2006  9月

NO459 ポパイな世代。
2006/09/27
ぴーまん!おたんこナス!どてかぼちゃ!!
ほうれんそうでしょ!ほうれんそう!ほうれんそうがないでしょ!!
会社でやたら野菜語を話しほうれんそうがないととくに不機嫌な世代が来年より大量退職が始まりますねぇ〜。
そうそうたびたび果物語で“そんなバナナ!”などと若い社員達に白い衝撃波を飛ばしていた世代です。
いやいやそんな世代の方々から言われたことありませんかぁ?“ほうれんそう”
ご存知“ほうれんそう”とは社会人になったら自分勝手な行動をとらない様に心がけましょうと報告・連絡・相談(ホウレンソウ)と言ったのですね。
業務を円滑に遂行するために必要な一連の動作として言われ続けていた定番の野菜でしたね。
TAGOSは“ほうれんそう”がなにより力をあたえてくれると信じていたのはこの世代の叔父様達ではなくガニ股、毛むくじゃらの太い腕、イカリの刺青、口にはパイプおまけにダミ声と大変な条件がそろったおじさんからでした。
そう!やっぱり“ポパイ・ザ・セーラマン。ポッポ〜”のポパイですねぇ。
1919年からニューヨークジャーナル新聞に連載され1929年に生み出されたアメリカンコミックのヒーローなのであります。
日本では1959年5月からスタート。最高視聴率33.7%を記録し5年以上続いたふけ顔おじさんヒーローですねぇ〜。
なんだかこのキャラクター!1976年発刊の若者文化の雑誌“POPEYE”以来スマートなアメリ文化のイメージがあるみたいですけど・・・・・。
でも〜なんかこのポパイって団塊世代のキャラクターイメージにダブルんですよねぇ!
いつも宿敵のブルートがいてオリーブをめぐって戦うんですよぅ!困ったことに直面するととことん自力で対応し駄目だと思うと“ほうれんそう”!
それはまるで競争にあけくれた企業戦士がお疲れにドリンク剤をイッキの飲みし24時間戦えますかぁ〜などとふるいたっていた光景と。


NO458 ♪エ〜エンさぁては〜♪。あぁ〜80年代のポテト達。
2006/09/24
♪ああ〜えんやこらせ〜どっこいせぇ〜♪
と大きなソファーにゴロっと寝転っころがったまま、テレビやレンタルビデオを見ながらポテトを頬張る人を“河内ポテト”?といいました。
1987年頃からはやりだした人気の新種ポテトではありましたがすでに販売中止となっておりますぅ。
しかし1998年頃には“マウスポテト”なるこじんまりした次の新種ポテトが出てきてどうやらソファーからPCの前に座って無目的に何時間もいすわるポテトとして今も生き残っているようです。
さぁてさて、80年代後半のお話をする時、思えばこのカワチのポテト!いやぁ〜“カウチポテト”の出現は言葉では死語であっても現在までつながるライフスタイルが定着した時代でもありましたぁ。
そうそう1986年ごろはTAGOSの街歩きは下町に行く回数が多かったんですぅ。
江戸時代ブームがあって深川に“深川江戸資料館”墨田区両国には“江戸東京博物館”が建築を予定してた頃ですねぇ。
若い女性の温泉ブームや癒し効果のニューエイジミュージックも大流行。
なにより今後登場するハイビジョンに先駆けて鮮明な画面や音質の大型モニターやオーディオがそんな癒しを演出する道具としてマンションや家庭の中での主役に躍り出たのですから太っちょポテト達がふえちゃったわけです。
80年代はビデオデッキなどは40軒に1軒が所有していたに過ぎなかったのが88年頃には60パーセントに上昇、つまりビデオソフトがレンタルなどで充実していった頃でございます。
さてさて、その時代背景には急激な再開発によってめまぐるしい速度で東京は変貌をとげている時でした。
1983年からはご存知いたるところで“カフェバーブーム”でしたね。
それがカジュアルレストランとしてどんどん大きくなって例えば誰でもご存知表参道に出店していた東京ブラウスの“キーウェストクラブ”などは椅子、テーブル、壁まで、すべて真っ白。
テラス席40、1階110席、2階30席でオープンしわずか1ヶ月あまりで投下資本1億5000万円ながら平均月商4000万円を超えていた繁盛店なのでした。
しか〜しもうその頃はすべての流行が明るいカンカン照りの太陽に長い間照らされ続けてるようなもので“いいかげんもう日陰で休んでいたいよぅ!〜”という“癒しブーム”が台頭していましたねぇ。
1988年最終の頃にはもう“MZA有明”や“ギガバー”“アマゾンクラブ”などエスニック的、神話的、土俗的、宗教的な異空間が拡がっておりました。
こんな時期に入っていた頃に定着したライフスタイルこそがぁ〜
♪エ〜エンさぁては〜あぁ〜一座ぁあの皆さまぇへ〜♪の“カワチのポテト”だったんですねぇ。
いやいや今回青山紀ノ国屋跡に2008年11月に誕生する複合ビル“AOアオ”の“アートによる地鎮祭”が9月15日に行われましたぁ。
約1000トンの大理石を砕いた白い砂利を1000坪の土地に敷き詰めた“白”のパフォーマンスは“青山を白からスタートさせる”というコンセプトだそうです。
そうそうあの80年代のキーウェストクラブも“若者の感性でこの表参道の店のカラーを自由につける”というコンセプトでしたよぅ。


