っ黒なサンボが真っ赤な絵本の中でカサをさし、そのまわりで黄色いトラがぐるぐるまわっているなんとも目だつポップな絵です!
世の中は移りにけりないたずらに・・・・。
そういえば2003年には1958年にトリスウィスキーのキャラクターで登場したアンクルトリスも22年ぶりにコマーシャルに帰ってきていましたねぇ〜。
近頃では「リボンちゃーん、リボンジュースよ、リボンジュース」「ウーン、リ・ボ・ン・・。」のあの1957年生まれの赤い大きなリボンに赤い服のリボンちゃんも帰ってきましたぁ。よくぞご無事で。1999年に姿を消して以来です。
なんだかこれから先も消えたと思っていた顔がポツポツと商品とともに帰ってきそうな気配ですよ〜。

♪ 帰ってこいよ、帰ってこいよ。帰って〜こーいよぅ♪

NO143 夏太りはいけません!秋まで必ずヘルスメーター。
2005/08/26
台風11号がようやく午前9時には太平洋へと抜けていきましたぁ!よかったぁ、わが家は何事もなくほっといたしました。未明には雨戸にふきつける強風と雨音でとても眠れませんでした。
朝6時頃TVニュースを見ると恒例の新宿駅南口の中継。「普通列車が止るのじゃないかと2時間早めに出勤しました」と朝から気合が入ったサラリーマンの力強いお答え!
私も思わずピリッとして駅に向かいます。オォ〜強風に長い髪はボサボサのOLさん達、ワイシャツとネクタイが波うっているお父さん達、大きなスポーツバッグをかかえた学生さん。皆さん台風が過ぎ去る情報を得て、一斉に会社、学校部活へと突進して行きますぅ!。
電車は混乱40分待ち、電車の積み残しも多数の大ラッシュ、それでも大勢の方々が突進して行きます。
日本人の勤勉さってすごいですねぇ〜。あらためてそう思いました。
しばらく台風の間、マナーモード状態になっていた蝉達も
鳴き声が解除されて一斉に鳴き出しデシベル音があがる程に気温もあっという間に31度に逆戻りです。暑〜い!
どうせなら、私にだってあっという間に戻したいコトがありますぅ。それは“夏太り〜”。食欲は夏に絶好調なのです。
気合の入った新宿のサラーリーマンさんを見習い、秋まで毎日、ヘルスメーターとにらめっこです。
そうそう、ヘルスメーターは持ち歩けないので、お願いです!秋までに体脂肪率、体重、健康チェック機能可能な“シニア携帯電話”を開発してくれませんか〜。
「でもさぁ、携帯ってむずかしいんだろ?なぁんだ〜簡単じゃないかぁ〜。」

NO142 昔“エコノミックアニマル”今“コミックアニマル”
2005/08/25
ゆっくりと強い台風11号が今夜やって来ます。不気味ですぅ!大きな被害が出ぬよう祈ります。
午前中、テレビには夏休みを一週間減らし今日から2学期開始をむかえた葛飾区の中学校の生徒さんの登校姿が映し出されました。
笑顔もなく憮然とした表情がとても印象的でしたぁ〜。
世界ランキングでの日本学力低下がゆとり教育の大議論を巻き起こしましたねぇ〜。
日本の将来にとっては“人口減少”と若者の“学力低下”は大問題なんでしょうけれど、学生さんも大変そうです。
今の小学生達を見ていても、学校でクラブ活動、帰ってくるとすぐに塾や習い事。毎日があわただしく、すっかり疲れきって寝てしまうイメージがとっても強くて、なんだか可哀想で自由時間ってどれだけあるんだろうなんて思ってしまいますぅ。
日経新聞掲載のアンケート調査では5時間以上あると答えたのは小学生で43%、中学生で42%、高校生で34%、2〜4時間は、それぞれ43%、47%、46%、ほとんどないは14%、11%、20%なんだそうです。
でも時間だけでいわれても仕方ないんですね!やはり内容ですよねぇ。
日本人が“エコノミックアニマル”と呼ばれ一丸火の玉となった“猛烈”な高度成長時代からその反動としての地方回帰やゆとり志向が生まれました。
昨今にいたっては“スローライフ”が本格的にもてはやされるようになりましたねぇ。
これから将来、誰もが皆がゆとりをもって“スローライフ”を楽しむ側になるなら、そのサービスを提供する側は“猛烈”な競争を勝ち抜くプロを目指すコトになります。
“ゆとり”と“猛烈”はいつも仲良しですぅ!
昨日、未来都市秋葉原の街で見た光景はかっての猛烈に働く“エコノミックアニマル”の姿ではなくアニメ本を何冊も脇にかかえる世界に轟く“コミックアニマル”の若者達の姿でしたぁ・・・・。

NO141 つくばエクスプレス開業!アキバはクール。
2005/08/24
つくばエクスプレス開業!秋葉原にやってきました。
お昼近く、すでに入口はずらっと長蛇の列。大勢の駅員さんがあわただしく動きながら応対に追われておりました。
あまりの混雑に今日は電車に乗るのは諦めましたぁ!。しかし当日開業で秋葉原の街中が大いにもりあがっていると思いきや、まったくといって何も見ることができませんでしたねぇ〜。
今日のアキバはとてもクールです!
秋葉原は今やすっかり電気街から電脳街へ変身してしまいましたよねぇ〜。同時におたく文化も“クールジャパン”などとすっかり新しい日本文化となり、どの店に入っても多くの外国人がフィギュアなどを買い求めている姿を見るのは当たり前の光景となりましたぁ。
世界拠点として24時間世界とつながるITセンターの秋葉原と“陸の孤島”と呼ばれていた、世界有数のつくば研究学園都市がわずか45分で結ばれたのです。
首都圏にできたあらたな動脈が波及効果3兆円を生みだすというのですからビッグプロジェクトですねぇ。〜
開業後30年間では約24兆円の経済効果試算がされていて国内で最大規模!この整備計画がはじめから宅地開発と一体したプロジェクトだからです。
でもだいじょうぶなんでしょうかねぇ?人口減少と都心回帰の影響は?
これは実際電車に乗って見に行くしかありませ〜ん!
これからの新しい楽しみがふえましたぁ。

(NO36 アキバはクールジャパン 4月25日)

