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NO427 まだまだ パタパタママ バタバタパパ。
2006/07/27
えぇ〜い!おもい切って捨ててしまおう!
そう!一度決断したならもう♪止〜まらない 止まらないカッパえびせん♪のココロですねぇ〜。
いきなりの2日続く上々の天気に身の回りの整理整頓のココロがムクムクと沸いてきて、クローゼットに押し込まれていた長年着用した衣類等や小物をとにかく整理整頓したい気分になったのです。
思えば昨日まではみんな必要なもののように思えていたから整理整頓をしないでいたわけなんですがぁ。
そうなんですぅ!きっといつかまた必要になるに違いないよ〜これ!などとそのまま大切にしまいこんでいるうちにいつの間にやら日常の記憶から消えてしまうモノがでてくるんですねぇ。
また誕生日などの記念日に人からプレゼントされたものなどはその方の思いがうれしくて残してきたものでボロボロになってもなかなか捨てることなどできませ〜ん。
“整理”とは要るものと要らないものを区分して不必要なモノを取り除くこと。
“整頓”とは散らかり乱れているモノを見栄えよくすること。なんですね。
そうそうなんとか“整頓”はできても“整理”となると“今の自分には果たして必要なのか?”をきっちり判断しないとこれから必要となるモノが入ってこないんですねぇ。限られたスペースには!!
一つ一つ思い出にふけっていたらもうポイポイできないんですね。
そうなったらその場でフリーズですよぅ。
なんだか頭の中にたまる長年の体験記憶がいっぱいで新しい体験がすっかり入らなくなってしまった人みたい・・・・。
さぁてさて、TAGOS家では暮れでもないのに昨日、今日いつの間にか整理整頓、大掃除が連鎖しています。
♪パタパタママ パタパタママ パタパタ♪
(1976年 ポンキッキ)

●ユニーク地球人
ブッチーズ・ロッキン・パラノイア・ライフVol5
NEW UPです!!
ついにbutchyさんが長らくの地下潜伏から“Return from The Underground”宣言を告げました。大変喜ばしいことです。お帰りなさい!


NO426 ♪空に太陽がある限り♪。父の8回目の命日を偲ぶ。
2006/07/26
眩しい太陽が戻って来ましたぁ!10日ぶりの真夏日ですね。
いやぁ〜待ちに待った晴れ日ですよぅ!。
青く晴れ渡った大空から強烈な太陽の光がサンサンとシャワーのように降り注げば、庭木がそのエネルギーを目いっぱいためこみ生命が光り輝くがごとくピカピカとしてきますねぇ。
こんなぁ久しぶりの晴れ日は世間では洗濯日和でもありま〜す。
長梅雨に太陽が一瞬顔をのぞかせたことでTAGOSは自動洗濯機を使わずせっせせっせと手洗いでゴシゴシ“命の洗濯”なぞをしてリフレッシュいたしましたぁ。
ところで日曜日はTAGOS家では父の8回目の“命日”
親族が集まって父を偲びながら楽しい一日を過ごしたのです。
一年を見渡せば毎日のように記念日があるけれどこの“命日”つまり“命の日”は“命”を考える記念日って意識すると、とってもとっても大切な記念日に思えてきます。
こりゃ“誕生日”の反対語ですからねぇ〜。
“どうかあなたがこの世に生を受けたその命の意味について明らかにしてください”という先立たれた方から♪よ〜く考えよ〜“命”は大事だよ〜♪という“命”の意味について皆さんよく考えてごらんなさ〜いという問いかけの日なんですね。
そういえばあるお方が言っていましたぁ!“命”という文字ってよく見れば“人が一に叩く”にも見えなくもないですよね?
人が横になって叩(たた)かれている状態。
こりゃきっと〜ゴロっと人が横になってマッサージされて気持ち良い状態ですよ!
これこそ“命”の洗濯(リフレッシュ)ですねぇ〜。
んまぁ〜ユニークな発想をするお方ですねぇ!
“命”についてはもいろいろな方がいろいろな考え方をするので答えなんて出るはずもなく・・・・。
そういえば突如思い出しましたが“息をひきとる”という意味って先立たれる人から息をひきとって次の人に繋げていくということですよね。
サントガリア星人さんのおっしゃっていた“命のバトン”ですね。


