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NO447 不機嫌のリンゴ達。重力を無視した彫刻の世界。銀座編。
2006/08/30
不機嫌ダァ!なんだか知らないけれど不機嫌ダァ!
街全体が今日はとってもとっても不機嫌ですぅ!
なんともお肌サラサラ効果も効かないジトジトとシツドーンがドーンドーンと高い今日はやけに街行く人の表情が曇って見えたのです!
なんだかぐったり無口で笑顔をすっかり誰かに盗まれちゃったんじゃないかと思うほど・・・・。
バスに乗っても、地下鉄に乗っても、JRに乗っても
皆さん乗ってない様子なんですねぇ〜すっかりお気持ちがぁ!
ははぁ〜ん、これって8月疲れでしょうかねぇ?
居眠り、あくびに、無表情、いびきとくればもうこれ間違いなし!
こんな日には街中のビル上階のマンガ喫茶などには多くのお疲れトド達が密かに群れを組んで寝そべっている時も多いのですよぅ〜。
さてさて、TAGOSは銀座6丁目の小ビル4階にやってきたのです。
なんだぁ?TAGOSさんも今日はトド組みかぁ!!
いいえ違いますぅ!エレベーターの扉がソーっと開いて足を踏み出すといやいやそこには人間スケールで成り立っている物体の世界から離脱してなんとも非日常の不思議な世界に入り込んでしまったのです!
そこでTAGOSが見たモノとは!
ありぁ〜地球の重力をすっかり無視した“宙に浮いた彫刻”の世界だぁ〜。
なんとユニークな新しい彫刻なんでしょう!
とにかく従来の彫刻に伴う垂直性、重心、安定、支えなんてどっしりした感覚ではなくひたすら不安定で無秩序、飾気もなくそれどころかときどきなんと動くんですよぅ!
スペイン現代彫刻界においてまったく新しいアイディアの持ち主なんだそうです“エルミニオ”さんの大変ユニークな彫刻。
解説書を読むと“磁力ミニマリズム”と呼べるアートなんだそうです。
難しい解説はTAGOSにはわからないけれど感想は“不思議だぁ!こんなの見たことな〜い!”
“この作品宙に浮いているけどどうなってんの?”
んまぁ〜今までスペイン以外で公開したことはないユニークな作品を銀座の画廊“すどう美術館”でわずか7日間限りの展示ですから今日来て良かったです。
さてさて隠された磁力の世界の彫刻家“エルミリオ”さんと笑顔で固い握手をかわしてエレベターを降り立つとそこには先程と同じ無表情で不機嫌な街が拡がっておりました。

♪笑ってもっとbaby  むじゃきに on my mind 映ってもっとbaby 素敵に in your sight♪
(1979年 いとしのエリーより)