NO140 違っていました!まぼろしの“標準世帯”
2005/08/23
“夫と妻、子供2人”夏休みに街中を歩いているとなにげなく目にする家族連れ。ファミリーレストランでも、映画館でも、観光地でもどこでもみかけるごくごく一般の家族連れ。
先日もお近くに引越しされて来たご家族が皆さんでご挨拶にいらっしゃいました。素敵なご家族でした。
私などは、一般の標準家族のイメージにはなんの疑問もなく考えもしませんでした。
このところ少子化による日本の将来を不安視するニュースが大きくクローズアップされたコトもあり、日本の一般家族の割合って本当はどうなってるの?なぁんて思っていました。
驚きましたぁ!なんと実体は“夫婦と子供から成る世帯”は全世帯の32%、2007年には“単身所帯”に追い越され、2010年には成人人口の過半数は五十代以上。小さい子供のいる世帯の減少、結婚しない子供と親が暮らす高齢化家族(日経流通より)というコトでしたぁ。
住宅の外からは住人が見えないコトもあって特に気にもしていなかったけれど、あらためて数字で示されると、本当に日本は変わっていくんだぁと思います。
“標準世帯”の定義もがらっと変わってしまうんですねぇ。都心でもファミリーレストラン、ファミリーセール、ファミリーイベントなど、このファミリーマーケットがすっかり脇役になっちゃうんでしょうか?




NO139 “コーヒールンバ”古くてあたらしい70年代風喫茶店が。
2005/08/22
日中、街中で長時間にわたってゆっくりおしゃべりする場所って皆さんどこにいかれていますか?
ホテル、カフェ、ファミリーレストラン、ファストフード?
今日、私は銀座松坂屋近くのカフェベローチェ、その後カフェーパウリスタ(もうすぐ100周年)のはしごですぅ。今年になって老舗の喫茶店が次々に惜しまれながら街から姿を消しています。ところが同時に昨年から新しい70年代喫茶風の店舗が、都心、郊外にどんどんできはじめていますぅ。
2007年に向けて団塊の世代にターゲットを合せ、例えば、和風のおちついた木目の内装やタタミを使用したり、蔵づくりの庭付きなど、かんじんなコーヒー豆や抽出方式にもこだわりをもったお店を多くの企業がそれぞれの特徴を出しながら展開していますねぇ〜。
“コーヒーのこだわりとゆったりしたどこか懐かしいデザイン空間でのんびりした時間を過ごせる場所”。この古くて新しいスタイルが共通点。
今や“コーヒー”が癒しとくつろぎの重要な存在になっています。ファストフード各社もコーヒーは本格志向で勝負をかけ午後2時から5時のランチ時間を侵食するコーヒー店に対抗。
新たな“コーヒー戦争が火ぶたを切ったのです!
“コーヒー”は70年代に喫茶店にいりびたっていた団塊世代にとって、すっぱくほろ苦〜い出来事を思い出させる飲み物かもしれませんねぇ。


NO138 日本の夏。キンチョウの夏!。
2005/08/21
帰国ラッシュピーク、夏休み海外組が成田に一日、約5万1千九百人到着!
世間のにぎやかな夏休みも終焉に近づいていま〜す。
庭の桜の木には、20匹以上の蝉が残り少ない夏を惜しむ様に精一杯、一斉に鳴いています。大音響が鼓膜を震わすほどの蝉の木となり果てていますぅ!。
騒がしい夏の終わりにさらに輪をかけて日本が騒がしくなりましたぁ〜。
突然、落下傘でやって来たヒト!若者の浮動票をかっさらうヒト!テカテカいつも光っているヒト!テレビでこんな表現が踊りましたぁ。
またまたライブドア堀江社長さんの毎日のテレビジャックですぅ。
今年の寒〜い2月に日本に日本放送M&Aの話題でいきなり登場し、その結果、日本の企業防衛策があれほどまでテレビで真剣に語られるきっかけになりましたねぇ〜。
こうして2005年の始まりはテカテカ社長さんが落下傘からいきなり降下するごとく突如登場することによって日本M&A元年の火ぶたが唐突にきられましたぁ。
テカテカ社長さんがテレビに映るたびに思うコトは、これから2006年にむかって日本に登場する聞きなれない横文字が同じように唐突に世間のあちらこちらで騒がれるようになるのだろうなぁ〜なぁんて。
ホワイトナイト・マンハッタンディフェンス・ゴールデンパラシュート・スーパーマジョリティ・ティンパラシュート等・・・。M&A(合併買収)用語が日本で花盛りに。
いつも思うのです。夏祭りに打ち上がった花火の終わったあとはちょっぴりさびしさが残りますねぇ・・・・。
でも、日本のこの夏は、天災も経済も政治もなんだか緊張の夏ですねぇ〜。

NO137 ウララ ウララ 占い市場は50億。
2005/08/19
夜のライティングされたレインボーブリッジの頭上に巨大な黄色い月が幻想的な光を放っています。むせるような暑い夜を車で走り抜けても、眼目のイエロームーンは、高速道路上の視界から消えることはありません!すごい存在感です。月は女性にたとえるぐらいとっても神秘的で気になる存在です。
日本人って神秘的な話って大〜好きなようですねぇ。
朝のテレビ番組の中には、星座占い、血液占いなど、その日の運勢が天気予報のように当たり前に毎日発表されています。携帯サイトを覗けば数えられないくらいの占いサイトがひしめいていますぅ。
パソコンのオンライン占いにいたっては、今や50億市場!女性に大人気なんですね。1人が一日に数回、色々な手法の占いにアクセスするものだから飽きも早く、160のサイトのうち3割が休眠状態なんだそうです。
有料サイトとなると、幾通りもの回答パターンを用意し、占い項目を頻繁に更新しないと、そっぽを向かれてしまいます。心の迷いの回答を何通りも新しく創り出していかないとヒットにはつながらないんですねぇ。
これほど占いマーケットは圧倒的に女性にささえられているのですから、いったい一人が毎日何回自らを占うんでしょうかぁ?
私などはブックオフなどに行き、10年前に書かれた“10年後の日本”的な将来予想本を見開き、現在、当たっているか、はずれているのかを検証するほうが愉快ですぅ。
ちなみにダニエル・レビンソン“人生の四季”(南博訳講談社刊)によると人類進化の歴史の中で45歳以後の人生をものにしたのはつい最近のコト。したがって熟年期のライフスタイルや生活目標がどうあれば良いか知るためには今後2000年から3000年はかかるのだそうです。
ひゃぁ〜、これじゃぁ長過ぎて検証のしようがありませ〜ん。

