2008  5月

NO650 きっと・・・明日に架ける橋。5月も過ぎようとしています。
2008/05/30
アッ!はずしたぁ!アッ!落ちた!カァ〜また落ちたぁ!。
フゥ〜来るもんは、いずれこうしてやって来るものなんですねぇ・・・・・・・・。
なんか早いデスぅ〜2008年5月も明日一日で、もうサヨナラを告げようとしているのですから。

さぁてさて5月1日、12年目の誕生日を迎えたのは我が家のチビ助犬。
あいもかわらず、日々の散歩にはTAGOSが引きずられるように後を追って行く程、まだまだ元気なのですが散歩を済ませ、2階までの階段を昨年までは走るようによじ登っていったのに今年になって、よ〜く足をズッコンガッタンとふみはずし、ハラハラすることがたびたび。
そんな危うい現象が他にも見られるように・・・・・。
とにかく食いしん坊のチビ助犬は、毎朝夕のドッグフードを、規則正しく大きな態度で要求していたのですが突如、オォ〜イと呼んでも叫んでも、目の前にオラオラと持っていっても反応なし!まったく食べようとしないでパタリと伏せているのございます。
オォ〜〜これは!ついにボケが始まっちゃったかしらん?ちょっとおかし〜い?
日頃元気で食いしん坊だったチビ助が食事に反応しないほど心配なことはございません!
しばらく、こんな様子が続いたものだから、家族はフードをチビ助犬の口の前にもっていっては、手のひらから少しずつあげると何とか反応して食べておりました!
んん?そうかぁ!ようやく気づきました!もう通常の固いドッグフードが食べられなくなってしまった老犬の歯にになってしまっていたことに!
ドッグフードを水でゆるかしてあげると、なんともおいしそうに尾をフリフリ元気にモリモリと食べたのでした。
12年の月日がたてば、しごくあたり前のことなのだけれど、こんなにも変わって行くものなんですねぇ。
う〜ん、身近にいてさえ、このように日々刻々の変化に気づかないことがけっこう他にあるかもしれませ〜ん。

過労自殺81人!過労や職場のストレスが原因でうつ病などの精神疾患にかかり命をたった人や脳梗塞や心臓疾患認定を受けた人が2年連続で過去最高であったと(2007年度労災認定厚労省まとめ)が23日に発表されました。んも〜本当に最悪デスょ!
なにしろ今年2008年は一月よりニッポン国の状態は悲痛の叫び怒りに満ちたニュースの連続連続でございます!
ねじれ国会による政治の迷走、前代未聞の日銀総裁不在!ロンドンエコノミストにJA PAIN(ジャペイン)などと書かれ、米金融システム不安拡大が今年はじめからの記録的な世界同時株安を招き、3月17日、日経11.787円の大暴落!ドル安、円高に突入!
さらには石油高、食品高!中国製冷凍餃子事件、イージス艦あたご衝突!
ニッポンは3月20日の春分の日には、そんな最悪の状態をうつすかのように、春の嵐が吹き荒れすっかり冬の陽気に戻ってしまた時!
んまぁ〜5月に入っても、これでもか!これでもか!の痛ましいニュース!
名ばかり管理職問題、後期高齢者問題!ミャンマー大型サイクロン被害、中国四川省大地震!

いやいや、こうして負の連鎖、ズラリと並べられた現実にヘナヘナ誰もが元気がなくなってしまうのは当然のことですよぅ。
思い出します!5年前!今年5月まで2008年に妙に酷似している年は2003年でございましょうか?
1月中、インフルエンザが猛威を振るい、昨年の10倍、2月はイラクVSアメリカの戦争がいつ始まるのか?世界的な攻撃反対運動が巻き起こり、3月にはバブル後20年ぶりの株価最安値を更新し4月9日には7607円。さらに中国発SARSという新種ウイルスの登場に世界中伝染の恐怖をばらまき、東南アジアは経済急降下、北朝鮮の脅威もくわわり5月までは不安材料のてんこもり。
5月末にはこれ以上悪くなるなら絶望的と思える程、これでもか!とビシパシひっぱたかれたようなニッポンの弱さが、7月、8月に向けて少しずつ明るいニュースが多くなり経済も大転換していった年でありましたぁ〜。

そうです!5月いっぱいはココロと身体が壊れないようTAGOSは負の連鎖には鈍感力で対応!
誰もが皆、負の連鎖が止まらないニッポンがズズ〜ンと暗〜いワ〜ンとすっかり見限り諦め切ろうとする時こそが。
ハァ〜そこから明日がきっときっと!キットカット・・・・・・・。

☆Daydream Believer
http://www.youtube.com/watch?v=dRr-sNlddRo


NO649 今もしっとり残り香漂よう街。楽しくお酒が飲める“四谷・荒木町”B
2008/05/27
さぁ〜て、牛の顔がビルの上からいつもニクニク笑っている場所といえばぁ?

