バックナンバー
2005-3月 2005-4月 2005-5月 2005-6月 2005-7月 2005-8月 2005-9月 2005-10月 2005-11月 2005-12月
2006-1月 2006-2月 2006-3月 2006-4月 2006-5月 2006-6月 2006-7月 2006-8月 2006-9月 2006-10月 2006-11月 2006-12月
2007-1月 2007-2月 2007-3月 2007-4月 2007-5月 2007-6月 2007-7月 2007-8月 2007-9月 2007-10月 2007-11月 2007-12月
2008-1月 2008-2月 2008-3月 2008-4月 2008-5月 2008-6月 2008-7月 2008-8月 2008-9月 2008-10月 2008-11月 2008-12月
2009-1月 2009-2月 2009-3月 2009-4月 2009-5月 2009-6月 2009-7月 2009-8月 2009-9月 2009-10月 2009-11月 2009-12月
2010-1月 2010-2月 2010-3月 2010-4月 2010-5月 2010-6月 2010-7月 2010-8月 2010-9月 2010-10月 2010-11月 2010-12月
2011-1月 2011-2月 2011-3月 2011-4月 2011-5月 2011-6月 2011-7月 2011-8月 2011-9月 2011-10月 2011-11月 2011-12月
2012-1月 2012-2月 2012-3月 2012-4月 2012-5月 2012-6月 2012-7月 2012-8月 2012-9月 2012-10 2012-11月 2012-12月
2013-1月 2013-2月 2013-3月 2013-4月 2013-5月 2013-6月 2013-7月 2013-8月 2013-9月 2013-10月 2013-11月 2013-12月

 
NO417 迷惑メールかぁ?。届いた1通のワクワクメール。
2006/07/16
オォ〜メールボックスに大量の迷惑メールだぁ!!
昨日、PCを開いてメールをチェックしていると一通の気になるお中元とタイトルされたTAGOS宛のメールが。
あれあれそれは“ユニーク地球人”の“ブッチーズ・ロッキン・パラノイア・ライフ”コラムニストButchyさんからのメールだったのです。
正直心配していたのです。突如音信不通!Butchyさん神隠しにでもあったかも!ず〜っとパラノイアライフの道を極めていますから。
気になるメールボックスをクリックしたのです!
ア〜しまったぁ!こりゃ膨大な迷惑メールかぁと思わず勘違いするほどのホームアドレスがずら〜りと下まで連なっています!
さてはButchyさんの名を語った迷惑メールかも〜。
恐る恐るその1つを開いて見るとTAGOSは大感激!それは確かに間違いなくButchyさんからのメールに間違いありませ〜ん!!
アドレスを開いて見るとそれは1960年代〜70年代のフレンチポップス・アメリカ・イギリス・日本に渡る大変貴重なミュージシャン達のビデオクリップだったのです。
いやぁ〜世界からよくぞこれだけの映像を集めたものだぁ!さすがButchyさんの音楽に対する集中力は半端じゃないと感心しきり。
たとえばフレンチポップスでは1963年代の“シルビーバルタン”“フランソワーズアリディ”“フランスギャル”のモノクロからカラーまで。
“シルビーバルタン”の17歳でロコモーションをうたうイエイエ時代の映像が見られるなんて!!
当時フランスではBB(べべ)“ブリジットバルドー”が戦後の若い女性のヘアスタイルやファッションのべべスタイルをつくりあげてからその後久しく出なかったけどバルタンスタイルはファッション誌ELLEやVOGUEにも再三取り上げられていたし音楽雑誌サリュレコパンでは常にトップ“アイドル”として君臨していましたぁ。
そんな映像がこれでもかぁと出てくるので、昨日から今日までず〜っと見続けております。
いやぁButchyさんらしい突然のサプライズにもうなんといったらよいか、まったく諦めていたあの当時のイキイキした映像と音楽がこんなにも見られるなんて!TAGOSは夏バテなんか絶対しませんよぅ〜。
あぁ、そうそう地球人の皆様!!こんなに喜ばしてくれたButchyさんのコラム復活はもうじきです。

