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NO186 40年代のジャズに酔う。はずかしいぐらロマンティックな心“日光金谷ホテル”
2005/10/16
“とってもいい雰囲気だぁ〜”
まろやかな深みのあるシングルモルトウイスキーのような音色!
40年代の古いジャズがオーディオ“LINN”の真空管のアンプを通して流れてきます・・・。
ここは趣あるスコティシュバー“デイサイト”
フランク・ロイド・ライトの明治38年の設計といわれる大谷石作りの暖炉のそばで薄明かりに照らされた色あざやかなカクテルを皆で乾杯!。日常を離れ、はずかしいくらいロマンチックで素敵な時間が流れますぅ!
さぁて、秋の紅葉をいちはやく見ようと日光にやってきましたぁ。
そして宿泊は創業130周年を迎える日本最古のクラシックリゾートホテル“日光金谷ホテル”素晴らしいホテルに泊るチャンスに恵まれました。
母豊月(ほうげつ)85歳を中心として姉3人と御主人達と私の日光中高年旅軍団ですぅ!
日光の美しき秋の風景と同じぐらいこのホテルの“モノ”との出会いがこんなにも心を豊かにするとは思っていませんでした。ここはホテルというよりまるで美術館の中に泊っているよう!
古風な格天井(ごうてんじょう)の花鳥風月画や柱頭彫刻、色あざやかな日光彫りで彩られたエントランス。
アンティークな調度品、館内をやさしく照らす様々なクラシックな電燈・・。
なによりも母豊月(ほうげつ)85歳が喜んだのはホテルの前にあった赤い郵便ポスト!
このクラシックホテルの館内は時間がゆったり流れ、我々日光中高年軍団も“子供のような無邪気な心に戻れる時間旅行へいざなってくれたようです。
クラシックホテルの正面玄関の昭和11年の木製回転ドアに手をかけた瞬間、タイムスリップ・・・・。
笑顔で溢れた幸せな心地をそのままに、楽しい夢を見ることができました。

♪夕空晴れて 秋風吹き 月影おちて 鈴虫鳴く 思えば遠し 故郷の空〜♪


NO185 ♪よ〜く考えよぉ〜。遊びは大事でしょ〜。♪ ねぇ、丸○ハムさん!
2005/10/14
流風雫のひとりごと。

「うちの娘、おっとりしているっていうか、ちょっとトロイっていうのかなぁ。走るのも右手と右足が同時にでちゃうのよねぇ。ボール投げなんかとっても変!でね、教えてあげると、ロボットみたいになっちゃうのよ。」
数年振りに銀座でデートをした彼女の口から出た言葉です。
正直、驚きでした。だってその彼女って頭脳明晰・容姿端麗・そしてスポーツウーマンと、人も羨む魅力たっぷりの女性。共に汗をダラダラ、涙をポロポロこぼしながら白球を追うという青春時代を送った先輩なんです。優勝だってしたことあるんです。なのに、その彼女の高校生のお嬢さんが・・・。私は当然、スポーツ万能だと思い込んでいたんです、お嬢さんも・・・。勝手な思い込みなんですけど・・・。

【元気な中高年、体力低下続く子供】
体育の日にちなんだ、文部科学省の調査結果によるものです。子供はともかく、“元気な中高年”は充分理解できます。前にも書きましたが、早朝のウォーキングは中高年のオンパレード。
平日のスポーツジムもその勢いたるや、そこにはすっかり≪ジム内の輪≫が存在していて、プログラムの一つ、‘フラダンス♪’に至っては、目にも鮮やかなピンクやイエローベースetc.のハイビスカス柄スカート(もちろん皆さん、手作りで〜す。)、胸元にはレイ、御髪(おぐし)にはしっかりとハイビスカスを挿し、とそれぞれが奥ゆかしい自己主張をしながら、とっても楽しそうに腰をゆらめかせているのです。エアロビやマシーンだってそのパワフルなこと。全くもって恐るべし!なんです。(ちなみにこの私、フラダンスは一度参加しただけ・・・で終わりました。^^;)
確かに、中高年は楽しみながら体力増進に努めているようです。