そうそう秋葉原近くの神田須田町に昭和24年創業の“肉の万世(まんせい)”、本店ビル屋上からニッコリ愛想をふりまく幸せそうなウシ。
んモォ〜〜そのニッコリ笑うウシが新しい場所を求めてノッシノッシと・・・・・・・・。
昭和35年に神田以外の3号店としてやって来た場所が、そう!それが荒木町なのでございました。
荒木町はすりばち状の窪地だから街の最深部に入るまでの6本の道のうちの5本が階段、自動車が入れる道はたった一本というのがユニークな都心の隠れ街の由縁。そんな急な石段を下ったほどに右に料亭「しほ瀬」、そして左にはちょうちん並ぶ旅館のような「肉の万世」。
新宿大通りからは見えぬそんな谷のようなエリアを指し示す、唯一の看板があの笑うウシの顔・・・・・・。
いつの間に新宿通りから笑うウシの顔が消えておりました。たしか2004年の前半までは存在しましたから2004年後半にこの地より消えていったのかしらん?
鰻の“うな浜”同様荒木町周辺の顔がすっかり消えていってますねぇ〜。
う〜ん、焼鳥屋の「酉友」もなくなっちゃって。
いやいや、なんといっても外苑東通りの西側に面し、この通りから、靖国通り住吉町交差点に降りる抜け道となっている杉大門通り出入り口前、「新坂」との角地に圧倒的な存在感をもっていたのが木造つくりの蔦のからまる料亭“蔦の家”の建物でした。
大きな西京漬けの看板が目を引く家でテーブル席のうどん屋、西京漬けなどを売っていた部分、そして居酒屋部分になった実に趣きある姿も今はそこになく・・・・・・・。
んまぁ〜TAGOSはすぐ隣にあった、これまたなんとも摩訶不思議な食事処「一期一会四谷夜ばなし」の独特の和洋折衷の部屋やこじんまりしたお座敷バーを設けたお店が素敵でした。
一期一会の気持ちを墨文字を筆ですらすら、江戸しぐさというかなんとも粋な店主のもてなしが大変心地良い稀少な場所でございました。
大雪の降る日、都心のいきなりの大停電・・・・。
そんな時、ろうそくの灯火だけでホンワリ日本酒・・・・・。そして火打ち石でお見送り。
そんなしっとりしていたこの街も、どこの街とも同じく、マンションラッシュにさらされ趣きある店は2000年を過ぎたあたりから加速度をあげてどんどんまわりから消えて行きましたねぇ〜。
しか〜し、こんな大人のしっとりした店のすぐ近くに1970年代の頃より、なぜかもっと摩訶不思議な若者達の集まる御用達のお店がありましたぁ。
今も四谷三丁目で43年間営んでいるオーダーメイドの製靴店の“SAシューズ”
特にオーダーにて色、皮質、ヒールの高さを注文出来きたのが“ロンドンブーツ”
当時、ロッカーにとっては必需のアイテム!!
奇抜な服装をしたロッカー達と料亭のたたずまう光景がこれがまた、いやにしっくりなじんでおりましたぁ〜。
大人の街、男の街、荒木町の存在に一般に若い人が目をむけるようになったきっかけは、きっと1998年頃、いきなり登場した“上海ヌードル本店”が話題になった時でしょうか?
あの辺鄙な津の守坂入り口から窪地にむかう場所に“世界最強杏仁豆腐”や“史上最強プリン ”をひっさげた池袋のラーメン屋さん光麺の人気を決定づけた店でした。荒木町をまったく知らなかった多くの若者が、このエリアの存在を認知したことでしょうねぇ。
女性達にとってみれば、荒木町で昼からランチを楽しめるトスカーナの伝統を基に、いにしえの東京人を想わせた空間と料理をカルミネさんがプロデュースした和風建築をそのままイタリアンにしてしまった柳新道通りのおなじみ“カルミネ エドキァノ”。
このお店が気軽に女性一人でも荒木町に入れる先駆けだったように思えます。
さぁてさて、今は、昼から気楽にランチを楽しめる新しいお店が増えてるし、老舗の名店も数あれど・・・・・。
ん〜やっぱり荒木町は夜の街!神楽坂のようにけっしてブレークはしない街!どこか荒廃していく危うさもあって、どこもちっさくて、、けっしてこぎれいな街とは言えないけれどおぉ〜こんな街が、なんとか壊れないで都心に残っていてよかったと、フ〜っと荒木町の夜にお酒を飲ぶたびにそう思わさせるエリアでございます。

