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NO467 豊月(ほうげつ)86歳が語る。今も静かに穏やかな日。
2006/10/20
あっという間に金木犀、さるすべり、風情豊かな萩の花もこぼれ散り日毎に深まる秋・・・・。
今日は晴天に恵まれ年一回の植木職人が来る日。
早朝クレーンのついた大きなトラックに長いはしご、切り込み用の沢山の道具、二人の職人は仕事にとりかかりました。
私は早速、日あたりの良い縁側に腰を下ろし眺めています。小鳥のさえずり、はさみの切り込みの音だけがぱちぱち静かにあたりを通してなんとのどかな気分。
長い生垣数多い細かい植え込みの枝切り、つるべ落としの日の暮れも早く一日目はやっと終わりました。
翌朝、二回目高く大きな古木の枝切り、ことに毎年春一番に紅梅大空一面に桃色に咲き、毎年楽しませてくれるのですが枯れ枝も多いので今年は初めての思い切っての切り込み。
職人さんが念を押すように“さぁ、はじめますよ”
“はい良いですよ切ってください・・・・・。”
見る間に大きな枝が山と切り落とされ私はなんとなく罪悪感を感じ見守りながら心配でどきどきしました。
見上げる古木、大きな幹のような枝だけがひろがり何と不気味な醜い姿が立っているようで淋しく可哀想に思いました。
切り落とされた大きな枝の小枝より一杯来春一番に咲く小さな蕾が沢山ついていました。
私は未練がましく見つめました。
職人さんは“紅梅の木のために良い事で新芽によって古木が若返りますよ・・・。”
私はひとまず安心、いつか又大空に咲き誇り“紅梅さん頑張ってね”と一言。
長い年月に大きくなった立派な五葉松、梅、桜、紅葉沢山の木に囲まれ毎日見る数多い自然の庭木は老年の私に常に感謝の念、頑張りの心、無心の安らかな気持ちを教えてくれ一日一日の生活の暮らしを励ましてくれます。
現代は大変な文明の社会でありながら毎日国内外は不気味なニュース事件が多く、又各国の争い絶える事無く悩む事の多い人間模様。
静かな自然界は一番何か心安らぐ事を教えてくれるような気がします。
沢山の枝葉、雑草取り除き色とりどりの小菊、ほととぎす、今も静かに咲きおだやかな日です。

皆様、晩秋もちかく朝夕寒くなりますのでくれぐれも御身体大切に致して下さいませ。

                豊月(ほうげつ)


NO466 今、僕は六本木の交差点に立つ。あなたも新富裕層?。
2006/10/18
♪今、僕は六本木の交差点に立ち 大きく 大きく
息を吸う 無数の見知らぬ 行き交かう人たちから 感じたことがあった♪
(冒険団の歌より)
そうです!そうなんですよ!TAGOSが再び本格的に深夜の六本木の交差点に立ち行き交う人たちをじっくり見るようになったのは2005年の1月からのことなのです。
そうそうあのヴォーカルグループ“冒険団”のライブがきっかけで何回も六本木の夜を満喫することになったわけですぅ〜。
今や六本木交差点の深夜0時といったら“ここはニッポンじゃな〜い!まさしくロッポン人の街よねぇ!!
キューバ、ペルー・コロンビアのラテン系から欧米系と多種多様の外国人と日本人が入りまじり自分流のファッションでぞろぞろと・・・・・。
とにか〜く人のエネルギーの放電が半端じぁないですよ!バチバチいってますからぁ。
サルサ・メレンゲ・パチャータ・レゲトンなどのラテンバーのメッカの六本木ですからまぁ〜賑やか賑やかぁ。
2003年の六本木ヒルズ開業以来、六本木の夜は再び活気にあふれあきらかにナイトスポットは今やあの80年代のようです!。
なんせ新しいクラブやバーはどこもここも深夜には溢れかえっていますものねぇ!
今、これほどまでの夜遊びのエネルギーが強烈に放出されっぱなしの街は六本木以外はありませ〜ん。
危ないですよ!そこのあなた!あんまりそばに近づくとびりびり感電して無国籍ロッポン人に変身しちゃいますから!
