2006  12月

NO490 また1つ静かに消え行く昭和“旧回効散ビル”新富町。
2006/12/28
来年の幸せを飛ばさないでよぅ!
玄関先に飾った玉飾りがどこかに遠く飛んでいきそうな強風吹きすさぶ日が続きましたぁ。
んむぅ〜ここで幸せの願いを飛ばされてなるものかぁ!
玉飾りの結びをグルグル巻きに固定してみたのですが風がなんとかお玉をさらっていこうともがいているようでしたぁ!
“今年も色々とお世話になりましてありがとうございましたぁ〜どうぞどうぞお気をつけてお帰りくださいませ”
午前中に車に乗って年末の御挨拶にいらっしゃられた訪問客と小一時間程この一年の出来事をあれこれおしゃべりした後お互い笑顔を交わしながら会釈をして玄関外までお見送り“お気をつけて!良いお年を!”
ところがその30分後、外出しようと玄関戸を開くと遠くに2台の車が停車しおまわりさんが・・・・・。
“ありゃりゃ!なんと車がぶつかっとるぅ!”
それもんまぁ〜先程お見送りしたはずのお方が!!
遠くからこちらに気づき頭をさげていますよぅ!
いやぁ〜それにしても路地間の軽い接触事故で終わったようでした。
誰も怪我する事無くことなきを得たことがわかってほっと胸を撫で下ろすTAGOSなのでしたぁ。
それにしてもまぁ〜本当にすぐ先の未来に何が起こるなんてまったくわからないもんだぁ!!と年末あらためて強く実感したのでございます。
そうそう夕刻のこと、街を歩いていたらはるか後ろからなにやら大きな声で叫ぶ声がどんどん近づいて来るのです。
後ろを振り返り耳を傾ければ“ファイト〜ファイト〜ファイト〜”と強風に向って自分に大声で力を注入していたスクターに乗った工事現場のおじさんでしたぁ。
人が誰もいないと思って大声を出して走ってきたようですが交差点で停車した時、このTAGOSがいたことに気づいてなんかやたら恥ずかしそうにしてましたねぇ。
“おじさん!年末頑張ってよぅ〜”心の中で叫びながらも変なおじさんに遭遇しなくてよかったぁ〜とも思ったのです。
今のご時世後ろからいきなりポカリと殴られる危険もあるんですからねぇ。
さぁてさて今年も泣いても笑っても残り後3日となりました。
TAGOSは今週何度も中央区新富町に足を運びました。
来年早々1月15日にまた1つ昭和の歴史的ビル“旧回効散ビル“(昭和3年竣工)が79年の歴史で幕を下ろす事になったからです。
森田製薬の創業者のお孫さんであるMK様のブログ“ヒーリングタイム”から最新の貴重なメールをいただき解体工事決定日を知ったのです。
新年1月4日発売の「東京人」2月号、1月7日頃の“読売新聞・都民版”で関連記事が掲載されるとのことです。
この時代(1927年)の建物などもう銀座周辺でもわずかしか残存していませんよぅ〜。
皆様よく御存知の銀座和光ビルだって1932年、七丁目のライオンも1934年ですから。
建築ってその時代の文化や生活,人間の意図がしっかりしみこんで生きているようです。
誕生の時は多くの人間に祝われるものですがいざ消え行くときは知らないうちにいつの間にか姿を消していくのではあまりにも悲しすぎます。
なんとか保存できないものかとMK様も保存活動の大変な御努力をされてきたのです。
銀座などお出かけの際、新富町に足を伸ばし、この歴史的ビルの姿を是非見届けてくださいませ。
“旧回効散ビル”の詳しいことは“ヒーリングタイム”をどうぞご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/yakiba0985/