「○○君って、『昔の子供』みたいよね。」
息子が小学生の頃、知人がこう表現したことがあります。おわかりになりますか?
思いっきり遊んでいましたよ、息子も娘も。
「小学生は遊ぶのが仕事!お外で遊んでいらっしゃい!」と私。息子はサッカーを真っ暗になるまでやり、イヤ、真っ暗になってもやり、工事現場では秘密基地を仲間と作る。泥んこだってへっちゃら、膝っこぞうから血を流そうと、ズボンが擦り切れようとおかまいなし・・・でした。
(後日談。数名の先生が(教頭先生含む)その秘密基地を壊したらしいと風の便り。親の私は冷や汗ものでした。危険との理由だそうです。先生、当時はすみませんでした。m(--)m でも、さぞかしワクワクする基地だったんでしょうね・・・是非、見たかったわぁ〜。)
こういう子供って、既に稀有なんでしょうか・・・。
また、息子が小四の時です。パンパカパ〜ン♪ 年に一度のマラソン大会、我が子にとっては晴れの日で〜す!なのに数日前から風邪をひき、当日の朝には微熱が。しかも空からはポツポツと冷たい雨が・・・。
「これくらい大丈夫。さぁ頑張って、入賞くらいしてらっしゃい!」と背中を押して送り出した鬼母の私。律儀にも入賞は果たしたのですが・・・。
こじらせてしまった息子は、肺炎で1週間入院してしまいました。^^;

新聞記事には、お稽古ごとや塾通いで遊ぶ時間が少なくなっている。その遊びが減った事も体力低下の一要因であるなど、“そうよねぇ〜”と共感できる内容が書かれていたのですが、その後がいただけません。なんと、≪遊びのお教室≫なるものができるそうなんです。とりまく環境・お友達が集まらない等、諸事情は多々あることでしょう。
でも、でもですよ。果たして遊びって、教えるものなのでしょうか。皆さん、どう思われますか?

決して正解がないのが子育て。私の場合はこうでした。
「ワンパクでもいい! たくましく育って欲しい!!!」と。
ウンウン、充分たくましいよ。高校入学から1年半。20キロ近く体重も増え、生傷絶えないラグビーに必死。でも、まだまだ進化(?)をとげるんでしょうねぇ。貴方のその信じ難い胃袋をもってして。。。




NO184 今日は〜赤ちゃん。電車内の“微笑みの連鎖”
2005/10/13
いつもと違う電車の中の光景です・・・。
混んでいる状態の車内の人々に微笑みが溢れていたのです。
普段の電車内の光景を観察していると、ぐっすり眠りこんでいる人、携帯のメールに夢中になっている人、読書を楽しんでいる人、音楽に陶酔している人、お化粧を一生懸命している人、おしゃべりしている人、吊り広告をじっくり見ている人など、皆それぞれが自由に好きなことをしていま〜す。
そこに流れる空気は、たいていは互いに“無関心”
でも〜今日はちょっと違いますぅ!
乳母車から、さかんに笑顔をふりまく、まるまる太った赤ちゃんが、みるみる車内の人達を“微笑みの眼差し”に変えていきます。
吊り皮につかまっていたクールなOLさん、両側席の若い男女ペアー、お二人のおば様、老齢のご夫婦、中年のサラリーマン・・・。
すごいですね!日常無関心の電車内の空気が、この赤ちゃんの天真爛漫な笑顔で多くの人達に“笑顔の連鎖”を一瞬に伝播してしまったんですから!
そういえば、その光景を見届けていた私の顔はどうなっていたのでしょうか?きっとにんまりしていたかもしれません。
でも〜、不思議ですねぇ。これだけ多くの人が車内で微笑んでいるのを見たのは珍しいんじゃぁないかと思います。
ひょっとしてこの赤ちゃん、もともと人を明るくさせる才能を持っていたのかもしれませんねぇ。
ひそかに心の中でこの子を“微笑みの天使”と命名しました。
そう、これほど多くの人をなごませることができるのなら、いつまでも笑顔を絶やさない素敵な大人になってほしいと勝手ながらそう思ったのでした。