そうそう深夜は今まで通り健全に鼻提灯つくって家でスヤスヤ枕かかえて寝ていたほうが身の為ですぞ〜。
さぁてさて今日は明るい昼に六本木青山ブックセンターに立ち寄りましたぁ!
この青山ブックセンター六本木店は6月8日にリニューアルオープンしたのです。
一時はびっくりしましたよぅ!2002年1月に閉店してしまった銀座の“イエナ書店”のようになっちゃうのかと思いましたからねぇ。
2004年9月29日民事再生法をうけ今は六本木ヒルズにも増やしましたから。
“新富裕層マネー”“新富裕層の消費分析”“新富裕層の研究”“日本の富裕層”“姫様商売”“上質生活のすすめ”“高くても売れる7つの法則”“究極のマーケティング”
おぉ〜よくも並んだもんだぁ!!80年代にズラリと本屋に並べられていた“マーケティング関連の本は昨年まで影をすっかりひそめていたのですけれど株・金融に関する本と同じくらいに店頭にズラリズラリと並べられるようになっていますよぅ!
それも富裕層関連がねぇ・・・・。
わたしぁ関係ござませんって?いやいやTAGOSにはおおありなのです。
エッヘン何を隠そう!TAGOSだって立派なふゆう層でからねぇ!!
ただし〜TAGOSの場合は地に足つかない立派な“新浮遊層”でございまぁす。


NO465 勝手にシンドバット!。ハチ公VSモヤイ“渋谷編”
2006/10/16
♪ 今何時? そうね大体ね 今何時 ちょっと待ってて 今何時?まだ早い 不思議なものね 
あんたを見れば 胸騒ぎの腰つき♪(勝手にシンドバット)
は〜いTAGOSは新宿より渋谷の街に降り立ちましたぁ。ちょっと久しぶりですよぅ〜。
渋谷は今公園通りがどんどん変わっていってますからねぇ〜。
今日はさらに明治通り裏から代官山・恵比寿・中目黒へと足を運んだのですがぁ・・・・・。
確かに渋谷・代官山・恵比寿・中目黒は常に変貌を続けているのですが今はなんだかTAGOSには、モヤモヤしていて先がはっきり見えない街なんです。
先端の新しいモノ・コトが生み出されていた代表的なパワーがある街ではあるんですがこのところいつ来てもなかなか本来の力強い街のパワーを得ることが出来ないんですよねぇ〜。
ありゃ〜こりゃ!大変だぁ!!街のパワー不足ではなくTAGOS自身の感受性の回線がショートしとるのかぁ?
うむぅ〜いかんいかん!!と渋谷の街を歩きまわればまわるほどその思いは強くなっていくのですがぁ・・・・・。
んがぁ!!歩け歩け!!感じろ!感じろ!何かを感じろ!公園通り・ファイアー通り・センター街・ハンズ通り・Bunkamura通り・オーチャード通り・道玄坂・メトロ通りにオルガン通り・さらにさらにSING通り・コルネット通り・イエローストリート・プチ公園通り・区役所通り・無国籍道通り・サンドイツチ通り・スペイン坂・間坂・ペンギン通り・ランブリングストリート・どうだぁ!宮益坂だぁ〜。
やっぱり今日は全然だめですねぇ〜。身体からパワーもらうどころかパッパと出ていっちゃいましたよぅ〜。
そうそうこんな時には迷わずこの場所を離れることです。パワー吸われてカラカラミイラにならないようにねぇ〜。
そう思って渋谷駅に向かってあの昭和9年の銅像“ハチ公広場”を通り過ぎたときでした。
おっ!そういえば?今渋谷の待ち合わせ場所のベスト1って、やはりあのハチなのかぁ?
いきなり疑問が頭にふっとよぎったのでしたぁ!!
ふむぅ〜先程通った昭和55年に設置された渋谷南口の“モヤイ像”にも人が群れていたねぇ〜。
ご存知ないお方の為にあれは“モアイ像”ではなく“モヤイ像”ですよぅ!
表には若者(アニイ)裏には老人(インジイ)が掘られていて伊豆七島新島の方言で“モヤイ”とは“力を合わせる”という意味ですから!