NO489 日本を担う親指トムと親指姫。
2006/12/25
も〜いつまでも親に頼りっなし!!
用あるごとに親は使われっぱなし!それもなんとも今のご時世、親の使い方までうまいときているんですからぁ!
さぁてさて今日はクリスマスでございます。
昨日のクリスマスイブが日曜日のこともあって御家族で過ごされた方々も多いことでしょうねぇ〜。
今年は各都心の街ごとの従来の華やかなクリスマスの飾りつけはより以上に特徴のあるイベントをからませデザインやアート世界のレベルまで競い合うまでになったようですねぇ。
そうなんですぅ!。ただだだ豆球を木々にくくりつけ何十万個だぞぉ〜と量を競っていたピカピカ時代から今や街の個性をアピールし洗練されたセンスを見てちょうだいねぇ〜ということなのでしょう。
“そうなるとちょっとちょっと困っちゃうのよねぇ〜”住宅街のお父さん、お母さんが嘆いています。
住宅街のクリスマスの飾りつけは1ヶ月前からせっせせっせと準備しているお父様をよく見かけました。
家族だけでなく住人の皆様にも喜んでいただこうと時間と手間をかけて飾りつけている姿はまさに真剣です。
ところがぁ〜今年ときたら昨年以上に住宅街からクリスマスのイルミネーションが大激減!!
なんともさびしい限りなのです!えぇ!TAGOSは住宅街を車でめぐりながらどうして!どうして?
うむぅ〜いざなぎ景気を更新したと囃し立てられた日本経済とのえらいギャップなのか?
お子さんが受験勉強中?成人してもう中止したのか?残業につぐ残業でお父さんに余裕がなくなったのか?暖冬でちっともクリスマス気分になれなかったのか?
それとも個人にもアートの波がひしひしと!“世間様に楽しんでいただくレベルが高くなりすぎぃ!”と臆してしまったのか?
今まで我が家だけ抜けてもいけないし誰か他の家が辞めたのをきっかけに“もうそろそろいいかぁ〜”と次々に連鎖していったのか?
“なんで日本人なのにわざわざクリスマスの飾りつけなんかするのよ”そういう世代もどんどん出てきているでしょうね。
でも本当のところはまだTAGOSには今回の激減の原因がはっきりわからないのです。
来年のこの日に再び車でまわった時にきっと判明することでしょう!
いやぁ〜それにしても野外のクリスマスの飾りつけなど親が時間をかけて御近所様を楽しませても、すっかり大人になったお兄さんお姉さん達はもう我れ関せずといったところでしょうかぁ!
んまぁ〜それどころかまたまた親を無言で動かしていますよ!
今日、帰宅途中の電車の中、TAGOSの両脇に座っていたお兄ぃ!にお嬢!
そうそう携帯の小さな画面にむかってメールのやりとりやインターネット接続を親指一本で次から次に操作する親指トムと親指姫のことですよぅ。
彼らの親指の動く速さをじっ〜見つめていたらあらためて頭の中で日本の数年後の生活環境がなんだか薄っすらとだけど透けて見えてきました。
さぁてさて玄関などのリース飾りをはずしあさってからは玉飾りでございま〜す。