NO136 セピア色からカラフルな人生へ!。
2005/08/18
原宿表参道の蝉の声を聞きながら歩いていると、キディランドの店頭で新作おもちゃのデモンストレーションに戯れる親子連れを大勢見かけました。お盆休みは終われど、ここらはまだまだ夏休み真っ最中です!
子供達は、この夏休みに心に残る楽し〜い“思い出”いっぱい、作れましたでしょうかねぇ?。
“思い出”というモノは、決して楽しいコトばかりじゃありませんよねぇ。
なかには思い出したくない記憶や隠しておきたい“思い出”触れられたくない“思い出”もあるかもしれません。
しゃべり言葉は、メールやお手紙と違って録音テープや文面に残さない限り、その場で消えて行きます。泡のように記憶から消えてゆくからこそ、会話もリラックスできて気楽だねぇ〜というお方の主張を聞いたコトがあります。
誰にも伝えるコトなく、自分の記憶から“思い出”を抹消してしまうのも、自由なので、それこそ、それぞれのオンリーワンの生き方かもしれません。
セピア色に変色した古〜い写真。かなり年代モノの写真も画像処理システムにかかれば、今や現在の鮮度を取り戻し光り輝く記憶を今に再現できる時代となりましたぁ。
過去の記憶を記録していた写真も、現代に蘇らせるコトができるようになっちゃったんですねぇ。
古いアルバムをめくると、セピア色からさらに赤味が強く進行し消えかけている写真も何枚もあります!
古い歴史ある“思い出”をこのままの状態で消滅させてしまってよいものか?でも、この古びたセピア色と臭いが、かえってその当時の記憶を懐かしく鮮明にさせているのかも知れませんねぇ。
そういえば、私の夢に出てくる“思い出”はセピア色、モノ黒、オールカラーと色々です。
地球人の皆様、一番記憶に残る“思い出”の色は何色ですかぁ?

ところで“地球人のヒトリゴト”なんとか5ヶ月目に入りました。ヒトリゴトを聞いてくださり誠にありがとうございます。
これからもなにとぞよろしくお願い申しあげます。



NO135 ケセラセラ〜 お盆の“墓守り”
2005/08/17
恒例のUターンラッシュピークも宮城のM7.2の地震発生で大混乱しましたぁ〜。これだけ頻繁に大地震が続くとちょっとした電車の揺れにも「大変だぁ!地震だぁ!」それほど神経が過敏になってしまいますねぇ。
さぁて、お盆休み中はファミリーレストランに行くと普段の親子連れより圧倒的に親子3代、おじいさん、おばあさん、子供達、孫達の大集団でにぎわっておりました。とても微笑ましい光景に久しぶりにほっとする気持ちになれました。お墓参りにいった時も、同じく大勢の家族連れが列をなしておりました。これだけ多くの家族・親族の集団を目撃するのもこのお盆。“ふるさと”に帰省するため、ご先祖さまのお墓参りするために日本人が大移動して血族があちらこちらで集まるのですからあらためて“絆”を大切にする日本人のDNAを再確認できる瞬間でもあります。
だからこそ、今も大きな問題となっているコトがありますねぇ〜。それは“墓守り”ですぅ。これからの少子、高齢化で必ずといって浮上してくるのは、無縁仏・・・・。
もう、すでに盆に帰省できない方もいれば継承者もいない方もいますねぇ。こうして日本人の代々続いてきた“墓守り”のシステムも目にみえて崩れはじめてくると必ずそれを解決するシステムが生まれてくるんですねぇ。
団塊の世代などは、もう自分のコトとして身近な問題!
今でこそ、“墓守”代行サービスはどんどんふえているけれど、これから益々多くの中からセレクトできる程のユニークなサービスが少子・高齢化の新しいシステムとして定着していくのでしょうねぇ。
心配しなくとも、大丈夫!日本人の大勢の智恵がモノをいいますよ。
♪ ケセラセラ なるようになるわ 先のことなど わからない ♪





 


NO134 豊月(ほうげつ)85歳が語る。私の戦争体験回想紀B。
2005/08/16
(私の戦争体験回想紀A)より続く最終編。

いよいよ雪も解け、暖かくなりました。相変わらず、リヤカー車に肥料を乗せて、耕しに行きました。幾分土も柔らかくなり、種をまきました。キャベツ・じゃが芋・人参、果たして芽がでるか疑問です。毎日の努力よりありません。
五月・六月・七月も過ぎ、八月。どうやら、泥炭地にも喜びの野菜が出来ました。目前に見渡した苦心の野菜。感謝感激。役場、農家の方も驚き、噂を聞きつけた方からも誉めて頂き、本当にその時は嬉しかったです。
いかに努力によってやり抜くという人生を沢山学びました。
八十三歳。今も当時の気持ちは忘れません。

ついにあの広島・長崎に戦争には絶対使ってはならない化学兵器。ついに初めて日本国土に使用したのです。最後の原爆によって、暑い昭和二十年八月十五日、終戦となりました。
その時の状況は、役場よりラジオにてポプラの木の下、丘の上に大勢集まり、今上(きんじょう)天皇、みずから終戦放送。村人は目を見張り、息を静め、耳を確かめ、沈黙の静けさ。瞬間、われに戻り、互いに手を固く握り、最後の戦争の終わった喜び、負けたくやしさ、悲しさ、憤り、終戦後の不安、なんともわからない涙を流しての感動の気持ちは、言葉では到底説明できません。今も原爆によって苦しんでいる人が大勢います。
本当に長すぎる大東亜戦争でした。
私達の時代は、満州事変、太平洋戦争、大東亜戦争、若い時の人生の半分は、戦争時代です。

終戦により、東京に引き揚げる事になりました。私達の家族は、大変お世話になった村の人情に厚く感謝しつつ、秩父別村(ちっぷべつむら)駅まで送ってもらい、親戚の人より大きな握り飯をいただき、村を後にしました。満員の汽車に乗り、泊まる所もない不安な出発でした。
ようやく函館に着きました。おにぎりは腐って食べられませんでした。
アメリカ軍進駐軍の指図によって白い消毒DDTをおかまいなしにふりかけるのです。幼児、子供、老人、そしてまた、満員の連絡船に乗るのです。船内は人のひしめく熱さ、とても人間扱いではありません。荷物の様です。これも敗戦の惨めさです。このような道中で東京入り。思った以上の焼野原です。建物が崩れ落ち、小さな子供は両親を失い、あてもなく焼け跡にさまよう姿。とても哀れです。
人々は栄養失調にて肌の色が黄色です。進駐軍だけ颯爽(さっそう)として、今更日本人のみじめさが目にしみました。
身を持って体験者でなくてはとても知る事は難しいです。
焼け跡には引き揚げた兵隊、疎開の人がだんだんと帰り、焼け跡にも復興の兆しがよみがえってきました。時の流れと共に町も変わっていき、小さな店も出来、焼けたトタンの小屋も次第になくなりました。
私達も日本橋中心地に、小さな家を建て、初めは、しる粉屋、本業の菓子屋をはじめました。その時の苦労は、一所懸命、夢中で寝る間も惜しんで働きました。その時は若かったからです。