●ユニーク地球人
スーサンのよもやま話NO19NEW UP です。
無名仙人さんシリーズ“日本人のいじめ体質”について語られています。


NO416 夢四国21世紀ー心と自然回帰の旅。
2006/07/14
こりゃ〜鰻の蒲焼状態ですねぇ!!
蒸されて焼かれてなんと35度を記録しましたぁ!
TAGOSはフラフラとしながらも大手町日経ホールへとやって来ました。
昨年に引き続き今年も四国観光シンポジウム「夢四国21世紀ー心と自然回帰の旅」講演を聞くためです。
昨年は四国の各県の知事さんがはじめてこの大手町に大結集し、四国の魅力をおおいにアピールしたのでした。
TAGOSは以前から四国にはとても惹かれるものがあるのです。
なにかまだはっきりしないけど“日本人の原点”というか、このテーマである心と自然の回帰を四国に感じてしまうのです。
さぁて、今日は“美しき日本の残像”というテーマの基調講演が東洋文化研究所のアレックス・カー氏によって語られましたぁ。
“ちいおり”と自ら名付けた徳島県祖谷(いや)山村にある築300年の茅葺き屋根の古民家に住み、日本の文化価値観の再興に奔走しているお方です。
えぇ!そんなにも大変なことになっているとは!
世界の財産でもある日本の自然美が失われていく多くのスライドを見せながらの講演がとてもびっくりしたし、気付かせかたがとてもユニークだったので、そのことをおしゃべりしようと思います。
国破れて山河なし?
日本の国家予算の中での公共事業の割合は50%近くに達しているのだそうです。公共事業の掲げるスローガンはいつも「人に優しく、自然に優しく」
そして昭和25年建設省が国土整備を推進し続ける為に発表した歌がアレックス・カーさんから紹介されました。
建設省制定曲名“ユートピアソング”
♪歌は揺れる リボンは揺れる 山も谷もアスファルト ランランランラン素敵なユートピア♪
♪街は花園 ネオンの都 月とささやく摩天楼ランラン・・・希望のユートピア♪
同時にこの公共事業によって日本中の何千という河川や海に不必要なコンクリートの堰やダム、そして何千本のアスファルト道路工事が日本の美しい山々の奥深くで、今も次々に進行しているスライドを見ることになったのです。
すごいインパクトでしたぁ!これは山村の緑の美しさの中に忽然と出現した無味乾燥の巨大な巨大な灰色コンクリートオブジェだぁ!
ハァ〜都心は目だって様変わりしているけれど日本中のあちこちですごいことが起こっているのだと愕然としたのです!
確かに昭和25年は、日本のユートピアを求め泥にうまって動かない自動車をスムースに走らせる立派な道路や、世界に示す建造物は必要であったと思います。
しか〜し、こんなところに今なぜ? そこに住む人たちの暮らしと、伝統と、美意識が、コンクリートに塗り固められてしまうようで息ぐるしかったですねぇ。
日本には日本人の忘れている美しさが沢山あるんだと改めて感じたシンポジウムとなりました。