NO488 上を向いて歩こう。時の流れが見えてくる。“銀座・京橋編”
2006/12/22
銀座のシンボルといえばぁ?
どうでしょう?TAGOはあの銀座四丁目交差点の時計塔がすぐに頭に浮かびます!
そうそう1932年(昭和7年)に建設されたネオ・ルネッサンス様式の服部時計店(現銀座和光ビル)でございます。
しか〜しある方向から見るとなんだかいつもTAGOSはおかしくて笑ってしまうのです。
いやいやどこから見ても御影石でできたあの美しい建築スタイルに四面ある文字盤が東西南北に向いて正確に時を知らせてくれる優雅な時計こそは、さすが銀座のシンボルそのものですよねぇ〜。
これだけだと“そりゃそうだ〜”で終わっちゃうお話なのですが、もう1つ銀座四丁目の交差点に負けじと時を刻む大きな大きな時計の存在が目に入ります。
思えばいつからなのか?そうそうそれは今から3年前の2003年のこと。
あのカシオ計算機が伝播受信機能を備えた“G−SHOCK”実物約150倍のどでかい腕時計を20年記念として向かい側のビルの上にドド〜ンと設置したのであります。
それからというもの、時折意識しなくともその両方の時計が一度に視界に入ってしまった時、パブロフの犬じゃないけどカシオの巨大“G−SHOCK” が現在時刻を時・分・秒まで正確に赤文字で刻んでいく姿がとても健気に見えてくるので〜す!
交差点をはさんでなにかほほえましい光景ですぅ〜。
さてさて銀座の街でこのところいつも気になっていたのがもう1つの銀座のシンボル的存在の“三愛ドリームセンター”なのです。
1963年に登場してから時代とともに変わっていった屋上のネオンがついに新しくなって今月22日に赤い文字で“RICOH”が点灯しましたね。
ここの広告塔ってとにかく目立つし必ずといって銀座の街の歴史として写真集におさまってしまうからいい場所なんです。
最初は三菱マーク(1963年)でした。次に三愛“San−ai”(1990年)そして“CocaーCola”(1994年)サントリー“響”(2000年)“vodafone”(2004年)と続き今年創業70年を迎えた本家の“リコー”が使用することになったわけですねぇ。
まぁまぁ銀座ブラする時たまたまビルの上に鎮座する巨大広告塔を見上げながら“おやぁ?”と思うことも。
例えば銀座四丁目交差点付近の晴海通りの“クリスチャンディオール”ビル横のブルー色に白文字で書かれた“Haier”これどこの企業だろう?わかりますかぁ?2004年にはすでにありましたぁ。
2002年から日本に進出した“ハイアール”という中国総合家電のトップ企業でございます。
いやいやいくら銀座の目抜き通りのビルの上とはいえ広告塔も昼には存在感がないけれど夜になれば銀座の顔になるのです。
昨年も6月7日にサッポロビールの最新式のネオン広告塔がデビューしております。
んまぁ、今は銀座ビルの上や壁面などには今やハイテクノロジーとデザインアートの融合で街に新しい彩りを添えているのですねぇ〜。
さぁってさて、先日、日本橋から銀座まで歩いてくる間、ついにその中間にあるエリアの“京橋”も再開発のスタートを切っております。
皆様よくよく御存知の1933年(昭和8年)竣工のイタリア・ルネッサンス建築の“明治屋”など含む京橋2丁目に地上36階地下3階のビル計画です。
隣接の“京橋MTビル”から解体が始まりましたぁ!
う〜ん?“明治屋”の歴史的建造物はちゃんと保存するんでしょうねぇ?
さてさてちょいと先の日本橋では2007年3月9日に新たにオープンする丸善がすっかり外観を現しておりましたがお隣の立派なビル“日本興亜損害保険会社”にはやはり解体の張り紙がぁ〜。
いやいやなんとも激しい動きが年末になってもまだまだ続いているのです。

●ユニーク地球人 “特別寄稿コラム” NEW UPです!!。
なんと“癒しの音楽館”に登場してくださっているシンガーの“Koh−ichirohさん”が特別に寄稿してくださったコラムです。ストレートに鋭い視点で熱く語ってくださいました。


