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スーサンのよもやま話No.110

2012/01/10

2回目のパナマ訪問       report by OK

パナマ運河




パナマ旅行
fotos panama 019 cuatemoc fotos panama 006


3泊4日でパナマに行って来た。
コスタリカのサンホセから飛行機で1時間15分。
離陸してコーヒーとスナックが配られたと思ったら、あっという間にもう着陸態勢だ。
機内映画でハリーポッターをやっていたので見始めたが、3分の1くらいしか見ないうちに到着してしまった。
9月、コスタリカからパナマに引っ越して行った友人の新居に泊めてもらう。
リビングの窓から太平洋が一望できる高層マンション。
キッチンの窓からも、摩天楼のような高層ビル群が見渡せる。渡り鳥が床より下を飛んで行く。
高所恐怖症というわけではないが、思わず足がすくんで窓から離れてしまった。
夕方、とりあえず、Multiplaza モールをのぞいてみる。
パナマの通貨はバルボア。ドルとの固定相場で 1パルボア=1ドル。
米国がパナマ運河の主権を1999年まで持っていたせいかな。
紙幣はドル、コインはバルボア。いっそのことドルだけにしてしまえばと思うけど、やはり独立国のメンツかな。
中米の優等生コスタリカ。
でも今やパナマのほうが絶対発展してる感じ。スーパーにはなんでもあるし、ショッピングモールにもすてきなものがたくさん。それに断然コスタリカより物価がはるかに安い!

夜、ちょうど、メキシコの海軍練習船「クアテモック」がパナマに寄港していたので、予定外だったが、船上パーティに参加させてもらう。
今回の旅行はおしゃれな洋服を持って行ってなかったので普段着で出かけちょっと恥ずかしい・・・。
マルガリータを飲みながら乗組員とおしゃべり。
今回の航海では、初めて女性の乗組員が7人乗船していると言っていた。
夜の港にイルミネーションでライトアップされた帆船「クアテモック」かっこよかった。

 
スーサンのよもやま話No.109新規Up

2011/12/31
2011.Dec〜2012.Jan..   東京ドイツ村 & お台場

東京ドイツ村→
遥かかなたに富士山東京タワー・レインボーブリッジ方面
ダイバーシティーにガンダム ダイバーシティー 2012春竣工


 
スーサンのよもやま話No.108新規UP

2011/12/21

旅 〜久しぶりのスペイン〜 report by OK


サラマンカ大聖堂
catedral salamanca 故辻宏さんが修復した世界最古のルネッサンス様式オルガン(16世紀)

オルガン奏者でオルガンビルダーの辻宏さんが修復したサラマンカの大聖堂のオルガンを見に行った。このオルガンは世界最古のルネッサンス様式のオルガンで、200年以上壊れていたものを故辻宏さんが修復したものだ。
岐阜のサラマンカホールには、辻さんが作った複製がある。大聖堂のスペイン人ガイドが日本人の熱意と尽力で200年ぶりに音を回復したことは言わず、「日本人はこれをコピーしました」などと説明しているのが聞こえて非常に腹立たしかった。

そして、外に出ると別のガイドが、門のアーチを指さしつつ、「ここには宇宙飛行士らしき彫刻が彫られています。16世紀から18世紀に建てられた大聖堂にこんな彫刻があるのは世界の謎のひとつです」などと説明している。
よく見ると、正真正銘の宇宙飛行士。そんなことがあるのだろうかと不思議に思ってネットで調べていたら、これは1993年の補修工事の時に彫られたものだということだ。こんな歴史的建造物のデザインを勝手に変えちゃうなんて信じられない!
catedral salamanca 宇宙飛行士らしき不思議な彫刻



サンティアゴ巡礼の道 Camino de Santiago
camino santiago
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かねがね行ってみたかったサンティアゴ・デ・コンポステーラに念願かなって行くことができた。
帆立貝の貝殻をつけた杖をついて巡礼の道をてくてくとサンティアゴ大聖堂をめざしたわけではないけれど、大聖堂で巡礼者たちとともに正午のミサに参加し、ボタフメイロが大聖堂の空中を舞う儀式を見られて感動!



スペイン国営テレビRTVEでフクシマ特集
マドリッドのホテルの部屋でテレビをつけたらフクシマ特集をやっていた。
 
小学校で津波にのまれてお子さんを亡くしたお母さんの話に胸がつまった。
原発も、TEPCOの人が現在の冷却作業の状況やこれからの計画などを説明して頭を下げていたが、放射能汚染が実際のところどこまで広がっているのか、これからどうなっていくのか、映像を見るたびに、不安がますます深く強くなっていく。
途中、古くからの知り合いのジャーナリスト伊高さんが画面に登場して大興奮!
いつもの歯に衣着せぬコメントで政府の対応を批判していた伊高さん、翌日スペイン人の間でも話題になってた。



セビリア大聖堂を見ながらお酒を飲む
sevillaホテル・アルカサルからセビリア大聖堂を望む
sevilla 外壁の彫刻が未完成の建物
EME catedral hotel EME catedral hotel


