2005  4月
NO40 花より団子犬。
2005/04/29
ゴールデンウイークが、夏を連れてやってきました。暑かったですねー。昼の太陽の光をおもいっきり吸収し蓄えた花々が、夕方には、光のエネルギーを解き放つのでしょうか。薄っすら暗いなかにでも、その花色のなんと鮮やかなコト。藤棚にゆれる幻想的パープルの藤の花。白やピンクの光を放つ、つつじの群。地上から暗闇に浮かび上がる深紅の芝桜。強風も、やわらぎ、こんなやすらかで心地よい気持ちになれるのは最高です。今日は、年に数回おこる日本人大移動の時期。ワタシは、ワンちゃんと夕方のお散歩でーす。互いを結んだヒモは、なんともたよりない細い布製のモノだけど、しっかりとココロでむすばれているのです。子犬の時は、しつけ教室で修行をつんだつもりだったけれど、今では、すっかりワガママ犬に。夕方の涼風にふかれながら、ボサボサ頭のコイツはしばらく立ち止まって、遠くで遊ぶ子供達をじーっと見つめていました。そういえばコノ坊主も、もうすぐ10歳。ドッグイヤーとはいうけれど、あっという間で早いもんです。こんなチビスケでも、お互いに仕草や表情だけで何を訴えているか分かりあえるのが不思議ですねー。人間でもこんな子に教えられることっていっぱいあるんですよ。何も言わないからこそ通じあえる何かが、きっとあるんですねー。「さぁ、お家に帰ろう。」おっ、ふんばって動きませんよ。「そうまだ散歩がたりないんですねー。ゴハンなのにねー。」あれ、家路をスタコラ小走りに歩きはじめました。コイツはゴハンに弱い!これも家族の絆みたいですー。

NO39 アイラブ新富町。
2005/04/28
朝方、白いスズランが、涼しげに風にゆれています。十二単(ジュウニヒトエ)が、真っ赤なもみじの木の下に、美しいパープルの世界をつくりあげています。さぁーそろそろ黄金の週に突入ですねー。今日は繁華街も、すでにヒトが少なくなっているようですねー。都心では、ゴールデンウイーク商戦であれやこれやのイベントが目白押しですね。
今日は、ワタシの大好きーな街、中央区“新富町”を訪れました。わぁーまたまた、貴重な場所が消えてしまっていますー。新富町の老舗料亭“松し満(まつしま)本館が3月末に閉店してしまいましたー。1月中に羽衣膳などいただいて、今度は、家族で一緒にと思っていたのになー。5月3日、4日にはご当地の氏神様である鉄砲洲(てっぽうず)稲荷神社の例大祭。初夏にかかる風物詩の神輿(みこし)が出るというのに残念なコトです。入口の張り紙には、“突然ですが諸事情により・・・。”趣のある古い建物が点在する新富町。待合の瀧亭、料亭躍金楼(てっきんろう)、松し満を中心として、ひさまつなどは素敵ですよ。築地、八丁堀、木挽町(こびきちょう)あたりには、まだ粋さが残っている大好きな街なのに本当に今回は残念ですー。先週には、とっても趣のある昭和初期の木造長屋が取り壊される瞬間を目撃したばっかり。大野屋総本店近くの澤田商店さんのたいやきなど焼け食いしますかね。モグモグ。うーん。おいしーい。一気に元気がでました!ここにポスターが貼り出されていますよ。ほぅー。5月そうそうの神輿を担ぐヒトを募集してますねー。“弁当2食と清め酒付き。半纏(はんてん)貸し出し。午後1時から”新富祭典委員部神輿部。初夏日となった下町に、ゴールデンウィークにくりひろげられる伝統行事。林家正蔵跡目パレードほどの派手さは、まったくないけど、町内土地っ子の“粋”さにふれてみるのも楽しいってもんです。唐突ですが、ゴールデンでも新宿のゴールデン街の昼のたたずまいって見たコトありますか?足を踏み入れても誰ひとりいない、映画バニラスカイの世界にまぎれ込んだ不思議な感覚は、このエリアしか、なかなか味わえませんねー。そんなところ1人でのんびり歩いていたら、あぶないですよねー。イキはイキでも“遺棄”されちゃったら大変ですからねー。

NO38 鉄は熱いうちに打て。
2005/04/27
京葉線終点蘇我駅を降り立ちました。「伊藤!」 「ヨー!加藤ー」 そうです。あの“イトーヨーカドー”が千葉市中央区の旧川崎製鉄所(現在のJFEスチール製鉄所)の工場遊休地に初のSC開発・運営事業1号店ARIO(アリオ)を今日、オープンさせたのでーす。10年かけて4000億円投資する巨大開発の第1段目の初陣を飾ったのですねー。イトーヨーカドーの初のショッピングセンターってどんなもんだろうかとやってきたわけです。力入っていますよ!85店舗の店舗デザインも皆新しいバージョンみたいですね。もっと、がんばっていたのは、店舗全体に“ユニバーサルデザイン”を取り入れたってコトですかねー。とってもお年よりに優しいデザインに気をつかったようです。案内表示や階段、エレベーター、売り場什器など電話の数字ナンバーも大きかったですねー。いいんじゃないですか。でもー。ちょっと言っていいでしょうか?ワタシは、前ーから、とっても気になっているコトがあるんです。都心の巨大化って上に上にと伸びていくから高速エレベターが必要ですよねー。郊外の巨大化は横へ横へと伸びていくのですよねー。やっぱり横に移動する高速エレベーターの開発って必要だと思いますよ。まして歩行用エスカレーターもなければ、お年よりは、店舗にもたどりつけませんねー。身近な商店街もなくなっちゃう世の中ですから、巨大モール郊外店には、間違いなく、横移動高速エレベーターをつくってくださいねー。上下だけでは不公平ですよ!そんなコトで、そろそろ歩き疲れてヘトヘトなので帰るコトにしましょう。無料シャトルバスで駅まで15分。あれー。ちょっと待ってくださいよ。お客様はシャトルバスだけど、ここで働いているヒト達は、朝夕、通勤はどうしているんでしょうか?いくら若いヒトといっても、この距離なら男性でも早足で30分、女性なら40分はかかりますよ。それも毎日。タクシーなんかつかえませんよねー。シャトルバスは、朝はでていないし、お客様専用のみだー。ひぇー。これじゃお年よりどころか、若き従業員さんたちが、先に倒れちゃいますねー、きっと。雨日だったり、気温の高低日にはどうなっちゃうんでしょうか?宮澤賢治の“雨にも負けず。風にも負けず”の精神で毎日40分ちかく歩くのでしょうか?店舗に入ってからでもひたすら歩きますよ。若いヒトにも優しくしてやってくださーいね!こんなにも笑顔で店舗内では接客してくれているのですから。