NO487 年の瀬は時空を超えて“浅草・日本橋・丸の内”
2006/12/19
“さすが年の瀬だねぇ〜”
TAGOSの歩いている背後からそんな声がもう聞こえてきますぅ!
さぁさぁ!今日は景気を羽根(はね)あげ邪気ハネ飛ばす福が福呼ぶ“浅草羽子板市”の最終日でございます。
仲見世通りは多くの人々であふれ、浅草寺付近にずらりと並ぶ粋をつくした日本特有の美!
かっては可愛い女の子の無病息災を願う親や祖父母の深い愛情の表れを託したという羽子板ですねぇ。
今や金運・幸運をもたらす縁起物として日本人にこよなく愛される伝統技術を駆使した息を呑むような美しさです!
ずら〜りと勢ぞろいしたその光景を見ればもう浅草の街にクリスマスなどという気配はこれっぽっちも見当たりませ〜ん!!
いやいや羽子板市では羽子板だけでなく福集めや羽根飾りもあちらこちらに。
七福神・達磨・福助・招き猫・ひょうたん・かえる・サイコロ・小判・金のこずち等などあらゆる縁起物が所狭しと勢ぞろいしているのです!
仲見世通りのちょいと頭上をみあげれば多くのハトが街ゆく人間の流れを静かに見守っておりましたぁ〜。
もうすっかり年の瀬に、エネルギー不足でパワー減退なのよねぇ〜とお思いのお方は浅草で元気と福をもらってハネあがってくださいなぁ〜。
んまぁ〜すごいものを日本橋で見てしまいましたぁ!!
“北斎の宇宙”18mのドーム型スクリーンにプラネタリウムのクリエーターが開発した世界最高峰プラレタニウム“メガスターU”500万個の星を投影しその星空の下で葛飾北斎のユニ−クな世界を描き出すという試みなんです。
そうそうTAGOSは浅草羽子板市を後にしてお江戸日本橋にやって来たのです。
三井第三別館跡地を活用して12月8日“室町福徳塾”
12月15日“日本橋HD DVDプラネタリウム”“ハッピーローソン”そして屋台村が期間限定でオープンしたのです。
そして夕方5時から歴史的建造物“三井本館”壁面をキャンパスにして200uの巨大スクリーンに北斎の描く江戸の様子をアニメーション化して写しだしたのです。
三井本館の横には壁面をライトでデコレートした三越、そしてガラス窓からもれる美しい光を放つオリエンタルマンダリンホテル。
現実に中央通りを通過する多くの自動車と歩行する人々と同時に進行する江戸の街をいきかう活気ある北斎の描いた人々の動きの対比がなんとも不思議な世界!
時空を超えたファンタスティクな空間に迷い込んでしまったかのような錯覚におちいりますよぅ!
そしてそして今夜はTAGOSはそれだけで終わらなかったのでございます。
あの12月15日から始まった“光都東京LIGHTOPIA”イベントの一環夜に浮かぶ和田倉噴水公園のブルー色に光る3つの大噴水の前に繰り広げられる幻想世界。
小学生や著名人のメッセ−ジを託した明かり絵に多くの方々がカメラを本格的に持ち込んで熱心に撮影しておりましたぁ。
和田倉橋もライトアップされ闇夜に美しく浮かびあがっています。
帰り道はオレンジ色のイルミネーションがどこまでも続く丸の内仲通り。
もうすっかり昼だけのビジネス街から大変貌をとげ品格あるお洒落な美しいストリートになりましたねぇ。
いやいや今東京フォーラムの約1万uの広場には12月16日からスタートした“クリスタル・イルミネーション〜華麗なる光の回廊”と東京フォーラムのガラス棟のハーモニーもなんとも素敵です。
さぁてさて今年の年末はどの街も競うように光の演出がよりアーティスティツクで大掛かりになってきましたねぇ。
スポンサーにゆとりが出てきたのでしょうかぁ?

●アートなお部屋 豊月(ほうげつ)86歳が秋を描いた水彩画11点 NEW UPです。
どうぞご覧くださいませ。


NO486 ピカッときたら年賀状。
2006/12/16
これじゃ〜まったく眠れないじゃない!!
真夜中にブァ〜ブァ〜とほえるドライヤー音!。
ウォ〜!!畳の上には所狭しとインクが乾かぬおびただしい年賀ハガキの数・・・・。
毎年、一年に一回夜を徹した家族の恒例の行事がありましたぁ!
さぁてさて、社会環境の変化から投函する枚数が年々激減し投函のピーク日までがどんどん後々になっていくあの年賀状のお話お話でございます。
んまぁ〜TAGOSは今年も夜を徹して年賀状制作に2日をかけてようやく完成に近づきましたぁ〜。
いやいや今年に新しいPCになったもので今までの住所録データなどすべて一つづつあらためて入力することからはじめたものですからやたら時間がかかったのですぅ。
それだけでなくけっこう市町村名の変更地域が多くて新旧住所のチェツクも大変だったぁ〜。
そんな時、久しぶりに押入れの奥にひっそり身を隠していた黄色いBOXを発見!
そろりとBOXを開けるとほこりよけとして入れていた2002年12月の新聞誌が出てまいりましたぁ〜。
なになに?“ネオンの芸術。都市の生活者映す”
おぉ〜コレは汐留の都市再開発地区に先陣を切った真新しいカレッタ汐留の記事じぁない〜。
いやぁ〜その新聞誌の下にあったのは年一回再会し伴に徹夜したあの年賀状の助っ人“プリントゴッコ”でありましたぁ〜。
1977年(昭和52年)に登場したカラー印刷が家庭でできた画期的な印刷玩具でしたよねぇ〜。
1994年頃をピークに広く日本の御家庭に浸透していったのです。
あれぇ保証書を見るとなんと購入したところは1999年1/30日に閉店してしまった“日本橋東急百貨店”じぁ〜ない!デパートのほうがなくなっています!
2002年の新聞があったということはこの年までTAGOSは“プリントゴッコ”にお世話になっていたんですねぇ〜。
調べればそうかぁ〜官製のお年玉年賀状に2002年用からインクジット紙が登場した年だったんです。
今となっては原稿をつくって版をつくり、チューブからインクをのせて、そしてそしていつも肝心な時に見当たらないプリント用ランプをやけになりながら見つけ出しとっととセットしたらぁ〜とってを下へ強く押すとピカッと光る〜・・・・。これこれ!これが快感〜。
思えば家族そろって夜なべ作業の最後の年賀状作りはTAGO家では2002年が最後になったのでございます。
まさに親子が家庭で“印刷ゴッコ”していたのがこの“プリントゴッコ”の開発者が描き続けたリソーの姿だったんですねぇ〜。