NO457 半蔵門のBARの夜は更けて。“ラスプーチン”“ともしびのモヘイジ”
2006/09/21
ラスプーチンはあばれていませんかぁ?
いやぁ〜あばれてなんかいませんよ!正直第一印象は正露丸みたいな薬くさい奴ですよ!でも〜こいつに慣れるともうぞっこんですわぁ!
な〜に言ってんだろね?この人達!どこを見たって怪僧ラスプーチンなぞあばれとらんわ!
ハイハイここは深夜もとっくに過ぎた千代田区一番町近く。
品あるお洒落なカウンタバーにて好き勝手なことをほざく自称渋いおじ様達?4人衆の酒談義のもりあがりで火をゴーゴー吹いていたのでありましたぁ!
そうそうラスプーチンではなく“ラガブーリンLAGAVULIN”というウィスキー名です。
ゲール語で“水車小屋のある産地”という意味なのだそうです。
TAGOSはあんまり本格的にウィスキーなぞ嗜まないので頭の上を乱れ飛ぶ酒飲み三人衆の言葉がまったく解読不可能・・・・。
TAGOSさん!ウィスキーのロマネコンティーといわれているんですよ。飲んでごらんなさい!
ということで次々勧められるまま飲んだウィスキーが“ラフロイグLAPHROAIG”
ゲール語で“広い港の美しい窪み”という意味。
ビーティーで海藻のかおり、アイレイの特徴を現したウィスキーなのだそうだ。
そして“アートベックArdbeg Vigeadail”数あるアイラモルトの中でも、そのスモーキーさが格別なんなのだそうです。
ふむ〜これではブタに真珠!猫に小判!馬の耳に念仏だぁ〜。
TAGOSはバッグからノートを取り出し三人衆から親身に教えていただく実践レクチャーにメモをとることといたしました・・・。
そうそうTAGOSさん日本酒ならコレお勧めですよぉ!
“ともしびのモヘイジ”それもコマネチですよ!コマネチ!色々あるけどコマネチ!がいい!
あ〜ん?とにかくノートに耳から入った音声をそのまま書いて後から調べるということで・・・・。
いやいやこうしてすっかりお酒に酔いながら楽しく番町の夜は一ま〜い二ま〜いとふけていったのです!
そして今夜PCに向かいながらう〜ん“ともしびのモヘイジ?”“コマネチ?”萬乗醸造?
おっ!あった!あった!これかぁ?“醸し人九平次(かもしびとくへいじ)純米吟醸 雄町”
お酒に酔っていたのか内容がまったく違っとるぅ〜。
しか〜しそれにしてもこいつも変なネーミングですねぇ。
“長谷川酒店”の表参道ヒルズ店や麻布十番店で買えると聞いていたことが頭に残っていたからTAGOSは調べが容易についたけど酒飲みには当然知られているお酒なんでしょうねぇ。
あの“男前豆腐風に吹かれてジョニー”みたいなネーミングですね。
いやぁ〜それにしてもこうして楽しく笑いながら深夜まで熱中しておしゃべりするのもいいもんです。