NO446 よっちょれよ!“スーパーよさこい”けっして竹の子さんではありません!“表参道編”
2006/08/28
鯛やひらめの舞い踊りだぁ〜。
TAGOSの頭上をかすめ大きなうなりをあげて振りかざされた大旗がバタバタと波打ち風に空に舞い踊るぅ!
極彩色の大爆発!、ひょうたん、提灯、花笠、太鼓に三味線、袴に着物!!いやいやTAGOSはもう岡本太郎状態〜それはそれは“魂の万華鏡やぁ〜!元気印の宝石箱やぁ〜爆発!爆発!大爆発!
よっちょれよ!よっちょれよ!よっちょれよっちょれよっちょれよ!ソイヤソイヤソイヤソイヤ!
ふぅ〜カ・イ・カ・ン・・・・・。
さぁ〜てと落ち着きを少し取り戻したところで“第6回原宿表参道元氣祭スーパーよさこい”に行って来た時のお話をいたします。
今年でもう6回目になるのですからもうお祭りの内容の細かいお話をしては皆さん!うんざりでしょうねぇ〜。
ではちょちょいのちょいとタイムスリップして1977年の“表参道”にいざ参りましょう!。
この当時銀座線に“表参道”という駅はありませんでしたぁ。1978年に駅名が変更になったのです。
当時は“神宮前”といっておりました。さらにさらにタイムスリップすれば1938年には“青山6丁目”駅と名乗り東京地下鉄駅で2度駅名を改称したのはここの駅のみなので〜す。
さぁて話は1979年のこと、当時も代々木公園口には“スーパーよさこい”の派手やかなエスニック衣装や独特のリズムで鳴子をカチカチならすかわりに笛をピピッツと吹きながらラジカセの音楽に合わせ集団で踊り明かす“キノコ”がおりましたぁ。
いや違う違う“竹の子”です!。そう“竹の子族!”
あの当時を知っておられる方なら、“スーパーよさこい”をじっと見ているとその風景がきっとダブってくることでしょうねぇ。
ちなみに観客を観察していたTAGOSは渋谷で1998年〜2000年に大増殖した“ヤマンバギャル”の進化系“ギャルサー”のガングロギャルやまだいたのか?80年〜81年全盛期のリーゼント姿に黒皮ジャンの“ロックンロール族”そして秋葉系メード姿の若者が入りまじり一緒に仲良くお祭りを見ている平和な姿になんだか不思議な気持ちになりましたねぇ。
当時青山通り国道246は暴走族のメッカでありましたぁ。
当然表参道の通り(シャンゼリゼ通り)は怖いお兄さん達お姉さん達の祭りの場であって、今でこそすっかり安全で国際的なお洒落な街の代名詞ですが、夜歩くのがとても怖い時期もありました。
いやいやTAGOSにとって1980年代初頭は現在とオーバーラップする時代背景があるように思えます。
それは“ジャパネスク”という“日本”の再評価が多分に含まれていた文化現象の中に80年代はありましたぁ!
もっとも70年代初頭には“ディスカバージャパン”現象もあったわけですがぁ。
“ジャパネスク”現象はアジアや他国との関係の中に日本の文化を正しく位置づけして、そこからオリジナルな日本文化を生み出そうと“日本”にこだわった時代です。
そうなんです。“日本人”の忘れていたアイデンティティを取り戻そうとする回帰現象が数十年ごとに螺旋階段のようにぐるぐるまわってけっして同じではないんだけれど訪れるんですねぇ。
今や日本全国、日本の夏祭りの大復活!昭和初期のノスタルジーブーム・・・・・。
話を戻して“原宿表参道元氣祭”という文字は国際化と和の文化との共生、氣(元氣・勇氣・氣力)が表現されているそうです。
そういえば24時間テレビのテーマも“絆”でしたねぇ。
♪土佐の高知の はりやま橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい♪


NO 445 すっかり世代交代です!新業態のメッカ“コリドー街”銀座編。
2006/08/26
すっかり世代交代しちゃいましたよぅ!
さぁて今夜は“銀座ナイン”を出発点として“東京高速道路”に沿って次の商業施設、今や若い人で大変な賑わいの“銀座コリドー街”のお話しお話で〜す。
ご存知でしたか!現在の“銀座コリードー街”は各飲食企業が新業態で勝負をかけるメッカとなっておりますぞぉ〜。
その傾向はコリドー街が大きくガラリと変わった2002年〜2003年が一番激しかったのですが皆さん気づかれていましたかぁ!
例えば判りやすい企業名サッポロライオンの新業態は“Private Dining点”“NY Style LOB”、三光マーケティングフーズは“月の雫”を展開している企業といえば判るでしょうか?豆腐料理“荳庵”なんかもこの企業の新業態でしたぁ。
そうそう新業態といえば2004年12月21日に“新生銀行”がやはり“新生バンクスポット”第1号店を出店しています。コンビニの“ローソン”もいちはやくナチュナルローソンを出店していましたよぅ。
昨年の4月14日には東京高速道路のコリドー街がさらにスケールアップし“西土橋ビル”にはは名古屋からやってきた株式会社ジェープロジェクトが“我歩”“芋蔵”“芋娘”の3店舗を同時出店。
今やこの道の草分け手的存在の際コーポレーションは“胡同文華CINOISHALL”そしてフードスコープはMAIMON”を同時期に新橋よりのコリドー街に出店していますねぇ。
同じく昨年3月29日にはコリドー街には珍しくも和菓子菓匠“甘楽”も誕生しております。
まぁ、まさにコリドー街は新業態のオンパレードですからここにくればだいたいの流れはわかってしまう場所でもあるのですぅ。
いやぁ〜でもでも、今でこそこうして活気ある“銀座コリドー街”ですけどもともとは電通相手のオフィス事務所が主流で1967年の電通の築地移転でガラガラ通りとなっておりましたねぇ。
1954年にコリドー街が竣工していますがその当時の様子はTAGOSも文献で知るのみですが、60年代のコリドー街は物販や婦人服やクラブ、喫茶、中華料理店、居酒屋等とまったくの雑居でしたねぇ〜。当然若者の通りではありませんでしたぁ〜。
TAGOSは表通りの銀座に遊びに行く前にこのコリドー街に立ち寄って安くすませて弾みをつけていたのでしたぁ〜。
そういえば、70年代の“ヘンリーアフリカ”も2003年になくなりCAFE364に。
1948年創業の老舗バー“クール”も2003年11月16日になくなってすっかりコリドー街沿いは世代交代とあいなったのでした。
まぁまぁ、本当にコリドー街が活性化したのは1998年の“寿司の美登利”と翌年出店の“土風炉”に多くの人が集まってきた時でしょうかぁ〜。
いやいやコリドー街の今昔の細かい話はつきないのですけれどそれはまたいづれの時にお話ししょうと思います。
さぁてさて最後にこの“銀座コリドー”の回廊を意味する名付け親は誰かと調べてみると明治座の当時の三田社長なんですってねぇ。
いよいよ次回はもっと“東京高速道路”に沿ってどんどんデープな銀座へと入っていきましょう!