NO425 帰り道は遠かったぁ〜。夕焼け空がまっかっかの時代。
2006/07/25
♪夕焼け空がまっかっか トンビがくるりとわをかいたホ〜イのホイ♪
“夕焼け空”というのはなんともほのぼのしたイメージを想像させるものがありますねぇ。
でも〜子供時代って芥川龍之介のあの“トロッコ”の主人公の良平みたいに時を忘れて楽しく遊んだ後、気づけば夕焼けどころか夕闇があたりに迫り来るぅ!。
我が家までの帰り道を必至に急ぎながらもどんどん暗くなってなんともいえぬ不安にかられ泣きながらの帰り道。
帰り道に迷いながらどっちに行けば家にたどり着くんだろう?
きっと両親が心配しているだろう!いっぱいおこられるだろうかぁ?思えば遠くに来たもんだぁ〜・・・。
ふと夕刻、久しぶりに晴れ間ののぞいた庭の縁台にすわり、空を見上げながらTAGOSはそんな子供の頃の出来事を思い出したのです。
今の子供達にはそんな体験ってすることあるんでしょうかねぇ。
ところで今“カーナビ迷子”って言葉あるんですねぇ。
利用者本人の目的地の入力によって目的地に一番近いルートが検索されその通りに進むと違う道に迷い込んでしまうケースを指す(フリー百科事典)
そうそう、旅行などではじめて訪れた場所から急いで帰宅しようと最良なルートを検索し鼻歌まじりにハンドルをにぎっているうちに山道に迷いこんだり、行き止まりの道だったり。
だんだん夕闇が迫り来るぅ!
さすが子供のように泣きじゃくったりはしないでしょうけどねぇ〜。
こういう体験した大人のほうが今多くなっているようです!

●長梅雨にカビが生えそうな気分の時は
ユニーク地球人☆癒しの写真館を是非覗いて見てください。TAGOSは花の色彩や美しい風景に心洗われています。


NO424 築地で白い象を見ましたか?なんとも不思議な建物だぁ!
2006/07/24
摩訶不思議な世界の建物に入り込んでしまいましたぁ〜。
ここはパルテノン宮殿かぁ!入り口までつながる長〜く広い階段の連続!!
おっこれはなんだぁ!いきなり入り口で出迎えるは大きな白い象ですよぅ!
んまぁ〜よくよく見渡せばなんと!建物の内外に住みついている様々な不思議な動物達が見え隠れしています。
牛に猿に鳥に象、獅子や馬らしき姿も・・・・・。
ここはどこ?私は誰?いやいやこの建物に入りこむと妙に変ちょこりんな感覚をTAGOSは感じるのでした。
はい、ここはというと“浄土真宗本願寺派本願寺築地別院”そうなんです!一般には“築地本願寺”と呼ばれています。
“築地本願寺”ほど築地の中で異彩を放っている建築はありませ〜ん。
昔からなぜか近寄りがたくちょっと怖〜いぐらいのオーラを発しているタジマハールのような円屋根妻飾りの建物に圧倒されていましたぁ!
あの長い石段を登り、伽藍内に入るとこれまたその荘厳な空間の広がりや立派な祭壇や仏像に息を飲みますねぇ〜。
ここって教会?ステンドグラスやシャンデリア?極めつけは約2000本の管で構成されているパイプオルガン!
とにかくこの建物の中も歩きまわるとなんとすごい建物だぁ〜と思ってしまいます。
昭和9年に建築家伊東忠太の設計で完成したというけれどそれにしてもなんとも摩訶不思議な空間です。
ところでなぜTAGOSが親鸞聖人がお外に立たれている本願寺にいるかといえばミュージカルを見に来たんです!ミュージカルを!
本堂に向かって右側の第一伝道会館の2階に164席の“ブディストホール”このようなところにあったとは知りませんでした。
見に来たのはラスベガスレビューのような神崎順さん演出振り付けのミュージカル“JubileeV”です。
色彩が爆発してキラキラ輝くというにはこいういことなんだぁ〜と思うほど華やかでスピーディな素敵なレビューでした。
TAGOSが応援する冒険団のメンバーの一人MASAYAさんがミュージカル初デビューです。
しっかり応援!でも〜これまた摩訶不思議な本願寺内でキラキラのミュージカルというのもこれまた変な感覚ですよぅ〜。
さぁてさておとといの土曜日、本願寺内でのミュージカル閉幕後、新富町にある昭和3年竣工の“旧回効散ビル”(地球人のヒトリゴトNO394掲載)の様子を見て帰宅したのです。
不思議なことは起こるものです。
その日にユニーク地球人のゲストブックよりのメールが入っておりましたぁ!
なんと森田製薬“回効散”創業者のお孫さんからでした。お孫さんのブログ“ヒーリングタイム”5/7日付けに昭和3年落成式のビル写真を掲載しています。どうぞご覧くださいというありがたいお便りがぁ!!
なんと不思議なタイミングなのでしょう!!。