NO456 80年代に花開いたロフト文化は今?TOKYOのウォーターフロント再開発。
2006/09/19
三大都市圏16年ぶり上昇!
東京・大阪・名古屋の商業地に加えて住宅地の基準地価が三連休後のはじまりに発表されましたねぇ〜。
すでに団塊ジュニア世代が“もう都心にはマイホームを買えないじゃないの!!”と嘆き始めております。
都心ウォータフロント沿いの超高層マンションはすでに抽選倍率も高く購入価格も高値の花となってしまったようですねぇ。
商業地においてもミニバブルといわれている銀座や南青山の一部は“いやいやまだまだ国際的にもロンドンやニューヨークの一等地と比べてまだ割安ですよぅ!!”などと不動産業界はそんなことをのたもうておりますぅ。
あおりあおられ今日のこのニュースを聞いてなんとなく元気になった人とぐ〜んと不安に陥った方のどちらもいらっしゃるのではないでしょうかぁ!
ということでTAGOSは今回あの80年代当時の出来事を思い出しながらおしゃべりしようと思いましたぁ。
たしか今から23年前の1983年のこと、当時中央区新川永代橋の三菱倉庫内にロフト文化が花咲いていましたぁ。
昭和初期建築のがっしりした建物内の中は天井も高く大きな窓が大空間を演出しておりました。
倉庫八棟のうち六棟はすでに民間企業のコンピューターを収容する電算ビルでしたがこよなく“倉庫”を愛した若者達は“上田ウェアハウス”音楽と舞踏・絵画・彫刻を組み合わせたイベントなど定期的に集っておりましたが再開発の波が押し寄せ地上25階建てのビルになってしまったことを覚えています。
当時ロフト文化は港区竹芝ふ頭や江東区佐賀、新大橋の倉庫やビルに根づきはじめていたけれど、いつ再開発によって“上田ウェアハウス”の二の舞になるかが話題でした。
新大橋の倉庫やビルにはファッションメーカー・写真スタジオ・音楽・演劇集団・民法放送局が群がり、ベイエリアといわれた一帯の竹芝桟橋付近の鈴江1号倉庫には86年オープン日曜のみ“文化放送スタジオ”83・9月“JUNバリケート”84年9月“スタジオV”等。
3号倉庫には82年オープン“雅陶堂ギャラリー”
芝浦運河近くには86年オープン“トーキョー・ベイ・ゴーゴー”“ハーバーライト”“INKSTICK芝浦ファクトリー”“アムステーブル&チェアー”“TANGO”等など存在しておりましたが結局は再開発とともに今や高層マンションが建ち並んでいるんですねぇ。
んまぁ、今もビルのコンバージョンなどによりロフト感覚を楽しむ住宅や店舗などもちょこちょこ出現しておりますが“日本で“ロフト文化”は育ちにくいようですねぇ。
さてさて次回も連続して80年代当時の背景を思い出す限りお話ししようと思います。


NO455 フェルマータな日本。踊りだした80年代。
2006/09/17
まだまだ増え続けているとは!!
80年代の若者の消費を彩った記号やブランドが今やバブリーだぁ〜。
最たる現象は最近華やかに復活をとげているディスコが日本全国で大盛り上がりなんですねぇ!。
かっての第3次ディスコブームはバブル経済の時期と時を同じくしており、いつしかバブル社会現象のあだ花として88年の“トゥーリア”のバリライトの落下事故を最後にバブルとともに消えてなくなったのでしたぁ〜。
そうそう1979年に六本木に登場し16ヶ月で閉店したのがサーファーディスコ“XANADU(キサナドゥー)”そしてかっては全国に59もの系列店舗を展開し1984年に7店目の店舗としてオープンした麻布十番の“マハラジャ東京”も16カ月で閉店したものの1980年代の伝説のディスコなどと語られるまでに人気が高かったんですねぇ。
んまぁ〜今、この両者は“XANADU EX”として今年4月20日青山に復活、“マハラジャキング&クイーン”は昨年の5月に12年ぶりに六本木にて復活していますぅ。
いやいやTAGOSは2002年暮れにオープンした表参道から程近い総面積360坪の吹き抜け2フロア大箱系ディスコ“THE ORBIENT”のプレオ−プン時、何かのご縁でかってマハラジャの経営にたずさわっておられた方よりご招待を受けたのです。
その時、お店のすみからすみまで案内していただき今後展開する大箱ディスコの計画をいろいろと説明していただいた経緯があったのですぅ。
そうそう当時大阪や麻布などで店長や接待係りをされていた方々が今やどんどん新しい人気飲食店を多数出店されていることもその時知ったことでしたぁ。
こうして今、彼らの4年前にいっていた計画と仕掛けが今多くの30代〜40代のお客様を見事に80年代の世界で躍らせているんですよぅ!恐るべし!
2006年の今はもうさらに華やかに六本木などの夜は大変な賑わいで、あの東京ミッドタウン近くのビルの壁が緑にかこまれた総事業費35億をかけた7月6日オープンの複合飲食ビル“GRACE”などの雰囲気はまさに80年代を超えてしまっとるぅ〜。
麻布十番マハラジャ跡地には高級会員制社交クラブ“THE HOTEL JUBAN”も8月12日オープンしています・・・・・・。
日経MJに“新富裕層が来たポピュリッチ”なんていう記事があったけど旧来のお金持ちとは異なる消費スタイルをもった新富裕層が台頭しているんですとぅ!
たしかぁ〜80年代は“ヤッピー”とか“ニューリッチ”なんていっていましたよねぇ。
そうそう“勝ち組、負け組み”は1984年の“金魂巻”からの流行語大賞“まる金 まる貧”でしたよねぇ。
なにしろ今80年代が世間にいっぱいっぱいフエルマ〜タなのです。