●癒しの音楽館 大友勝二さん(元冒険団))から届いたメッセージ NEW UP です。
●癒しの写真館 フランス編 NEW UP!!
☆スペイン今月の写真もNEW UPです。
どうぞご覧くださいませ。


NO485 桃栗三年柿八年。 江戸の小料理“新宿編”
2006/12/13
♪夜の新宿 裏通り 肩をよせあう 通り雨 誰を恨んで濡れるのか〜♪
(1973年 なみだ恋より)
さぁてさて雨降る新宿裏通りの夜がやけに似合うエリアといえばぁ〜そりゃ新宿ゴールデン街でしょうかぁ?
1945年以来古〜くから作家や文化人に愛され続けたというこの街は日中はいつも静かに深い眠りについているのです。
う〜ん1972年頃だったでしょうかぁ!お知り合いがどう見ても場違いなお店をこのゴールデン街にオープンしたのでしたぁ!
そうそう今思えばゴールデン街の現在、若者達のユニークなお店がたくさん出てきている先駆けだったのかも。当時は大人の世界に変な若いのが1人やってきて若者向け音楽のお店を出してしまったのですからなんともまわりの路地裏からは浮きに浮きまくっていた光景を思い出しますぅ〜。
そういえば何度も開発構想が浮上しては消え去っていたこの“ゴールデン街”もどうやら地上50階の再開発構想が浮上しているらしいですね。
いやいや新宿もまた再開発が目白押しですよぅ〜。
北新宿や新宿駅南口付近はもとより街を歩けば2008年春に開通予定の“東京メトロ13号線”により新宿三丁目付近が変貌しはじめておりま〜す!
もう大きな建物が見えていますもの!地上14階地下3階
またまた丸井の新宿新館(BI〜地上8階)そして9階から14階が9シアターからなる新宿では初めてのシネマコンプレックスなんですとぅ!
ふむぅ〜こうなったら新宿3丁目の中心である“伊勢丹”だってほらほら12月2日に生まれかわりましたよ。
“フランスの偉大なる3巨匠のブテックがここに”この歌い文句のブテックは服ではございません!
食品特選街が出現しましたぁ。おぉ〜デパチカがさらに進化をとげとるぅ!・・・・・・。
“桃栗三年柿八年 人の命は50年 夢の浮世にささのんで 遊べ。”
いやいやTAGOSはなんとも粋な御招待状を受け取りました。
まさに新宿伊勢丹隣接の新宿伊勢丹会館八階16日(土)にオープンする江戸・小料理のお店“桃栗”のプレオープンにやって来たのです。
江戸の小鍋を小粋に彩る酒どころが新宿にできるというので楽しみにしておりましたぁ〜。
いやいやなんとも小粋です!
ところで新宿はその昔“内藤新宿”と呼ばれていたのを御存知でしょうかぁ?
浮世絵江戸百景 歌川広重“四谷内藤新宿”などに描かれております。内藤家のお屋敷の跡ですね。
建物がひしめく現在の新宿にもその歴史を見るところは多数残っているのです。
さぁてさて芽が出てから実がなるまで桃栗は三年柿は八年でございます。
実に辛抱強くなければなんでも育てることは出来ないという教えでもありますねぇ〜。
新宿のスピードを競う再開発を見たことをスッカリ頭からはずれてしまうほど小粋な空間にておいしい古酒と小料理をいただきながらヒトリゴトを口ずさむTAGOSなのです。
“桃栗三年柿八年、柚子は九年なりかかる、梅は酸いとて十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年!!”