NO444 元“冒険団”の皆様へのエール!代官山ライブ本当にありがとう!
2006/08/24
♪ゴミ置き場に群れてる 生きることに必死な カラスに負けない時を過ごしていこう 
時を過ごしていこう 時を過ごしていこう♪
(冒険団 カラスより)

カァ〜カァ〜カァ〜さん!こりゃ大変なこったぁ〜!
先月7月31日の出来事でございましたぁ。
それはそれはTAGOSにとっては2つの目の前が真っ黒カラスのジャッケルとヘッケルになってしまったのでしたぁ。
“ユニーク地球人”が応援していたミュージシャン“冒険団”のメンバーの方々が第1期生“冒険団”として全員卒業され“それぞれの新しい道を歩むことになります”という含みの内容がリーダー的存在のKoh-ichiroh(耕一郎)さんブログ(ユニーク地球人とリンク)にその日突如発表されたからです!
“ユニーク地球人”の“癒しの音楽館”では“冒険団”の六本木ライブ特集を組んで応援していたんです。本当にびっくり仰天ですよぅ〜。
“冒険団”のメンバーの方々を応援するようになったきっかけは、彼らの持つ元気力におもわず魅せられたからなんですぅ!。
彼らの歌には日常のマンネリに疲れ、社会に疲れ、学校に疲れ、会社に疲れた人を元気にするパワーが感じられたからなんですよぅ!
まさに“ユニーク地球人”のコンセプトにピッタンコ〜。
“日常を元気に楽しく過ごそうよ!”と必死に歌を歌い続けていた彼らに対しては世代を超えて共感する魂ですかねぇ〜。
メンバーは男性3人女性4人の7人編成なのです。
“ユニーク地球人”でサッカー談義で掲示板をもりあげてくれた“Koh-ichirohさん!まさに“冒険団”の支柱であって優しい兄貴的存在でしょうか?4オクターブの声量を持つすごいロックシンガー。
“MASAYA”さんは甘いルックスを持つシンガーでミュージカルにも初出演。女性人気も高いけど20歳まではバレーボールのリベロとして五輪強化候補だったんですねぇ。
“大友さん”は民謡を学んできた背景から独特のソウルフルなシャウトが魅力です。
“ひろこ”さんはいつも素敵な笑顔でコミカルな歌を歌う時はキラキラしていてバラード系ではそのせつな感の表現が素晴らしい!
“ゆきさん”は本当にシルキーなボイス。とても日本的風情を歌わせたら最高!NHKでも流れていた“桜の下で”がなんともいいですねぇ。
“美由紀”さんは美しいバラードがぴったり、澄んだヴォイス、すらりした長身はまさにデーィヴァ的存在感なのです。
“麻由さん”は冒険団で最年少だけどとにかく歌が大好き〜というインパクトがひしひしと!若さ爆発で観客をグイグイ圧倒するパワーを秘めておりFM横浜でもパーソナリティーとして活躍しているのです!
さぁてさて、なぜにTAGOSがメンバーのご紹介を地球人の皆様にしているのかと言えばですねぇ〜。
いやぁ〜実は実は8月21日(月)に代官山のライブハウス“晴れたら空に豆まいて”にてKoh-ichirohさんの“冒険団”解散後のファンへの感謝の気持ちを込めてライブをされるということでスタコラサッサと飛んで行ったのです!
さすがぁ〜にくい演出じゃないですか!Koh-ichirohさん!自分のライブに元冒険団メンバー6人をステージに上げて全員7人による“カラス”の熱唱だぁ〜。
んまぁ〜六本木のあの熱い夜が代官山に引越ししちぁったんじゃないかと思うほどライブハウスは世代を超えたお客様で燃え上がりヒートアイランド現象の根源とならないか心配するほどの夜となったのでした。
元冒険団の皆々様!あのステージにあがって歌っていた時の表情TAGOSは忘れられません!
なんとキラキラ輝いていたことでしょうか!
そうそうそれこそが“ユニーク地球人!”
元気いっぱいいっぱいいっぱ〜いもらいましたよぅ。