NO454 セミコロンの夜。1960年代へのタイムスリップ。
2006/09/15
;;;;;・・・セミコロン?・せみころん・・・。
今日久しぶりに気持ちよく晴れましたねぇ〜。
太陽が出始めてからも蝉の声はかすかには聞こえたもののすぐに秋風にかき消されてしまいすっかり昼でも鈴虫の鳴く声が一段と大きくなってまいりましたぁ。
赤トンボが飛び、萩が咲き始める季節となりましたよぅ!蝉があちこちで;です。
さてさて、TAGOSはこのところずっと1960年代にタイムスリップした状態が続いていたのですぅ!。
もういい加減、今の時代に戻ってこなければと思い最近はなんとか90年代近くまでは戻ってきた次第です。
♪ドライブウェイに春がくりゃ イェイェイェイェイイェイ イェイェイェイェィ プールサイドに夏が来りゃ イェイェイェイェイイェイイェ レナウンレナウンレナウンレナウン娘が〜♪
(1965年 シルヴィーバルタン)や♪ルックチョコレート ルックチョコレート 不二家〜ルックチョコレート♪(1969年ウォーカーブラザーズ)の懐かしいコマーシャルや音楽番組、
“ウィスキー・ア・ゴーゴー”“ゴーゴーフラバルー”などのポップスター達の当時の姿を映し出した映像を毎日楽しんでいるわけなんですハイ!
当時の日本でまったく見ることすら不可能だったフレンチポップスからカンツォーネ、あこがれた60年代スター女優“アン・マーグレット”“ブリジット・バルドー”“マリー・ラフォレ”“アンナ・カリーナ”“カトリーヌ・スパーク”などなどが歌い踊る姿をズラリズラリと見続けてかなりこの時代に漂う時間は長かったようなぁ〜。
いやいやこの番組何度見ても笑ってしまうなぁ!
つい最近はまっているのはNHK衛星第2テレビとNHK教育放送でかって放映され日本のテレビ放送の歴史において最高視聴率を獲得した子供番組の人形劇“ハッチポッチステーション”
いやいやNHKの海外向け放送を通じ、世界50カ国で放映されたモンスター番組ですよぅ!
PCにじ〜っと一人向かいながら子供人形劇番組を見て笑っているお父様の姿を家族に見られるのもちょと恥ずかしいのですがぁ〜とにかくTAGOSの笑いのつぼにすっぽりはまってしまったようです!。
それはグッチ裕三さんと人形のりトルグッチーズが登場する海外大物アーティスト達のパロディーシリーズ“WHATS ENTERTEINMENT?”がもう最高!!
例えばアバのダンシングクィーンのパロディ!
BABA(おはなしゆびさん;ダンシングクィーン編)
この指パパ 太っちょパパ ヤァ〜ヤァ〜ヤァ ワハハハハハハ お話する
♪パパは仕事 いつもいない 一人でしごと〜
とぉ〜いところ〜パパは 単身赴任(ダンシングクィ〜ン)掃除洗濯も自分で〜単身赴任(ダンシングクイ〜)ごはんも一人でさびしくてぇ〜 ゆうがです ゆかいだよ〜一人できらく〜 ウゥー今日もがんばる パパは単身赴任(ダンシングクィ〜ン)♪
んまぁ〜こんなような童謡と掛け合わせたシリーズがいっぱいあったんですねぇ。
マイケルハクション(やぎさん郵便;今夜はビートイット)アースウインド・アンドーナッツ(母さんのうた;宇宙のファンタジー)ロッド・スチュアーデス(ごんべさんの赤ちゃん アイム・セクシー)エルジョン・トン(おおブレネリ;クロコダイルロック)ビレッジピーマン(大きな栗の木の下で YMCA)
バリー・マンジロウ(あのこはたあれ ラブ・ミー・トゥナイト)などなど・・・・・。
こうしてTAGOSは50年代・60年代・70年代・80年代・90年代と自由にタイムスリップできるようになってくるともうそろそろ過去の時代を漂いノスタルジーにドップリひたり続けた時間が新しい未来をみつめようとするエネルギーにいつの間に変化し始めたようです。
そうそう体内にたくわえられた過去の自分との遭遇で費やしたエネルギーが、今は再び体の中に満ち溢れんばかりになってまいりましたぁ〜。
さぁてさて、今度は2010年ぐらいからの“ちょい先未来”にむかって意識を集中&方向転換いたすとしましょうかねぇ。