☆como voy a decirte - haila
http://www.youtube.com/watch?v=r2tywOXhp8E
☆Haila - Dime Porque
http://www.youtube.com/watch?v=nq1SaSnBi3c


NO648 今もしっとり残り香漂よう街。楽しくお酒が飲める“四谷・荒木町”A
2008/05/24
“お客さん、困るよぅ〜!困っちゃうんだよねぇ〜営業妨害だよぅ〜”タクシーの運転手さんが必ずこう嘆いたものでした!
行き先を乗り込む前に告げれば、まぁ〜拒否されることは決定的!
1985年以降のニッポンは後に平成のバブル期と言われた年でございます。
六本木・赤坂・銀座などなど、繁華街近くは夜ともなれば、両手をあげようが足をあげようが踊ろうがタクシーなんぞ、ス〜イス〜イと無視して通り過ぎて行くそんな時代でございました。
まして、万が一、運よくタクシーが目の前で止まったとしても“運転手さ〜ん、四谷三丁目・荒木町まで〜お願い!”と言ったトタンに、無言でドアがバタンと閉まりふかすようにブイ〜ンブィ〜ンと走り去って行くぅ・・・・・。
四谷三丁目はタクシーの運転手さんにとって当時はきっと魔のスポットだったのでしょう。

乗車するたびに、どの運転手さんもよ〜く言っていたことがありましたぁ。
繁華街のどこからも近い四谷三丁目は大変便利な場所にあるために、明け方近くまで働かれる多くの水商売の方々が多く住まうエリアだからねぇ。
稼ぎ時の深夜のワンメーター距離のエリアはまさに乗車拒否トラブル発生大のエリアだったんですねぇ〜。
そうそう、タクシーの運転手さんは、深夜は遠距離を狙っていましたから、かなり遠くからでも乗車するお客が手をおおげさに大きくあげるなど派手な動作で叫んでいる人は近距離、物静かにむっつりうつむきながら、手をだしているのかいないのか?ゾンビのような動作の人はたいてい遠距離の人だと言っておりました。
それ以来、TAGOSはバカ正直に真に受けて“うらめしや〜のお化けのように深夜つったっていたら、なんと!これが確かにとまる確率が高かったのを覚えています。
もっとも繁華街の近くは激しいバトル!いやいやタクシー争奪戦でございましたねぇ〜。
というように、近くてなかなか辿り着けない四谷、荒木町は最初から飲みに行くところではなく2次、3次、繁華街の喧騒から離れシックリしっとり締めるにはちょうどの場所でもありました。

先日、真昼の荒木町、蔦からまるビルを見上げる津の守弁天財横のわずかなスペースにある“策(むち)の池”
のんびりと池に浮いたり沈んでいる大きなスッポンを見ながら、ベンチに座っておりました。
んまぁ〜なにしろ今は箱庭のようにこじんまり!滝は今やありませんが、この場所は時を忘れたかのような滝壺のあとの小さな池。
う〜ん、池の前には廃業してもいまだ静かに佇む、料亭の“雪村”の姿。

荒木町は大正から昭和のはじめ頃、東京でも有数の花街・三業地(料理屋・待合・芸者の置屋)でございます。
さらに江戸時代は松平摂津守のお屋敷、そのお屋敷は広大で、荒木町の東側、津の守坂から、外苑東通りの西側、いまの舟町あたりまで及んでいたらしく、その屋敷にあった大きな庭園に大きな池があり、時代とともに水がひき、階段が多いすりばち状の地形になっているんですねぇ。
四谷三丁目交差点を通る新宿大通り、外苑東通り、津の守坂通りの三方に囲まれながら、表からは荒木町の存在すらわかりませ〜ん!!
そんなポッカリ窪んで隠れて見えない大変ユニークな荒木町の今は昔の物語・・・・・・。