NO415 わすれものは何ですか?朝から“ALWAYS三丁目の夕日”
2006/07/13
昭和30年代にタイムスリップだぁ〜。
いやぁ今日は蒸し風呂に入ったような日でしたね〜。梅雨時の真夏日33度〜35度を記録しましたぁ。
昨日レンタルした“ALWAYS三丁目の夕日”DVDを早朝に家族で見終わった後、どうやら日常のリズムがずいぶんとずれてしまったみたいです!。
映画ストーリーはもうとっくに皆様がご存知なのでふれることもありませんが昭和33年という時代背景で展開される日常生活を送る三丁目の住人達の人情物語、そしてなんといってもその当時の東京の街の再現映像にはぐっとくるものがありますよねぇ。
室内にひんやり冷房をかけながら座っているTAGOSが、扇風機が回る昭和の夏の畳生活場面など目の当たりにすると感覚がふ〜とその当時にタイムスリップしているのです。きっと当時の子供に戻ってしまっているんですね。
さてさて“ALWAYS3丁目の夕日”の昭和30年代の東京の街の風景は実写ではないけれどすごい映像を見せてくれました。
日本映画の黄金時代といえばちょうどこの昭和30年代の年。
東京の風景が大きく変わり始めた古く良き東京の街を映してくれるのも数々の当時作られた日本映画ですよね。
有名な小津安二郎監督の“東京物語”にもハトバスで巡る丸の内や銀座、銀座松屋デパートの屋上等、の情景があったり、成瀬巳喜男監督にいたっては“州崎パラダイス・赤信号”では江東区東陽町1丁目付近、“銀座二十四帖“築地警察署、新橋演舞場近く“稲妻”木場、新田橋、“足にさわった女”日比谷映画街等等、東京の街を背景とした当時の多くのロケ地が見れるんですねぇ。
もちろんご興味のある方は、あの石原裕次郎さん主演の映画だって小林旭さんの銀座旋風児“マイトガイ”シリーズや、加山雄三さん若大将シリーズ、ふうてんの寅さんシリーズだってふんだんに出てきます!!。
そうそう“ALWAYS三丁目の夕日”で昭和の東京の街が懐かしく思えた方は実写で街を歩いている方々や当時の風俗が色濃く残されている日本映画を是非一度見られれたら、“あ〜あ、そうだそうだ!ここにはこんなお店や建物、こんな服装してたねぇ〜”
ひょっとして長年忘れていた“自分のわすれもの”がみつかるかも・・・。


NO414 美しき日本の風習。心通わすお中元。
2006/07/12
カナカナカナカナ・・・・。
あれ?ヒグラシが鳴いているぅ!
なんだぁ!ありゃ赤トンボが止まっている〜。いきなり初秋かぁ!
いやいや梅雨もまだ明けていないのに、すっかり秋が目の前に見え隠れしているのです。
チビコオロギもチョロチョロしていますからねぇ。
もうじきお盆7月15日まであと3日ですねぇ。
日頃お世話になっている方々に感謝の気持ちをこめての贈り物“お中元”のやりとりもいよいよ終了です。
関西では7月上旬〜8月15日 関東は6月下旬から7月15日が一般ですね。
虚礼廃止などといっても歴史ある日本の風習はしっかり息づいています。
サントガリア星人さんがお盆のことをユニーク地球人に書かれているように7月15日の中元と日本古来の祭りごとの一つである7月の御霊祭の贈答習慣に加えて、インド発で伝来した孟蘭盆会(うらぼんえ)とお盆とが重なってお中元の贈答が行われるようになったそうです。
江戸時代以降からというんですから長〜い歴史ですよねぇ。
お中元がついたとたんにどちらの側もお礼を添えてお電話にてご家族などの近況報告に笑顔がはずみます。とてもいいもんですねぇ〜。
さてさて、いつもお花を贈答品にされている方から早速とどきましたぁ。いつもどんな花を贈ってきださるのか楽しみなのです。
おっ!この花は“アンスリューム”一つの花で1ヶ月以上楽しめるお花ですよぅ!
やがて古くなった花は色が暗い色に変化して真っ赤から緑色に変わるのです。
そしてだんだん暗い色に変化してその状態をアンティークフラワーとして鑑賞できるんですよぅ!
遠く離れていても贈り贈られ、お世話になった方々へのお礼とご健康なことをお互い確かめ合う“お中元”
心かよう美しき日本の風習ですねぇ。