NO453 究極のクライマックス!世界から狙われるX-MEN。
2006/09/13
果たして、救われるのか!?
それとも破滅へ向かうのか?そして最後に心を決められるかぁ!
前作の“X-MEN2”の痛切なエンディングは、激震のストーリーの始まりだった・・・。
今回も最後の究極の選択に迫られ心を決められるのかぁ〜。
9月9日全国ロードショーになった“X一MENファイナルディシジョン”を見てまいりましたぁ!
いやいやこうして“X一MEN”のタイトルを何回もじ〜っと見ていると思わず不思議なもので“バツイチ”という言葉が頭に浮かんでくるんですよねぇ。
そうそう!あんたはヒーロ〜“バツイチメン”!
そういえば懐かしきアメリカンコミックから今だに人気のあるスーパーマン・バットマン・スパイダーマン・ワンダーウーマンなどのヒーロー、ヒロインはどうやら当時から恋はすれど皆さん独り身を守り通していらっしゃるご様子なのです。
でも〜今の時代はそんなことはもう当たり前だし、もうX一だろうがXニだろうがまったく関係ない世の中でございま〜す。
かって女性週刊誌などで“女性のバツイチはキャリアアップの一つとしてパートナーを変更した結果である”としてもっと積極的で明るいイメージの“ピカイチ”に呼び変えようじゃないの!とする運動が展開されたけれどさっぱり定着しなかったそうですねぇ。
そういう時代ってあったんですねぇ。なんだか笑っちゃうお話ですよねぇ〜。
そういえばぁ〜アメリカ合衆国でおおむね1960年〜1974年の間沢山のX-MEN達が生まれたのです。
彼らはミュータントではありませんでしたが“ジェネレーションX”と呼ばれ注目をあびることになりましたねぇ〜。
日本でも“X世代”と呼ばれる1971年〜74年生まれの第二次ベビーブーマ世代のX-MEN達が生まれ一般に“団塊ジュニア”と呼ばれるようになりました。
そう世界からもっとも今狙われているターゲットがこの日本のX-MEN達なんでしょうかぁ。
日本の不況下を強く生きたX‐MEN達は有望な消費者層として大注目されているわけです。
子供の頃より入学試験競争の洗礼を受け、大学卒業間近には就職氷河期で凍る思いをし、不況による厳しい就職を強いられたもののアニメ・漫画・コンピューターゲームやあの渋谷系といわれた1980年から1990年代の文化を担ってきたのですから。
いやいや今、さらに“X-MEN”にとって代わろうとしているのが“Y-MEN”達の存在。
ご存知“ジェネレーションY”と呼ばれているi-POD世代なんですねぇ。
さぁてさて、もう、こうなると知らないうちに“Z−MEN”まで出てくる日も、もうすぐそこに来ているのかわかりませんねぇ。


NO452 ウララ ウララウラウラで 花咲く街“浅草観音裏通り”
2006/09/10
♪ウララ ウララウラウラで ウララ ウララ ウラウラよ ウララウララ ウラウラの 
この世は私のためにある へイ!♪
ヘイ!お待ちぃ!さぁて今日はちょいと粋なウラウラ話のヒトリゴト・・・。
浅草の浅草寺の北に広がる一帯を通称“観音裏”と呼ばれております。浅草の花街で伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界のひとつですねぇ。
大正末期には料理店49軒、待合茶屋250軒、芸妓1.060名を擁した浅草花街の大所帯は関東大震災により壊滅状態になった歴史があるのですよぅ。
復活後全盛期の昭和30年前後には芸者さんは600人あまりに増えその後バブル期までは大変な賑わい。
しか〜しバブル崩壊後は芸者さんも50人までに減り続け文字通りウララ ウララ ウラウラのウラさびし〜い“観音ウラ”は輝きを失ったのでしたぁ・・・・。
さぁてさて現在はその観音裏から“ウワッハッハ ウワッハッハ ウワッハッハ”と豪快な笑い声で観音裏まわりが明るくなってきていますよぅ!
そうです!ご存知あのアニマル浜口さん親子のスポーツジムがあるところから!。
観音裏の旧象潟町の柳通りは今とても素敵ですねぇ!
TAGOSは30年前よりお仕事でこの観音裏近くを漂流しておりましたがなんだかこざっぱりと綺麗になっていますねぇ。
柳通りで一番の粋筋は創業77年の料亭“婦志多”門構えがいいですねぇ!
そしてもうひとつ目立つ数寄屋造りの“懐石 瓢庵(HISAGOAN)”“とうふ川風”。
ここは浅草菊水通り裏近くにある立派な料亭“濱清”グループの新店ですねぇ!西浅草にある大料亭は今取り壊し工事が始まる直前ですので取り壊される前に是非一度見られたと思います。
柳通りで中心となるちょうちんがずらりと並べられた目立つ和館の建物は“見番”と呼ばれるその地域の芸者さんを管理する事務所の存在の“三業会館(S30,11.8)ですねぇ。
ちなみに“三業”とは料理屋(旅館)・芸妓・待合の三業種のことでございます。待合とはお座敷のことですね。
さぁてさて、この“観音裏”浅草3丁目付近はとにかく粋なお店や風情があってこの周りをそぞろ歩けば何度も足を運びたくなってしまうエリアなのです。
有名どころは創業60年“グリルグランド”“割烹家 一直”“金太楼鮨”明治36年創業の和菓子屋“徳太樓”料亭“都鳥”“治乃家”“福八”“梅乃家”“花谷”など千束取通り奥までそこらじゅうに粋なお店や建築物があるのでもうこれ以上は口で言ったら野暮になっちゃいますねぇ。
ところでTAGOSは“料亭”“割烹料亭”“置屋”の区別がつかなかったので調べて見ることに〜。
“料亭”は貸席/料理は割烹料亭か他の料理店に注文する。“割烹料亭”は料理人がいる(料理屋)“置屋”は芸者衆が所属している営業所でオーナー本人である場合の方が多いんだそうです。
いやぁ〜こうして“観音裏”に足を運んでもなかなか今だ料亭遊びにぁご縁がございません!
そんなことを思いながら“あんです”のあんぱんなどを食べながら歩いていたらこれまた創業130年の老舗料亭“浅草田甫 草津亭”が目の前にぃ。
んまぁ〜ご立派 御立派ですことぅ!!