一年ぶりのセビリア。去年と同じセビリアの大聖堂を望むホテル・アルカサルに泊まる。散策の途中で見つけた建物はなんか変。なんでも、途中で予算がたりなくなって、外壁の彫刻が半分までしかできなかったそうな。アンダルシア人らしいなあ。
 Hotel EME のテラスで大聖堂の夜景を見ながらお酒を飲むのが今人気、と聞いて出かけてみた。
確かに、手がとどきそうなほどの距離にヒラルダの塔を見ながらのお酒は格別。
つまみがないのがさびしいか。

EME Catedral Hotel ホームページ



Yayoi Kusama in Madrid
kusama yayoikusama yayoi kkusama yayoi

ソフィア王妃芸術センター Museo Centro de Arte Reina Sofia で草間彌生さんの展覧会があったのでのぞいてきた。
小さい頃の絵、おなじみのドットの絵、ペニスをほうふつとさせる彫刻、ビデオ、インスタレーションなどなど、私が今まで知らなかったさまざまなスタイルの作品に触れられた。でも特に好きだったのが、会場の一番奥にあった、鏡の部屋。その小部屋の迷路に入ると、小さな電球で光の雨の中にいるよう。照明が青、緑、黄色、赤と変わっていく鏡の空間の中の自分が無限大の宇宙にいるような不思議な感覚。う〜ん、やっぱい彼女の考えることはぶっとんでるな。

2006年に草間彌生さんが世界文化賞を受賞した時、ホテルオークラで記者会見があり、ご本人を間近で見たことがあるが、子供のような純粋で奔放な精神をもった人だなという印象をもったことを鮮明に覚えている。
草間彌生のホームページ

 
スーサンのよもやま話No.107

2011/11/22

コスタリカ便り    13話まとめて           reportby OK

プエルト・ビエホ Puerto Viejo で海水浴 
Parque Nacional CahuitaHotel Namuwoki Lodge Perezoso
2泊3日で、カリブ海のビーチへ海水浴に行ってきた。
サンホセから東へまずプエルト・リモン(リモン港)まででて、そこからカリブ海をパナマ国境に向かって南下。サンホセからは約250キロ、渋滞がなければ4時間から5時間のドライブだ。
白人がほとんどのサンホセと違い、カリブ海側はジャマイカ出身の黒人が多く(中国人も多いらしいがあまりみかけなかった)、なんとなくけだるいゆったりとした空気が流れている。
泊りは、リモン州タラマンカ地区のプエルト・ビエホPuerto Viejoにある、スペイン人のパコが経営するHotel Namwokio Lodge.
うっそうとした熱帯植物林に囲まれたロッジスタイルのホテルだ。
敷地内になまけものや、ホエザルがいたりする。
2日目、前夜のホエザルの吼え声による寝不足と闘いながらも、早起きしてカウイタ国立公園の熱帯雨林散策&ボートでPuerto Vargas 沖合のサンゴ礁リーフでシュノーケリングをした。
お天気がよかったのも幸いして、色とりどりの魚をたくさんみることができた。
太平洋岸のビーチもいいが、なんとなく1960年代のヒッピーを思い出させるプエルト・ビエホ周辺、私は好きだ。ちなみに観光客の主流は、太平洋側は米国人、カリブ側はヨーロッパ人だと聞いた。

Hotel Namuwoki Lodge ホームページ


三味線コンサート in Costa Rica
コスタリカで日本文化週間が開催中だ。
今日は国立劇場で OYAMA X NITTA con sus amigos のコンサートがあった。
津軽三味線の小山豊さんと新田昌弘さん、尺八の元永拓さん、和だいこのしんたさんによるスペシャルユニットで、ソーラン節あり、「てんてんてんまり、てんてまり・・・飛んでった、飛んでった」(題がわからない・・・)あり、ピアソラのリベルタンゴあり、モーツアルトのトルコ行進曲ありのバラエティに富んだプログラムで観客をぐんぐんひきつけ大いに盛り上がった。
三味線といっても、1本の三味線で、沖縄のサンシン風、京都のお茶屋さん風、バンジョーのようにも聞こえたり、弾き方によってまったく音色や曲の感じがあんなに変わるものかと興味深かった。
日本大使館の山口知也さんによる三味線の歴史の説明もとてもよかった。黒の着流しもかっこよく似合ってた。
この後、トリニダード・トバゴとドミニカ共和国で演奏する予定だそうだ。きっとあちらでも盛り上がることだろう。

shamisen concert  shamisen 撮影禁止にもかかわらずこっそり撮った写真

彼らの演奏を聴いてみたい方は、こちらのyoutube で
Oyama x Nitta


Strangers in the Night 夜のストレンジャー
unidad alemana

1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊し、ドイツが統一されたことを記念するコンサートが、サンホセの国立博物館の屋上テラスで開催された。