♪ゴミ箱に群れてる 生きることに必死な カラスに負けない時を過ごしていこう 
時を過ごしていこう 時を過ごしていこう♪

●元冒険団の皆様方の今後の活動は“癒しの音楽館”とリンクされた個人ブログを是非是非覗いてみてくださいねぇ。


NO443 コの字何の路?東京高速道路“銀座編”。
2006/08/22
♪コの字(じ)何の路(じ)気になる路(じ)♪
さぁてさて新橋と銀座8丁目を分ける“銀座ナイン”はなんともユニークなんですぅ!で終わってしまった“銀座編”の続き続きでございます・・・・。
外から“銀座ナイン”を眺めれば、誰でもその建物上に車がひょいひょいと通過していることがわかりますよねぇ。
そうです!ごくありふれた都心の高速道路の風景ですがぁ〜。
でも!ここは“首都高速”ではないんですよぅ!。
石原裕次郎時代風に言うなら“いかした名前の道路だぜ〜”
英文名で“東京スカイウェー”1959年6月部分開通、全開通が1964年7月と首都高速道路より長い歴史を持つなんと!無料の高速道路ですよぅ〜。
この高速道路の日本名は“東京高速道路”でございます。
2005年10月1日道路公団が民営化されるず〜っとまえから民間経営で通行料タダなんですからびっくりです!
知ってる人は知っている“東京高速道路”の存在。
で〜もなんで通行料がタダなのよTAGOSさん?
そうです。その疑問に答えるべくTAGOSは銀座ナインの頭上を走る道路がどこまで続いているのか、高速に沿ってこのうだるような暑さの中““ハンカチ王子”となって?いやいや“ハンカチおじさん”となってこまめに汗をハンカチでぬぐいながらどこまでもどこまでも歩いて行ったのでした。
行ったはいいがまずは“東京高速道路”の入り口と出口の区別はどっちがどっちなのよ!
そうそう進入禁止の表示を見極めればまずは入り口は“銀座ナイン”に沿って銀座御門通りを歩けばドンキホーテの看板がある蓬莱橋(銀座8丁目2002番地先)からさぁ!スタートです!。
ハンカチおじさん!気合い入れて行くぞい!
“銀座ナイン”から土橋“コリドー街”の頭上を通過し“銀座FIVE”を通過し“西銀座デパート”
フウーフウゥ〜そしてそして“銀座INS@”“銀座INSA”“銀座INSB”の頭上を通り桜通りに入って紺屋橋を通過し銀座通りの京橋に隣接するホテル西洋の裏を抜け昭和通り近くがついに出口だぁ〜
終点は“新京橋”(銀座1丁目2002番地先)だったのです。
ンガァ〜ハンカチおじさんはとにかく疲れましたぁ!
んまぁ〜これだけ上を向いてわかったことは、“東京高速道路”さんは“銀座ナイン”“コリドー街”“銀座FIVE”“西銀座デパート”“銀座INS”の持ち主さんで運営者だから、ここからの家賃で高速の通行料がタダになっていたんですねぇ〜。イヨ〜あっぱれ!あっぱれ!
そしてこの高速道路がTAGOSは新橋から数寄屋橋を経て京橋まで銀座を“コ”の字方に通っている全長2キロメートルの可愛い道路ということもはっきりこの足と目で確かめたのでしたぁ〜。
めでたしめでたし・・・・。
あれあれただひたすら歩いてきただけのおしゃべりになってしまったようですので次回はその2キロメートル歩いた道中の様子をお話しようと思っています!ハイ。
♪上を向いて歩こう〜涙がこぼれないように〜♪