復興は、二十年かかったと思います。が、充分とはいえませんでした。
現在、平成時代に入った東京は、高層ビルが立ち並び、世界一の発展王国です。歴史はいつも創られています。今でも戦争はなくなりません。世界平和はいつくるのでしょうか。こんな状態が続く限りは、経済的安定が定まりません。
いつの世の中でも、時代と共に元気で生活出来る事がどんなに幸せか。一日一日感謝の毎日です。記したい事は山ほどありますが、なかなか難しくて表現できません。体験者も高齢者となり、年々少なくなると思います。
これからは老後を大切に行きたいと思います。

私は、お蔭様で家族に守られ、幸せな毎日を過ごしています。「お父さんは八十六歳で他界」
いつも天国より私達一同も見守って下さいます。私は朝夕、仏壇に向かって、今日も家族の無事で過ごせた事柄を報告、挨拶します。
明日も健康、元気で暮らせます様、お父さんにお願い、お祈りします。

五十八年を経た終戦記念日は今年も、八月十五日迎える日も間近です。
家族一同、戦争犠牲者の尊い御霊に対し、絶対忘れる事のない様、静かに黙祷を捧げ、同時に前途将来に、希望を持って進む孫達の姿を私は胸に秘め、身内、私の家族の皆さんと一緒に、明るく頑張っていきたいと、いつも思っているのです。
どうぞよろしく

以上を持って終わりにさせていただきます。

NO133 豊月(ほうげつ)85歳が語る。私の戦争体験回想紀A。
2005/08/15
(私の戦争体験回想紀@)より続く

早速、親戚のリヤカー車を借りて、近所の米屋さんに行き米ぬか・牛の堆肥、たくさん頂き、車に積みました。米屋さんのおじさんは心配そうに注意して下さいました。
秋も近い暑い日です。さぁ出発。村はずれの泥炭地に向かいます。途中、曲がりくねった細い道。時々は田んぼの中に、リヤカーごと落下。なかなか重いので、田んぼより上がらず、農家の人に助けられ、励まされながら来ました。
困っている時、よく農家の方に助けて頂きました。原野の泥炭地は土というより、乾燥、まるで弾丸のような塊です。力のある限り、掘らなければなりません。このような状態が、朝早くから夕暮れまで毎日続きました。
秋もだんだん深まり、肌寒い帰り道。空襲もない静かな村。延々と連なるえぞ杉林。留萌(るもい)連山。黒々と夕日に映え、遠くより牧場の羊の鳴く声。一層淋しさが増し、涙する事もあります。いつこの戦争が終わるのかしら。不安が胸一杯になります。

まだ六月の春は肌寒く、深い雪も幾分解け、畔(あぜ)の水も音を立てて流れ始めました。私達疎開者も少し、村に慣れて落ち着きました。それでも農家には未だに、赤い紙の招集令状が来ます。
二メートル長さの布に『出征兵士入隊万歳 何々君』と大きく書かれたのぼり。婦人はモンペに白いかっぽう着。
たすきには、国防婦人会と記され、家族はじめ見送る人は皆、日の丸の小旗を強く振ります。
出征兵士は、戦闘帽子、国民服。ズボンのすそには、茶色のゲートルを固く巻き、赤たすきに奉公袋を持ちます。
青年団を先頭に楽隊と共に、
「勝ってくるぞと勇ましく誓って国を出たからは手柄たてずにいられよか」と歓喜の声に見送られ、ポプラ並木道に長い行列。次第に楽隊の音も遠くなり、急に見送った後のつらい虚しさが胸をしめます。しみじみと見送る両親、また、小さい子供を残した遺族のつらさ、寂しさが分かります。
私は祈ります。早く元気にて、またこのふるさと秩父別村(ちっぷべつむら)に帰る様。言葉には出ませんが、皆同じ気持ちだと思いました。

私の尊敬する兄も、東京より出征しました。
当時、立派な早稲田大学卒業。丸の内の日本郵船入社。前途、希望に燃え、それもつかの間、戦争は日増しに激しくなり、やがて敗戦。兄は残念、遺骨となって帰ってきました。今でも、恐ろしい戦争がなかったら、年老いた両親も淋しい苦労の人生はなかったと思います。私も老年になり、ことさら思います。
戦争はいかに、全国民にむごい、つらい悲しみ、苦しみを与え、いくら時間が経ち、時代が変わってもその傷あとは消えません。記し書く度にその当時が思い浮かび、つらく淋しくなります。
いかに人の尊い命が、無駄な戦争によって、沢山の人が命をなくしました。現代の若者にも、しっかり知って頂き、一つしかない大切な命を大事に、明るい人生を送って欲しいとお願いします。

(続く)

NO132 豊月(ほうげつ)85歳が語る。私の戦争体験回想紀@。
2005/08/14
豊月(ほうげつ)85歳が語ります。
「私の戦争体験回想紀 58回終戦記念日を迎えて」は“戦争中の生きた体験”を戦争を知らぬ世代の子供達、孫達に伝えようと平成15年8月に豊月が執筆したものです。
3回にわたり掲載いたします。

私は、小石川小日向台(こひなただい)町に住んでいました。
その当時は、25歳だと思います。今は83歳。
当時の戦争中の思い出です。

毎日のような空襲、縁側の下に1メートル50センチ位の深さの防空壕を掘り、その土の上に布団を敷き、毎夜、防空壕に入ります。
アメリカのB29。編隊連ねて低空にアラレのごとく爆弾投下。いつ飛んでくるかわかりません。夜になると、不安で息をひそめるという状態が毎日続きます。
敵機B29襲来。不気味なサイレンが町に鳴り渡ります。
町の消防団員の人が、一斉にメガホンにて知らせ、燈火管制に入り、家も外も暗闇。静けさの中、消防団員の人の声がざわめきます。その、遠くの方で、爆弾投下する音の響き。あっという間に真っ赤な火の海。高台から見る有り様は、さながら地獄そのままです。
真っ暗の空に燃え上がる炎。竜巻のような煙と共に、人の尊い命の魂が、毎日のように空へと消えていくのです。
善良なる国民がこの戦争によって犠牲になるなんて、意味のない事と思います。
戦争は恐ろしく、嫌です。哀れです。無駄です。
私は現在でも一人でつぶやきます。
大声で叫びたい事もあります。