演奏は ヨハン・セバスティアン・バッハや、カール・タイケ、フェリックス・メンデルスゾーンなどのドイツの作曲家の曲を中心に、サルサやマンボの曲も交えて楽しい日曜日のコンサートになった。
コンサートの最後に、指揮者のフアン・バウティスタ・ロアイサさんが、「この曲はフランク・シナトラが歌って大ヒットした曲ですが、その作曲者がドイツ人だということはほとんど知られていません」と紹介して演奏された曲が Strangers in the Night 夜のストレンジャーだった。ドイツ人のBert Kaempfert という作曲家の作品だということだ。

夜のストレンジャー / フランク・シナトラ


第12回国際バロック音楽フェスティバル
grupo la ritirata Grupo de Musica Antigua La Ritirata

サンタ・アナで第12回国際バロック音楽フェスティバルが開催中で、世界各国からやってきたバロック音楽を演奏するグループや演奏家が2週間にわたってコンサートを開いている。
今日は、スペインの中世音楽のグループ、 ラ・リティラタが、カルタゴのロス・アンヘレス・バシリカ教会で夕方のミサのあと演奏するというので聴きに行った。
カルタゴは、サンホセから約30キロ。16世紀に建設されたコスタリカ最古の都市で、19世紀にサンホセが首都になるまで、約250年間首都が置かれていた街だ。
コンサートの会場になった、ロス・アンヘレス・バシリカ教会は、正面祭壇に飾られたマリア像、木組みの天井が美しい立派な教会だ。
ラ・リティラタは、ビオロンチェロのホセチュ・オブレゴン、笛のタマル・ラロ、チェンバロのイグナシオ・プレゴの3人組。
16〜17世紀の繊細な音楽が教会の雰囲気とぴったり。
もう少し狭い空間ならさらによかったかも。


未来への回路―日本の新世代アーティスト
pasaje al futuro 横溝美由紀 「Please Wash Away」
pasaje al futuro 明和電機 「魚立琴」
pasaje al futuro 束芋 「にっぽんのちっちゃな台所」

サンホセのMADC美術館(Museo de Arte y Deseno Contemporaneo)で開催していた、日本の若手作家11人の作品展が今日最終日ということで滑り込みセーフで見てきた。
入口に置かれていた、色とりどりの石鹸をシャワーカーテン(?)に組み込んだインスタレーションを見た途端、あれ、この展覧会は何年か前に東京でみたことがあるな、と思い出した。
田端家の妹こと「Tabaimo 束芋」さんの作品を初めて見てすっかりファンになってしまった展覧会だ。
一目散に束芋さんの作品をさがしたが、あれ、「にっぽんのちっちゃな台所」ってビデオアートを駆使したもっと大きな作品じゃなかったかな? なんだかその模型のような・・・。
でも久々に日本の現代アーティストたちの作品にふれることができてうれしかった。

未来への回路―日本の新世代アーティスト



オーストリア・ナショナルディ
fiesta nacional austria  fiesta nacional austria

1955年10月26日、オーストリアが永世中立国宣言をした日ということで、今日はオーストリアのナショナルディ。
ホテル・バルセロ・サンホセ・パラシオでのお祝いに出席する。
名誉領事家族が民族衣装で迎えてくれる。
そういえば「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ・ファミリーがこんな服装していたなあ。

でも、永世中立国ってどういう意味?とふと疑問に思った。
ウィキペディアをみると、
永世中立国(えいせいちゅうりつこく Permanently Neutralized State)とは、将来もし他国間で戦争が起こってもその戦争の圏外に立つことを意味するものであり、自国は中立の立場である事を宣言し、他国がその中立を保障・承認している国家。
とある。
オーストリアの他に、スイス、トルクメニスタンが永世中立国ということだ。
コスタリカは自称、永世中立国 となっているが、なんで「自称」? 軍隊がない国だから正真正銘永世中立国じゃないかと思うけど・・・。



お料理の勉強会 今日はスイス料理
reunion culinariazurcher geschnetzeltes Zurcher Geschnetzeltes
rosti rosti & ゆで卵、ベーコンのグリーンサラダ


1カ月に1回、友達4人で集まってお互いの国の料理を教えあいっこしている。
今回はスイス料理。
メニューは、
Zurcher Geschnetzeltes (肉を細くきって、マッシュルームと一緒にクリームソースで煮込んだもの)
Rosti (ハッシュポテトのお好み焼き?)
ゆで卵とベーコンのグリーンサラダ
キャラメル・ソースのプリン

メインのお肉料理は発音が難しすぎるが「チュルヒャー・ゲシェネチェルテス」? チューリッヒの郷土料理らしい。お肉は牛肉とかレバーとか使うらしいが、今回は鶏肉を使う。
電子レンジも冷凍食品も嫌い、というカトリンが、手際良く4皿を仕上げていく。これぞ手作りスローフード!
レシピーをもらったので私も作ってみたいが同じようにできるかどうか・・・