NO484 この街は広すぎる。だから忘年会は雨の西麻布。
2006/12/10
♪この街は広すぎる BIG CITY IS A LONELY PLACE
ひとりぼっちじゃ 街の灯りが 人の気を狂わせる♪
(1984年六本木心中より)
いやいやフライディナイトの六本木交差点に立てばすっかりこの賑わいの光景って♪場末のシネマしてるね〜♪。
そうそうアンルイスだったよねこの歌?意味不明の言葉を口ずさみながらTAGOSは六本木通りを西麻布交差点へと急いだのでしたぁ。
六本木から徒歩7分あまり、雨降る西麻布の交差点に立てばハァ〜そういえば1985年には“雨の西麻布”なんて歌もヒットしてたっけ!そうそうもう80年代にはすでにこの近辺はナイトクラッピングのメッカでしたもんねぇ。
さぁてさてTAGOSがなんで雨の西麻布をチョロチョロしているかといえば、いよいよ今年の第1弾忘年会がきっておとされたのです。
身も心もメタボリックで太っ腹なおじさま達が25名ほど集結した忘年会なのであります。
昨年まではず〜と青山だったのが今年は西麻布。
いずれもお店のオーナーがこの会のお仲間達なのでいつもいつもお世話になってしまうのです。
それにしてもなんとご立派なこと!とっても素敵お店ですよぅ!
♪飲んで 飲んで 飲まれて飲んで 飲みつぶれて眠むるまで飲んで やがて男は 静かに眠るのでしょう♪
(1976年 酒と泪と男と女)
これが誰1人眠らないんですねぇ!焼酎ぐいぐい飲んで馬刺しを食べてまたまたお鍋をつついて!
まぁ〜気付けばここは奥の間の和室にぎっしり25名のおじさま達!
んもう〜熱くて熱くて和室を出ればカウンター席には西麻布の隠れ家にふさわしいスッキリさわやか若きカップルがぁ何組も・・・・・・・。
そうそう振り返ってみれば西麻布周辺は六本木と同様1970年代後半から海外で腕を研いたシェフ達が次々と帰国しては自分の店を構えるエリアだったんですものねぇ。地価も安かったし外人も多かったのが選んだ理由と聞いていました。
その当時からここらは地下鉄の駅はなく、とにかく不便。六本木から通称霞町界隈は特に秘密めいた雰囲気を醸し出しておりましたぁ。
この時期“六本木”“西麻布”の街の名が歌になったのはもうこのエリアがピークをつけていた時でしたよぅ。
今や“西麻布”の夜は隠れ家スポットほど人であふれております。
わざわざ西麻布に“裏”までつけているエリアまで存在しておりますが、とにかく若い女性が圧倒的に増えたということは間違いありませ〜ん。
怪しいただならぬ雰囲気や危険な香りはとっくに消臭されてますから。
あれあれTAGOSは今西麻布で何をやっていたんだろう?忘年会・忘年会・・・。
おぉ〜だいぶもう忘れかけているぅ!おじさま同士25名が芋焼酎で雨の西麻布で汗かきながら騒いでいることを・・・。
絵になるカップルが座るカウンターより戻れば、んまぁ〜西麻布の隠れ家で遊んでいるというより隠されている!遮断されている!隔離されているというかぁ。
さぁさぁ皆さん!楽しそうにみ〜んな夢ん中!
だから〜決して和室から飛び出ないでくださいなぁ。