●ヒーリングタイムhttp://blog.livedoor.jp/yakiba0985/


NO423 想像力をたくましく!探してみましょう。浅草橋、柳橋編
2006/07/23
探したのになかなか見つけられないんですぅ!!
秋葉原を出発し御徒町、上野、浅草、蔵前と歩いたお話を4連続日おしゃべりしてきました。今日は最終到着地“浅草橋”です。
浅草橋駅って世間が大きく変わっている中にあっては珍しいほど変わっていない街ですよねぇ。
この原因はやはり現金問屋さんが多いからなんでしょうか?やっぱり現金は強〜い!!
“人形・ぬいぐるみ文具の卸問屋街・小売店街”“繊維製品帽子布地卸問屋街”
まぁ商売をされている方ならお店先ショーウインドーの季節ディスプレー用具やラッピング用紙、とにかく何でもそろってしまうエリアですよね。
バッグメーカーやアクセサリー等の小物類を取り扱う問屋も多いし“浅草橋”のイメージっていうのは昨今は定着しているかも?
まぁ〜浅草橋高高架下のひしめく飲食、小売店街もいい雰囲気出していますよねぇ。
でも〜TAGOSはいつも探し続けてなかなか見出せないでいるのがあの“柳橋”の面影なんです・・・。
そうです!かっては花街として栄えたあの“柳橋”ですよぅ!!
1950年代は柳橋には90軒をこえる料亭が存在していたそうです。
新橋や赤坂とはきっと違っていたに違いない!
いつも神田川にかかる最下流の橋であるミニ永代橋のような緑の鉄骨の昭和4年再架設“柳橋”から見渡す和菓子老舗の“梅花亭”あの浅草からの天婦羅家さん“大黒家”
橋の左右には“三浦屋、田中屋、あみ新”などの船宿、そして江戸前の風情を残す佃煮屋さん“小松屋”
TAGOSは柳がゆれる風情にわずかに映るかっての“柳橋”の姿を想像して見るのです。
さぁて少し歩けば、あの老舗料亭が立派なビルになっている“亀清楼”があります。
そして今は割烹“傳丸”向かい合わせは“篠塚稲荷”。
寄進者の名前に老舗料亭亀清・いな垣・柳光亭の名が記されていますねぇ。今はなき料亭ですね。
あれ?遠くから見てあそこにすごい料亭がぁ!!
近づけばギャラリー?ここって調べてみたら柳橋芸者市丸さんの個人の家だったそうです。
それにしても立派なもんだぁ!
一流の芸者さんってすごかったんですねぇ〜。
いやぁ〜それにしても今回は思わずヒトリゴトが長くなってしまいましたぁ。すいません。
“柳橋”が粋だといった時代の風情はいまはどうやらわずかな限られたエリアを歩きながら想像力をたくましくする他ないようですねぇ。