パナマ運河を見た!   ⇒ここだけは コスタリカではなく パナマ です!
panama canal 飛行機の窓から見えたパナマ運河。上が太平洋側、下が大西洋側。

1か月半ぶりにコスタリカに戻るはずが、サンホセのフアン・サンタマリア空港を覆う厚い雲のせいで一旦着陸態勢に入ったものの飛行機の周りは雲で真っ白。「だいじょうぶかなあ」と思っていたら、機長から「視界ゼロに近いので着陸不能につき、パナマに向かいます」とアナウンスがあり、機体が上昇していった。ということで、18日の夜はパナマシティのコンティネンタルホテルで一泊。朝パナマを出発しやっとサンホセに戻ってきた。機内からパナマ運河が見えたのだけが良かったことかな。



幸福度って なんだっけ?
イギリスのシンクタンク新経済財団( New Economics Foundation以下NEF )が全世界143カ国を対象に国別の幸福度指数(HPI)を調査した結果、中米コスタリカが76.1点で1位となった。

幸福度指数は、生活の満足度と環境汚染の指標などを評価するもので、コスタリカは2006年の調査でも高い評価を受けて上位に入っていた。コスタリカ国民の平均寿命は78.5歳で、85 %が自分の人生に満足していると回答、また、軍隊を廃止した世界初の国でもある。

以下10位までのランキング
1位 コスタリカ (76.1)
2位 ドミニカ共和国 (71.8)
3位 ジャマイカ(70.1)
4位 グアテマラ(68.4)
5位 ベトナム(66.5)
6位コロンビア(66.1)
7位キューバ(65.7)
8位エルサルバドル(61.5)
9位ブラジル(61.0)
10位ホンジュラス(61.0)

※米国114位 

また、アジアでは日本が75位、韓国68位、中国が20位だった。幸せ指数を調査したNEFは「今回のランキングの結果は、国内総生産( GDP )など経済的な指標は、必ずしも幸福とは一致しない」と説明している。


我が家で日本料理教室
makizushi   grupo reunion culinaria

料理上手の洋子さんを先生に迎えて、我が家で日本料理講習会。
日本料理は外国でとっても人気があるのだ。
メニューは
お寿司(巻きずし&握りずし)
天ぷら
お豆腐とねぎの味噌汁
抹茶のアイスクリーム

みんなでワイワイとおしゃべりしながらお寿司をまいたり、天ぷらあげたり・・・楽しかった!



子供博物館
curso panadero concurso cocina
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子供博物館 Museo de los Ninos で、料理フェアがあったのでみに行った。
スペインから来ているパン職人の講演会を聞くのが目的だったが、パン作りの講習会ではなくて「パン屋さんの生活の質の向上にはどうすればよいか」という極めてプロフェッショナルな内容だった。それより、会場で開催されていたプロの料理人による料理コンテストが面白かった。
料理の味見はさせてもらえなかったが、目を楽しませてくれた。料理は見た目も重要だ。

 
スーサンのよもやま話No.106

2011/11/1
日本の漆    〜知られざる異国との絆〜

LACA =  Urushi

16世紀にスペインに渡った日本の 漆の器
”発見された桃山の Japan”  知られざる在外秘宝
漆の木

うるしは、ヨーロッパではとれない!!  と知人から聞くにおよび、目から鱗。 

近年スペインの教会や修道院で、日本で作られた華麗な漆の箱が次々と発見されているとのニュースが流れた。
箱は、はるか400年以上前、海を渡ったスペイン人が、天下人の信長や秀吉と出会い、彼らが愛する漆に魅せられたことから生まれたとも考えられ、またフランス革命でギロチンに消えた王妃マリー・アントワネットが最期まで守り抜こうとした黄金の漆器などヨーロッパの人を魅了してきた漆の壮大な歴史の物語といったところか。

少し漆器について整理してみた。
マドリード大学付属歴史図書館に残されている古文書(1580年ごろ)(Arca Bordada de Oro y Perla)に既に記述されているそうだ。 なんとスペイン全土23ヶ所に70点以上漆器が発見されている。
・Pedroso村のサン・サルバドール教会 15C 建築。 ※1年に1回だけ人の目に触れる。
・マドリードの デスカルサス-レアレス修道院
・メディーナ・デル・カンポの  サン・アンドリン教会

元をただせば、イエズス会の宣教師が日本に来て、虜になり、布教の道具として使われたと聞く。
王立修道院にある漆器は、聖遺物、即ち奇跡を起こす力があると信じられていて、中におさめる聖人にふさわしい芸術性・気品・美しさを兼ね備えた入れ物/箱 ということのよう。
その後、17〜18世紀に王侯貴族にも広まり、例えばマリーアントワネットも生涯の宝と重用し、ベルサイユ宮殿の小部屋には、 技と贅を尽くした漆器コレクションとして今も保存されている。


桜、 萩、キキョウ、椿の文様など様々。ひとつ作るのに1年以上の年月を要す。

ペドロソ村 サンサルバドール教会(parroquia de San Salvador    15C)