NO37 コミュニケーション・ブレイクダウン。
2005/04/26
「ホーホケキョー」 しばらく行方不明のウグイスが戻ってきましたー。夕方、雨あがりの空を見ると、大きなオレンジ色の淡光を放つ夕日がとってもきれいです。薄紅赤色に染まった曇の群れが、明日の晴れ日を伝えてくれているかのようです。
“伝えていくコト”そうです。考えてみると、こんにち、これほどまで“伝えていくコト”が難しくなってきた時代もありませんねー。かっては、“おばあちゃんの智恵袋”なんてコトバがあるように、モノ知りおばあさん、おじいさんの長ーい体験から学んだ智恵というモノが、次ぎの世代への“ころばぬ先の杖”として大いに役にたったんですね。ところが、現代は、やっかいな現象が起きているんですねー!日常生活を送るなかで、次世代に伝えるより、聞くコトのほうが、多くなっちゃった!つまり逆転現象ってコトですかねー。「携帯は、どうするの?」 「インターネットはどうするの?」 「えっ、今ってウナギに梅干の食べ合わせって悪くないんだって?」 「デジタルって?」 「サプリメントっていいの?」などなど数え切れないくらいの“?”が増えてしまったのです。逆に“伝えていくコト”といったら、ゴハンの美味しい炊き方?「ハーイ、今はボタンをおすだけで完了ー。」おいしい料理の作り方?「ハーイ、 今ダイエット中ですからけっこうでーす。」人生の生き方?「オレさぁ、今フリーターだからイイのよ!」
これじゃぁ、さっぱり“伝えていくコト”がなーい。“伝えていくコト”がないということは、世代間の会話がなくなってしまったってコトですよねー。会話崩壊!そーう。日常生活の環境の激変がこんなひずみを生み出していたのですねー。「ホーホケキョ、ホーホケキョ」 耳をすましてもういちど、静かに聞いてみてください。ほぉら。ウグイスの鳴き声の他に風の流れる音が聞こえてきまーすよ。意識してじっくり“聞こう”というココロを持たないと“伝えていくコト”も伝わってこないんですねー。それは、もったいないですねー。そう、もったいないですよ。

NO36 アキバはクールジャパン。
2005/04/25
「巨大だー!」2005年電脳街に姿をあらわしはじめたヨドバシカメラ。世界の電気街からIT産業の国際拠点都市に生まれ変わろうとしている街、秋葉原にやって来ましたー。
都心再開発事業が、目白押しのなかで、ワタシにとっては、この街こそ、とにかく将来が、予測できない唯一の摩訶不思議な存在の街なのです。駅前の急ピッチな開発は、もうすっかり見なれてしまっているので、つくばエキスプレスの駅や、TOKYO TIMES TOWER、ITセンターなどの建造物は、汐留や、品川、大崎などと、なんら変わるコトはありません。だけど、なーぜか、危険な香りが漂う、そんな日本の近未来が、透けて見える街に思えてなりません。ひとことで表現するなら“人間の頭の中で考えている欲望と幻想が創り出した人工の街”そのようにワタシの目には、映るのです。今までの街と大きく違っていると感じるのは、日本の文化のなかでも、“クールジャパン”(日本がカッコイイ)としてニューヨタイムスにとりあげられるほどになった、アニメ、まんが、フィギュアなどのメッカでもあり、日本独特のカプセルホテル、立ち食いカウンター寿司、マンガ喫茶、昼寝所、秋葉原スモーカーズスタイルと銘打った無料喫煙所など、ニッチ(隙間)ビジネス花盛りの街。つまり、明日は、いつどうなるかわからない産業と、日本のポップカルチャー、未来をつなぐIT産業がひとところにグゥーと圧縮されているような街なのです。そこには、つくばエキスプレスが高速で行きかいする近未来の姿。コノ街は、まさに純性の日本が創り出した、まったく新しい日本カルチャーを世界に発信しはじめています。秋葉原って街は、街全体が、毒気をを含んだ文化をエネルギーにしているような、なんとも、まだ得体の知れない街。この街からは目が離せませーん。まさに“狂ーうジャパン”ですぅ。

NO35 お洒落な、おヒト。
2005/04/23
昔から「江戸っ子は3代続いたら恥」と言うようです。家系という血筋のなかで仕事を続けていくのは、江戸っ子の信条に反することなのですね。というわけで、今日は、浜町公園前にある濱丁高虎(はまちょうたかとら)を訪れました。江戸っ子の“洒落”があふれた店で、とっても元気になれるところです。祭りなどの半纏(はんてん)。手ぬぐい。いっさい合財入れる袋の合財袋(がっさいぶくろ)。お守りを入れて持ち歩くための掛け守り(かけまもり)など。今日は、なにがご縁か、染元2代目店主がお店での接客をしてくれたのです。なんだか、江戸っ子ことばを聞くのはひさしぶり!商品は、どれも“洒落”のめして“粋”ですねー。
店主は、次ぎから次ぎに、おもしろおかしく流暢な口調で商品説明をしてくれましたー。キセルをふかして一服しているどくろの絵は「骨やすみー」 あれー。良く見るとキセルじゃなくてパイプをくわえている!こいつぅは外コツ人ダー。「玉」に「下駄」で「たまげたー」 「大」きい「羊」の絵は美しいを表してるから、コレがあなたにピッタリ!。などと、とっても愉快ですね−。これって実は識字率の低かった江戸時代の職人が考え出したもんなんですねー。現代版もあるようですよ。「釣鐘」の絵で「つりがねー」。馬に桜の絵はなんだと思いますか?。
人形町は職人の街。髪結いの街と、よく84歳になる母から聞かされていました。花街もちかくにあったコトから「粋な街」としてしられていたのですね。今は甘酒横丁辺りや、水天宮辺りも、多くのマンションが建ってしまって、“粋”が失われつつあるけれど、こうして伝統をまもって行こうとするヒトがいることに清清しい気持ちになれました。江戸の“洒落”を絵でしめした「判じ物」。さあて、地球人の皆さんなら、現代の世相を、どんな絵を掛け合わせて“洒落”てみますかね?