けっしてそこのお嬢さん!彼が渋谷の“モヤイ像”で待っているからぁ〜と言って、なぁに!教養な〜い!彼ったらモ・ヤ・イだってぇ〜デート今日やめよ!なんて言わないでくださいなぁ〜。
いやいや渋谷の待ち合わせ場所といったら他には“東急109”“渋谷マークシティ1階”“QーFRONT TUTAYA”“丸井前”“たばこと塩の博物館”などなどたくさんありますけどねぇ〜。
でも〜気づけばもう待ち合わせ場所の定番ってもう待ちぼうけくらって長々待っている光景ってとっくに無くなってしまっていたんですねぇ〜。
“そうねぇ〜夜7時あたりに渋谷改札口ねぇ!駅についたら携帯入れるからぁ!”今こんな会話ですよね。
ケイタイの出現で待ち合わせの風景がすっかり変わってしまっていることに今さらながら気付きました。
“いつまで待たせるのよ!”“ごめんごめん!埋め合わせするからぁ!”なんていうレトロな会話もうなくなってしまったんだぁ!
いやいやハチ公広場のハチ公が今日・何も感じずしょぼくれて渋谷駅から去ろうとするTAGOSの姿を見かねて伝えてくれたことだったんですねぇ。
今や待ち合わせをめぐる数々の人間ドラマは古き良き時代の出来事に・・・・・。
♪あなたとわたしの合言葉有楽町で〜逢いましょう♪


NO464 なんたってカルチャー!。探しものが見つかる街“神保町編”
2006/10/13
バシッ!ものすごい音が図書館の静寂をやぶったのです!
“あれぇ?お前じんぼうだよなぁ!じんぼうだろ?”
いきなり後頭部をノートらしきもので殴打され、びっくりして振り向いた先にTAGOSの顔をしげしげと不思議そうな顔つきで見つめていた男の子の姿がぁ・・・・。
そうそう昔々、TAGOSが高校生の頃、自分が見ても何と双子ではないかいなぁ〜と思うほどのそっくりさんで“神保(じんぼう)くん”という男の子が他のクラスにいたので〜す。
クラスは違えど思えば知らぬ場所でよ〜く二人とも互いに間違えられる体験をしていたのです!
そんなことでこの“神保(じんぼう)”という名には今でも何となく親しみがあるのでした。
あぃゃ!ここもかぁ!!“都合によりしばらく休業させていただきます”昭和27年創業の喫茶店“エリカ”に張り紙が。
は〜いここは江戸時代の旗本“神保長治”の邸宅が神田にあったことから“神保町(じんぼうちょう)”と呼ばれている世界最大級の書店街でございます。
TAGOSさんにとって近頃どの街が楽しくてリラックスできる街なのよ?と聞かれれば迷わず、う〜んそれはねぇ“神保町”と答えます。
正直いって90年代には魅力がどんどん薄れていった頃です。
しか〜し2000年頃からぐ〜んと新しい魅力が加わって今ではとっても新旧のバランスがいい居心地が良い街となりましたぁ!
老若男女が自然にまじりあった大衆的・専門的文化がほどよくブレンドされて居心地の良いのが魅力的!
“神保町”はとにかく色々なユニークな商圏がどんどん重なりあっています。
オフィス街であり学生街。専門古本屋・新刊本屋・オタク本が共存しているご存知“本の街”・“カレーの街”“中華の街”“グルメの街”“楽器の街”“レコード店の街”“スポーツ・アウトドアの街”“喫茶の街”“出版社の街”“画材の街”等など。
とにかくとにかく専門的でどこにもないユニークな店があちこちにいっぱいありますもの。
そうバブル後もどこを切っても金太郎飴のような街にはならなかったんですねぇ。すごいことです!!
裏通りを歩きまわっていると必ずといってカメラを持って歩いている若い女性に出会います。
きっと“神保町”って絵になる街だからでしょうね。
お店の名前だってとってもユニーク!
昭和30年創業喫茶店“さぼうる”これスペイン語で“味”という意味。“茶房神田伯剌西爾”これ読めますか?伯剌西爾(ブラジル)ですよぅ!ホリイゲ古瀬戸のホリイゲとは?ドイツ語で居酒屋という意味なんですね。
とにかく“神保町”に点在するお店の名前の意味を調べるだけでお勉強になっちゃうんですから。
いやいやゆったりのんびり時が流れる“優しい文化”が今も息づいている稀有な街ですねぇ。
今朝方のニュースで、海外1号店をプレミアムコーヒーと禁煙という差別化で銀座に出店したスターバックスが日本でもう10年目を向かえるのだそうです。
黒船がやってきても神保町のクラシカル喫茶店はどこも静かに生き残っていましたが“喫茶エリカ”はさぁて?残るのでしょうかぁ?