Descalzas Reales,  Madrid  デスカルサス レアレス修道院







La Granja宮の部屋 →中央下部に漆器



漆器に用いられる技法
蒔絵(まきえ): 蒔絵筆によって漆で模様を描き、その漆が乾かないうちに金粉や銀粉をまき、研ぎ出しや磨きを行うことで模様を作り上げる。平蒔絵、研出蒔絵、高蒔絵などの技法がある。日本独自の技法。
螺鈿(らでん):アワビや夜光貝の貝殻を薄く研磨したものを漆の表面にはめ込む。貝殻の真珠質が見る角度によって青や白など、様々な輝きをみせる。
職人尽絵 =職人作業風景

蒔絵(=漆工芸)は、
 日本に於ける最初の輸出産業品として大航海時代のヨーロッパに紹介、
 為替や貨幣が確立されていない時代の世界貿易の交換品(物々交換)として、
 交換され世界へ流通していく。
 オリジナリティの高い日本の精密細工技術は、
 大航海時代以後のヨーロッパでも変わらず高く評価され
 “日本の産業技術に対する高い信頼と評価は、
 その後の、
 世界の工場としての日本の未来を暗示していた” 
 のかも知れない。
 情報のない当時(桃山〜明治)の国際社会の中で、
 地名や人種としての日本(Japan)に対する認識よりも、
 中国(China=チャイナ)の陶器同様に、
 西欧人にとっての輸入産業品(としての日本の技術)こそが、
 Japan(Japan-Work) であったと推測することも容易。


参考>南蛮屏風

 
スーサンのよもやま話No.105

2011/10/13

コスタリカ便り      report by OK    13話まとめて


スペイン国営テレビRTVEでフクシマ特集
マドリッドのホテルの部屋でテレビをつけたらフクシマ特集をやっていた。
 
小学校で津波にのまれてお子さんを亡くしたお母さんの話に胸がつまった。
原発も、TEPCOの人が現在の冷却作業の状況やこれからの計画などを説明して頭を下げていたが、放射能汚染が実際のところどこまで広がっているのか、これからどうなっていくのか、映像を見るたびに、不安がますます深く強くなっていく。
途中、古くからの知り合いのジャーナリスト伊高さんが画面に登場して大興奮!
いつもの歯に衣着せぬコメントで政府の対応を批判していた伊高さん、翌日スペイン人の間でも話題になってた。

          スペイン国営テレビでフクシマ特集

上記リンクでもう一度ビデオを見直したら、プロデューサーのゴンサロ・ロブレド氏もちらっと登場していた。ゴンサロさん、よい番組をありがとう!



お点前で送別会 Ceremonia de te
ceremonia te 1 cermonia te 4 ceremonia te 2ceremonia te 3
洋子さんがパナマに転勤になるので、お別れお茶会をしてくれた。
畳マットに緋毛氈をしき、お道具を置き、かご入れのお花と扇子で飾って、お琴の音楽をBGMに、お点前スタート。
夏の着物姿の洋子さんのお手前にみんなうっとり〜。
洋子さんの茶道は二条流という煎茶の茶道。
私もにわか勉強の説明をしながらゆったりと流れる時を楽しんだ。
日本の文化っていいなあ。私も何か身につけておけばよかった・・・。
洋子さん、ありがとう!



クジラ海洋国立公園 Parque Nacional Marino Ballena
excursion isla canyo クジラ海洋国立公園
excursion isla canyos クジラに見とれてシャッターチャンスを逃した・・・
excursion isla canyos ドミニカル・ビーチのVillas Rio Mar ホテル

太平洋岸長オサ半島に近い、ドミニカル・ビーチに海水浴に行ってきた。
カリブ海側への道路と違って舗装もよく快適な3時間半のドライブ。
雨期とあって、ドミニカル・ビーチは流木と石ころがゴロゴロ転がっていて、おまけに波も高く海水浴客はほとんどいなかった。
というわけで、カニョ島へのツアーに参加することにする。
海水の透明度が高く20メートルの深さまで見えるのでシュノーケリングで熱帯魚がたくさん見える、というのと、クジラが見えるというのが売りで、わくわくしながら朝6時にホテルを出発。
バスとボートを乗り継いでカニョ島に向かう。
ウミガメやイルカの群れを見ながらゆられること1時間半、キーッという鳴き声が聞こえるほうに目を向けると、いた!クジラだ! あっけにとられているうちに、シッポをたたきつけながら海中に消えて行った。一瞬のことで写真を撮る暇もなかった。
そしてお楽しみのシュノーケリング・・・でも雨が降ってきて、視界20メートルどころか、視界ゼロだった。
なんか魚らしきものが動いてるのはわかるんだけど、ほとんどみえなかった。
でもたくさんいるのはわかった・・・。
また乾期のころに行ってみたい。
泊まったはVillas Rio Mar というホテルは、コテッジタイプの南国情緒たっぷりのホテルで、おまけに母の日ディスカウントをしてくれて1泊50ドルちょっとだった。思いがけずラッキー!