今も昼時の荒木町は、とっても静か!というよりいつも閑散としていると言ったほうがいいでしょうか!
メイン通りの車力門通り、そして杉大門通りには小さな飲食店、、割烹が軒をつらね、昔の風情を残しているし裏路地周辺はフランチャイズではない新旧のユニークな居酒屋、、ロックバー、ジャズバー、ブルースバー、ソウルバー、フランス料理、イタリア料理、スペイン料理、インド料理店もありますが、ヤッパリ昼の荒木町はえっちらおっちらと坂を楽しみゆったり歩く散策の町。
50年目を迎えた、とんかつ屋さんの“鈴新”の店主が中心となって、昨年より“石畳オーナー”をつのっておりますよね。
昭和45年まで新宿通りを走っていた都電のレール下の石は一部、の石畳として再利用されていますが、次なるは新宿通りの新舗装でいらなくなった廃材のレンガを再利用して殺風景なコンクリート
の路地に活用しようという街おこし!
その“鈴新”の店も前にポッカリ空いた空き地があります。
ん〜思い出した!この空き地はかっては3件の店が入っていたビルでございました。
2年前の2月24日に閉店してしまったんですねぇ〜。いかにも趣きあるたたずまいだった荒木町の鰻の名店“うな浜”
プワ〜外からでもいつもおいしい鰻の匂いがぁ!
おぉ〜それだけではありませんでしたぁ!店を閉じてしまっていたのは!
次回もまた新旧入れ変わる四谷・荒木町周辺のヒトリゴト。

☆Spencer Davis Group - Gimme Some Lovin 1966年
http://www.youtube.com/watch?v=VxA3atHD2QM
●スペイン今月の写真5月号NEW UP。今回のテーマは 地方の”お祭り”です。 癒しの写真館右上からお入りください。


NO647 今もしっとり残り香漂よう街。楽しくお酒が飲める“四谷・荒木町”@
2008/05/20
♪酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ〜酒が飲める飲めるぞ〜酒が飲めるぞ〜・・・

今から29年前、1979年(S54)のこと、バラクーダの「日本全国酒飲み音頭」なる歌が大ヒットを記録したのです!
1979年の時代とはその前年にピンクレディが“ユッホ〜”と叫びレコード大賞を獲得、その“UFO”感覚がさらに79年「インベーダーゲーム」への大流行へと!
「ダサイ」「オジン」「オバン」なる大人と若者を遠〜く隔てた悲しい言葉が世の中に流行した一方、東京赤坂の迎賓館ではニッポンでアジア初の第5回サミットが開催され、世界への玄関として開かれた成田新国際空港がオープンした時代でもございました・・・・。

昨晩、たまたまテレビ番組で見たカンブリア宮殿の「今夜はうまい酒の話」。
いやいやなるほど!「酒」といえば「日本酒」を指した時代も、今はもう昔なんですねぇ〜。
清酒の国内出荷量は2003年には約半世紀ぶりにとっくに焼酎に抜かれていますねぇ。
まぁ、その要因は「若者の清酒離れ」ということのようでございますがぁ。
日本酒の生産量はこの30年間で約3分の1に減り、地場の酒造メーカーは、ピーク時に約4000あったものが、半分以下に激減してしまい・・・・。
う〜ん、そう言えばTAGOSも近頃、あちこちでお酒を飲む機会がトト〜ンと減ったような!!
しか〜し思えば、「ダサイ」「オジン」「オバン」なる言葉が流行したあの時期を同じくしてそれ以降見事に、「オヤジくさい」といったイメージが強い日本酒に限らず、ウィスキーなどの人気もガンガン激減していったのがわかります。

♪五月は子供の日で酒が飲めるぞ・・・・六月は田植えで酒が飲めるぞ (酒が飲める飲めるぞ 酒が飲めるぞ)
この時代の歌詞はあらためて酒ならなんでもよかったようですね!ビールに焼酎、ワインに発泡酒、缶チューハイ!
とにかくなにかと一年中理由をつけては明日を夢見、信じて会社仲間同士、友人同士、家族でも明るくはじけてお酒を楽しく飲みかわした時代でもあったのでしょうか?
村上龍さんがカンブリア宮殿の中で、お酒が激減していった理由の一つに、“今の時代に夢をもてない!なかなか楽しい気分になれない時代!
だからワァ〜っと飲む気にはなれないのではないでしょうか?”と言うようなニュアンスのことを語っていたのが印象的でございました。