NO183 気分が変わる、“気”が変わる。お江戸日本橋が騒がしい!。
2005/10/12
“わぁ〜全然空気が違う!”
妻と2人、日本橋三越さんの英国展・三井家伝来の能装束展の催しを見に行く途中に金融街の兜町の中を歩いたのです。ランチタイムより早い11時半には、大勢の証券マン達がドヤドヤとお昼タイムに繰り出しています。弁当を売る小さな車にも行列・・・。
世の中の“気の変化”は“秋の空”と同じで昨日と今日ではまったく違うのですぅ!変化のきざしはすでにこんなエリアからも広がりそうな気配です・・。
日本橋の街再生事業も大きく現実に目の前に現われはじめました!
日本橋室町地区再生第一段として昨年10月11日に日本橋三越新館がオープンしてあっという間に1年がたちました。そして今年9月1日には日本橋三井タワーが竣工しあの千疋屋総本店も開業で〜す。
10月8日には、日本橋初の本格的美術館“三井記念美術館”が開館しました。
この地区は「重要文化財特別型特定街区」だから保存と開発を両立させる制度の活用第1号として三井本館(1929年竣工)が新旧の時代を融合した街並みとして生まれ出たのですねぇ。
日本銀行本館(I896年)三越本店(1928年)日本橋(1911年)等等・・・・。
ようやく“新旧の融合”という街づくりが都心で始まりました。
老舗の旦那衆も一緒になってお江戸の粋な洒落た街に復活させてくださいね!
10月10日から日本橋案内処“日本橋越後屋スタジオ”が誕生して、多くのボランティアさん達も日本橋の魅力を伝えてくれています。
とにかく活気が戻って来ましたぁ!なんだかうれし〜い。
秋祭りもたけなわ!16日からは日本橋・京橋祭り“東京大江戸パレード”も始まります。
グーッともりあがってきましたぁ!
日本橋は“歴史と伝統”を上手に守りながら新しい文化をどんどん育んでほしいと心から願うのです。
花のお江戸がこの秋、騒がしくなってきましたよぅ。


NO182 ゴロリひっくり返るのもいいもんだ!突如現われた摩訶不思議な白い部屋。
2005/10/11
金色の絨毯が敷き詰められられましたぁ!
金木犀の花がこの3連休の間の雨降りですっかり落ちてしまったのです。
庭にたった一日だけでも出ないものなら、その変化にまったく気づかないことだってあるのですねぇ。
“あ〜あ 疲れた〜”ゴロンと和室に仰向けになり天井を見ながらおもいっきり背伸びをしていると、なんだかまったく異次元の空間が目の前に現われ始めたのです!。
それは“誰もいない真っ白な部屋”真っ白な床にニョッキリはえた光るきのこのような照明・・・。
オ〜この体感!思い出しましたぁ!これって子供の頃のお遊びで手鏡を持ち鏡を見ながら歩こうとすると、天地がすべて逆さまになって恐くて歩けない、青空が大地になったとたん普通に歩けない・・・。そうなんです!ゴロリンと寝転んだ目の前に見えたのは逆転の部屋。
そういえば2年前“ガウディ かたちの探求”東京都現代美術館に行った時にあの有名な建築家ガウディのサクラダ・ファミリア贖罪聖堂の塔のかたちは、一本の鎖を両手に持って、ダラーンとたるませたときのかたち“カテリーナアーチ”を上下にひっくりかえしたかたちを元にデザインされたのだとその模型に鏡をおいて展示していたことを思いだしたのですぅ!
なんでこんなこと思いだしたのかわかりません。
でも〜こうしてただゴロリンと寝転がったことで気づいたことは“視点をかえて考えて見ること”って案外こんな日常の単純な行動からできるかもしれないということです!
あの、子供時代の手鏡を見て、家中を歩きまわり外までも見に行く世界はまるで“日常の非日常の世界”
きっと、その世界が子供心に不思議で面白い世界だったんですね・・・。


NO181 走れメロス。ヒーローになる時!“社員運動会”の復活。
2005/10/10
“凄いね〜営業の彼、あんなに走るの早かったんだぁ〜”あらぁ!あの総務の彼女、応援にこんなにはしゃいで、お茶目な面があったんだぁ”“わぁ〜、ムカデ競争ににこやかに参加している社長さん、あんなにヒョウキンだったとは!”
10月10日体育の日の今日、雨となりました。
バブル崩壊後の景気低迷を機に、自然消滅してしまったあの“社員運動会”なるものが、最近、ひそかに企業で復活をとげているらしいのです。
“経費や時間がかかり過ぎる”“若手が参加しない”などの不評も手伝ってすたれていったのも事実ですねぇ〜。
でも、あの当時なくなることをとても残念がっていた人達多かったですね。会社の中では目立たなかったけれど、いきなりヒーロー、ヒロインが生まれちゃうんですから!
運動会をご縁に御結婚される男女組みもいましたからねぇ〜。
今また復活の理由は、職場の一体感を高めるためだそうです。平日にできない若手とベテランの交流であったり、取引先さん、パートさんや、派遣社員さんとの交流もあるらしいですね。一緒に汗かこうじゃぁないかということですね。けっこう若い会社も取り入れはじめているということでしょうか。
でも〜今の幼稚園みたいに、競争のゴールは手をつないで勝敗をつけないなんてのはやめましょうね。
どこからかヒーロー、ヒロインがあらわれて、“へぇ〜”とか“ほ〜”とか“はひふへほ”の驚嘆が出てくる“社員運動会”見てみたいもんですね!。