バルタサール・ガルソン Baltasar Garzon
baltasar garzon
米州人権研究所IIDH にスペイン出身の判事バルタサール・ガルソンBaltasar Garzon の講演を聞きに行った。
ガルソン判事は、チリの独裁者だったアウグスト・ピノチェトが病気療養のため滞在していた英国で、独裁下におけるスペイン国民の殺害と拷問、人類に対する犯罪を糾弾し、彼の逮捕命令を求めて世界的に有名になった。
今日の講演では、メキシコやコロンビアを始めコスタリカの周辺国で麻薬撲滅の戦いが激烈化し、犯罪組織がグアテマラ、ホンジュラス、エル・サルバドールなど中米諸国にその拠点を移しつつあるという状況に警鐘を鳴らした。 その上で、各国政府が治安政策を決定する際に市民の声を聞かないことは大きな間違いである、と断言した。
ガルソン判事は、以前、スペイン市民戦争及びフランコ独裁時代の殺害や拉致に関してフランコ総統以下35人を起訴し、内戦犠牲者発掘調査を求めて、スペイン国内で賛否両論の大論争を巻き起こした。
このため、スペインでは彼に対する評価は大きく分かれているようだ。
でも、今日の講演会場では、講演後に多くの「ファン」が壇上に上がり、一緒に写真撮影を求め、まるで映画スターのようなモテモテぶりだった。




天津少年芸術団
teatro chino teatro chino 2
コスタリカ大学で、天津少年芸術団の公演を見てきた。
中国にいる異なった民族の衣装はとてもカラフルで、お隣の国といえど日本の伝統文化や民族衣装とは違うものだ。
色とりどりの衣装を着て歌い踊る子どもたちはとってもかわいかった。
特に、二胡の演奏が素敵だった。
コスタリカは、中米の中で初めて中国と国交を結んだ国。
中国はコスタリカを足がかりにこれから中米の他の国々と国交を結んでいきたいと考えているのだろう。
それもあるのだろう、中国からの無償援助、経済・文化使節団など、続々とコスタリカに来ている。



チチャロン Chicharronera Acseri
chicharron ajo frito

豚肉の塊をラードで上げたチチャロンで有名なレストラン「Chicharronera Acseri」に行ってきた。
豚のから揚げみたいのものかな。レモンをかけ、ユカのフライと一緒にがっつり。
メニューにはないが、豚を揚げる時につかうにんにくもそのまま捨てるというので、それもたらふく食べた。
う〜ん、満足。カロリーはすごそうだけど。

          Chicharronera Acseri



パンク
ロモセル地区の中国大使館で用を足して、車で友達の家に向かう途中、信号待ちをしていたら後方で軽い衝撃を感じたので振り向くと、車の後ろに人が立っている。私と目が合うとすぐ、後ろに止まっていたタクシーの運転席に乗り込んだ。「タクシーの運転手が何をしていたのだろう」と不審に思ったが気にせず発車。気がつくとタクシーがぴったり付いてくる。右折しても左折してもずっとついてくる。ロモセル地区は人通りが少ないのでかなり怖かったがそのうち友達の家についたのでそのまま彼女のマンションの敷地内に入ると、タクシーの運転手と同乗者が私の方をみながら苦笑いしながら通り過ぎて行った。守衛さんが「パンクしてるよ」と教えてくれた。能天気な私は「そうか。タクシーの運転手さんはパンクを私に教えてくれようとしていたのか」と早合点したが違った。後ろのタイヤにはしっかりナイフで刺した跡が3か所・・・。停車して降りたところを強盗するっていうのがやり口なのかな。とにかく車から降りなくてよかった。コスタリカ、意外と物騒だ。



Master Key
毎週火曜日恒例、国立劇場のお昼のコンサート。
今日は、「カリブの音楽遺産」と題して、アカペラグループ「マスターキー」のコンサート。
黒人5人グループで、ゴスペルミュージックを中心に10曲くらい歌ってくれた。聴衆も一緒になって歌い、アンコールを求める拍手がいつまでも続いた。サンホセは白人が多いが、カリブはアフロ文化の影響を受けた別の文化圏だ。

          La Roca, Master Key



コスタリカ国立劇団 Compania Nacional de Teatro
compania nacional teatroteatro de la aduana

旧税関シアターTeatro de la Aduana で、国立劇団によるベルトルト・ブレヒト原作「肝っ玉お母とその子供たち Madre Coraje y sus Hijos」の演劇を見に行った。
国立劇団創立40周年記念公演で、芝居の前に延々と関係者への表彰式があったのはまいった。
演劇に貢献した人が次々と呼ばれて登壇し、会場内の半分くらい舞台に上がったのではないかと思ったほど。
でも、本番のお芝居はよかった。
スペイン語での演劇は言葉の面でハードルが高いけど、事前に内容をちょこっと勉強していったのがかなり助けになった。17世紀ヨーロッパの30年戦争の時代、戦争には反対しながら軍隊にものを売って生計を立てながら3人の子供たちを育てるたくましい母親。結局皮肉にも3人の子供を戦争でなくしてしまうという悲劇。俳優も舞台装飾もかなりのレベルだと感じた。
このURLで一部公開。
          http://www.youtube.com/watch?v=F62HFpN55Gw