私達家族は、東京も毎日の空襲、ついに危険な状態となり親戚のいる北海道旭川の先に疎開する事に決めました。
当時の北海道津軽連絡船に乗り、四・五日かけて、静かな、侘びた秩父別村(ちっぷべつむら)にようやく辿りつきました。寒村ですので空襲はなく、安心する土地でした。それもつかの間、益々、日毎に戦争は激しくなり、北の樺太より、千島海峡を渡ってきました樺太引き揚げの家族。また、懐かしい土地を後にして、内地よりの疎開者。
毎日のように静かな村に急に押し寄せてきました。
村の役場の人は急に忙しくなり、疎開者の為、活躍していました。
お寺・公民館・学校・農家の納屋。冬の寒い疎開者は暖房もなく、食べる食料はようやく道の雑草、また役場より少々恵みの配給(トウモロコシ粉・メリケン粉・芋・米は鳥の餌のような古米)を食べ、しのいでいる状態です。
たくさんの疎開者ですから仕方ありません。
銀行の通帳は国で封鎖、わずか月一度、小遣い程度です。
自由に引き出す事はできません。私は幸い、親戚の家ですので、少しは助かりました。
毎日ラジオ放送にて、東京はじめ各都道府県の爆撃。建物は焼け落ち、廃墟と化し、死人の山、逃げ惑う人。苦しみの現状を放送で知ります。

私達家族は、遊んでいる訳にはいかないので、早速、村役場に相談。職員の方が、村はずれの所に果てしない広い土地。雑草も出ない北海道特有の泥炭地です。それで良かったら、いくらでも自由に使用して下さいとの答えです。
頼りのない、全く希望もない、暗い相談でした。家族が家に帰り、よくよく考えました。お父さんが急に
「やってみよう、少しでもい野菜が採れれば良い。それには家族、力を合せ、団結。努力より他ない。」
みんな賛成。明日より実行。その時の家族は、(私達夫婦・私の母親・妹)四人です。私には幼子(俊一郎・長男一才)がいました。その長男は東京に帰ってまもなく二才で死にました。戦争の無理が早死の原因です。
私の尊敬する兄も戦死しました。

(続く)

NO131 TOKYOにマッチ?ギンギラギンにさりげなく“高級宝飾店”登場!
2005/08/12
「ギラギラ太陽が照りつけて燃えるよう!これこそ夏なんだぁ!」お盆の帰省ピークとなっった今日、連続16日夏日は途絶えました。太陽もお盆休みに入ったようです。
昨年は歴代1位の41日連続の夏日で熱中症続出、おととしは冷夏でさびしい限りでしたぁ。今年は正常なんでしょうか?夏はやはり生命の源、ギラギラ太陽の強烈な光エネルギーを浴びないで秋冬に入ってしまうと力がなんだか湧きませ〜ん!。
先日、外資超高級ホテル(1室5万円)汐留コンラッドホテルをモノレールの窓から見つめながら思いました。2007年までに続々と誕生する日本橋マンダリンホテル、日比谷ペニンシュラホテル、六本木リッツカールトンホテルなどの建設現場を通りかかるたびに「本当に変わっていくんだぁ!スピードという実感をいやでも肌で感じるんですねぇ〜」
今まで見なれた日本の帝国ホテル、オークラ、オータニ、プリンスホテルさん・・・。ホテルも国際化競争へと突入です。
ここ数年で銀座通りはブテック同様、高級宝飾店が次々にできましたぁ。すごい勢いですよねぇ〜!昔からの日本のミキモト、ギンザ田中、田崎真珠さん。96年から外資ティファニー、ハリーウィストン、カルティエ、ショーメ、ヴァンクリーフ&アーベル、フレッド、デビアスなど。
カルティエは南青山11月にはダイヤモンドのような多面体の概観やガラスの階段、透明感のある建築物をつくり日本に攻勢をかけるようです。「どうなっちゃったの!集中してラグジュアリー空間がさりげなく東京に拡大していきますぅ。」
そういえば2005年2月パリ「メゾン・エ・オブジェ」インテリア国際見本市の春夏のテーマは日経MJ掲載「リュックス(豪華に暮らそう)」インテリアに金と光。ゴージャスな作品に注目があつまったとか・・・。
トヨタさんから8月30日高級車レクサス発売、今秋からカネボウさんが「抗加齢」クリーム12万円発売。さらにでましたぁ!月旅行発売110億!
「わぉ〜、いきなり本当にどうなっちゃんだぁ!」
100円ショップで買ったCDを心地よく聞きながら心の中で叫びました・・・。







NO130 エーーッ! “丸の内”のビルの地下で農業?
2005/08/11
妻、流風雫(るふか)のヒトリゴト。

容赦なくジリジリと照りつける太陽、そして下からはアスファルトに反射した湿り気を帯びた温風。地図片手に、制服姿の娘とここ丸の内を歩いています。目的は、大手町野村本社ビル。このビルの地下にある「パソナオーツー」です。娘が夏休みの課題のテーマとして選んだ“農業の新しい取り組み”の為の取材です。(お断りしておきますが、決して過保護なのではありませんよ。私も前々から興味があったので同行したまでです・・・笑)
パソナと言えば、大手の人材派遣会社。その本社ビルの地下に驚くべき施設があるのです。
パンプレットにはこう書かれています。
「太陽光の届かない地下で植物栽培を行う新しい都市空間です」と。そうなんです。新しい取り組み。あのビジネス街の地下で稲やサラダ菜・トマトなどの栽培が行なわれているのです。ビックリですよねぇ〜。
そこは幾つかのブースにわかれており、赤・黄・縁色発光ダイオード(LED)と、色別による植物の発育の違いがわかるラボ的な要素の展示があったり、プチ棚田の様を呈した密室での稲の栽培など、本当に興味深い施設でした。(あの話題になった青色発光ダイオードもありました。)ある部屋は天上際まで5・6段の棚になっており、サラダ菜の苗から時間の経過による発育状況がわかるようになっています。残念ながら人の出入りにより菌が入ってしまっては困るのでとの事で立入禁止でしたが、その効率、収穫量を考えると空きビルでこうした水耕栽培も面白いかな、なんて思いました。
そしてスタッフ一押しのクライマックス。
ウソッ〜〜〜。部屋一面にトマトが・・・。まるでジャングルのようにトマトがたわわに実っているのです。聞くとたった3本の苗だそうです。ワイヤーで吊り上げたトマトの苗が天上一面に勢いよくその枝を伸ばしているのです。部屋の側面である壁は全てアルミが貼られており、藤棚ならぬトマト棚。かつて見た事のないその光景は圧巻! 娘と二人、驚愕と充実感をドップリと感じた一時でした。
今年の2月にオープンしたというこの施設。あの小泉首相をはじめ著名人も訪れているようなのですが、そもそも農業に携わる人が減少している現在、もっと農業を身近に感じて欲しい、そのアピールとしてこうした農業情報発信基地を開設、そして農業で働きたいと願う方の就農のサポートを。という主旨での人材派遣会社パソナさんなのでした。