●癒しの写真館(トップページ左下クリックです)
NEW コーナーご覧下さい。美しい風景です。


NO413 豊月(ほうげつ)86歳が語る。か細く咲く一輪の露草。
2006/07/11
毎日のように曇り空、湿度高くうっとうしい日が続いています。今日も曇りです。
春、庭の木に巣づくりした野鳩は立派に小鳩二羽巣離れ。
親子そろって玄関脇の坪庭の軒下に仲よく場所を替えて住み付いています。
私は時々、楽しみに見守って見ています。
古木にかこまれた奥に笹、どくだみ、とくさ、特に茂みが大変です。
茂みの中にちらっと可憐な紫の花が?
“あら・・・・。”あの時の“つゆ草”がか細く一輪咲いていました。
しばらく腰を下ろし、しみじみ懐かしく見つめていました。
それは二十年前主人が健在でいた頃、よく日本橋三越に二人で屋上園芸部が好きで行きました。
その時買って植えた“露草”入梅時に見ながら縁側で主人と抹茶を頂いた思い出です。
時の流れの早さはさびしくなる時も有りますが、早速絵はがきに描きました。
今日見つけた“露草”来年は雑草に負けないで立派に咲いて下さい。
私もつつましく心に秘めて元気に頑張りたいと思う豊月(ほうげつ)です。
皆々様、ご健康にて。

●NO409に豊月の水彩画を新たに挿入いたしました。


NO412 2007年様変わり!有楽町で会いましょう。
2006/07/10
ウォ〜ビールがうまい!うま〜いぃぃ。
東方・日出る処にて生ビールをぐいぐいと・・・。
先日、東京フォーラムに2003年7月に移動して来た老舗ビア&レストラン“レバンテ”でTAGOSは一人2階の窓の外を見ながらモノ思いにふけっておりましたぁ。
“レバンテ”といえば有楽町、有楽町といえば“レバンテ”よくご存知ですよねぇ。
1947年(昭和22年)有楽町駅の顔として50年余り存在した誰もが知るお店、スペイン語“レバンテ”とは“東方・日出る処”という意味なんだそうです。日本におけるビア&レストランの草分け的存在で小説家松本清張の「点と線」をはじめとした数々の小説の舞台になったと支配人さんが記しております。
さてさてその有楽町駅前は再開発が急ピッチに進んでいますよぅ!
地上21階、地下4階、塔屋1階の複合ビルの建設場所は東京交通会館と有楽町マリオンにはさまれた区画です。
核店舗が1階から8階の丸井、地下道連絡通路に専門店街、10階〜20階オフィス、地下2階から地下4階駐車場、来年10月に誕生ですよぅ。
これで有楽町はまったく様変わりしてしまいます!。有楽町って1丁目と2丁目しかないですからねぇ。
そうそう地下通路も整備されて有楽町から丸の内、大手町、東京駅まで、さらに銀座和光や東銀座の歌舞伎座まで雨に濡れずに行けるようになるのだそうです。
ということで今一番変化している通りは銀座にむかって有楽町からつながる“銀座マロニエ通り”なんですねぇ。
マロニエ通り周辺は今工事だらけ!。
プランタン銀座2期工事・三共銀座プロジェクトのブルガリ・富士フイルム再開発・マスミューチュアル生命ビル解体&新築工事・和光並木通り新築工事等など。
2007年にむかってすごい勢いで変化していますよ!
中心地区でも個別の立替計画がまだまだ進行中です。
いやはや、留まることなくスピードがどんどん加速していますぅ〜。