洋子さんのフォッカチャ Focaccia de Yoko
focaccia
洋子さんが、手作りフォカッチャを届けてくれた。
洋子さんは本当にお料理上手で尊敬。
今日のフォカッチャは、オリーブ、ローズマリー、チーズの3種類。
なんか切るのがもったいないような完璧な丸さ。でも食べ始めると止まらなくなるのだろうな・・・。
ごちそうさま、洋子さん!いつもありがとう!




国立博物館 Museo Nacional
museo nacional 1 もともとは要塞だった国立博物館
museo nacional 1 博物館入口は、蛍光色の青い大きな蝶が飛び交う蝶園
museo nacional 12 ESFERAS MISTERIOSAS コスタリカ南部にみられる不思議な石の球体
museo nacional 13 御一行様
museo nacional 4 EL METATE トウモロコシをひくための石板
museo nacional 5 COLGANTE DE ORO 金の首飾り
museo nacional 6 GUERRERO DE PIEDRA 戦士の石像
museo nacional 7 MATATE ジャガーをかたどったトウモロコシひき板
museo nacional 8 ジャガーとネズミをかたどった壺3点セット
museo nacional 9  ???  宇宙人?
スペインからのお客様のために、国立博物館の館長さんが特別展示を案内してくれるというので便乗。
蛍光色の青い大きな蝶が飛び交う入口を通って博物館屋上にある展示室へ。
この博物館には前にもきたことがあるが、館長さんが要点を説明してくれたので思いこみや疑問がとけてよかった。
椅子だと思っていた石のピースは、トウモロコシをひくための道具だった!
それから、黄金博物館やヒスイ博物館でもみた、金の首飾りは、鷲かコウモリがモチーフなのだそうだ。私はうっかり天使だと思っていた。先住民が作ったものだから天使のはずはないですね・・・。
それからスペイン大使館の入り口にもある石の球体。これは、コスタリカ南部で300年くらい前からスペイン人がやってくるまで作られていたものらしい。平均的には直径1メートルだが、20センチくらいから大きいものでは1メートル、重さ2トンになるものもあるのことで、完璧な不思議な球体。
そして展示の最後にあった、不思議な彫刻。館長さんも未完成の彫刻なのか、よくわからないと笑いながら説明してくれた。私からどう見ても宇宙人だ。




ポアス火山 Volcan Poas
volcan poas
スペインからのお客様を案内して、ポアス火山に行く。コスタリカの国立公園の中では訪問客が一番多いらしい。私は今度で3回目、いや4回目かな。前回は霧がかかってて視界ゼロだった。雨が多いコスタリカでは、絶景がみられるかどうかはお天気次第だ。
雨期に入って、朝は晴れていても午後2時くらいからは雨になることが多いので、朝早くサンホセを出発。
フアン・サンタマリア空港、アラフエラの街を通りすぎて、コーヒー農園やイチゴ畑を両脇にに見ながらくねくねと続く山道を登っていく。眼下にだんだんとサンホセの街がある中央渓谷が広がってくる。
駐車場に車をとめて、5分間遊歩道を歩くと、ポアス火山の火口展望台。案の定、火口は霧につつまれて何も見えない。おまけに、標高2700メートルとあって空気がひんやりして、ジャケットを持ってくればよかったと後悔。
しばらく待てば霧が晴れるかもしれないと一縷の望みを託し、近くにあるボトス火口湖まで山道を散策しながら霧が晴れるのを待つ。こちらは翡翠色の湖がきれいに見えた。帰る前にもう一度ポアス火山のクレーターに戻ってみると、見えた!世界最大級のカルデラ(幅1.6km、深さ300メートル)の、トルコ石のようなきれいな色の湖ともくもくとあがる煙。風向きのせいか、前回来た時のような硫黄のにおいはしなかった。さっと晴れた霧のなかから浮かび上がった光景にみとれているうち、またすぐに霧に隠れてしまったが、一瞬でも見えてよかった。
晴れている日は右にカリブ海、左に太平洋が見えるというのだが・・・。また今度の楽しみにとっておこう。

 
スーサンのよもやま話No.104

2011/10/02



  写真 「スイス・アルプス」を旅して                   フォト&文: H.H.