あれから1週間経ちました。ちょっぴり心は複雑です。
室温・湿度管理はもちろんのこと、ビタミン剤ならぬ栄養たっぷりの野村ビル内の水耕栽培・・・。
「お日様と一緒にひなたぼっこしたいし、水浴び・泥んこ遊びもしたいなぁ〜」
「はちさんやちょうちょさん、ミミズ君たちはどうしてるかなぁ〜」
なんとなく、そんな植物のひそひそ話が聞こえてくる様です。

NO129 蝉とかげろう。日本“夏の陣”。
2005/08/10
「シーン、シーン、シーン」あれぇ〜耳なり?
一日中、蝉時雨を聞いて過ごしていると、シーンと静まりかえった夜でさえ耳から残音が離れませ〜ん!
本当に蝉時雨です。歩いていると2、3匹頭や肩にポトポトと落ちてくるのです。地面を見るともうすでに所々に蝉が落ちています。お盆ちかくなるに連れて激しくなっていきます・・・。
昔から蝉は“儚い(はかない)”に引用される日本の夏の代表的存在ですよねぇ〜。春ならば“桜”の存在があります。どちらも季節に目いっぱい目立つ存在でありながら散るのが早いので“儚(はかない)”の比喩に多く用いられるんでしょうねぇ。そしてそれ以上に“儚い(はかない)”の比喩にぴったりな存在が、“かげろう”だと思います。“蟻地獄”と呼ばれ成虫となって“うすばかげろう”と名乗る虫を誰もがご存知ですよね?“かげろう”は、もともと蝉や桜と違って「ここにいますよぅ〜」という派手な存在アピール度が薄いものだから、全く目立ちませんねぇ。“儚い(はかない)”の比喩にふさわしい代表格NO1じゃないでしょうか。
“儚い(はかない)”とは、いつしか何事の存在も消えて忘れ去られて行く。そして忘れ去られてしまったコトさえ忘れられてしまう!。つまり昨夜鮮明に見たばかりの夢が今朝にはもう覚えていなくて、明日には夢を見たコトさえ忘れてしまう、そんなイメージでしょうかねぇ〜。
ちょっと前までは「早くうっとうしい梅雨が明けて夏にならないかなぁ〜」そして今は「蒸し暑い夏が過ぎて涼しくならないかなぁ〜」そしてうるさいほどに鳴く蝉が静かになりだす頃「もう、夏がおわっちゃうの!」
こうした四季の移り変りで気持ちもすっかり変わっていくのですから、ずーっと同じままでいられる存在自体が稀なコトなんですよね。
川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず・・・。

戦後60年、なにやら世間では日本“夏の陣”がはじまりましたぁ!。

NO128 あたまスイッチオン!行ってまいりま〜す“軽井沢編”
2005/08/09
「軽井沢へ行ってまいりま〜す」今朝方、思い立ち新幹線“あさま”に飛び乗り、いざ夏の避暑地へ〜。
小1時間過ぎただけで湿気のない25度の涼やかな街をもう歩きまわっていたのです。思えば数10年ぶりに軽井沢にやって来ましたぁ!。すっかり変わってしまった南口駅前のプリンスショッピングプラザ周辺から散策をはじめ北口からぶらぶら旧軽井沢周辺のショー通り、軽井沢本通り、離山通り、オーディアム通り、テニスコート通り、教会通り、万平通り、旧三笠通りを隈なく巡り、からまつの中に別荘が続く三笠通りを、とにかくまっすぐまっすぐ歩き続け重要文化財旧三笠ホテルまでたどりつきましたぁ。
ゆっくり館内を見学し今日の軽井沢散策はここが日帰りの終着点にしようと決めました。後はバスで軽井沢駅へと戻り再び新幹線に飛び乗るだけです。
思いつきの予定外の行動はお金と時間が無駄になることもあるかもしれません。だけどワタシにとって日常と違う意外な時間に意外な行動をとり、たとえ一日数時間だけでも知らぬ街を無心で巡るだけで、なんだか私の頭のどこかのスイッチがパチンパチンと鳴っています。
数時間後に再び蒸し暑〜い東京駅の雑踏の中に戻って来た瞬間、同じ1日の数時間の中での“避暑地軽井沢”と“熱帯東京”の同時体験が不思議な“気持ちよい感覚”を呼び覚まします。。今日は軽井沢で普段知らずに緊張していた身体をオフにして頭の新しいスイッチを数カ所オンにするコトができましたぁ!
近隣の散歩で出来ないコトはないけれど、「思い立ったらすぐにでも行ってみようかぁ!」と電車に飛び乗り“日常の非日常”をたまに体験すると見なれたまわりの風景までも違って見えたりするんです!。
今日の気温25度の軽井沢・旧軽井沢は“涼とリフレッシュ”を求めるヒト・ヒト・ヒトとイヌ・イヌ・イヌのスクランブル交差点となっておりました。
う〜ん、家でぐったりしているわりには食欲旺盛な我が家のチビ助犬も、お行儀さへ良ければ家族と一緒に避暑地まで連れて来てあげられるのにねぇ・・・。

NO127 「今しかない!」は魔法の言葉。
2005/08/08
「今を逃したらもう一生やってこないかも!」こんな“大切な今”に遭遇した時って自分を正当化してでも時間をなんとかつくり出そうとジタバタしませんかぁ。
昔々の身近な体験でいえばテレビ番組1つとっても録画ビデオなどない時代は、現時間を逃すまいと真剣勝負で見ていた番組ほどその時の印象と感動が“記憶”にしっかり残っているコトが多いんですねぇ〜。
再放送やビデオなど後から何度も見れるようになった時代からはその場の印象と感動が“記憶”からすっかり飛んでしまっています。
「今しかない!後からだと絶対後悔する!」自らそう思えるコトに出会った瞬間のヒトって何事も決断するのが早くなっちゃいますねぇ〜。
「もう決めちゃったわよ!今を逃しちゃうから」なんだかこう言われたら大抵何にも言われなくなっちゃいます。
つまり「今しかなーい!」この言葉は自らの行動力や消費を旺盛に奮い立たせ、相棒をも無理矢理にでもその気に説得させてしまう魔法の言葉なんですぅ!
旅行に行くのもコンサートや美術館に行くのも、習い事や買物などをするのもなんとなく億劫って言うヒトは「後からねぇ〜」という言葉が気持ちの中にありますよね。
ある時期に時間やゆとりが出来てもマンネリ生活が変わらなかったら皆さん大きな声で魔法の言葉を叫びましょう!「今しかなぁ〜い!」
「しかたなぁ〜い!」は駄目ですよぅ。