NO34 失われたモノから未来が見える。
2005/04/22
駅に向かう沿道にそって、植えられているつつじの連なりが、そろそろ、ピンク色や真っ赤に色づきはじめました。本当にこの時期は、美しい花々でいっぱいで、心が豊かになれますねー。さぁて、街にでかけることにしましょう。街ゆく人の歩くスピードが、以前よりだいぶ遅くなっていることにお気づきですか?70年、80年、90年代。つきとばされるんじゃないかと思われたビジネス街も同様です。2000年から大量出店が顕著に、はじまりました。とくに飲食分野はすさまじかったですねー。雑誌もネタにことかかなかったんじゃないでしょうか。ワタシは、いろいろな街を歩くのが大好きで、空き地や、建築中から、「そこに何ができるかなぁー。」と、頭の中で想像してみて楽しんでいるのです。頭の中だったら設計料も、建築代もタダ。リスク0ですからねー。「ここだったら、こんな美容院、ここならこんな雑貨屋さんかなぁ?」これっておもしろいですよ。今は、ビルでさえ1年、店舗なら3ヶ月ぐらいで姿をあらわすので、その結果がとても愉快です。でも、もっと興味があるのが、オープンしてから3ヶ月後、8ヶ月後、1年後の姿。街を通りすぎるたび、午前、昼、午後、夕方、夜と、時間帯別の顔に足を運ぶコトにしています。ヒトの雰囲気が、まったく変わってしまっているのですねー。残念ながら、人気のない店は、1年後には、店先に“サヨナラ”の張り紙がはってあったりします。日頃、どれほど多いコトでしょうか。新規出店の数だけ、閉店する店があるというコトですねー。どちらかというと、ワタシは閉店した店に興味があるのです。「やっぱりなー。ここは1年もつかなー。」なぁーんて。案の定そのようになったとしても、たぶん、そこに、なにがあったなんて検証する暇人は少ないでしょうから。そんな過去のコトなど知らないヒトが、巡り巡ってまた同じようなモノをつくって、失敗を繰り返したりして・・・。新規出店は、数年前からの計画だから何が出来るか調べようと思えば案外簡単にわかってしまうけど、つぶれることは計画外。つまり予想外だからこそ、興味がわくのかもしれませんね。
毎年600個近くの梅干ができる庭の木が今年は涙のかたちをした小さな実だけ、つけています。昨年、はしごでのぼるほど、枝が延びてしまったもので、思いきって枝を坊主になるくらいに斬ってしまったのです。今年は梅干は残念ながらたべられませーん。でも、どんどん、新しい小枝がでてきています。来年には、たくさんの梅がとれることを楽しみにしていまーす。なんだか、失われたモノから未来が芽生えてくるようですね。新しくおこったコトは、その瞬間から、もうすでに過去になってしまうのですから。

NO33 ジーンズと日の丸。
2005/04/21
ボタンザクラが、咲き始めました。今は、次ぎから次ぎににお花も入れ替わっていきますねー。葉桜の緑のグラーデーションも光に透けてきれいです。今は、すぐに消えていくのが、あたりまえのなかで、近頃、ふと不思議に思っているコトがあります。それは、“ジーンズ”の存在。そうジーパンです。老若男女とわず、ロングセラーで、街のどこでも見かける、これほどのモノもめずらしーなぁと、あらためて思うと、とっても気になる存在となってしまいました。素材でもなくスタイルでもなくデサインでもなく、色でもない。機能性、メッセージ性? 何なのでしょうか? 共通項は何? 各世代にとっては、きっと意味は違えど、受け継がれてきていることだけは確かですねー。もうひとつ、妙に気になっているコト。それは、街のどこを歩いても、お目にかかることが、まれにちかいモノです。それは、“日の丸”。今まで特に、意識さえしてこなかったのですから、なおさらなのですけれど。そう、イタリアの国旗や、フランス、アメリカ国旗などは、レストランだけでなく、けっこうデザインシンボルとしてみることは多いんですけどねー。そんなコトで“日の丸”のデザインの意味が気になって調べてみました。中の赤い丸は、朝の太陽で、女性でもある。外側の白は男性で女性を守っているデザインということらしいです。へぇーそうだったんだー。小学校では習ったでしょうか?覚えていません。でも、まともに考えてみるとやっぱり、変ですよねー。何がへんだって?ワタシにもわかりません。“ジーンズ”と“日の丸”の2つのコトが今とっても気にかかるのは何故なんでしょうかねー。今、目に見えているモノと見えないモノの関係は戦後60年の日本の歴史に関係ありそうです。今日のニュースで、2007年から新教科書に能、狂言、茶道、華道、郷土料理、祭りの授業をとりいれる検討に入ったと聞きました。真の国際人とは、“日本とはなにか“を知ることが大切ということからだそうです。それより、なにより、そのコトを教えられる先生を確保することが、もっと大切になるのかもしれませんねー。

NO32 “地球人のヒトリゴト”よろしくお願いします。
2005/04/20
おめでとうございまーす。とりあえず、ヒトリゴトを言いはじめてから1ヶ月続けてこられた、自分に感謝です。なぁるほどー。自分の頭の中に思うコトをしゃべるって、なかなか大変なもんですねー。ワタシ自身、その日に思ったコトをしゃべり始めてから、いったいどこまで続けられるんだろうかなぁと思ったりもしました。日常に、そうそうガーンと刺激的な出来事に遭遇するわけでもなく、日々、心に感ずるコトを素直に表現するのみですねー。そろそろワタシのヒトリゴトを、いつ同朋である地球人の皆様へ発信すべきか迷っていたところです。今日、あるかたに“地球人のヒトリゴト”をはじめたことを話しました。ワタシもあの方達の頭の中にあるユニークな思いを、いつか是非、是非聞いてみたいと思っていまーす。ヒトが自分の“好き”の思いをしゃべるとき本当に輝くんですよねー。でも、まずは、ワタシから!まだまだ、ヒトリでしゃべり続けます。いつか、このサイトを見てくださるかもしれない地球人の皆様へ。その瞬間の出会いに、深かーく感謝いたします。