●ユニーク地球人に新しいコーナーがNEW UPです。
“癒しシリーズ第3弾“癒しのユニークミニ牧場”です。すごいですよ!世界一小さな馬“ファラベラ”が日本に初上陸。こんなの見たことない!
どうぞどうぞご覧下さいませ。


NO451 新・新お水の花道。お水の世界はバトルロワイヤルだぁ!。
2006/09/08
♪大阪で生まれた お水やさかい 東京へは ようついていかん♪
東京のお水に負けへんでぇ!そうやぁ!お水の世界はバトルやぁ!この世界で売れっ子になるにはバトルやでぇ!
ということで大阪のお水は“ぴゅぁウォーター”というボトルの♪名前〜でぇ出てぇ〜い〜ま〜すぅ♪
そうなんです、今ペットボトル入りのミネラルウォーターが全盛の時代“まずい水”の代名詞だった水道水がブランドを拝したボトルとなって売り出されていますよぅ!
東京水道局は“東京水”武蔵野市水道局“水・好き”横浜水道局“はまっこどうし”岡山市水道局“ごっくん桃太郎岡山の水”青森市水道局“ブナの雫”札幌水道局“さっぽろの水”等・・・・・。
東京の水道水って70年代までは本当にまずかったですよねぇ〜。
まぁ〜都水道局が“安全でおいしい水プロジェクト”のキャンペーンをはじめたのが2004年、都は水道水の復権を目指しPRに力を注いできたわけですねぇ。
今は都道府県オゾンや活性炭を使ってカビ臭などを除去する“高速浄水処理”というのが普及したんだそうです。
しか〜し今日本もいつの間にか“ボトル神話”みたいなものがあってもう水道水の水をそのまま飲むことをためらうようになっていますよねぇ。
一般にボトル水はおいしい、健康にいい、水の品質が信頼できるなどというイメージがすっかり定着しておりますよぅ!
浄水器があってもさらにその上の浄水器や上質の水を求めるようにもなっております。
そうそう!よく浄水器の詐欺が横行しましたよねぇ
さぁてさて、もうどこのレストランに行っても、“水のおいしさと安全性が確認できないような店はとうてい評価されなくなっております。
日本や米国でボトルウォーターを買って飲むという習慣は過去10年ぐらいのことですけれどもうはっきりいって世界中この“ボトル神話”が創り出されたことによって大変なことになっているんですよねぇ。
ご存知のように世界中の上質の水の源泉がどんどん買占めらいるんですねぇ。
石油に匹敵する資源バトルはとっくに始まっておりますが“水の惑星”の中で生命の水をボトルにしたバトルがいたるところで起こっているという事実に目をそむけることはできませんねぇ。
世界全体では12億人に安全な飲み水へのアクセスがなくトイレや下水など衛生施設がない人口は24億人、毎年子供を中心に500万人が水不足や汚水によって命を落としているのですから。