NO442 知ってる人は知っている。ユニークな銀座ナイン“銀座編”
2006/08/20
♪別れ〜るこ〜とは つらい〜け〜ど 仕方がぁ〜ないんだぁ 
君のため 別れに星影の ワルツを歌おう 
冷たい心じゃないんだよ 冷たい心じゃないんだよ〜・・・・♪
(1968年 星影のワルツより)
いやぁ〜もう歩いていても暑くて暑くて冷たい心どころじゃぁ〜ナインです!。
そうそう!別れていることは本当につらいと思いますがぁ〜銀座通りの新橋と銀座8丁目を目と鼻の先で真っ二つに分けている目印こそがご存知“銀座ナイン”なんですねぇ〜。
お気づきのように銀座9丁目っていうのは実際はナイン?いや失礼!本当にないんですね。
1966年に銀座に西端の旧江戸城堀、南端の汐留川、北端の京橋川を埋め立てて、高架の1階、2階が商店街となっている俗に“銀座9丁目”と呼ばれている飲食店が多数入った場所ですよぅ。
テナントとして入居している飲食店の方々はいまだこの“銀座”か“新橋”の別れ目につらい思いをしているのだとか・・・。
んまぁ〜でも銀座ナイン地下のおでん屋さんはもうお店の名前が“銀座九丁目”ですから!
しっかり9丁目しています。
ところで皆様“銀座ナイン”は良く利用なさったりするでしょうかぁ?
飲食店がたくさんありますから1階2階はけっこうご利用になっているかも?
“銀座ナイン”で意外と知られていないというか一般には利用されていないのがナイン2号館とナイン3号館の銀座通りの下を結んでいる地下連絡通路です。“私のいぬねこIN銀座100覧会”ペット似顔絵ギャラリーなぁ〜んて平成11年から犬猫がペイントされている不思議な通路です。
ハナマサと300円ラーメンの三吉・昔からの洋食屋はと屋を地下で結んだ通路といえばわかりやすいかも。
さぁてさて年配の方はご存知ですよぇ〜、銀座ナインは前は“新橋センター”と言っておりましたが昭和60年にリニューアルして銀座ナインになったんですね。
う〜んまぁ〜、この“銀座ナイン”って目立つようなぁ?目立たぬようなぁ?
それでも実は実はこの“銀座ナイン”ってとってもユニークだったんですぅ!
何がユニークって?
建物の中にいちゃ、そのユニークさはわからないのです。
さぁさぁ皆さん!外からじっくり眺めてくださいねぇ〜。