NO422 浅草・蔵前食べ歩けばいつの間にかお相撲さん?
2006/07/21
昨日のお話の続きです。
さぁて浅草国際通りをまっすぐ蔵前方面へとやって来ましたぁ。
ありましたぁ!ありましたぁ!なんとも趣のあるパン屋さん“ペリカン”が見えてきましたよぅ。
赤いテントが目印の田原町交差点から50mばかり蔵前方向の寿4丁目の場所に位置してます。
昔から通るたびにおもわずのぞきこんでしまうパン屋さんです。木製の下駄箱のような棚にいつも食パンがズラリと並んでいる地元に密着した製造販売店なんですね。食パンとロールパンの素朴なお店がポツリとあるのが、いやでも目立つんですねぇ〜。
さて“デンキヤホール”これまたユニークなお店が並びにあります。朝はトンカツサンド、昼はカツ定食、夜はお好み焼きと3つの顔を持つお店なんです。昼と夕刻ではお店前ののれんが“とんかつ”“お好み焼き”と変わるんですね。
TAGOSはここを通る時間帯はいつもお昼過ぎが多いので必ずカツサンドは昼前には売り切れ状態。お昼の食事時でもお一人様おことわりなんて張り出されているのでいつも入らず仕舞いで通り過ぎるお店なのです。
んまぁ〜浅草周辺のおいしい食べ物屋にひっかかってしまうとここまでくる間にたいていはお腹いっぱいになってますから・・・・。
そうそう食い気に走らずひたすら歩くのです!!。
そこからしばらく歩くとどこかで見たような5階建てのレトロなビルがぁ!名前も“タイガービル”
この建物あの銀座一丁目の奥野ビル(旧敏座アパートメント)1932年竣工の前面スクラッチタイル貼りになんとも漂う雰囲気がそっくり!!
奥野ビルはご存知今はギャラリーなどが入居。
このエリアだけが時が止まってしまったかのような雰囲気を醸し出しています。
ふむぅ〜蔵前の“タイガービル”このビルいつからあったんだろう?昭和初期と思われるのですが謎です。今度真剣に調べてみることに!
あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ、さぁて浅草橋に入りましたねぇ。
浅草橋に行く手前にはいわずと知れた“鳥越おかず横丁惣菜等食料品店街”があるけれど通りを過ぎ行くたびにだんだん体型がダルマおじさんになってしまっては“何の為に汗かいてせっせと歩いているのだぁ!”
ということになりますのでここは目をつぶってまいります。
あれ?まだ浅草橋のお話までいたりませんでした。
この続きは日曜日完結、浅草橋〜柳橋へと。

●ユニーク地球人 
サントガリア星からのメッセージNO6NEW UPです。サントガリアビームパワーアップしています。
今回、ヨットガリア星人がついに登場。エロユニークなお話ばかり。梅雨を笑いで克服間違いなしです!