NO450 ちょっとちょっとちょっとある日突然・・・・。人生は昭和のヒットパレード。
2006/09/06
ちょっと〜ちょっと!ちょっと!・・・・・。
そうなんですぅ!!そのちょっとちょとちょっとがちょっと大切なんですよぅ。
ちょっとした気づかい!ちょっとした優しさ!ちょっとした感謝!
そちらのお父さん!お母さん!昔を覚えていますかぁ!
恋愛途上の男女がこうした“ちょっと”を積み重ていくうちにやがて互いに惹かれあい“トワエモア”状態になっていったのでしぁ〜。
♪ある日突然 二人黙るの あんなにおしゃべりしていたけれど いつかそんな時がくると 私にはわかっていたの♪
(1969年 ある日突然)
そしてそしてについに幸せなご結婚をし、やがて長年の月日の経過とともに子供達も独立しさぁて夫婦お互い最後まで共白髪と思いきや・・。
あれぇ?♪ある日突然 二人黙るの・・・・・♪
ちょっと〜ちょっと!ちょっと!そうそう今度は“ちょっと”の長年の行き違いがジュリー状態にぃ〜。
♪何気なさそうに 別れましょうと あなたは言うけど 心の底に 涙色した二人の思い出 あ〜あ〜 無理して 消そうとしている♪
(1973年 危険なふたり)
いやいや仕事や子育てを離れて夫婦がお互いに向き合った時、夫婦はあらためて何を望むのかが危険なふたりの重要なポイントのようですぇ〜。
例えば定年後の余暇の過ごし方の選択をめぐってのちょっとした志向のずれなんぞのトラブルは本当に多いようですよぅ。
で〜も一般には妻から夫への不満は夫の自宅での過ごし方が多いそうです。
“休日にはテレビばっかり見ている”“遅くまで寝ている”要は“自分のことは自分でやってぇ〜”という妻からのリクエスでございますぅ!
んまぁ〜今お父さん達が危機にさらされています。
2007年以降“熟年離婚”が急増するとの見方があるようです。年金分割の新制度で離婚後、報酬比例部分の最大二分の一を妻が受け取れるようになるからと日本経済新聞に書かれておりました。
いざ!立ちあがれ!お父さ〜ん達よ!
いやいや今熟年お父さん達がいきなり頭にバンダナをまいた“パイレーツオブカリビアンおじさん”に変身して料理教室に増殖していますよぅ〜。
こうして妻の視線の目くらましの術まで修行したお父さん達は元気モリモリ地域貢献にも積極的に挑んでいらっしゃる方々が多いようですねぇ。
“お父さん!目くらましの術ですってぇ!”
♪ちょっと待って 今の言葉 プレイバック プレイバック♪

NO449 けっして女性一人では。ディープな銀座“コリドー街裏”
2006/09/04
♪とおりゃんせ とおリゃぁんせ こここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ ちょっと通してくだしぁんせ 御用のないものとおしゃせぬ・・・怖いながらも とおりゃんせ とおリゃぁんせ〜♪
この歌を一人口ずさみながらこんなさびしいところを歩いていると体が思わずブルブルっと凍りゃんせ〜凍りゃんせぇ〜。
いやいや時代を超えたディープな銀座を一瞬に体験しようと思えばここらに限りますぅ!
ただ〜し!より効果的なタイムスリップ体験をするには限られた時間帯と曜日の選択がとても重要かもしれませんねぇ〜。う〜ん、土曜日の午前11時頃とか日曜日の夕方とか人がほとんどいない時が最適かぁ?
さぁてさてNO445で東京高速道路にそってTAGOSは銀座“コリドー街”からその後すっかり寄り道してしまっておしゃべりがプッチリと途切れてしまっておりましたので早速続き続きです。
“コリドー街”と数寄屋橋“銀座ファイブ”を結んでいる細い暗い通路をご存知でしょうか?
“JRセンター入り口”“新橋方面近道”と表示されたコリドー街の裏側にある年中暗〜い通路ですねぇ。
そう帝国ホテルからコリドー街入り口に向かう国会通りに誰でも“ここはいったい何だろう?”と不思議な存在にうつる“INTERNATIONAL ACADE”と併行して走る通路です。
ここは住所でいうと“内幸町”になってしまうのですがとにかくこの通りは時間が止まってしまったタイムトンネルの入り口ですよぅ。
まぁ!なんとレトロなんだぁ〜!!。
んまぁ〜どんどん歩いて行くと左手に居酒屋やきとり“鳥八”さらに黄色い看板が目立つ南京料理“珍満茶樓”が見えてきます。そのすぐ後ろで“カットサロンミカド”の赤青のぐるぐるまわるサイン、韓国料理“まだん”に右手に“銀座チャンコ”
先左手に“PAU HANA DEUX”そしてそして・・・・。
ヒェ〜このおどろおどろしい通路の壁面を飾る破れかけた大きなフラスコ画のような絵はなんなんだぁ!絵画の女性達がこちらをにらんでいますよぅ〜。はっきり言って怖いです!
さぁてTAGOS最初にこの“珍満茶樓”を1人で入る時、けっこう勇気が要りました。
もし女性一人でためらいもなくはじめてこの店に入れた方は尊敬してしまいますぅ。
でも〜入って見ると実に照明器具などレトロでいい店なんですよねぇ。
ご夫婦で経営なさっているんですよぅ。そうそう他の店も名店ですから!
まぁまぁ〜この通路は有楽町と新橋の近道だから利用さている方々もいらっしゃることでしょう!
それでは今度はその通路の横にある階段をトコトコ上って2階へ向かってくださ〜い!
そしてそこからずっ〜と先までつながる無人の細い細〜い廊下を雨降る人気のいない日にTAGOSのように♪とおりゃんせ とおりぁんせ♪などと一人で口ずさみながら歩いて見てくださ〜い!!
どこまでも長〜く細〜い無人の廊下を歩ききる間にきっとどこかに消えてしまってもおかしくない感覚に襲われること請け合いです。
さらに言えばもう1本のディープな通路がありますよ。それは華やかな“コリドー街”の真裏に通る細い通路もねぇ〜。
でもでも決して女性一人では歩かないでくださいよぅ!屈強な男性とご一緒にどうぞ!