NO31 夢見るバブル人形。
2005/04/19
外見は、可愛くミニなどはいて、○○○さんは、変身をとげて帰ってきました。三つ目ボタン達よ!心奪われてはなりませーん。20年前の1985年、ファッションは、セーラーズ人気、オニャンコブームの中、○○○さんは、すでに、デビューしていたのです。そして7年間ものあいだアイドルとして、大人気をはくしていましたねー。1991年ファッションにインディーズブランドが現われた年、○○○さんは、まわりにおよぼす影響があまりに強過ぎて、無理矢理、舞台からひきずりおろされるように、消えていったのです。でも、その後も○○○さんは、なぜか、1998年男の子がキレイをめざしたビジュアル系バンドブーム中、頭に“IT”とロゴの入ったハイテクなキャップをかぶり、いきなり戻ってきたのです。短期間で人気を取り戻そうと、大暴れ。2000年に舞台からドーンと落ちるまで○○○さんは活躍したのでした。。そして2005年レトロブームにのって、外人プロデュサーのもと、再デビューの機会をのがすまいと、じーっと辛抱強く待ちうけていたのです。そのかたは、、そーう、あの“バブル”さんです。当時、日本は、1985年〜1991年のバブルを体験。そこから失われた10年の始まり。1998〜2000年に再びITバブルが発生。短期間にて終了。そして今、また、たびたびニュースでも、“ミニバブル”の名前を、耳にする事が多くなってきました。すでに2003年には、12億マンションが登場したり、高級時計に予約が殺到したり、メルセデツベンツのマイバッハなど、予約で順番待ち。今年には、もう銀座の表通りなどは、坪1億円でも土地は、手に入れられないのです。収益還元法で考えるとこの値段では、すでにこの土地でで成り立つ商売など考えられないのです。これをもって、もう一部は、とっくに“バブル”化してしまっていると、言いきれるのです。もちろん、その原因は世界の金余りを操る、おなじみの外国ヘッジファンドさん達のなせる技。そうなると2度あることは3度ある。ミニ姿のあの“バブル”さんにココロ奪われると、大変なことになりますよー。そんな活躍時代をまったく知らなかった世代のかたがた、くれぐれも、お気をつけくださーい。ボーっとしていると、あなた自身がパーンとはじけ飛んじゃいますから。あれー。そこのあなた!スーツのボタンがもうすでにはじけ飛びそうじゃないですかー。ダイエット!ダイエット!。

NO30 デイドリーム
2005/04/18
プッツンとテレビを消し「さぁー出発!」日曜の朝、中国での反日デモ拡大のニュース番組が、さかんに放映されていました。車に乗り込み、ゆっくり走らせると、やがて緑の風が心地よく吹きぬける一面の水田が見えてきましたぁー。キラキラ光る水面がとってもきれいです。そろそろ田植えがはじまったようですねー。昨日は、向島の親戚から早朝4時起きの竹の子掘りにお呼ばれしたのです。我が一家は、ゆっくり10時半に到着。旬を味わうだけにやってきた、ふとどきな輩でーす。金毘羅さまの横にある細ーい参道の奥に畑がいきなり広がる隠れ別荘なのです。いつものように、隣人やお仲間達が集まりそれは、それはにぎやかです。女性陣は、みなさん、お料理自慢。手際よく台所から次ぎから次ぎにお料理を運んできますー。スゴイ!掘ってきたばかりの竹の子ご飯、竹の子とワラビの炒め合え、ふきの煮付け、ふきの葉の煮付け、春キャベツときゅうりの漬物、小麦粉と水のみでタマゴは使わない竹の子とワラビのてんぷら、金目鯛の味噌汁。旬の一瞬を料理にして切りとってしまった贅沢な時間。“しあわせー。”ごちそうのちょっと前には、お隣さんから「うちに遊びにおいでよー」といわれ、のこのこといわれるままについていきましたー。自家栽培の畑を親切に見せてくれたと思ったら、そこでも春菊、ゴボウ、にんじんをこぼれるほどもらってしまいました。“なんていい人たちナンダー。”これでもかこれでもかの旬のオンパレードに感激。そういえば土の中にウドも眠っていましたねー。おみやげに手づくりジャムも用意されていました。気分爽快。元気百倍。そんな時、陽気な叔父がお酒を飲みながらワタシにこういいました。「○○ちゃん、ベトナムの工場は、今どうかねー?」「ハァー、叔父さん、どう言う事ですか?」「今さぁ、中国にやられちゃってるんだよねー」しばらく間をおいて、ワタシは叔父さんに言いました「だいじょうぶですよ。叔父さんほどの経営者で、しかもすごい技術をもった職人さんですもの」いきなり、朝のニュースで、遠く聞こえていた中国の2文字が頭の中にボーっと浮かびました。こんな身近にも脅威があったとは。春の日のうたかたの蜃気楼であってほしいなー。
遠くの国も、今はすぐ横にあるものなのですねー。

NO29 ユニークで行こう。
2005/04/16
差別しなさい。差別しなさーい!「顔をみるたび、上司が血相を変えて口うるさく言うんです。いまどき、そんな、差別なんてコトバ自体禁句なのに、21世紀に入っても、こんな差別オジリンがいるからワタシの給料も差別されるのよ。」こんな、OLのぼやきが、そこここで、聞こえてきそうな時代です。“差別化”は大競争時代の産物ですねー。とにかく、企業なら、価格、デザイン、工程、物流、販路、ココロ構えなど、あらゆることで他社との“違い”を追求して、生き残ってきたのですねー。でも同じように、たったヒトリの自分に“違い”を求めることに必死に努力しすぎて自分を見失って行くヒトも多くなってしまったようです。今は企業も、地球規模の中では、ちっちゃな個人みたいなモノ。共存共栄、コラボレーション、合併と、今度はくっつくために「自分のところでは、本当は、何がいったい得意なんだろう?」なんて、自分の得意を探しています。なんだか21世紀は差別化より独自化を求めだしたようですねー。ヒトも同じ。この地球上で誰ヒトリとして自分と同じヒトなんていませんよ。存在自体が“ユニーク”なんですね。“ユニーク”ってどんな意味かごぞんじですか?ユーモアがあるとか、変わったとか、おもしろいという意味ではないですよ。たった1つの、唯一の、独特のという意味ですよ。“自分のままでいる”のが“ユニーク”なこと。そう、21世紀に大切なのは、自分の頭の中にある“ユニーク”な考えをポンと出すことからコトがはじまりそうですね。うーん、ビール腹のおなかをポンポンたたいても、なにもおきないと思いますよ。きっと。