●ユニーク地球人コラム 
大和撫子 チャボ日記NO12 NEW UPです。
前回のクマさんやうさぎさんに続き白鳥さんやカモさんのお話ですよ。


NO483 丸の内でパラパラ!踊ってます2007年!。
2006/12/07
さぁさぁ!あたるも八卦(はっけ)あたらぬも八卦でございます!。
もうズラ〜リズラ〜リと丸の内の書店に並んでいますよ!
来年のあなたの運命を占うあらゆる種類の占い本!。
いやいやその数に負けないくらいありますねぇ〜。
来年2007年の日本の行く末を予測するピカピカの新刊本がぁ〜。
“2007年日本経済 長期上昇に陥穽あり”“日本経済大転換(日本経済2007年〜2015年)”甦った日本経済のゆくえ”“日本経済の明日を読む”
“2010年の日本(雇用社会から起業社会へ)“2007年 大動乱の世界と日本”“2007年日本はこうなる”“上げ潮の時代”等等・・・・・・・。
どの本を手にとって読んでみても自信を持って断言しとりますからすごいもんです!
んまぁ〜パラパラとめくりながら立ち読みすれば昨年の弱気組みにとって変わって今年は来年に向って鼻息の荒い強気なおじさま達の割合がふえているようでございます。
さぁてこの丸の内界隈も来年4月27日竣工の地上38階高さ198メートルの“新丸の内ビル”の姿がもうすっかり出来上がってきています。
そうそう同じくもうすでに姿をあらわしているあの六本木防衛庁跡には“東京ミッドタウン”が3月にグランドオープンをひかえていますから来年はじめからこの2つのプロジェクトだけでもさぞかし賑やかなことでしょうねぇ。
赤レンガ造りのJR東京駅丸の内駅舎を正面に皇居外苑に続く行幸通りは黄金色の銀杏並木が目にあざやかです。
TAGOSは美しい黄金の絨毯の上を歩きながらあと残り1ヶ月をきった2006年の出来事をあれこれと思い浮かべてみるのでしたぁ。
さぁてさてこの丸の内も12/15〜12/25日 “光都東京LIGHTOPIA 2006”が始まりますよぅ!
昨年に終了したあの光の回廊“ミネナリオ”に代わるイベントですからねぇ。
さすが来年の“新丸ビル竣工”とあってえらい気合が入っているみたいですよぅ!
テーマカラーでビルを染め上げたり和田倉噴水公園を幻想的なキャンドルの世界に!。
なんたって世界最新技術の直径6メートルの大型プロジェクターでの光のアート等等は楽しみなのです。
それにしても今日は新宿南口の人の量ってもう恐ろしいぐらいですねぇ。
TAGOSは新宿の南口改札を出たとたん人の波に溺れ息絶えだいになった為、なんとか背泳ぎで改札に戻り丸の内方向に行き先を方向転換してここにやって来たのですからぁ!


NO482 はやい!はやい!つくばエクスプレス“柏の葉ららぽーと編”
2006/12/04
はやい!はやい!つくばエクスプレス!
秋葉原から快速で30分!TAGOSは柏の葉キャンパス駅西口にそびえたつ11月22日にオープンした“ららぽーと柏の葉”にやって来たのですぅ!
はや〜い!はや〜い!とは実際つくばエクスプレスが開通してから過ぎ去った月日のことなのでございます。
昨年8月24日開通当初は秋葉原駅はTXに乗るまでどこまで続くの!ヒト:ヒト・ヒトの長蛇の列。
あれからへぇ〜もう1年4ヶ月も経ってしまったんですかぁ!
いやいや新線が開通すると主要駅周辺では街が大きく変化し地域間の競争も激しくなって街の魅力づくりに力を注ぎ込む一番エネルギーを感じとれる期間だからとってもワクワクしてしまいますぅ。
そうそう東西線や半蔵門線沿線などが開通した時もそうでしたぁ!
何にもなかったですねぇ。
どんどん住宅が立ち上がって商業施設が出来上がっていく過程のあのエネルギーの放出中に身をおくとなんだかとっても元気になります。
さぁてさて今回降り立った“柏の葉キャンパス駅”から3分ほどの隣駅“流山おおたかの森”南口には“いやぁ〜これまたでっかいSCが来年オープンにむけて建設中!”やっぱりもうはじまっているんですねぇ!激戦がぁ〜。
んまぁ〜このSCを仕切っているのははあの二子玉川高島屋で力をつけた方々ですよ!今や“ウラカシ”でも有名になった柏。その柏にある“柏高島屋ステーションモール”も手がけている高島屋子会社(東神開発)ですね。
もちろん今までTXが走るまでは柏駅が独占的な商圏だったけどもう安穏としていられな〜い!ということで三井不動産手がける“柏の葉ららぽーと”隣駅に新しいSCを出すとともに本丸の柏駅にも2008年には“柏高島屋ステーションモール新館”を完成させるんですねぇ。
でも〜こうした光景はいつも繰り返し!さてさてこれじゃ〜せっかくつくばエクスプレスに乗ってわざわざ郊外のSCを時間をかけてまわってもさっぱり新しい発見が有りませんねぇ〜。進歩もないではないですかぁ!
だってそうでしょ!あの2ヶ月前10月5日にオープンした“アーバンドックららぽーと豊洲”とどこが違うのよ!大きさだってこっちのほうがスケール小さいしぃ〜。どうよ!どこがどう違うのよ!!
シネマコンプレックスやフィットネス大型書店にレストランにファッションに・・・・。
ん?あれ?あれあれ!はぁ〜この“柏の葉キャンパスららぽーと”う〜んちょいと違うかも・・・・。
そう表面だけ見ててもわかりませ〜んでしたぁ。
そういえば千葉大学運営の“柏の葉鍼灸院”があったり、環境・健康対応で風力発電や屋上農園を導入しているしぃ〜。
はぁ〜どうやらこの“柏の葉キャンパス駅”は首都圏では珍しい本格的な学園都市を大学主導で具体化する実験の街らしい。いやいやこのTX沿線すべてが実験の場なんですねぇ。
周辺には東京大学柏キャンパスや千葉大、東葛テクニプラザなど最先端の研究機関があるところですよ。
東大・千葉大・東京理科大の学生主体の演習事業と東大・千葉大・柏市の三社千葉県を加えた産学官共同研究による国際的学園都市をつくりあげるとともに街のデザイン環境に深くかかわっていく!
なぁるほどこうした新しい街づくりの試みがここつくばエクスプレス沿線にてスタートを切ったんですねぇ。
さぁて、来年2008年街開きから2年目を迎えどうなって行くのでしょうかぁ!ちょっと楽しみです。
来年はつくば学園まで足を伸ばそうとしましょうかねぇ〜。