NO421 “国際通り”は華やか通り。浅草六区編。
2006/07/20
昨日の続きです。
ハ〜イ歩いて歩いて“浅草国際通り”です。前はもう“浅草六区”ですよぅ。
ところでこの“国際通り”って名称、外人さんがいっぱい歩いているからそう呼ばれているんでしょうかぁ?
いえいえそもそも“国際通り”といえば那覇が有名ですよねぇ。これおおいにお互い関係ありなのでしょうかねぇ?。
TAGOSが知っていたのは“浅草国際通り”の由来の方。
浅草ビューホテルがあった場所に戦前(1939年建設)松竹少女歌劇団(SDK)が踊っていた松竹の国際劇場があったことから“浅草国際通り”と呼ばれるようになったんです。
那覇は調べてみるとそれより新しいんですね。
1947年以降建設された同名の“国際劇場”映画館(アーニーパイル劇場)が由来ということを知ったのです。
ちなみにアーニーバイルとはアメリカ兵に人気のあったアメリカに従軍記者の名前です。
東洋一を誇った“浅草国際劇場”と双璧だった“東京宝塚劇場”は戦後米軍に摂取され“アーニーバイル劇場”と名前を変えた歴史があったんですねぇ。
2つの“国際通り”の名称にも深い歴史が刻まれていたんですねぇ。
さぁてさて、由来のついでに“浅草六区”っていうのはどうしてよ?しっかり調べてみましたぁ。
明治17年に浅草寺を中心に浅草公園と呼ばれる一帯を六区画に分けられ、昭和26年解除後もこの界隈は当時の地名の名残りなんですねぇ〜。
そうそう、この“浅草六区”にいきなり似つかわしくない近代商業ビルが出来たぁ〜と騒いでいたのが1986年に出来た“浅草ROX”今やROX−2・ROX−3・ROXドームまで堂々と六区に根付いてしまっています。
このROXどこが経営しているんだぁ?
忘れていたぁ!ここってあの東京卸売りセンターの株式会社TOCなんだぁ〜。
あれあれここで長話をしていると浅草橋までの道中のお話がこりゃなかなかできませんねぇ!
いやぁ〜ここらに来るとまだまだおしゃべりしたいことがいっぱい有り過ぎて困ってしまいますぅ。
いざ出発!浅草路地裏の有名な銭湯“蛇骨湯”を通り過ぎ国際通りを浅草橋にむかって田原町交差点を歩けば浅草通り・神仏具卸問屋・小売店街。
そしていよいよ蔵前付近。なんだかここらもおもしろ〜い!!
続きは蔵前〜浅草橋編、明日に続きます。


NO420 かっぱが出てきて今日は!。旧松葉町(北上野・松が谷・東上野)〜浅草編。
2006/07/19
雨に浮かれてかっぱが町にあふれ出す!!
上野昭和通りバイク街をもうちょっと先に向かって歩けば言問(こととい)通りの交差点近くには入谷家具・インテリア展示小売店街があるんですねぇ。
まぁ広範囲にわたってよくもこうした業種別の専門店街が点在するエリアなんだと思います。
ここもまたおもしろい通りだよねぇ!
思わず和んでしまうさまざまなかたちのかっぱが並ぶ通りがありま〜す。
上野昭和通りバイク街からまっすぐ浅草六区に直結する通り“かっぱ橋本通り”
上野と浅草に通じるこの好立地の商店街は平成元年から始まった“下町七夕祭り”では大いに盛り上がる商店街となりましたぁ。
この時ばかりははおおいに賑わいますよぅ〜。
江戸時代は将軍が上野寛永寺のお詣り後、浅草観音様へお詣りするために通った御成り道でメインストリートだったそうです。
で〜も昨日は歩いていても合羽橋台所用品問屋街の通りに交差するまでの間は人っ子一人いませんでした。
TAGOSを出迎えてくれたの人間ではなくなんとも愛想のいいユニークなかっぱ達。
この通りにはかっぱ伝説の“曹源寺”があるのです。
しか〜しあらためてかっぱ橋本通りと交差する稲荷町から田原町駅の中間、菊屋橋交差点から言問通りまでの200以上の店舗が並ぶ合羽橋台所用品・高級雑貨卸問屋専門店街はいつ見ても壮観ですねぇ。
さぁてさてそのまままっすぐ歩けば明治創業“どぜう飯田屋”明治28年創業すき焼き“浅草今半”の老舗を通ってようやく浅草六区へと辿りついたのです。
さぁて、TAGOSは休まず浅草橋へと向かいます。
そのお話は明日に続きます。