NO28 人間だもの。
2005/04/15
通勤電車が混み合うにつれて、ワタシは“ヒト”から“モノ”へと、どんどん変身していくのを感じます。みなさんは、どうでしょうか?“ヒト”でいられるのは、まだ周りの隙に、余裕があるときだけですねー。いったん、すし詰め状態になったなら、おっと、大変。息をじっと殺して、“気”を発せず、黙って無の境地でじっとしています。後は流れに逆らわずユラユラしてるだけ。その時にはとっくに“モノ”へと変身してますから、多少、蹴られようが、どつかれようが、がまんできるのです。そう、クロネコヤマトの宅急便のお荷物のようになりきれないで、いまだ、“ヒト”と“モノ”の変身中間地点だったら、感情がむくむくと沸いて出て、ムゥッとしたり、やたら、みょうに痛さを感じたりするのでしょうねー。つまり、見知らぬ“ヒト”同士の中では、距離感次第で、感情ある“ヒト”になってみたり、感情をもっていない“モノ”になってしまったり。“ヒト”と“ヒト”の距離間ってとってもミステリーですねー。昔から“スープのさめない距離”っていいますよね。これってなんか、程よい距離を感じさせる、とてもわかりやすい表現に思えます。でも、今は、ついさっきまで、まったく赤の他人だったのに、ものすごーい距離と時間を“ヒト”と“ヒト”として、インターネットが、一瞬にして、つなげてしまうことができるのですから。“ヒト”の距離感は、とっくに地球サイズになってしまってるのですねー。さぁ、電車が、そろそろ東京駅に到着です。電車から放りだされたとたん、ほうら、どんどん“ヒト”へと戻っていきますよー。はーい。人間だもの!相田みつお美術館。

NO27 おもいではバラより美しい。
2005/04/14
“この瞬間を残したーい”その場でそう思った時、さぁ、地球人のみなさんは、いったいどうなさいますか?携帯カメラやビデオで撮影する。メモする。録音する。絵を描く。俳句や短歌をよむ。歌を歌う。詩をよむ。ダンスなど身体で表現する等等。きっと、みなさんの得意な方法が、まだまだあるのでしょうねー。浮遊する実体のない空気のような“思い”をを記憶として一瞬に切り取ることは、季節の旬にだけ味わえる山菜を摘みとったようなもんですかねー。旬は、その限られた、ひとときが命だから何んだか、ピカピカ輝いて見えますね。今日はひさしぶりに、春の陽気に戻りました。ウグイスがここぞとばかり鳴いています。
庭に真っ白な椿が、花を咲かせています。今日、机のうえに置いている写真の前に、一枝の白い椿を供えました。今は亡きワタシの大切なヒトです。84歳の母と庭に出て、思いで話をしながら、三日月に美しく真っ白に輝く椿を小枝からそっとハサミを入れました。30年以上前、昭和初期の木造住宅が残っていた荻窪の隣家近くをその方が散歩中、玄関前に咲く花の一枝を切り取って以来、大切に愛情を込めて3度の引越しを経て、育てられた花です。今は、この庭に毎年、こぼれるほどの真っ白な花を咲かせてるのですが、その方も、そして、父も、すでに、今はこの世には、いないのです。でも、この花が、毎年、春に美しく花を咲かせることで、おもいでは、いつになっても、新鮮そのものなのです。記憶を木に託しこれから50年先、100年先どうなって行くのでしょうかねー。地球人のみなさーん、これからの50年先が見えますか?

NO26 ライオンは起きてくる。
2005/04/13
“日本人としてのプライドの回復”昨年の映画“ラストサムライ”の人気も手伝って、それ以来、「武士道を見直すのだー。」と、急にニッポン、ニッポンと連呼して騒がしくなってきました。“サムライ”って男性の象徴みたいですよね。なんだか、日本景気のよわよわしさに自信をなくした男性陣が、男復権を願う怨念のような気持ちが、ちらっと垣間見られるようなー。そう、武士道に邪念がはいってはいけません。そういえば、日本が見直されることって、いままでも、けっこうありましたねー。“ディスカバージャパン”“ジャパネスク”“ジャポニズム”等等。その中には、ノスタルジー的なものもありましたが、いままでで、とっても印象深いのは世界に勝負をかけたデザイナーさん達。「ヨーロッパのモノマネは出来ない。日本人のもつDNA、特に色彩感覚(日本人のセンス)は、世界に負けるはずはない」と言って成功をおさめたデザイナー山本寛斉さん。日本の黒白で勝負した、山本ようじさん、川久保令さん、など世界に日本をアピールしたこのサムライ達は、日本人であることを強くココロに意識したのですねー。この時代には、国際化のなかに日本文化をどう位置づけるのか、しっかりオリジナリティを追求してようやく世界に認められた瞬間でしたねー。そうして、ずーっと、底流で脈々と流れつづけていた真っ赤なマグマが、2005年の今年には、ゆさぶるような大きなうねりとなりそうです。ついに、ワタシ達に強ーい震度を感じさせる時期に突入したようですねー。さぁー、眠っていたライオンが、じきに目をさましますよ。オハヨ!オハヨー。目覚まし時計は不用でーす。

NO25 21世紀の若大将。
2005/04/12
21世紀最初の万博、愛知万博(愛・地球博)の現代美術展で国内外の7人のアーティストがなげかけたテーマが「幸せのかたち」のモニュメント。なんだか、大きなテーマですね。そんなコトを考えながら、お風呂にはいっていたら、なんとなーく自然に口ずさんでいたのが「しあわせってなーんだっけ、なんだっけ」うーん。そうでした。明石家さんまさんが歌っていた80年代前半にはやったコマーシャルソング。確か、この時代って“感性の時代”なんてふわふわとしたわけのわからないネーミングがついていて、何でも新しいモノをトレンドだっといっては、NEWこそ最高!を競ってた幕開けの時だったような?ヒトは、あんまりカンカン明るい日向ばかり歩いていると、疲れきって、ひんやりした木陰を探して、「疲れたー。ちょっとやすんでいきましょう。」ってなりますよねー。溢れるNEWの情報に疲れ、自分の身の丈にあった心地よさを発見しようと、こんどは“ひきこもり”じゃなくて“カウチポテト”なんてまたまたNEWのニューヨークライフスタイルをとりいれて、よけい疲れきってしまったヒトも多かったようですね。ごくろうさまでした。さーて21世紀の「幸せのかたち」っていうのはどんなかたちなんでしょうかねー。21世紀をになう、今の子供たちは、どんなかたちを思い描くのでしょうか。地球人のみなさん、一緒に考えましょう。それでは、手と手のしわをあわせてーしあわせー。南無ー。お身体を大切に。