さぁてさて、1974年、四谷方向から新宿方向の若葉町にSOUL MUSIC INN“LIVE”というソウルミュージックを聞かせる隠れ家的お店が松浦ビル2階に誕生しました。
1964年六本木にオープンしたソウルバー・ ジョージス同様、店内にはジュークボックスがあり当時からニューリリースのレコードコレクションの数たるや!ソウルフリークにとって今はなき伝説的なお店の一つですね。
一人お酒を飲むといえば、こんなディープなスポットも最高でしたが、んまぁ〜なんといってもお酒が似合う街と言えば、今も昔も四谷“荒木町”の世界でございます。
四谷大木戸(よつやおおきど)に友人のお友達の実家が営んでいた某料亭に何度となく寄せていただき、荒木町には親しみを感じながらも、その独特の“大人の世界”に“こんなワタクシのような若造には似合わん”とず〜っと思っておりましたぁ。
先日、14日オープンホヤホヤの築50年以上の古民家を改装した焼肉店「荒木町 黒べこ」に立ち寄りました。
んまぁ〜女性でも気楽に入れるレトロ感あふれるお店ですねぇ!
“荒木町”は“神楽坂”の老若男女が気楽に散策できる華やかな花街とはまた違って
何か今もなお、ディープで謎めいた隠れ里、色香漂う男の花街〜というイメージが残っていてとっても大好きです!。
TAGOSは散策する時は麹町より四谷、しんみち通りを抜け三栄通り、そして津の守坂通りから四谷荒木津の守横丁から荒木町、花園町より新宿へ・・・・。
今、四谷・荒木町周辺は新旧入り混じってあらたなるユニークな街に変貌しつつあります。そんなユニークな街の様子を次回におしゃべりしようと思います。

☆The Floaters - F. on 1977年
http://www.youtube.com/watch?v=l22tflaxLK0
☆日本全国酒飲み音頭 バラクーダー 1979年
http://www.youtube.com/watch?v=nDEYgpevJeQ


NO646 気分はポップコーン。元気をなくしたら“築地市場”へGO!!
2008/05/16
夜明け近くに、小村さんが突然、“帰るわ!!”
“な、何でなの!”飛び上がるくらい辛く痛い思い!“TAGOSに何が足りないと言うの?”
ウッ・・・と思わず声を上げたまま、動けなくなってしまいました。
ウォォぉ〜、あまりの突如の苦痛に身をよじらせ目から涙があふれ出し・・・・・・・・・。

クククゥ〜夜明け近くに起こった突如の“こむらがえり”。
んまぁ〜これがまた 痛いの何んの!ふくらはぎの筋肉がぴーんと突っ張ってしまいカァ〜眠気がすっかりぶっ飛んでしまいましたぁ!
いやいや、まったくの運動不足だと痛烈に思い知らされましたぁ!
ならば!さっそく早朝よりテクテクお散歩しながら元気をイッパイもらいに行こう!向った先は“築地市場”。
朝の3時にはすでに街が動き出し、5時にはたいていの飲食店が店を開け、威勢のいいお兄さん達がターレでビュンビュン駆け抜ける場内は、いつもながら「早起きは三文の徳」を実感させてくれる貴重な場所ですねぇ。
それにしても築地市場で見かける外人さんの数、年々すんごい勢いでのびていますねぇ〜。
早朝より場内のお寿司屋の“寿司大”や“大和寿司”などは常に外人団体さんの大行列!築地市場の場内も場外も数年前からもう日本にいるとは思えないぐらい!!
まさに外人観光客であふれかえっていることをひしひしと実感いたします。
そう言えば築地・明石町エリアはもともと外人居留地跡として知られているところでございました。
聖路加病院、教会、洋館が建ち並び、最初にクリスマスが行われたという異国情緒あふれる町だったのですものねぇ。復活したと言ったほうがいいのか?

さぁてさて、市場をすっかり歩きまわって運動不足を回避したところで、あいかわらず、あまりにも混んでいるものだから、ゆったりする場を求めて、昨年12月にオープンした場外市場の魚河岸福茂築地の2階“福茂茶房”にやってまいりました。
TAGOSただ一人、創業明治31年の”茂助団子”のお店でゆったり。そうそう団子3兄弟のもとになったお店の新しく出来た築地店でございます。
定番の串にささった、つぶあん・こしあんの団子・焼き団子をゆっくり食べながら2階の窓から下をのぞくと次から次にターレが勢いよく走りまわっております。
フゥ〜一息入れて時計を見ると午前8時10分!
う〜ん、すっかり早朝散歩で運動不足も解消したし、活力みなぎるニッポンの台所で十分元気パワーをもらったし、
さぁて!今日はポップコーンのようにパンパンはじけて頑張るぞぃ〜!!