NO126 今日は蝉しぐれのお仏壇 “冥土 IN JAPAN”
2005/08/07
汗をふきふき袈裟を着たお坊さんがやって来ましたぁ〜。仏壇の前に家族が揃い、故人を偲びます。お坊さんの大きな伸びのある声で読経がはじまり、そっと静かに目をとじると、庭から聞こえてくる蝉しぐれの中に、読経と木魚をたたく音が気持ち良くスーッと溶け込んでいくのです。線香の香りが和室に漂い、最後のチ〜ンチ〜ンというおりんの余韻が妙にフーッと心を穏やかにさせますねぇ〜。
「暑いですねぇ〜」団扇をあおぎながらお互いの挨拶を交わすものの暦のうえでは、今日はもう立秋なんです。
さぁて、家に来てくださるお坊さんは今年御結婚されたお若い2代目副住職。聞けば閑静な新興住宅街で育った若奥様は、お寺の広〜い敷地に生息する虫たちや大きなかえるさんに毎日悲鳴をあげながらとまどっている模様!
そうですよねぇ〜。いくら自然と共存するといってもむずかしいんですよねぇ!若奥様の気持ちわかります。
でも、草花に虫がつかないようにするには、強力な消毒が必要ですよね〜虫だけでなく鳥の巣のたまごも危うくなるんですよ。田んぼに農薬をまけばアメンボウだぁっていなくなっちゃうんですね。そうなんです。私たちも“自然”や“無農薬”を求めるには覚悟が必要ですよぅ!
♪ ミミズだって、オケラだぁって、アメンボだって、皆んな、皆んな生きているんだ、友達なんだ〜 ♪
そうは言ってもぉ〜バシッ バシッ バシッ〜「お〜かゆい!」今日は庭にて8匹が・・・。

NO125 なるほど!“ライスワーク”と“ライフワーク”
2005/08/05
「このままでは終わらないぞぉ!」団塊世代の起業家たちが次々と誕生していますぅ〜。なにしろ大競争時代の申し子達で寝る間もなく働き通した個性派そろいの世代です。
世界に追い付け追い越せと自分の個性を封印してまでも団結パワーで世界NO1までのぼりつめた体験をもっている世代だけに経験も人脈もとにかく豊富です。競争に疲れ果てもうそろそろリタイヤしようかと思っても、「待てよ、思えば家庭を犠牲にしてまで今までは会社のために働いてきたんだぁ!これまでの血のにじむような体験とこつこつとつくってきた人脈がようやく自由に生かせる時が来たではないかぁ!」
「小さくともいい!これからは生き甲斐あるビジネスを同志を集めて起業しよう!」そうです、このようなシルバー起業家さんをテレビや雑誌などでもとりあげるコトが多くなりましたねぇ。たいていは昔の会社時代の仲間達と組んで、かっての仕事上の人脈にアプローチをかけて行くようですねぇ〜。その後はどうなっているんでしょうか?テレビではその3年後の企業を再び見せてくれるのでしょうか?
テレビでビジネスコンサルタントらしきヒトがシルバー世代の起業家の陥りやすい共通点をあげてこう言いました。
「ビジネスとは“収益”にこだわり続けることがいかにできるかという気持ちが大切です。そのためには“しがらみ”をいかに切るコトができるかが重要なんです」
「ふ〜ん、そうなんだぁ。と言うコトは生き甲斐のために収益は二の次では“ビジネス”ではない?昔の人脈を求めていく絆ネットワークはへたをすると“しがらみ”をつくってしまうてこと?」そういえばぁ。かつて青山の恩師から聞かされてとても気になっていた言葉が急に頭に浮かびました。
“ライスワーク”と“ライフワーク”という言葉です。
“生活するための仕事”“生き甲斐を見出すための仕事”“おもしろいコトをおっしゃるなぁ〜」その時は軽くそう思っていただけでしたぁ。今日辞書であらためて“ビジネス”の意味を調べてみました。
“個人的な感情を交えずに利益のみを目的として進める仕事”
いやぁ〜きびし〜い!でも現実はそうですよね・・・・。
なるほど!私は“ライスワーク”“ライフワーク”の言葉には恩師から伝えたかった大切なメッセージがこめられていたんだぁ〜そう思ったのです。
でもこれからもきっとやってくれると信じていまーす。日本のシルバー起業家達のパワーはまだまだ世界の先を見据えていますよ!頼もしいかぎりですぅ。

NO124 思い出つきない“上野の森”はネバーランド。
2005/08/04
「ここから不忍の池が見渡せたのにねぇ〜」「木々が当時より大きくなったのかしら」「夏の今は葉が茂っていて見えないけれどきっと秋には見えるのかも?」
すっかり新しくなっていた上野精養軒レストラン。兄弟4人と母85歳が会食し、かつて幼き時、父に連れられてよく食べにきた時のそれぞれの昔の記憶が不忍の池に咲く蓮の花の近くでよみがえり、やがて記憶の断片がひとつに合わさって一気に当時へとタイムスリップしていったのですぅ!
お盆も近い今月には母86歳の誕生日をもうじき迎えます。こういう時期に父と子供達の共通の思い出の場所にひきよせられるように親子が全員集まって、父との懐かしい思い出話などを語り合えることができるのはとても幸せなことだなぁ〜と思います・・・・。
それにしても精養軒のハヤシライスおいしかったですぅ!
食事を終えた後、思い出話のテンションはさらにあがり精養軒に車を残したまま、後15分で閉店してしまう東照宮近くの新鴬亭へと急げ急げと皆で移動!短時間の間にところてんと三色団子をたいらげてしまいました!ここも良くお墓参りの帰り道に必ずといって良いくらい親子で訪れたところなんです。しかし母を含めなんと元気で健康な親子でしょう!いつもまわりからびっくりされます。
皆の思い出の共通話はいつも“食べ物“が主役なんですねぇ〜この一族は!この後車にて東京国立博物館、東京芸術大学を抜けて言問通りから谷中の寺街へ。そこから再び不忍通りに出て横山大観記念館、東天紅を通過し左手に新しくできた蓮見茶屋を見ながら中央通りに入り秋葉原、神田、日本橋、銀座と皆で散歩したコースをめぐったのでしたぁ〜
暑い夏もなんのその!つくづく健康一番、こういう暑〜い夏こそ実感いたしますねぇ。