それにしても、なくなったり復活したりと忙しいことです。
♪ HIRO、ヒーローになる時 それは今〜 ♪


NO180 アロハ!熟年御夫婦。コーヒーブレークのひととき。
2005/10/09
“年なんて忘れているんじゃぁないですか、車も80歳過ぎてもどんどん運転しちゃうんですから”
18年間、ハワイでコーヒー農園を営んで最近日本に戻って来た熟年ご夫婦がさらに話を続けます。
“ハワイには昔のままの懐かしい日本が残っているんですよ!明治時代の90歳を超える人も若いですよ〜。日本のご老人と比べたら15歳ぐらい若いんじゃないでしょうか”とにかくお元気です。盆おどりがあると北海道から沖縄までの音頭をひととりかかりますよぅ”
お坊さんがいて毎年盆踊りとは何かという説法があってからのスタートだったそうです。
私はまだ知らないご夫婦の楽しいお話を聞きながらおいしいハワイコーヒーを飲む機会にめぐまれました。
御主人が笑顔で語りかけます。“ハワイに行った当時は大変でしたぁ〜。日本人は引越ししたら隣家にご挨拶に行くでしょう、ハワイは違うんです。隣家のほうからやがて訪ねて来て、やたら質問しはじめる。どこの国から?どんなお仕事?”
“むこうが気に入ったら家に招待されて家の中に入れてくれるし嫌われたらお付き合いなし!はっきりしてますよ”
なんだかお話している御主人も奥様もとても楽しそう〜
アロハシャツやジーンズがお若い。
美しい林の中にトスカーナ風の大邸宅を開放した、趣あるとある喫茶店の御夫婦。
“日本では歳を考えなさい!とか、歳がいもなくとか年をやたら意識するでしょう。ハワイはね、そういうことがないからご老人がイキイキとしてとても気持ちが若いですよ。私達もとても刺激を受けました”
おしゃべりしている御夫婦自体確かにおしゃれでお若い!
健康を思えば、歳を意識することは大切かもしれません。
でもあるときから歳という規制の枠を解き放った瞬間、こんなご夫婦のような真赤な車に乗りアロハとジーンズに身をつつみ、なにより笑顔が素敵な自然体な気持ちになれるんだろうなぁ〜などと勝手に思ってしまいました・・・。

コーヒーブレークの楽しいひととを過ごすことができました。


NO179 豊月(ほうげつ)85歳が語る。当時の料亭“日本橋風情”
2005/10/07
今日晴天、庭いっぱい金木犀の香り漂い、片隅に真赤な彼岸花、秋本番楽しい季節になりました。
私はいつも廣い縁側に腰掛け、ふと昔の日本橋壱丁目に長年菓子業を営んでいた頃の一こまの思い出が蘇えることがあります。

江戸の風物、夏の隅田川、両国の花火、春夏秋、両国国技館の相撲場所、歌舞伎座興行。
当時、戦後とは思えない日本橋界隈は、九州三井三池炭坑の盛んな景気の良い時の日本橋。

料亭は繁盛、お偉い社員が上京する度に料亭に集まり大宴会、当時お得意先の“双葉”“菊乃家”“よ古川”“き角”皆一流の料亭さんは三池炭坑のお客様だけでも経営がなりたった程でした。
当店も名物の“日本橋羊羹(ようかん)”数沢山、夕方ともなれば配達で忙しかった事を思い出しました。

料亭は季節事に行事として両国の相撲席、夏の花火時は特別よい場所の陣取り合戦が始まり、炭坑会社社員の大勢の接待サービスで大変な力の入れようで準備も大変でした。
当日いよいよ花火大会、大勢のお客様を先に現場にご案内その後、料理の入った立派な重箱弁当が次々料亭別に運ばれて料亭の見せどころの競争です。