この続きは次回におしゃべりいたします。


NO441 牛になったおじさん。トコトコ歩こう“銀座編”
2006/08/18
牛が豚です!モーモーモ〜。本当にモ〜です。
モ〜まったく効かなくなっていますねぇ!。
ここ最近日中の2階部屋はドライモード冷房2台でフル回転させても湿度がトンとおさまらず家族はブーブー言っています。
蝉時雨を聞きながら効かないクーラーの下でカキ氷を食べながら暑くて冷たい脳みそで思いついたヒトリゴト!
さぁてさてこんなに暑い日に街中を歩きまわる人もいないでしょうからTAGOSが今でも何度も街歩きでとりあげている開発ラッシュに沸いている8月の“銀座”の街に焦点をあてて街の変化の様子を気ままにおしゃべりしてみようと思います。
盆休みの間にも誰もが知っている“銀座”街が一日一日変化しているのですからやはりすごいスピードですぅ!
TAGOSさん!開発ラッシュといってもそりぁ街歩けばわかるでしょ!いわれなくたって表通りで工事中の現場いっぱい見かけますから!
その通りで〜す。でも〜既に解体および新築工事を開始しているエリアだけでもTAGOSが数えただけで50以上はありますもの。
そうそう変化の激しい一例として4日前に銀座3丁目のシャネル前の舗道を通りかかったら4丁目の山野楽器前の舗道までのすべてのブロックが剥ぎ取られておりましたぁ!
ちょっと前にきれいになったばかりだったのにねぇ〜。
これってもっとデザイン的な趣向をこらす為なんでしょうかぁ?
ついでに変化の途上の例として銀座1丁目の誰もがご存知の洋食屋さん“つばめグリル”を見てみましょう。
よ〜く見ればここは5階建てのビル。一階“つばめグリル”の上階を見上げれば2階からはもう入居者が抜けていませんよぅ。
きっとじきに解体することになるんでしょうねぇ。
“つばめグリル”の横ではすでにフェンスに囲まれ空き地となった(仮称)銀座1丁目計画A地上12階地下3階の表示板、2本裏の三原通り、あの奥野ビル(旧銀座アパートメント1932年竣工)横近くもこれまたフェンスに囲まれた空き地がポッカリできていて(仮称)銀座一丁目計画B地上10階地下1階となっております。
すぐ先の3丁目をゆけば銀座のデパートもリニューアルを繰り返していますよぅ!。
例えば今15億を投じて外壁には発光ダイオードをちりばめ季節と時間ごとに彩りを変える演出を試みる松屋は内装リューアルとともにもうじき9月8日にまた昨年に続き新しい顔を見せてくれますよぅ!。
有楽町側の西武は33億かけて1日遅れで現在のA館はファッション館としてB館はビューティ館として生まれ変わってデビューするんですねぇ。
1丁目から銀座通りを8丁目まで誰でも歩いていけばそれだけで2000年まで静かだった銀座の騒がしさに気づきます。
ちょっと横道に反れて8丁目花椿通り沿いには“サムソナイト・ブラックレーベル銀座”が8月末にオープン!イギリスのデザイナー“アレキサンダー・マックィーン”と“サムソナイト”のコラボレーション店ですね。
並木通りの8丁目には“アニヤ・ハインドマーチ”のお店が8月26日オープンなのです。
何なの?そんな横文字聞言ったって判らないしまったく興味な〜いなんて言わないでくださいなぁ〜。
TAGOSはこれからもっと銀座のディープなお話をしたいと思っておりますハイ。
はぁ?銀座のクラブなんかの潜入話じゃありませんよぅ〜。TAGOSのおしゃべりはお金のかからない街歩きですからぁ!
ゆっくりとですけれど次回は銀座8丁目先のおしゃべりをしようと思います。

(地球人のヒトリゴトNO435・436 銀座編)


NO440 帰省ラッシュ。帰省ブルー。
2006/08/16
お帰りになられましたよ〜。牛に乗ってトコトコと。
さぁてさてお盆も終わり玄関先で送り火をしてご先祖様に神妙に手を合わせお見送りをした後、パチリとテレビをつければこれまたお帰りになられる方々がゾクゾクと!
Uタンラッシュの光景だぁ!・・・・・。

“家に帰れば有効期限の切れた亭主と賞味期限の切れた女房がにらみ合い 
これが本当の腐れ縁”
(綾小路きみまろさんのテープ2巻)

ガハァハハ、TAGOSは昨日の新聞に広告掲載されていたこのきみまろさんの文面に思わず一人大笑したものですから今回お盆の帰省ラッシュの光景を見たとたんにきっとさまざまなご家庭で様々な帰省ドラマがあったんだろうなぁと不謹慎ながら想像してしまったのです。
“帰省”の有り方もだいぶ違ってきていますよねぇ。夫婦で帰省する時、兄弟、親戚などが集うお盆の時期をあえてずらすようにすることも多いと聞いています。
お盆は実家のお墓参りを中心としていた規範的な風習が今や自分達家族のライフスタイルを重視するようになってきているからですねぇ。
たまに妻が夫の実家にいって親族一同から“子供はいつ生むの?”とか“どんな大学に行くの?”“夫婦仲は円満なの?”とか子供のことや夫婦のライフスタイルのことなど多くの質問攻めにあうことですっかり気持ちが落ち込んでしまうブルーブルーな妻。
とかく親族の話題についていけないで居場所がなくただただ動きまわって
こりゃぁ〜盆休みどころじゃぁ〜ありません!
ということで余計な気づかいをさせまいと夫もやたら気をつかうようになって、それならと夫が帰省に妻をつれていかないことも増えているようですぅ・・・。
そしてその翌年のお盆からは“あなたぁ〜今年から帰省はどうぞお一人で行ってらっしぁいませ!
運賃も助かるし〜気楽でいいでしょ!”
なぁ〜んてことで、こうした“帰省”の有り方の変化がどんどん変わって行くとあらたな家族や夫婦のあり方を映し出すおもろい“お盆の帰省ドラマ”が登場してもおかしくないですよねぇ。
ねぇヘイヘイホ〜。