●癒しの写真館 NEW UPです!
新しくウィーンとプラハの作品が加わりました。選び抜いた素晴らしい作品をどうぞゆっくりご覧くださいませ。


NO448 グラッと来たら。関東大震災の映像“タイドーム明石”
2006/09/01
“ガタガタいってるんじゃぁないよ!ガタガタ!”
“表に出ろい!表にぃ〜!”
オォ〜怖わ。いやいや昨日の17時10分頃、大きい怖いのが突然我が家にやって来たんですよぅ!
その大きい怖いのがあまりにもガタガタいうものだからTAGOSは思いあまっていきなりダァーっと窓を開けっ広げ、表にトト〜ンと威勢よく出るなり思わず叫んだのです!!
“皆んな!表に出なさ〜い!表にぃ!”“オォ〜震度4だったのかぁ〜”どうやらガタガタいう震源は東京湾のようでした・・・・。
いやぁ〜昨日はちょいと怖い体験でしたねぇ。
さぁてさて、ところで“今日は何の日”か皆さ〜んご存知ですよねぇ?
そうです!いきなりグラグラっと来て大変な思いをした日と〜いえばぁ!それはぁ?
歯槽膿漏になった日!ワァーいきなりグラッと来て口元がハフハフじゃぁ世間様に出られません!などとたとえリンゴをかじって血だらけになったとしてもこんな冗談は今言っていられません。
今日、TAGOSは築地駅から歩いて5分くらいの聖路加病院近くの“タイドーム明石郷土天文館”(H17・11・15オープン)にやって来たのです。
今日はご存知“防災の日”です。大正12年(1923年9月1日)に関東一帯を襲った関東大震災と日本古来の台風が来襲する“二百十日”の厄日にあたる2つの由来がありますよぅ。
両親から話しにだけは聞いていた“関東大震災”
それがなんと築地本願寺の僧侶グループが5巻にわたり撮影していていた貴重なフィルムが存在したのです!
復元された震災の記録〜関東大震災映画フィルム”今日から上映開始です。
本当に信じられません!これ程のものだったのか!
東京の街がもうもうと燃えています!銀座・京橋・日本橋・上野・浅草の街が瓦礫となり突風で3日間に渡って吹き荒れて火が燃え広がる光景が鮮明に写し出され、行き場をなくして不安におののく人々の姿はあの阪神大震災などとダブリます。そして東京震災に京都、神戸から物資を送る市民の方々の一所懸命な姿に涙が出たのです・・・・・・。
上映が終わり築地から銀座に向かいながら、今ここにある街はなんとも多くの失われた先人達の命が染み込んでいるんだ〜と思ったのです。
お〜おそういえばぁ!TAGOSは“数寄屋橋公園”に“関東大震災記念塔”(昭和8年9月1日建立)があったのを思い出しましたぁ。
皆様、わかりますかぁ?そうそういつも日本赤十字が献血400mLご協力してください!とマイクで叫んでいるテント裏にあるので判りにくいかもねぇ〜。
ふむふむ、献血といえばこの夏を通せば庭に出るたびにヤブ蚊に寄ってたかって相当量の血を無断で吸い取られてしまっていることを思い出してしまいましたぁ!覚えとれよ〜。
コホン!失礼。え〜と“関東大震災記念塔”の作者は北村西望作、あの長崎平和記念像と同じ作者ですね。
“平和の神”を象徴して制作されたもので台座正面の標語にはこう書かれております。

“不意の地震に 不断の用意”

●ユニーク地球人 なんと今回は同時に2つのコラムNEW UPです。いやいや読み応えがありますよぅ。

はじめはスーサンのよもやま話NO21です。 次にサントガリア星からのメッセージNO8です。
9月1日秋を飾るユニーク地球人2本のコラムとはなんとも幸せ気分です。