NO463 愛こそすべて?アップルかじるマイク君。“新宿編”
2006/10/11
♪アイアイ アイアイ おさ〜るさぁんだよ〜♪
アイアイそうなんです。アイブームが今も続いていますねぇ〜。
気がつけば2004年頃から“アイちゃん”福原愛(卓球)・宮里藍(ゴルフ)・上村愛子(スキー)・大友愛(バレー)そして愛子内親王など世の中でおおきな人気を博してきたのです。
しか〜しそれ以前から日本にアイを広めていたと言えばドコモの携帯機能“アイモード”でございます。
さらにさらに2001年10月に海外からやってきた世界の“アイの伝道師”がおりました。
2004年にはまたたくうちに日本の若者にもそのアイはどんどん拡がって行きましたねぇ。
そうです!!今や携帯音楽プレーヤー“アイポッド”の存在は街にあふれているのです・・・・。
さぁてさてTAGOSはぶらりと新宿の“TOWER RECORDS”に立ち寄りましたぁ。
2006年8月20日米タワーレコード破産申請のニュースに時代の流れを感じながらそれでもしっかり生き残っている日本のタワーレコードを見に来たのです。
覚えていますか?あの80年代にいきなり始まりましたぁ!
そうそう外資系大型CD店の日本進出は1980年にタワーレコード1号店が札幌から始まりましたねぇ。
翌年81年に“ヴァージンメガストア”が新宿、その3ヵ月後にタワーレコード2号店が渋谷に1500坪でオープン、1990年に英国HWVが渋谷に411坪で圧倒的な大きさと品揃えでやって来たのでしたぁ。
当時、日本のCD小売店さんは50坪が大型店と言われてたから。
さらに洋楽輸入版は国内版より1000円も安いしおまけに日本になかった試聴という販促を持ち込んで来たのですからまさに黒船の襲来でしたぁ。
月日は流れその“タワーレコード”が“デジタル配信市場”にいつしか大苦戦していたわけなんですねぇ。
あれ?新宿タワーレコード7階に“ナップスター”の自由体験試聴コーナーが設けられ数台のパソコンが並んでいます。
そうそう“ナップスター”とは10月3日から始まったPCを使った定額制150万曲聞き放題の音楽配信サービスですよね。
どうして!どうして?だって“タワーレコード”はこの膨大なデジタル音楽配信の競争で大変なことになったんでしょ!どうしてその敵の“ナップスター”を店内で宣伝しているの?
TAGOSはさっぱりわからなかったのでお店の人になぜなの?どうしてなの?とデモンストレーションのお兄さんに詰め寄って質問したのでしたぁ。
あなたはタワーレコードのお方?それともナップスターの方?
そのお兄さんはやたら力をこめてこう答えたのです。“ワタクシはナップスターの社員です!!。HMVとは決して提携しないのです!”
ふ〜ん、なるほどそうだったの!!
ようやくその意味がわかりましたぁ〜。タワーレコードは米ナップスターと日本市場向けのオンライン音楽配信配信会社“ナップスタージャパン”をつくったんだぁ〜。要はタワーレコードとお仲間となったのですねぇ〜。
いやいやなんとも今の市場競争は敵なのかお仲間なのかさっぱりわからん!
そんなことを思って家に戻ったらニュースで今度は音楽配信市場の競争が第2ラウンドに突入するのだと。
あのマイクロソフトが独走するアップルの“アイポッド”に対しプレーヤー“Zune(ズーン)”と配信サイト“ズーンマーケット・プレイス”で対抗すると9月に発表!
なんと“ナップスター”が事実上のパートナーなんですと!