●アートなお部屋 
水彩画10点 NEW UPです。
今週は再び本格的な梅雨に逆戻りですね。梅雨に咲く花々をどうぞご覧下さい。


NO419 変わり過ぎです!雨に歩けば秋葉原〜御徒町〜上野編。
2006/07/18
東京で最も変化の激しい街は?
日本経済新聞社がインターネットで都内在住者を対象に実施した“東京の街イメージ調査2006で堂々1位となった街はアキバこと秋葉原。
前年の8位からいきなりトップに踊り出たんですねぇ。
今日はその秋葉原駅を出発点としてJR高架線に沿って御徒町〜上野〜浅草〜浅草橋を終着点してと歩いてみたのです。
ヨドバシカメラマルチメディアから御徒町に向かってちょっと沿線を歩いただけでもうさびれたビルや店舗が次々にとりこわされマンション用地として開発されている光景が点々と御徒町まで続くのです。もうまったくバブル時以上ですね。にが笑いするしかありません!
早々御徒町宝石、貴金属加工卸問屋街をぬけ上野駅を抜けて入谷方面へ。
いやぁ〜久しぶりですねぇ!“上野昭和通りバイク街”上野中央口から入谷に向かう昭和通りの両側や裏通りには100以上のバイク関連店が並んでいるのは誰でもよく知っていらっしゃることでしょう。だけどバイクに興味がなければわざわざ立ち寄る機会もないままで終わってしまう特殊なエリアでもありますねぇ。
かってと全然風景が違っていましたぁ!
あっりゃ!人がまったくいませんよよぅ〜。シャッターの閉まった店も多くなって三連休後の雨降りの日といえど手持ちぶさたで店々の前に立ち並ぶ店員さん。この光景って先程歩いてきた上野アメ横通りに立ち並ぶ若者衣料店の風景と全くおんなじだぁ〜。
呼び込みを義務づけられているのか?若者が手をたたいたり大きな声を出して呼び込みをすれど客入らずの寒〜い状況!
TAGOSはハーレーダビットソンがズラリと並ぶバイク店の近くの専門店で立ち話しをしていた初老の2人組。あまりにも静か〜なので立ち話の声が漏れてきたのです。
“今きびしい〜ねぇ。跡継ぎがいないからどうなるかわからないよぅ〜”
あれあれ、今バイク街ってこんな感じなんでしょうかぁ?あまりに普通日の静かさになんだかパワーが落ちてきたので活気あるエリアへとさぁ移動です。
この続きはまた明日に続きます。


NO418 今日は“海の日” お台場からつながった“りま丸”の存在。
2006/07/17
今日は日本国民の祝日“海の日”ですよぅ!。
地球人の皆さん、三連休ゆっくり休むことはできたでしょうか?
今回、はじめて今日の祝日“海の日”を意識したのです。
先日ユニーク地球人掲示板でお台場がテーマとなった時、デンヴァーのakiyamaさんから“海員組合”の出来事を教えていただいていたからです。
特に意識したことのない祝日“海の日”は海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う”ことを趣旨としているんですね。
そうだぁ〜。海のことなら母に聞いてみたらいいかも?
早速、母豊月(ほうげつ)86歳に一歳上の戦死した兄の郵船勤務時代の思い出を聞くことにしたのです。
いやぁ〜よく覚えていましたぁ〜。
戦前日本客船隊の最後を飾る昭和15年竣工の“新田丸”“八幡丸”“春日丸”。
その1つの“新田丸”は戦前日本の最大級の欧州航路用豪華客船。クイーンメーリー号と比べても遜色がない程の客船だったんですねぇ〜。
その竣工式の披露パーティに兄が両親を招待した話やその船が第二次大戦のため予定していた航路は実現しなかったのだと聞きました。
その後は調べてみたら空母として横須賀の基地から出撃することになるんですね。
豊月(ほうげつ)86歳がはっきり覚えていた貿易商になりたいと希望に燃え郵船に就職した兄のわずか2年間の航海。途中戦争に駆り出され帰らぬ人となってしまった兄からの航海話。
TAGOSは豊月の兄が希望をもって赤道を越え航海していた頃の船の名前を覚えているか尋ねてみたのです。
豊月は記憶を辿りながらついに口から出た船の名は“りま丸”
TAGOSはすぐにインターネットで検索するとありましたぁ!ありましたぁ!それも立派な実写写真がぁ〜。
母豊月(ほうげつ)86歳はもちろん夢を持って南洋航海していた若き兄の乗っていた60年以上前の船の姿など今日になど見れるとは思っていなかったのです!
いやいや、今日の“海の日”にはTAGOSは特別な思いを感じる感動の日となりました。
これもお台場からのご縁としみじみと感じているのです。


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