●癒しの写真館(トップページ左下)
NEW コーナーが出来ました。癒されますよぅ
是非、覗いてみてくださいね。


NO411大相撲七月場所初日に思う。無類力士“雷電”
2006/07/09
始まりました!始まりましたね!大相撲七月場所が。
最終W杯サッカー決戦で盛り上がっているなか、日本の伝統スポーツ、いやいや伝統的な儀式が今日初日をむかえたのです。
あれあれ、モンゴル力士の白鵬もブルガリア力士琴欧州も負けてしまいましたねぇ。
そういえばこのところ、力士の名前をきいても顔がすぐに思い浮かばないのです。
相撲との距離感がいつの間にかできてしまっていることに気づきましたあ。
なんでなんでしょう?TAGOSにとって色々あるけれど、それは飛びぬけて絶対に強いひいきの力士が戦い合うライバル決戦相撲がなくなりつつあることかもしれませ〜ん。やたら強くてにくらしいほどの存在感の力士が!
先日門前仲町の鶴岡八幡宮の横綱力士碑に見た“無類力士”いやぁ〜そんな強い力士は誰だぁ?
その力士の名は雷電為右エ門!史上最強力士に推す意見も多いと聞きます。
江戸時代の大関(1790〜1819年)身長6尺5寸(197センチ)体重46貫(172キロ)今のエストニア出身力士把留都(バルト)とまったく同じ巨漢。
調べれば調べるほど伝説になるくらいのすごい力士ですよねぇ。あまりの強さに鉄砲(つっぱり)張り手、閂(かんぬき)を禁じ手とされたというくらい!!
現役21年、勝率なんと96パーセント!強い!
まぁ〜、現在ではこの“雷電”という名前、知っている?と尋ねてもまったく知らない人が多いでしょうねぇ。
それでも“ライディーン”なら知っているなんて人はいるかも?1975年から放映されたロボットアニメ“勇者ライディーン”雷電王というロボット名募集から雷電=ライディーンへ。
そうそう今でも時々携帯電話の着信メロディーが突如車内に。あのテクノポップバンドYMOが1980年に出した独特のメロディー“ライディーン”。
これアニメのライディーンかららしいけどしっかり“雷電”という名は伝説となって生きているお相撲さんですよね。
双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士との立会いすごいことになったでしょうねぇ。
さてさて、今場所の優勝は果たして誰なのでしょうか?


NO410 粋な深川、いなせな神田。門前仲町はご利益通り。
2006/07/07
めしだ!めしだ!深川めしだぁ〜!
あさりや青柳の剥き身を使った汁かけご飯が下町の伝統食“深川丼”これって戦前まではごく一般的だったらしいですね。あさりの炊き込みご飯が今の“深川めし”ですよ。
いきな深川、いなせな神田、いよぅ〜ここは深川門前仲町ですよぅ!
日本橋・江戸橋から永代通りを抜け,隅田川にかかる永代通りを渡りきると深川とよばれる一帯です。よくゼロメートル地帯なんて言われてましたね。
日本橋から門前仲町へは昔は都電が足となっておりました。
TAGOSが幼少時、日本橋からここまで走って遊びに来ていたのです。
さてさて大正15年に架け替えられたシンプルなアーチ型の“永代橋”。
ここは子供にとって興味をそそるところでよくよじ登っては見かねた大人達から“こらぁ〜危ないから降りなさ〜い”などと夢中になって遊んでいる悪がき共を注意してくれたものでしたぁ。
ほぅ〜歴史を紐解けば最初の元禄の永代橋は上野寛永寺本堂のなんと余材を使って造られたのだそうです。いやぁ、子供とは言え登りついていたとはなんとばち当たりなぁ〜。
“永代橋”は渡っただけでご利益がありそうです。
ご利益といえば富岡“深川不動堂”の参道は“人情ご利益通り"
と命名されていますねぇ。赤鳥居をくぐれば和風旅館や象牙店などが軒を並べていますね。
なにより縁日時はお不動さんから鶴岡八幡宮にかけて150店ほどの露店がずらぁっと並ぶ時が壮観ですよぅ!
門前仲町は浅草などと違って、普段日は人通りは閑散としているんです。そう浅草みたいにバスでくる多くの観光客が見られないんですよ。そう言えば外国の方々も少ないようですねぇ。
だからゆったり江戸情緒を楽しむことができる見どころいっぱいの貴重なエリアなんです。
ここだけはなくならないでぇ〜と思いつづけているのが“辰巳新道”細いまがりくねった路地に小さな飲み屋さんがひしめきあっている別世界。花街の面影を残すところです。神楽坂、新宿荒木町、人形町などなど風景が変わりつつある中、“仲町”守ってくださいねぇ。
TAGOSの大好きな街の一つです。