つま〜り定額制を武器にマイクロソフトやナップスター経由での音楽販売が増えマイクロソフト用の数がアップル用の楽曲を上回れば市場の地位が逆転するってことに・・・・・・。
んまぁ〜TAGOSとしてはまだ“おおきなウォークマン“机の上に置いておりますからぁ。
そういえば昔“ウォークマン”のテレビCMで猿が目をつぶってヘッドホーンで聞いていたあの映像、なんだかTAGOSの今の姿を暗示していたようなぁ。
♪アイアイ アイアイ お猿さぁ〜んだよ〜♪

●癒しの写真館 スペイン写真紀行2 スペイン光と影 NEW UPです。力作20点どうぞご覧下さいませ。


NO462 デパート1階は徹子の部屋。
2006/10/07
ところで都心デパートは今後どうなっちゃうのよ?
デデ〜ンデデ〜ンとツッパリで都心まで迫ってきた都市型巨漢SCが攻め込めば、図体がちっさな百貨店は土俵際までグイグイ押し込まれ大苦戦ですよねぇ〜。
いやいや2000年よりデパチカでようやく復活をとげ、レストランフロアも大リニューアルして充実させ、1階には海外有名ブランドを誘致、そしてデパオクも憩いの場としてのリニューアル。
そしてそして今年に入ってもリニューアルを繰り返しどこのデパートも工事現場さながらとなっておりましたぁ〜。
そんな時でも絶えず光を失わないデパートの聖地があ〜るのです!
明るい!明るすぎるぅ!ここは黒柳徹子さんの“徹子の部屋”かぁ!
いやいや安藤優子さんの“スーパーニュース”かぁ!
もっというならばそこに美容研究家の鈴木その子さんがぁヌーっと・・・・・・。
とにかくそれほどまっちろい世界なのですよ!
怖いくらいの白熱灯の光が白の世界をつくりあげ鏡のように透明感のあるデパート1階は不動の化粧品売り場となっております。
そりゃ化粧品のマージンは売り上げに対するデパートの取り分が多いし女性に向けてのイメージもいいから長〜い間変わらないんですよねぇ。
う〜ん、デパートが本気で変わろうとする時!これから1階がどうなって行くことでしょうかぁ?
そういえば銀座三越の1階の照明が先日のリニューアルで白から黄色になっていましたよ!。
さぁて、大手百貨店も既存の店舗をリニューアルを繰り返しているだけではありません!
都市近郊での新規出店を加速していますよぉ〜。
これからデパートが既存店とは異なる売り場づくりでショッピングセンターに“これからよろしくねぇ〜”と入っていっちゃうんですねぇ。
例えば2007年春“高島屋”は千葉流山に建設中のSC“おおたかの森SC”に“デパチカ”に特化した店を出す予定です。
三越も11月に武蔵村山市のSC“ダイヤモンドシティ・ミュー”。
来年3月には横浜の“ららぽ〜と横浜”に大丸が出店ですよ。
それにしても都市型SCの開設場所は広大な工場地帯の工場が建ち並んでいたところ。
TAGOSは思うんです。そんなに多くの工場をすべてつぶしてしまって同んなじようなSCつくるより、一つの工場だけでもいいからあの夢のある映画“チャーリとチョコレート工場”のようなエンターテイメント施設工場を海辺につくってくださいなぁ!!


NO461 犬も歩けばショッピングセンター。大きいな!“アーバンドックららぽ〜と豊洲”
2006/10/05
犬も歩けば海に落ちます!!
ほぉ〜可愛〜いじぁない!今朝方、髪の毛ボサボサのソファ〜の上にころがる我が家のチビ助犬が秋梅雨でカビが生えたコッペパンのように見えたので頭と目まわりのうっとうしい毛をバッサリ!
なんだか頭がツヤツヤとヘルメットのようになりましたぁ〜!!。
ところで今日“豊洲”にでっかくオープンしましたよぅ!“ヨドバシカメラ”ではありません!