☆Popcorn by Hot Butter!!! (Original)
http://www.youtube.com/watch?v=9N4ckFN96-k
☆Crazy Frog-Popcorn
http://www.youtube.com/watch?v=xXrnKGSShMk


NO645 ♪たすけてパパヤ〜。今また聞こえる“老人と子供のポルカ”
2008/05/13
“なんだ坂こんな坂! なんだ坂こんな坂! なんだ坂こんな坂!エエィ〜行け行け行けぃ!シュシュポッポッポーー。”
いやいや、それぞれの人生!山あれば谷あり、まさかあり、んまぁ〜さらにきつい[まっさかさ」もありでございましょうねぇ。
う〜ん五月連休明け!まだまだ暗〜いニュースが世間を覆っている昨今。
さぁ!新たなる出発に向け行くぞぃ!早速ポッポーと発車したTAGOS、御先祖さまへのお墓参りも済ませ、母の日も家族でなごやかに祝い、気持ちをまる〜く丸くまんまるく優しく整え、再びなんだ坂こんな坂 なんだ坂こんな坂!。
ガツ〜ン!なんと!今週明けはいきなりニュースで飛び込んできた中国四川省で起きた大地震!
んも〜ミャンマーを襲った大型サイクロンであれだけの大被害があったばかりなのに・・・・・・・。
なんともやりきれない気持ちです。

♪(たすけて〜)やめてケレ やめてケレ やめてケレ ゲバゲバ おぉ〜神様 神様 たすけて パパヤー♪
ふいにTAGOSの口からこんな歌が自然に出てきたのでございます!
そうそう1970年に左卜全さんと子供達が歌って流行った“老人とポルカ”という曲。
振り返って見れば、1970年はニッポンが高度成長期がピークにさしかかっていた年でした。
大量輸送時代の幕開け!ジャンボ機が羽田空港に現れ、「人類の進歩と調和」をテーマに大阪で万国博が開催されました!
ビートルズが解散した年であり、三島由紀夫がクーデター未遂事件をおこし、赤軍派がよど号を乗っ取り北朝鮮へ向った年。
ケンタッキーフライドチキンが大阪万博で始めて登場し、歩行者天国(銀座・新宿・池袋・浅草)で実施するなど新旧激動している年でございましたぁ。
当時、力なき老人や子供たちは、そんな世の中が混沌、激動していた世の中の矛盾を見つめながら心の中で“たすけて〜やめてくれ〜やめてくれ〜”と誰かに叫ぶしかなかったような・・・・・・。
そしてあれから38年後の今、う〜ん?何か同んなじ状況じゃな〜い!!御老人達は年金や後期高齢者制度に悩み、子供達はいじめや犯罪に巻き込まれ。
エェ〜誰に今救いを求めるのか?♪おぉ〜神様 神様 たすけて パパヤー♪

さぁてさて、「こどもの日」に合わせ、総務省が4日発表した人口推計(4月1日現在)によると15歳未満の子供は昨年より13万人少ない1725万人で過去最少を更新した。昭和57年から27年連続の減少。総人口に占める子供の割合も昨年より0・1ポイント下がって13・5%と34年連続で低下し、世界でも最低水準でしたね。
先日、四谷三丁目付近に4月20日オープンした「東京おもちゃ美術館」に行ってまいりました。
戦前のドイツ手法をとりいれた旧四谷第四小学校校舎跡に全国各地からの伝統技術を受け継ぐ職人さんが施工したアナログ的内部施設は素晴らしい!
そしてNPO法人の運営手法も大変ユニークで興味深かったけど・・・・・・・。
都心の中にこれほど立派なグランドやプールや体育館を有する学校(美術館)をめぐるうちに、感動と不安が交差!
むむぅ〜これだけの小学校が廃校になってしまったんだというショックのほうがとってもとってもズビズバ〜だったのでございます。

☆老人と子供のポルカ
http://www.youtube.com/watch?v=nKN5_IiYeaU
※この時代の言葉の意味がわからない世代の方々に「ゲバ」とは「ゲバルト」の略で、武力闘争、ジコジコとは“事故”ストストとは“ストライキ”です。

●先週に続き、アートなお部屋に、豊月さんの水彩画6点、NEW UP!


NO644 今年も沢山食べタイ!代々木公園タイフェスティバル。
2008/05/10
鯉が去ったと思ったら、元気な鯛がやってきて・・・・・・。

タイ米を日本に広めたいという主旨のもとに2000年「タイ・フードフェスティバル」として開催したイベントが代々木公園の「タイフェスティバル」として、今日は数えて早や9回目を迎えます。
2005年「タイ・フードフェスティバル」から「タイフェスティバル」と名称が変更になってからも年ごとにぐんぐん来場者がふえ、いやいや昨年はすでに来場数30万人を記録!すんごいですね!!
今日は気温も低い雨の中、TAGOSは11時に代々木公園に辿り着きましたぁ!