♪帰ろかな〜 帰るのよそうかな〜 ♪
(昭和40年)


NO439 8月の蝉時雨。豊月(ほうげつ)86歳兄を偲ぶ。
2006/08/13
先月の七月十七日、息子より朝“今日の休日「海の日」はお母さん、何の日だか知っているの・・・・”
果たしてなんだろうか?あまり聞きなれない祭日です。
たしか夏暑くなるので海開き?それとも各地で楽しい祭典かしら?
息子は“そんなことではないよ・・・。戦争によって乗船兵士激戦によっての大勢の犠牲者、日本は海に囲まれ、海を守る日夜働く人達への大切な感謝の日なんだ”と聞かされました。
そんなことから話が進み、私は息子に1歳上の私の兄が早稲田大学卒業と同時、東京丸の内本社、日本郵船に入社、将来、貿易商人を夢にいだき家族に話した時の喜びの顔今でも忘れません。
又最後の日本郵船の豪華客船“新田丸”進水式の時、家族も招待され父母が出席したことなどを早速息子に話すと、早速インターネットにて記録を出してもらいそれを見た瞬間感慨無量でした。
早速、向島の七十八歳の妹に電話で知らせ記録を郵送しました。
すると妹は“りま丸”横浜港出航の時、父母と兄を見送った時のことを思い出し何度も何度も見て涙ぐみ興奮。
なんとなく兄、父母のことをなつかしくさびしくなったと電話にて知らせてきました。
私も同じ思いです。
私も初めての写真“りま丸”を見て考え新たに八十六歳にて知りました。
私にとって一番大切な記念する“海の日”でした。

平成18年7月17日記載  豊月(ほうげつ)86歳

●ユニーク地球人 サントガリア星人からのメッセージNO7 NEW UPです。
「いのちのバトン」のお話PART3 お盆特別編です。

●アートなお部屋 豊月の夏を感じる水彩画10点 NEW UP です。


NO438 飛ばし過ぎです。ゆっくり休もう高速SA編。
2006/08/09
また同んなじになっちゃいませんかぁ?
デパート地下食品売り場が“デパチカ”と言われてから瞬く間に全国にひろがって、次にはホテルに飛び火、続いて大型ショッピングセンター、JR駅も駅ナカがスケールアップ、空港もソラナカとしてSC並みの商業施設に大変貌を遂げてしまいましたねぇ。
もうすでに都心ではどれもこれも当たり前の環境になってしまいましたぁ。
それでも駅ナカの品川・大宮などの“エキュート”表参道の“エチカ”が商業施設に生まれ変わった参考モデルになっていたりするからまだまだ全国に波及していくんでしょうねぇ。
またまたどこも同じ顔になってほしくないほしいものですねぇ。
さぁてさて今年の4月に談合坂のサービスエリアを見てここまで来たのかぁ!パーキングエリアの商業施設!そして“道の駅”のことをNO341の地球人のヒトリゴトでにちょぴりおしゃべりしたけれど、むしろ今はサービスエリアや道の駅の商業施設のほうが地域独自のオリジナル性の商業施設開発がどんどん出来そうでとても楽しみにしているんですよぅ!。
休憩所から商業施設に大きくかじをきった高速SA。
これからは街ナカの商業施設との競争するからには高速のSAも一般道からお客様が入店できるSAも山陽道小谷SAできているんですね。
これからはホテルもつくれば温泉もある!車で動きまわれる中継地にも変貌できるSAですね。
ハイウェイ専用のコンビニも出来れば特徴あるレストランも登場とすごいことになってきたんもんです。
東日本地区177箇所のSA・PAエリアには5月には高速SA無料情報誌“ハイウェイウォーカー”なぞも登場しましたよぅ!
んまぁ〜都心の商業施設もとってもおもしろいけれど
TAGOSは自然豊かな郊外の道の駅や特徴ある道府県のSA開発にとっても興味が引かれます。


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