“アーバンドックららぽ〜と豊洲”でございます。
不動産大手は堅調な個人消費を見込んで商業施設部門を、ビル賃貸、マンション分譲につぐ第三の柱として大変な勢いで出店をしているのですぅ〜。
雨降る中、TAGOSはオープン10時から午後2時までじっくりとグル〜リグル〜リ施設をめぐっていたのです。
んまぁ〜ガスタンクが立ち並んでいた東京湾の豊洲。思いおこせば巨大な再開発計画がささやかれていたのは1986年頃からでしたぁ!!。
あの金丸副総理が力を入れた“豊洲埠頭再開発構想。
そうそういつしか“豊洲センチュリーシティ計画”と名づけられていたのです。
とっくのとっくに出来ていたはずの開発計画が実に20年の歳月を経てようやく目の前に現れたのですから感慨ひとしおですよぅ〜。
なぜって?TAGOSはベニスのような美しいウォーターフロントを夢見て1970年後半“ららぽ〜と豊洲”から10分ぐらいのマンションに住みついたことがあったのですよぅ〜。
当時マンション住民の中には下に流れる川から船で東京湾のクルーズを満喫しとりましたぁ!!
当時はクルーズにあこがれての場所選びではありましたがぁ〜船遊びする時間もお金もなかったことをすっかり計算に入れておりませんでした!
若気のいたりというかぁ〜、ただ抜けていただけの話なのですが。
でも〜今考えればそリぁ!住人さん!それ不法停留でしょ!不法停留!いやぁ〜昔々のお話なのではっきり覚えておりませ〜んがぁ・・・・・。
それにしても9月28日には豊洲より巨大な“ラゾーナ川崎プラザ”を見てきたばっかり。
スペインの建築家リカルド・ボフィル氏が設計した長さ170メートルの大屋根がすご〜い!!
本当にすごいのはJR川崎駅と自由通路で直結しているから便利なんですねぇ。
いやいやその1ヶ月前の8月24日には“横浜ベイクォーター”に行って来ましたぁ。
そうそう!今までは犬が走らなければ棒に当たらないほどの距離の郊外型SC(ショピングセンター)だったのに今年に入ってからはすっかり“都市再開発型”の出店ラッシュになりましたぁ。
“ららぽ〜と”だけでも11月には千葉柏市に“ららぽ〜と柏の葉”来年の3月にはとにかく巨大な“ららぽ〜と横浜”2008年にも“新三郷”ですからね。
どのプロジェクトも共通点はすべて商業施設と住宅棟のセットですよね。
そういえば4月に錦糸町にオープンした“オリナス”
はすでに米保険大手AIGグループに190億で売却してます。
TAGOSはSCは今でさえ多いと思っていたのにこれからがど〜んと本番なのですねぇ!!
SCはまさにアメリカの1920〜30年代からの歴史。今日のようなSCが登場したのが1940年代後半だからこれから日本中に起こると予測できる都心・郊外問わないあらゆる形態のSCの出店は間違いなくアメリカが歩んだ道を見ればとても不安になるんです。
“犬も歩けばSCに当たる!”そんなアメリカのSC過剰競争の道を突き進んでいかないでくださいよぅ!
おぉ〜そういえばシンガポールから日本第一号店初上陸というお初物“ヤクン・カヤ・トースト”でしっかりトーストとシンガポールコーヒー味わってきました。


NO460 ココロは和の伝道師。星の降る“軽井沢編”
2006/10/01
やって来ましたぁ!軽井沢!
木立に覆われた三井の森を抜け目的地の黒門の小さな家に車を止めた時でしたぁ!!
いきなり数人の忍者が車を取り囲み運転手のTAGOS以外の荷物と乗車人達はあっという間にその小さな家へと誘われ消えて行ったのですぅ!
TAGOSが後を追うようにその小さな家に入ると、正面には摩訶不思議な楽器を奏でる男がすわり、回りにはさらに多くの忍者が行き交いしその前にこわばった顔で母豊月がちょこんと甘酒を手に持ち椅子に座っておりましたぁ。
怪訝そうに“何の儀式かしらん?”用心深い母豊月86歳にとってはそう思ったに違いありません!
何がなんだかわからない様子に戸惑い気味。
さらに追い討ちをかけるように今度は黒塗りの小さな車に乗せられてくねくねと細い道を抜け“谷の集落”へと運ばれて行ったのですからぁ〜。
ハ〜イ!ここは2005年7月20日にオープンした話題の宿“星のや 軽井沢”でございま〜す。
大正10年に創業した軽井沢星野温泉ホテルが100年余りを経て10年の歳月をかけて見事にリニューアルした非日常の“谷の集落”をコンセプトとしたエコ・リゾート旅館なのです。
こういう旅館は事前にあれこれ施設がどうだぁ?食事はなんだぁ?どんなサービスがあるんだぁ?などとPCなどで調べつくしてしまうほどつまらぬものはないですよねぇ!