NO481 北青山D’s Barの夜。あらためてエールを!!
2006/12/01
“もしも〜し、エッと今晩8時からのLIVE2名なんですけど入れますかぁ?”
“お客様、残念ながら予約でもう満席でございます”
当店は立見席はございませんので残念ながらお客様の御要望にはお答えできないかも〜”
いやいやTAGOSはあせってしまいましたぁ!
かも〜といわれてもなんとか今日はぎりぎり時間もつくれたし立見でいいから入れてくださいなぁ!!”
そうそうこんなやりとりをお店と繰り返しスーサンと向った先は北青山の“D'S Bar”でございます。
ユニーク地球人の癒しの音楽館で応援する音楽ユニット7人グループ元冒険団のメンバーの1人“MASAYAさん”のソロ初LIVEコンサートがおこなわれたのですぅ。
そうそうこの場所は6月29日元冒険団リーダーの“koh−ichirohさん”の粋な演出で初ソロライブとともに元冒険団のメンバーが結集しファンの為にそれぞれがソロの道を歩み出す決意を目撃した場所でもあります。
もう6ヶ月経ったのですねぇ。いやいや半年ですよぅ!
TAGOSがなにより嬉しかったのはこの“D's Bar”に入ったらそこにすっかり身体をキリッとしぼりんだあの明るい笑顔の“MASAYA”さんが迎えてくれたこと。
そして店内の雰囲気がいっぱいいっぱいの素敵なファンに取り囲まれてなんともホンワカしていたこと。
なによりKoh−ichirohさん、ASSYさん、麻由さん、裕紀さん、ひろこさん、元グループメンバーがなんとか時間をつくってはソロとなったメンバーのLIVEのどこかに来ては見守っている姿!!
そうそう大友さんもどうやら活動し始めたようですねぇ!
今回はMASAYAさんがKoh−ichirohさんのファーストシングルのオリジナル曲“So Long Way”を歌ったし、麻由さんが作詞しMASAYAさんが曲をつけた“馬鹿みたい”も歌ったんです。
そしてASSYさんは一緒にステージに立ったんですからぁ〜。なんともどれも最高でしたねぇ!
そして“MASAYA”という名からエイベックスに所属して役者とシンガーの道を“セイヤ”という名前で活動するとステージから宣言したのですぅ!
いやいや皆さん元冒険団という名前をもうすでに脱皮してそれぞれが自らの言葉を歌詞にして歌い始めた様子を目の当たりにしていると本当に嬉しいですねぇ。
道のりはこれからも大変でしょうけれどステージの上でソロとして輝き始めた姿に勇気と元気をもらいながらもファンとして新たにエールを送りたいと思う気持ちになった北青山の夜なのでしたぁ。

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●ユニーク地球人コラムが賑やかに2作品NEW UPです。
☆ブッチーズ・ロッキン・パラノイアライフVoL14
☆スーサンのよもやま話NO25 無名仙人シリーズ