NO24 ブルーマンデーにメロンパン。
2005/04/11
“ブルーマンディ!”このコトバを耳にするだけで、どなたも、真っ青な顔になってしまいそうですよね。まるで元気が吸い取られてしまう呪文をかけられたようないやーな感じ。実際、脳卒中、心筋梗塞、自殺増加などの確率が高いそうで、月曜日に魔物が潜むなどとささやかれ、さんざんな、言われようです。真っ青だけでなく真っ黒な“ブラックマンデー”もイコール“暴落”という汚名がすぐにイメージされるほど。月曜日さんって嫌われる運命なのでしょうか。人気者の土曜、日曜日さんがすぐ横にいるのがつらいところですねー。今日は、まして花散らしの雨。おまけに震度5強の地震も加わり、皆さんのテンションは下がりっぱなしでしょうか?風邪ひきのヒトも気温の激しい変化で、多いみたいですねー。はーい。ワタシはこの時を待ってましたー。どうしてですって?テレビで先日、マスクにオリジナルで絵を描いたり、子供のマスクにアップリケをほどこすのが、なにか流行する気配ありなどと、放映していたので、またまた物見好きのワタシとして、放映日に、丸の内、銀座、有楽町にて、じっと口もとを観察したものの皆無。電車の中でもお目にいまだかからない。ならば、カフン、風邪引きの絶好のタイミングとお台場へ。今日も1人も発見できず。こんなもんです。でも、まだわかりません。1月31日には、西葛西にインド人コミュニティができているということで、すぐいって確かめてまいりました。うーん。今は、まだこんなもんでしょうねー。情報と現実ってのは、、たいていは、大きく、ずれていることが多いんですよねぇー。それがおもしろところなんですけどね。でも、インドってのは、現在も大変なスピードで経済発展をとげているというのは、周知の事実ですね。20年後には、あの中国の人口をも追い抜き、なんと世界最大になってしまう国ですからー。世の中には、トレンドをしかける側としかけられる側の責めぎ合いが、どうなっていくのか見届けるコトもちょっと愉快です。帰る電車のワタシがすわっている正面で、なぜか、幸せそうに黄色とピンクのメロンパンを食べていた2人のお嬢様、そのお顔を見て、ワタシはとっても、ハッピーマンデーになりました。思わず感謝です。“ナマステ!”

NO23 電車の中のさかなの目。
2005/04/09
電車に乗り込こんで来た2人連れの女子高校生。「この音、へんじゃなーい?」「うん、ビミョー」これは電車の発車音に対しての短いコメント。すぐ横で、女子大生が、男友達らしき人に「へんじゃなーい?彼ったら、ディズニーランドに誘うといつも来るくせに、帰り際、必ず体調不良をうったえるのよ。だったら最初から、来なきゃいいじゃないよねー。サイテー」その後ろでは3人連れの女子高校生「サクラって、いやじゃなーい?」「どうして?」「散ると茶色くなるのがいやよねー」「でも、散る時ってきれいじゃなーい。」「うん、きれい。だけーどー、茶色くなるから、ワタシ嫌ーい」こんな、日常の、なにげないやりとりは、どこにいても、耳にはいってきます。外出すれば、人がいる限り、あらゆる現在進行形のナマ情報が勝手に飛び込んでくるわけですねー。友人などは、こんな立ち話に、偶然に耳をとめて、タダで教えてくれる英会話教室を探しだすことに成功しました。インターネットで検索しても、なかなか探せずにいたのに、しっかり探りあて、今もかよっているようです。ここだけの話よというのが、口コミといいますが、実際は、電車の中、カフェ、レストラン、など人の集まるところは全てといったことでしょうか。何気ない時聞に聞く、何げないコトバ。一瞬の“記憶”が連続して集積されると、やがて“記録”となり、見えないものが見えてくることも時と場合ではあるのですねー。これからも、大切なコトは“さかなの目”を持つこと。潮の流れが、いつ変わるのかを見極める目を養う事が大事なんでしょうかねぇー。そうじゃなければ、浅瀬で身動きできなくなって、そのまま動かなくなったシャチみたいになってしまうかも。今日はお花見の絶好のお日和。お花見の中で、いっぱいの地球人のヒトリゴトが花盛りー。

NO22 近未来は過去。
2005/04/08
片手にお金を握り締め、物言わぬ、券売機を、じーっと見ながら、その場でかたまって動かないご老人。うしろには、ずらーっと長い列。毎日のようにどこかの駅で、見かける凍りつくような光景・・・。2003年4月7日、愛すべきロボット、鉄腕アトムが生まれました。1952年に想像した未来が、今は、もうすでに過去になってしまったのですねー。人間のココロをもったロボットが優しく教えてくれたこと。覚えています?“ロボットと人間生活の共生”“自然破壊”“多文化との融合”“家族の愛”イヤーこのさびしい光景をアトムくんに見せてあげたいですねー。とにかく駅のきっぷ販売機というロボットは、乗車券、カード、スイカ、などにわかれているだけでなく、新札対応の有無やタッチパネルなど、複雑でご老人にはちょっと優しくないですねぇー。無人だと思っていたら、故障した時だけ、いきなり券売機横の小さな窓がパッシャっと開いて、駅員さんが「ドウシマシター。こしょうですかー?」などと、なんだか、へんにこもったような声だけ聞こえてきますよね。これじゃー、まるで、悪人を寄せ付けない、あのパニックルームから交信しているような感じですねー。駅員さん。そんなひきこもらないで、たまには表にでてきてくださーい。そういえば、どこかのタクシー会社の若社長に「なぜ。おこさないんだ!」と、むなぐらをいきなり、つかまれた駅員さんは、とっても大変。この頃、泥酔客の駅員さんへの暴力が急増しています。ストレスが原因とのこと。これじゃ。恐くてパニックルームにひきこもっちゃいますよー。優しい地球人のみなさん。ならば、全員がアトム君となって、駅で困っているご老人がいたら、素早くお手伝いいたしましょう。そう、駅員さんもがんばってますよ。あっ、そうそう、思い出しました。1968年に夢みた映画“2001年宇宙の旅”も過去になっちゃったけど、まだ、ありましたよ。ドラエモンがタイムマシーンでやってきた近未来。どうやら、まだ先の2008年らしいですねー。アーアー、なんだかちょっと、ホッとしましたー。