情報過多満腹症が初めての出会いの感性をすっかり食欲不振にしてしまいますからねぇ。
しか〜し母豊月86歳の星のや旅館の第一ステージのコンタクトの場レセプションハウスでのあの独特の演出の印象がまじめに“拉致でもさるれるかと思ったわ〜”と本気で思っていたというのですから・・・・。
しか〜し豊月86歳の感性ほどまともなものはないとTAGOSは感じましたぁ!
そりゃ、従来型日本温泉旅館の固定概念を持っていたら何から何まで戸惑うのは当然ですよぅ〜。
旅館到着とともにお玄関で従業員全員が笑顔で“いらっしぁいませ〜”でもなく例えば24時間チェックイン可能や夕食がついていないこと。朝食の時間も自由なんですね。
今は伝統のある業界や業種ほどお客様はなれが激しいですからぁ!。
そうそう、誰もが最初は室内の暗〜いシーリングライトの灯りになれるまでしばらくじ〜っと固まっていましたし、姉などは旅館に入るなり“テレビがな〜い!な〜い!!”と絶句しておりましたぁ。
もちろん携帯もかからないし、時計もな〜い!。
そうかぁ!そうなんだぁ〜最初の小さな家が“時間の旅入り口だったのねぇ〜。
こういう小さな気づきの連続が心躍らせる感動へとつながっていくんですがPCで事前に調べていたらとっくにこんなことはわかっていますよねぇ〜。
その行為こそがまるで映画のストーリーを先におしゃべりしてしまう野暮な人になっちまう可能性ありですね。
さぁてさてTAGOS達も一個一個独立した“水並みの部屋”で忍者のような作務衣に着替え川に張り出したテラスのソファーから下に流れる浅間の伏流水のせせらぎの音とともに時の流れをどんどん忘れていきます。
飛び交う野鳥や紅葉がはじまった樹木を見ながら唯一部屋に用意されたヒーリングCDを聞きながらのんびりのんびり過ごすことに。
さぁて初めての一風変わったもてなしに先程まで緊張していた豊月もどうやらこの環境で過ごすうちにすっかりリラックスしたようで安心安心!!。
んまぁ〜この旅館ではいろいろ不思議体験をさせていただきましたぁ〜。暗礁番号で入る隠れ湯“”光と闇の部屋”など色々です。
そうそう、このところの日本各地のリゾートの再生は非日常へのいざないのストーリーがとっても重要になってきています。
いやぁ〜もてなしの演出には何日も過ごす長期滞在の風景と様々なしつらえが必要だし世界レベルにはエコ・リゾートのとり組みが大きなテーマなんですねぇ。

♪時の流れに 身をまかせ あなたの色に 染められ
一度の人生 それさえ 捨てることも かまわない・・・♪


NO459 ポパイな世代。
2006/09/27
ぴーまん!おたんこナス!どてかぼちゃ!!
ほうれんそうでしょ!ほうれんそう!ほうれんそうがないでしょ!!
会社でやたら野菜語を話しほうれんそうがないととくに不機嫌な世代が来年より大量退職が始まりますねぇ〜。
そうそうたびたび果物語で“そんなバナナ!”などと若い社員達に白い衝撃波を飛ばしていた世代です。
いやいやそんな世代の方々から言われたことありませんかぁ?“ほうれんそう”
ご存知“ほうれんそう”とは社会人になったら自分勝手な行動をとらない様に心がけましょうと報告・連絡・相談(ホウレンソウ)と言ったのですね。
業務を円滑に遂行するために必要な一連の動作として言われ続けていた定番の野菜でしたね。
TAGOSは“ほうれんそう”がなにより力をあたえてくれると信じていたのはこの世代の叔父様達ではなくガニ股、毛むくじゃらの太い腕、イカリの刺青、口にはパイプおまけにダミ声と大変な条件がそろったおじさんからでした。
そう!やっぱり“ポパイ・ザ・セーラマン。ポッポ〜”のポパイですねぇ。
1919年からニューヨークジャーナル新聞に連載され1929年に生み出されたアメリカンコミックのヒーローなのであります。
日本では1959年5月からスタート。最高視聴率33.7%を記録し5年以上続いたふけ顔おじさんヒーローですねぇ〜。
なんだかこのキャラクター!1976年発刊の若者文化の雑誌“POPEYE”以来スマートなアメリ文化のイメージがあるみたいですけど・・・・・。
でも〜なんかこのポパイって団塊世代のキャラクターイメージにダブルんですよねぇ!