いやいや今年、初日の人手はどうでしょうか?
おぉ〜行列はまだ出来ていないぞぉ〜!おめあてのタイレストランブースは約50店舗!
到着した早々、タイ王国大使館ブースのクイッティアオ・ガイ(鶏肉ヌードル)を食しシンハービールをゴクゴク呑み干し、クルワイケーク(揚げバナナ&サツマイモ)もガブリ!
次なるはポピアリムパー(チーズとネームの春巻き)をモグモグしてチャーンビールにプーケットビール!
小1時間にてホワァ〜ワンダフルな気分!
んまぁ〜すでに12時頃には、もう人があふれんばかりになってしまいました。
衣料、小物雑貨、食品などの物産ブース30店舗も大賑わい!
う〜ん、今年もすごいねぇ〜。こうして、あらためてタイ王国大使館が主催する日本最大のタイイベントをキョロキョロ観察すると、なんとも在日タイ人の若い人がこんなにもいらっしゃるんだぁ〜と思いました。
新緑のケヤキ並木にカラスが鳴き、多くの民族衣装を着用したタイ人の方々がこれだけ行きかう代々木公園に入りこめば、“おぉ〜自分はアジア人なんだねぇ〜”
普段は意識していないこんな事ををハッキリ意識することになりますねぇ。
今年、新年明けてすぐに、タイ国民にとって悲しいニュースがありました。
1月2日、タイのプミポン国王陛下の姉のカラヤニ王女がバンコクの病院で逝去されたのです。
タイ政府は、逝去された2日から15日間服喪し、国民も喪に服した年でございました。

さぁてさて、雨だというのに傘をさした人がますます増えてまいりましたぁ!今回の“タイフェスティバル”またまた来場者数更新ですね。

☆Nina Hagen New York New York
http://www.youtube.com/watch?v=CST7XOxw4Dk


NO643 ゴールデンウィーク明けはダイジョブダァ〜。緑の季節“銀座・日比谷・日本橋編”
2008/05/07
アンポンタン!アンポンタン、このゴルデンウィーク、すっかりアンポンタン・・・・・・・・。
ワわァ〜!!社会復帰の、4連休明け!なんだかロレツが、さっぱりまわらんどぅ!
んまぁ〜このゴールデンウィークは、まさに「安・近・短」でございました。
おぉ〜、なんとも人が少ないゴールデンウィーク明けの銀座の街よ!、
5月5日の95万人の来場者で盛り上がったあの“銀座柳まつり”からザザ〜と人波がひいてしまって、今日は、珍しいほど人が少ない、のんびりした光景が街にひろがっております。
いやいや、熱い日差しの日中、色とりどりのポピーの花が風に揺られる銀座大通り沿いは、まるでリゾート地のような趣で、薄着で歩く人々もゆったりとした足どり。
そういえば、中国人旅行者も少なく、銀座は激しく燃えた祭りのあとの静けさというところかぁ?
しか〜し、TAGOSさん!気のせいじぁないの?連休ボケしているんじゃないの?街はすっかり通常に戻っているでしょう?そのようにお疑いのそこのあなた!!
むむぅ今日は通常日より銀座の街に人がいないという御報告にお疑いのあなたを納得させるには?
う〜んオォ〜あった!あった!あれを見ればTAGOS自身も確信できるぅ〜!早速、ある場所に向かいました。
35分!待ち時間35分!そうそう有楽町イトシア地下のクリスピードーナツ行列の待ち時間でございます!こんな短い行列など今まで見たことありませ〜ん!!
だから間違いありません!今日は異常に人が少ない銀座・・・・・・・・・。

さぁてさて日比谷に1930(昭和5)年に竣工され、老朽化のために取り壊された75年間もの歴史を数えたあの“三信ビル”跡にやって来ました。
今はすっかり解体され、フェンスに囲まれた広大な跡地を見ると、あぁ〜時は刻々と移り変わっているねぇ〜と実感するのです。
日比谷シャンテ広場のゴジラ像から、まったく正面の視界をさえぎるものがない、都心に残された一時の大空間からは、今は森のようになった新緑が燃え上がる日比谷公園が望めます!コレが絶景なんです!

ん〜美し〜い!!日比谷公園内には艶やかなバラが咲き始めました!鮮やかな純黄色で葉に光沢のある“ポリゴールド”が今は一番早いバラ!
白色に縁がピンクの“プリンセス・ドゥ・モナコ”、濃いラベンダー色の“シャルル・ドゴール”鮮やかなオレンジ色で裏弁が濃淡色の“ラスベガス”。
ピンク色の“芳純”、黄色にオレンジ色の“彩雲”朱色の“ローラ”等など、少しずつ開花し始めましたねぇ。
そういえばここも、昼のいつもの行列がありませんでした。
昭和28年の酒屋として建てられた日本家屋に2005年6月にオープンし高島屋近くで昔からのようにすっかりなじんでいるお店です。
昼食はしっかりあなご専門店日本橋“玉ゐ”で焼きあなごを食らい、元気に元気に社会復帰!。