NO21 鯉のぼり達は元気です。
2005/04/07
春の嵐でーす。砂塵を吹き上げながら、うなるような音をたてる風の中に、元気にチカラ強く泳ぐ、無数の連なる、鯉のぼりを目撃しました。勇壮な光景に、早くも、男子の節句が、ちかづいてきたんだなーと気づかされました。頭にふっと、柏餅が。イヤそうではなくて、似たような光景を都心の大型家電量販店のなかに思い浮かべたのです。昨年は、デジタル家電、ハイブリッドレコーダー、デジタル一眼レフカメラ、が大ヒット。中高年男性の消費逆襲などといわれるほど消費に火がついたこともあり、今でも、普通日に、これほどまで男性が泳ぐように群を成している場所は、めったに見ることはできませんねぇ。デパートや、ホテル、レストランなどは、雛祭り状態ですけど。さて、この男性群は、パソコン売り場にもオーディオのところにも元気にたむろっています。なかには、弱弱しくマッサージチェアーにしぼんでいる群もおりますが。でーも、近頃話題本の「自信のない」男の代表者“電車男”の雰囲気とはちょっと違うようですねー。このこいのぼりさん達の中には、1950年〜60年代ダークスーツ全盛時代に、突如、モノクロ写真がカラーになってしまったような1968年のピーコック(きじ)革命などという男性服飾のカラー化の洗礼をうけた、錦ごい達もいっぱい、いますよー。昔、カラー化しちゃった世代が、春になってもブラックバスみたいになっているのが多いのも、ちょっとさびしいですけどねー。でも、深くソファーにもたれながら、たった一人で、艶やかなオーディオに耳をかたむけているお姿、けっこう、かっこいいですよ。

NO20 素敵な出会いはデジャブー。
2005/04/06
23.1度。あつーい日となりました。。今日は、桜の木々がみるみる、ピンク色に染まり出しましたね。あちこちで入学式がはじまっています。生徒たちの新担当となる若き先生が、新しい出会いにコトバを添えました。「皆さーん、こうして出会えたのは、偶然でしょうか?袖摺り合うも他生(多生)の縁というでしょーう。このコトバ聞いた事ありますかぁ?」そういえばこれって、みなさんもよーくご存知の日常でもよくつかわれる仏教用語ですよね。通常の解釈は“道で見知らぬヒトと袖が触れ合うだけでも、前世からの因縁があーる”さらに“見知らぬヒトと、袖がふれるような些細な出来事も、偶然によるモノではなくて、深い縁があーる”という意味で知られていますね。そういうコトって、「なにか、知らないけれど、いつだったか、こんな事、したことあるなぁー?」っていう体験。そう。“デジャブー”って感覚に似ていますよねー。そんな、日常体験を多くの地球人は、しているからでしょうか。日本でいうお茶のココロでもある“一期一会”を大事にするヒトが、とても多いのですねぇ。“新しい出会い”ワタクシも、これからも、どれだけの出会いがあるのでしょうか?なにか妙に、ワクワクドキドキしてきました。やっぱり日本人には“エン”は大切。「そうなんだよねー。そのとおーり。これから、エン安、ドル高で輸出量の減少は解消ダー。いいぞー。ヤッホー!」そこで、喜んでいる社長さん。違うんです。そのエンも大切ですけど、今の日本にはこの“縁”が大切なんです。えっ?あらぁー。そうだったんですか社長。エンの乱高下で商売が崖っ縁だったとは。

NO19  ドン・マイ日本。
2005/04/05
日経産業消費者研究所調査“近頃行かなくなった繁華街”で不名誉2位に輝く新宿へ。なんでも治安悪化が最大の原因で、ちなみに1位は、渋谷とのこと。チラシをまく、お兄さん、お姉さんをかいくぐり、新宿の街をぷらりぷらりとあるいていると、1966年(昭和41年)オープンの老舗喫茶店“談話室滝沢”が先月3月31日、40年間の歴史に幕を下ろしたことを告げる張り紙に目が留まりました。残念ながら、馴染みの風景が、なくなったその日から、ワタシタチの記憶から、あっという間に消えさることになるのでしょうねー。椿屋珈琲店が5月より新入居。こうなると、「以前は、ここになにがあったっけー。」などと、言う人は皆無にちかくなってしまうのが世の習い。78歳の滝沢社長が「サービスが低下して、皆様にご迷惑をかける前に、引き際が大切と思いました。」とのコメントをみつけました。一期一会のおもてなしをモットーとし、社員教育に全寮制を敷き、正社員にこだわりながら、サービスを追求したものの、今の時代の、サービスの質の激変が、そうさせなかったのですね。。でーも。長い間、本当にご苦労様でした。変化に対応しながら、上質なサービスを維持し続けることは、とてつもない信念と努力と智恵が必要なのですねー。こうして街はとどまることなく、スラップ&ビルドを繰り返しながら、ここまできたのですねー。失われた街の写真集が、ちまたにあふれています。古い街並みとともに、そこに写り込んだ人々も、その当時には、何度も同じ体験をしていたことでしょうね。そんなノスタルジックな感傷に浸っているひまもなく、2007年に日本中に本格的に吹き荒れるであろう猛烈なM&Aの嵐の後に、寒ーい失われた街が出来ないよう。でも、きっと、だいじょうぶ。近頃すでに、新大和ナデシコ・大和男児が登場しはじめているからです。