いつも宿敵のブルートがいてオリーブをめぐって戦うんですよぅ!困ったことに直面するととことん自力で対応し駄目だと思うと“ほうれんそう”!
それはまるで競争にあけくれた企業戦士がお疲れにドリンク剤をイッキの飲みし24時間戦えますかぁ〜などとふるいたっていた光景と。


NO458 ♪エ〜エンさぁては〜♪。あぁ〜80年代のポテト達。
2006/09/24
♪ああ〜えんやこらせ〜どっこいせぇ〜♪
と大きなソファーにゴロっと寝転っころがったまま、テレビやレンタルビデオを見ながらポテトを頬張る人を“河内ポテト”?といいました。
1987年頃からはやりだした人気の新種ポテトではありましたがすでに販売中止となっておりますぅ。
しかし1998年頃には“マウスポテト”なるこじんまりした次の新種ポテトが出てきてどうやらソファーからPCの前に座って無目的に何時間もいすわるポテトとして今も生き残っているようです。
さぁてさて、80年代後半のお話をする時、思えばこのカワチのポテト!いやぁ〜“カウチポテト”の出現は言葉では死語であっても現在までつながるライフスタイルが定着した時代でもありましたぁ。
そうそう1986年ごろはTAGOSの街歩きは下町に行く回数が多かったんですぅ。
江戸時代ブームがあって深川に“深川江戸資料館”墨田区両国には“江戸東京博物館”が建築を予定してた頃ですねぇ。
若い女性の温泉ブームや癒し効果のニューエイジミュージックも大流行。
なにより今後登場するハイビジョンに先駆けて鮮明な画面や音質の大型モニターやオーディオがそんな癒しを演出する道具としてマンションや家庭の中での主役に躍り出たのですから太っちょポテト達がふえちゃったわけです。
80年代はビデオデッキなどは40軒に1軒が所有していたに過ぎなかったのが88年頃には60パーセントに上昇、つまりビデオソフトがレンタルなどで充実していった頃でございます。
さてさて、その時代背景には急激な再開発によってめまぐるしい速度で東京は変貌をとげている時でした。
1983年からはご存知いたるところで“カフェバーブーム”でしたね。
それがカジュアルレストランとしてどんどん大きくなって例えば誰でもご存知表参道に出店していた東京ブラウスの“キーウェストクラブ”などは椅子、テーブル、壁まで、すべて真っ白。
テラス席40、1階110席、2階30席でオープンしわずか1ヶ月あまりで投下資本1億5000万円ながら平均月商4000万円を超えていた繁盛店なのでした。
しか〜しもうその頃はすべての流行が明るいカンカン照りの太陽に長い間照らされ続けてるようなもので“いいかげんもう日陰で休んでいたいよぅ!〜”という“癒しブーム”が台頭していましたねぇ。
1988年最終の頃にはもう“MZA有明”や“ギガバー”“アマゾンクラブ”などエスニック的、神話的、土俗的、宗教的な異空間が拡がっておりました。
こんな時期に入っていた頃に定着したライフスタイルこそがぁ〜
♪エ〜エンさぁては〜あぁ〜一座ぁあの皆さまぇへ〜♪の“カワチのポテト”だったんですねぇ。
いやいや今回青山紀ノ国屋跡に2008年11月に誕生する複合ビル“AOアオ”の“アートによる地鎮祭”が9月15日に行われましたぁ。
約1000トンの大理石を砕いた白い砂利を1000坪の土地に敷き詰めた“白”のパフォーマンスは“青山を白からスタートさせる”というコンセプトだそうです。
そうそうあの80年代のキーウェストクラブも“若者の感性でこの表参道の店のカラーを自由につける”というコンセプトでしたよぅ。


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