☆「Midori No Kisetsu」 Izumi Yamaguchi
http://www.youtube.com/watch?v=6eX3wATAHCw
●アートなお部屋に、豊月さんの水彩画11点 NEW UPしました。


NO642 ワッショイ!わっしょい!五月晴れ!天高く元気に泳げよ!鯉のぼり。
2008/05/03
“ワッショイ!ワッショイ!ワッショイ!”
小雨降る夕刻8時半頃、ビールにハモンセラーノ(生ハム)、新鮮なトマトに身が大きなアサリの酒蒸し・・・・。
ゴールデンウィーク後半突入の土曜日、ここは木挽町(こびきちょう)。
TAGOSはスペイン風ワインバールのカウンターに座り、楽しくおしゃべり!
そうそう、銀座二丁目東エリアは、昭和二十五年頃まで木挽町と呼ばれ、その後、東銀座、銀座と町名が変わった場所。
木挽(製材職人)が多く住んでいたときにより名づけられた木挽町近辺は多くの住民がバブル期の地上げで町を去り、長らく駐車場などになっておりました。
2000年以降、新築マンションが多数立ち上がることで新住民もふえ、新富町、入船、築地一帯に小さなバーやレストランなど、増殖点在している“裏銀座”エリア。
そんな心地よい裏路のオープンエアーとなったバールでおしゃべりしていたカウンタ−横に登場したお神輿をかついだ集団!。
う〜ん?なんだぁ?小雨降る夕方の時間に?おぉ〜そうだ!そうだったぁ!今日は今年、氏神様御鎮座一千百六十八年を迎える“鐵砲洲稲荷神社”の例大祭の初日でございます!
なんともラッキ〜!偶然、遭遇したとはいえ、神輿を担ぎ上げる威勢のよい掛け声や鳴り物に思わずTAGOSのテンションがグイグィ昇って行きますよぅ!!

さぁてさて、今年のゴールデンウイークの休みパターンはまとまった休みがとりにくいだけでなく、2003年にも似た、もどかしいほどの政治経済の停滞と不安定さ。
んまぁ〜すっかりこいつらがニッポンを覆いつくしてしまい、、皆んなの心が五月晴れの空に天高く元気に泳ぐ鯉のぼりにはなれないでいます!
う〜ん、旅行も含めてGW期間中の総支出額を減らし、あまり遠出をしない傾向が多いようですねぇ。ココロはすっかりまな板の鯉でございます!

そんな時期でした。数週間前からのスーサンよりのお誘いがあり、行って来ました!六本木ミッドタウン内サントリー美術館1周年記念展“ガレとジャポニズム”
ほ〜そういえば六本木ミッドタウンは昨年の4月30日オープンでしたぁ!早や!もう1年たったんですねぇ。
さぁてさて、ガレと日本の美意識との関わりを、国内外約140件のコレクションを集めた展示内容はなんとも素晴らしい!
むむう、当時はみたこと聞いたことない存在のニッポン国だろうにあの浮世絵や北斎漫画がヨーロッパ人にこんなにも影響力をもたらしのかしらんと思うと“ニッポン!スゴイぞ!”と素直に嬉しくなりました。
感動したサントリー美術館を出て次に向ったのは築地のワダ・ファインアーツ画廊“北浦信一郎展”。
大人のまね開催にあたりのオープニング・レセプションに訪れたのです。
あれ?こんなところに画廊があったんだぁ?聖路加病院近くの公園沿いのビルの1階にある画廊の前にはワインやチーズなどおかれ、画廊内は真っ白な部屋に子供の描く殴り描きの様な厚塗りの油絵具により描かれたなんともユニークな顔などが・・・・・・。
いやいやアート三昧の一日!こんなゴールデンウイークの過ごし方もいいもんだねぇ!
今日はゴールデンウイーク狭間の日でありラッキーにも行列せずに見る事ができましたぁ!
アート三昧の後、スーサンと木挽町のバールへと飛び込み、そして例大祭ワッショイワッショイに遭遇したわけでございます。
TAGOSのココロが五月晴れとなり再び空高く元気に鯉のぼりが泳ぎはじめる日となりましたぁ。
イヨ〜“ワッショイ!ワッショイ!ワッショ〜い!!

☆Lesley Gore - It's My Party (1963)
http://www.youtube.com/watch?v=XsYJyVEUaC4

●GW特集 
☆スーサンのよもやま話No.45 南米便り
☆スーサンのよもやま話No.46 500年の時空を超えて 歴史に学ぶ マゼラン と エルカノ 
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