NO123 日本の景気は任せておけ!時持ち“昼ズ族”
2005/08/03
シャーシャーシャ〜“静かさや岩にしみ入る蝉の声”
10日間連続真夏日となり、冷房を効かせるためにぴったり閉じられた防音性のガラス窓をも蝉の声がしみ入って室内にじわじわ響きわたる季節になりました。
夏休みモードに入り、早朝からゆっくりくつろいでいる時期、「あっ!今日は夕方7時から音楽コンサートだぁ!」
こういう時って、前から楽しみにいていたのだけれど、なぜかお出かけ準備が億劫になってしまうコトってありませんかぁ?
夕方のコンサートって大抵7時半ぐらいが開演なのでいつも夕食が中途半端になってしまいますぅ!1時間前から友人と待ち合わせて軽食ですまし、コンサート終了が10時近くになって夕食と帰宅の時間がこれまた中途半端で、翌日が仕事だったりするとコンサートの余韻も楽しむコトなく結局そそくさと友人とお別れして帰宅ぅ!こんなゆとりのないパターンが結構いままで多かったですねぇ。
でも!近頃、“昼のコンサート”ふえましたぁ!と思っていたら「昼」が音楽のビジネスチャンスとして大注目されていたのですね。考えてみれば当然ですよね。早起きの“グッドモーニングスタイル”人口がどんどんふえているのですから、「昼」のエンターテイメントもしかりです。(地球人のヒトリゴトNO103)
今は高齢者と女性を中心に割り引きチケットやいろいろな特典を設けたりしていますが、2007年以降は“お金持ち六本木ヒルズ族”ならぬ多くの定年退職を迎えた“時持ち昼ズ族”さん達のマーケットになってくるんですねぇ!
早朝、お散歩でさわやかな空気をすって、蒸し暑〜い真昼には、冷房がひんやりひえた快適な空間でクラシックコンサートを楽しむ。コンサートが終わったあとはゆとりある時間を自由に過ごし、前もって予約したレストランで友人などとお酒を飲みながら楽しく語らい、早目に帰宅してのんびりと家でくつろぐ・・・。
そんな夢のようなお話も「昼」時間を楽しく過ごす為の“グッドアフタヌーンスタイル”ビジネス誕生があってこそ!さぁてさぁて、これからどんな楽しいビジネスが生まれてくるのでしょうかねぇ?大注目ですぅ!

NO122 夏バテ対策は花火大会とアンダルシアの風!
2005/08/02
ドドーンドドーン夜空に涼やかな光の華が咲き誇りますぅ〜。夏の風物詩花火大会が隅田川、神宮外苑とスタートを切っています。夏だぁ!夏だぁ!日本の夏だぁ!でもその夏を知らせる音が消えています・・・。
風鈴のチリンチリ〜ンと鳴る美しい音色さえ、現在はご近所迷惑になりかねないからと遠慮してひっこめてしまうご時世になってしまいましたねぇ。
だけど花火大会だけは問答無用だぁ!大好きなヒトが圧倒的に多いのですから夜空にとどろく落雷のようなごう音もまばゆい閃光だって歓喜と笑顔にかえてしまいますからねぇ〜。たまりたまった日頃の欲求不満もバーンと夜空にはじけとんでしまうのではないでしょうか?花火大会は日本人の大好きエンターティメント娯楽なんですね〜。
さぁて今日も蒸し暑〜い日、扇子が乱舞しています。でもいつもとちょっと今日は違いますよ!乱舞しているのはスペインの扇子なのです。またまた友人の御招待でホテルオオクラで行なわれたスペインアンダルシア州政府主催“アミーゴス・デ・アンダルシア”のレセプション“小松原庸子スペイン舞踊団によるフラメンコ・ショー”を鑑賞したのです。日本の夏にスペインから吹いてきたアンダルシアの風!これは熱過ぎますぅ〜!スタートは静寂の中で3人のスペインの伊達男達が袴をつけて能を舞う美しい演出。そしてフィナーレは溢れるばかりの躍動感ある曲でダンサー、シンガー、ギタリストが一体となり歌い踊る圧巻の輝くラテンエネルギー!感激で思わず涙がポロリ。
美しい花火に情熱のフラメンコ。シェリー酒をぐっと飲み干せば、うーん、これじゃぁ、刺激がありすぎてちっとも夏バテしませんね〜。




NO121 路上のお配りモノコレクター。
2005/08/01
駅から吐き出されてくるヒト・ヒト・ヒト。同じデザインロゴマークの入った団扇をパタパタ仰ぎながら、こちらの方向に向かって群集でぞろぞろと近づいて来ま〜す。
「何だぁ!この異様な集団は〜怪しげな新興宗教かぁ!」身まがえながら次々に通り過ぎるヒトの手元の団扇のロゴマークを見やるとパチンコ屋さん新規オープンの派手〜なデザイン店名が記されておりましたぁ。
今日ほどまで暑くなると、オープン告知のPR配布物としての団扇の存在は大成功!たいていのヒトが無意識のうちに躊躇なく手がスーっと伸びてしまったようですねぇ〜。
向かった駅入口ちかくで、団扇を配って飛ぶようになくなっていく光景を見るコトになりましたぁ〜。サイン会でもしてるんじゃぁないかと思うくらい手から手に渡されていきますねぇ、大人気ぃ!
そんな時、先日炎天下の上野の街で一所懸命ティシュペーパーを配っていた少女の姿を思いうかべました。笑顔をいっぱい浮かべながら道ゆくヒトに頭をさげて手渡そうとするのですが、いつまでたってもさっぱりですぅ〜。ちょうど待ち合わせの時間待ちだったので、気になってしばらく見ていたのです。その少女は休むことなく頭をさげつづけてもティシュはそんなに受けとってもらえません。時折、ひたいの汗をぬぐっては気を取り直して動きまわっていましたぁ・・・。あの少女のまじめな働きぶりだったらきっと団扇だったら100発100中受けとってもらえていたでしょうねぇ!夏のティシュ配りと団扇配りでは団扇の勝利〜。ウーンかんがえて見れば定番のティシュ以外でどんなモノが街で配られているんでしょうかねぇ?
ワタシは思わず出くわすと避けて通ってしまうので時折、後になって何を配っていたんだろうなぁ?そう思う時もあるのです。
とにかく街では無料で配るモノが多いのですから、世の中には“路上のお配りモノコレクター”なるお方がきっとたくさん存在していることでしょうね。