●癒しの音楽♪冒険団(トップページ左下クリック)
愉快な企画ですねぇ!デリうた宅配って。


NO409 笹の葉サ〜ラサラ。どこかで揺れてる人の心。
2006/07/06
“当たりますように パパの宝くじが”
“バレーを続けていられる収入がありますように”
“じしゃくになりたい(いりなちゃんと)
いやぁ〜身に詰まされるなぁ〜。
“一年後にいいことあるように”
おっ、もう今年諦めちゃったのかぁ?
“自分を信じられる実力がつきますように”
う〜ん毎日、毎日一所懸命なんですねぇ!
はい、ここは朝7時の有楽町線の有楽町改札口です。
出勤時間帯に入り大勢の人達があわただしく通りすぎるすぐ横に七夕さまの笹にたくさんの願いごと短冊が添えられていたのです。
皆さん、どんな願い事しているんだろうなぁ?
こんな出勤時に他人様の願い事など不謹慎にもあれこれながめている暇人なんぞはTAGOSを除いておりませんハイ!
“おふくろ おやじに会いたいなぁ”
この方はふるさとを思っていらっしゃるのか?
もうすでにご両親がお空で・・・・。
さぁてさて、帰宅すると母豊月(ほうげつ)86歳が笹飾りを一日かけてつくりあげておりましたぁ!。
母豊月に贈った誕生日や母の日のプレゼントや花束を包んだラッピングやリボンなどを全部保管していて、
夕刻にはすっかり坪庭にある2本の笹に色とりどりの七夕飾りとすでに書き込まれた短冊が風に揺れておりましたぁ!
家族分の願い事を書く短冊もすっかりつくりあげ、
“ハイ、どうぞ皆の願い事”と準備万端なのです!
間違いなく明日の早朝には家族全員の願いごとが飾られているのです!。
坪庭の上には鳩の家族が住みつき、願いごとの短冊は心を込めて贈ったラッピングやリボンで出来ているし、これじぁ〜なんだか願いが叶いそうな気分になりますねぇ。

♪人は誰も悪い事を 覚えすぎたこの世界 築き上げたユートピアは 壊れ去った もろくも

誰も見えない廃墟の空 一羽の鳩がとんでいる 真白い鳩が 
 
生きることの喜びを 今こそ知る 人はみな  

汚れない世をこの地上に 再び創るために 人は目覚めた

生きることの喜びを今こそ知る 人はみな
(1968年 廃墟の鳩 タイガース)

● 癒しの音楽♪冒険団(トップページ左下クリック)
どうぞご覧下さい!!!


NO408 新しい朝が来た希望の朝だ!それ いち にい さん。
2006/07/05
リズム!リズム!そうリズムです!!
♪新しい 朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け
大空あおげ ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に開けよ それいち にい さん♪
現在、水前寺清子さんが歌っている某缶コーヒーCM。
いやぁ〜これほど日本人の多くが知っていて、音楽を聴けば思わずリズムにのって身体が反応してしまう“ラジオ体操”
子供の頃TAGOSも例外にもれず、眠い目をこすりながらも近所の朝の公園へと体操カードをぶらさげながら走って行きました。
そこではおじいさんもおばあさんも、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、老若男女一緒になってリズムに乗せてハイ元気よ〜く!
思えばな〜んとほほえましい光景だったのでしょう!
今、犯罪の温床のようになっている誰一人いない砂漠のような公園とはえらい違いですよぅ!
その後、企業内でも仕事に入る前に全員で体操なんてこれまた国民的活動だったんですね。
しか〜しまぁ“ラジオ体操”の歴史ってすごいです。
“全国の皆さんおはようーございます!さぁ、今朝も元気に体操をしましょう。手を腰にヨーイ、はじめ!”
歴史ありますよぅ!放送開始は昭和3年(1928年)開始ですからね。
“ラジオ体操”の歴史は国民が体験した昭和の歴史そのものなのですね。
TAGOSの時代は“軽快なピアノの音”に身体が思わず反応してしまいます。
今でも子供からご年輩までいつでも心通わせることのできる“ラジオ体操”
そ〜れ、いち、にい、さん!ダァ〜。

●癒しの音楽♪冒険団(トップページ左下クリック)
地球人の皆様方に是非是非見て聞いていただきた〜い!
今日のような日は“紫陽花の花”素敵です。


前ページTOPページ次ページHOMEページ