当店の名物“日本橋羊羹”もお土産として配達も終わる頃は暗闇の大空に見事な花火が舞い上がると同時に見物人の歓声、飛び散る川面に映る美しさ、江戸ならではの情緒、粋な遊び、その時の料亭さんの心粋の景気も夢の間。いつしか夜空に消えました・・・。
戦後の景気、今も私の耳にのこる炭坑節の歌。
♪ 月が出た出た 月が出た ヨイヨイ 三池炭坑の上に出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さま 煙たかろ サノ ヨイヨイ ♪

その後三池炭坑昭和三十八年頃にガス大爆発、大勢の死者の惨事、時代は矢のごとく流れ、料亭もその後、都市の発展と共に不動産ビルに変わり、あの頃の異常な景気はなんだったのか、いつも時代は早く回っていますね。

私は平凡で健康で暮らせれば幸せといつも思っています。
秋の虫の声を聞きながら床に入り、明日の一日も元気で“後ろ向きの人生”を思い出し、のんびり書くのも楽しいです。又、次の事を考えています。

皆々様もご健康にて、 さようなら。

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NO178 ビデオ・キルド・ザ・ラジオスター。ラジオ世代は今。
2005/10/06
もう、どのくらい見たことがないのでしょうか?
新聞の“ラジオ番組欄”!もしかすると20年以上見ていないかもしれません。
つい最近、子供達に“ラジオ”聞いている?と質問したところ、夜にしっかり聞いているようです。
昭和30年代はじめまでは、まだテレビ欄よりラジオ欄の方が大きくて、皇太子御成婚、東京オリンピックぐらいから、ラジオ欄が小さくなっちゃったんですね。
今やインターネットや携帯電話でラジオを聞けるようになった世の中、テレビも進化が著しいけれど、“ラジオ派”増えていますねぇ〜。
深夜放送の黄金期を体験した中高年層には“ラジオ”というこの3文字の響きがレトロでなんだか懐かしい!
ニッポン放送のホリエモン騒動のドタバタで“ラジオ放送局”の響きがこの世の中に再認知されてから、ようやく新聞のラジオ欄があることに気づいたのですぅ!
私はとんでもなくラジオに無関心な時期が長かったのか、わかります。

ラジオ番組もきたるべき2007年にむけて“大人向けのラジオ番組”復活です!
もうテレビの若者中心の番組だけでは暇つぶしはできませんものねぇ〜。
テレビが壊れたのを機に、蓄音機に耳を傾けるビクター犬ならぬラジオに耳を傾けるラジオビジターになっちゃう人が増えていますぅ!
それでは、しずかなゆったりした気流にのって

ジェットストリーム ジェットストリーム ジェットストリーム・・・。


NO177 秋です 秋です 秋です・・・。季節の変わり目の使者達。
2005/10/05
“焼〜きいも〜焼きい〜も〜”
秋雨の降るすでに暗くなりかけた街から聞こえる焼きいも屋さんの声。
すっかり秋ですねぇ。夜ともなると寒さを感じます・・・・。
思えば毎年、大自然が季節の変わり目ごとに人間に次の季節の“準備期間”を与えてくれるんですねぇ!
例えばちょっとさびしさを感じさせる“秋の長雨”のカーテンが引かれた後には“木枯らし”がやってきてやがて冬へ。
春と夏の間には、じめじめしたうっとうしい“梅雨”
夏と秋の間には日本列島に大変な被害をもたらす“台風”
毎年人間にとっては、あまり歓迎されない“自然現象”が季節の変わり目をはっきり教えてくれるんですね。

大自然がささやきます。“季節が変わりますよ!我々がいる間にしっかり次の準備をしときなさい!”と毎年警告されるんですが、多くの人のなかには、“暑〜い”“寒〜い”“うっとうし〜い”と言うだけで、次の季節の心の準備をしないでいると、夏バテや風邪で、健康をそこねたりして、元気を無くしてしまったりするようです。
季節の変わり目になると、大抵はいつの年にも訪ずれ、心と身体の調整を私達に厳しく忠告してくれる“大自然の使者達”に耳を傾け、楽しくお付き合いできたらいいなと思うのです!

季節の変わり目のちょっと鬱陶しい期間にこそ有意義な時間を持てるのですね。

秋です 秋です 秋です・・・・。


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