NO18  おどろよ。マツケン
2005/04/04
「久し振りに会ったのですから、良いコトを教えてあげましょう。」競馬新聞をバッサッと開き、物静かな先輩が、ワタシに、そう言ったのです。「ハァー。ありがとうございます。」すると先輩はニコッと笑ってこう続けました。「長年、競馬をしているうち、ついに大変な発見をしたのです。実は、勝敗の結果は、もうすでに、この紙面の中のどこかに暗号化されいます。わかりますか?」いきなりの話の展開に動揺しながら「いいえ。ちょっと、わかりませーん。暗号化?」「そうです。暗号化です。ここと、ここの、解説文とここの数字が、隠されたポイントです。ここです。わかりますか!」「いいーえ。あのーまったくもってわかりませんがー。ところで先輩、その暗号、いままでに解読できたのですか?」「いーえ。もう、少しなんですけどねー。解読できていたなら、とっくに億マン長者です。長年やって、わかったコトは、シロウトが手を出しても絶対に儲からないってコトです。」「あのー。先輩、競馬がシロウトに儲からないという解答を出すまで、そこまで長年かかったってコトですか?」「この暗号は、特別に選ばれたヒトだけにおくられている暗号。一般のヒトでは、無理なことがわかりました。」「じゃー先輩。良い話というのは、競馬は絶対儲からないという教訓ですかぁ?」「イイエ。教訓じゃあなくて真理です」先輩は、真剣でした。ワタシは、頭のなかで、ふっと、子供の頃、モノクロ画像で見た子供番組のSFドラマを思い浮かべたのです。それは、日常生活を何気なく送っていた1人の少年におこった突如の出来事。目が良くなりすぎて、いままで見えなかったミクロ単位まで見えるようになり、食べる皿の細菌などもすべて見えてしまい、日常生活が恐ろしくて、家の中に閉じこもって、なにもできなくなってしまう、たわいのおはなし。そう。見えないもの(情報)がまだ自分にとって受け入れられる範囲なら“興味”。許容範囲外でも“未知”。それ以上は“恐怖”へと変貌するのでーす。そう、情報もほどほどに。日常生活に支障がでないよーに、DVD,パソコン、テレビ、本など、しばし、離れて外にとびだしましょう。外は情報の宝庫。暗号化はいたるところにありますよ。SALE表示してなくても、おなじみサンなら解読できるSALEの印。看板の出ていない知るヒトぞ知る隠れ店。携帯電話の文字。そうそう、銀行取引口座に合言葉なんていうのも。街のいたるところに、記号・暗号は溢れています。なんの不思議もありませーん。眉間にしわをよせ、考えても疲れるだけ。そんなコトより陽気に、元気にライブに行こうじゃありませんか。

NO17 日曜はだめよ。
2005/04/03
テレビから、強い口調で訴える声が聞こえてきました。その中に、妙に気になるコトバのフレーズがワタシの耳に飛び込んできたのですぅ。ふっと、画面に目をやると、あのライブドアの堀江社長と記者さんとの質疑応答のライブ中継でした。「なーぜ、みなさんは、失敗すると、すぐに決めつけるのでしょうか。そういうからには、どこに失敗するという根拠があるのですかねぇ?教えてくださいよ」「ワタシは、いままでも失敗はしてないし、このことに対しても失敗しない自信があります」「なぜですって?いままで多くの先輩方が残した失敗例に学び、それを繰り返さないからです」うーん。なるほど。あのドイツのビスマルクの名言“賢者は歴史に学び愚者は体験に従う”ということか。ワタシが、なーぜ、妙にこのコトバのフレーズに妙ひっかかったかというと、数日前に、もう一つの全く反対の意味のフレーズを心に留めていたからです。それは、ワル中高年のテリー伊藤さんが、早口でまくしたてるように言い放ったコトバ。「ボクハ、知識のひきだしをいっぱい持ちなさい!なーんて言っている奴が信じられないんですよねー。例えば両手に一杯にモノをもっていたらもう、新しい知識がひろえないでしょう。だからそんな古いの全部捨てちゃうんですよ」なーるほど。開拓者精神ですね。この2者のフレーズが、なんか、どうも若者と中高年とのクロス現象に思えるのですが。「マニュアル(歴史)か?トライ&エラー(体験)か?どっちをとるか、白黒ハッキリ付けろ!だーから、日本人は曖昧といわれるんだ」等と怒っちゃ駄目ですよ。ヒトが地球にたった2人だけならいざ知らず、地球には64億人の地球人の意見があるのですから。きっと、“バランス”が大切なのですよね。そういえばー、この頃、○○力っての目にしますねー。人間力。老人力。大人力。元気力。伝達力。段取り力等など。皆さーん。いっぱいチカラが入りすぎて“バランス”をくずさないでくださいねぇー。今日は、日曜日ですから。すっきりチカラを抜いてー。ハーイ。肩甲骨などグルリグルリと、まわしましょう。

NO16 ワタシを東大に連れて行って。
2005/04/01
長年のお付き合いの友人の一人と渋谷で待ち合わせ。今日は、楽しいひとときを、おかげさまで過ごすことができました。以前、渋谷タワーレコードで待ち合わせていたものの、ついに時間に到着することなく消息を絶つ。あとからわかったコトは、自宅から自転車走行中、工事現場の穴の中に落ち、息絶え絶えに病院に自力で辿り着いた過去を持つお人です。過去のトラウマでしょうか。待ち合わせのお時間になるたび、あの友人の行方がちょっと、気がかりーです。そんな友人に誘われて東京大学キャンパスに昨年5月オープンしたという瀟洒なフレンチレストランでお食事。キャンパスでは、ちょうど新入生が入ってくる時期なので、それぞれのクラブ活動が勧誘でにぎわっていました。ブラスバンドや、ジャグラーをする学生。運動場ではさまざまなクラブで活気に満ちていました。とても生き生きして、笑顔が溢れていたのが印象的でした。友人と楽しくおしゃべりしていた、その後ろの席では、12人ぐらい老齢の紳士達がゆったりと食事をした後、1人の方がパネルを持って何かの講義をはじめ、皆が静かに聞き入っていました。なんとも、あの年代で、日々勉強。キャンパスの生き生きした若者達と、レストランの窓から差し込むゆるやかな光の中で静かに講義を聞きいる老紳士達の姿が、妙に非日常的な風景にとけて見えたのはワタシだけだったのでしょうか。食後、友人とゆっくりキャンパスをめぐりながら、春の訪れにもうあと少しの桜や、真っ白な木蓮、小さな紫のムスカリの花、黄色の水仙などたくさんの息吹を目に止めることで、二人ともちょっと幸せな気分になれたのです。この頃、ワタシの街歩きの中に、多少キャンパス巡りも、楽しくなっていたところです。ここは、いつも近くには、来ていたものの、入らずじまいの場所。誘ってくれた友人に感謝です。そういえば、今日も捻挫していましたねー。なぜか、あなたは、キズだらけの人生が哀愁を帯びて似合います。