9月にアルプスに行ってきました。

天気にはほぼ恵まれたが、それでも1日雪に降られ、車での峠超えはチェーンを 持ってなかったので、無事に超えられるか正直心配だった。

案の定、翌日はあちらこちらの峠道は遮断されていたので、列車に車ごとのせて超え、さすがスイスだと改めて歓心させられた。

スイスほど高くはないが、スペインにも山はあるが名が知られていないので、日本からわざわざ山を見に来る観光客は少ない。それに登山電車などの交通機関が整備されてないので登るのは大変である。

今回スイスを中心にアルプスに行って最高の気分で戻ってきたが、同時に久しぶりにスペインの山に行きたい気分になった。

 
スーサンのよもやま話No.103

2011/09/12
能城律子物語  思い出完結編   {溢れる笑顔 そして 元気になれる}

”余命三年”の宣告をのりこえ苛酷なラリーにいのちを燃やす愛と勇気と挑戦の人生

最近のある医療系広告代理店のライフスタイル調査によると、仕事などで強いストレスを感じ、日常生活の充実感が乏しいなど、「若者の元気のなさ」が表れる結果が出ている。 そんなご時勢の中、対極を成す、ある友人にスポットを当ててみようと思う。

友人と呼ぶには、恐れ多い、能城律子さんである。元祖元気溌剌のカリスマ女性と言っても大げさではない。 

最初のきっかけは 能城さんがある相談で私のところへ来られたのが出会いだと思う。
更に、能城さんとは、 全く別のところでのご縁もありまして、まだ私が青二才の頃、時々、海外と関係深い仲間内で、ホームパーティーをしていた。その中になんと偶然、彼女の姪御さんがいたのである。 
また、個人的に宴会場を借りたく、ホテルニューオータニーに最終的にしたのも、能城さんの存在が決めてだったのではないかと、昔を振り返り思った。

TVや雑誌・新聞・ラジオ、などでも多少取り上げられたこともあるので、能城さんの関連トピックスを耳にしたことがある方もいるのではないかと思われる。 何十年か前からの知人で、 いつも、元気をおすそ分けしてもらってきたような気がする存在である。

彼女は東京のホテル御三家と称されるホテルニューオータニで、ベビールームを経営している。 起業家としても、世界で初めてのホテル内ベビールームを開業し、今日まで18万人のこどものお世話をしてきたことでも知られる。

誰もが元気になれる>>

身長148cm、体重30kg代という華奢な体。生まれながらに虚弱と聞いていた。肺門リンパ腺により、小学校5年で早くも休学という苦難の歴史が始まる。そんな彼女が20歳になってからは、(私も手が届かなかった)スキー1級の免許を取る。 そして、20代で起業という、若くして事業を興し、世界中(現在まで124ケ国)を旅行し、世界中の「女性と子どもたち」とふれあい、とまでは良かったのが 人生そう単純ではない。 輸入の失敗で、24歳のとき、現在に換算して約6億円の莫大な負債を負ってしまったが、見事危機を乗り越え、現在へと繋がるわけである。

一難去って又一難、20代で盲腸、胃潰瘍(かいよう)、腎臓結石を患い、35歳で子宮がんにより、子宮を摘出する大手術。後遺症に悩まされながらも、3年後、働く母親を支えたいと、若い頃の蓄えをもとに、ホテル内24時間体制の託児所を開所、子どもたちのベッドの間の床で寝泊まりする日々、月日が経って、42歳のとき、乳がん、ついに余命3年と宣告される。後遺症は半端じゃなかったらしい。上半身には強い圧迫感が残り、手がしびれ肩より上に上がらない。それでも仕事から離れるわけにはいかない。
「病気しているのが当たり前。どんな病名を告げられても感傷的にはならない。ひとがいつ死ぬかなんて、神様にしかわからないもの」と、持ち前の根性を発揮する。 といっても、神様はまだ、休息を与えてくれない。2回の肝臓結石、喘息、肺炎、両肩関節障害、股関節脱白、胸郭出口症候群(心臓からの太い血管がつぶれて両手まで血液が届かなくなる病気)、休む暇もない。
幼い頃から、病気のデパートといわれる由縁がそこにある。

そんな彼女に転機が訪れる。57歳の時、パリ〜モスクワ〜北京ラリーを紹介する新聞記事を目にし、会社を共同経営していた20代、世界各国を飛び回ったものの、中央アジアは行ったことがなかった。未知の国を見たい〜〜。病気がちで、若いころから車は足代わり。運転には自信があった。そして、1年かけ国際A級ライセンスを取得する。

気温50度。果てしないサハラ砂漠を四輪駆動で走る、レーシングスーツの中は、熱い。後遺症で握力が弱いその手をハンドルに押しあて (後日、手術痕の残る手でその運転の様子を実演してくれたことがある)、股関節症で激痛の走る足でアクセルを踏む。時速100キロ。肉体も精神も極限状態なんだが、彼女は、「その緊張感がたまらない。地平線にゴンドラのように浮かぶ三日月、ぐらぐら燃えながらすとんと落ちる巨大な太陽……。自然の神秘の中で、自分は生かされていると実感するの」

サハラ砂漠の端っこを、ひとり、ラクダで走り回ったときの自分の体験温度と 能城さんのラリー時の温度を比較想像する。灼熱地獄か、いや、 ロマン以外のなにものでもないだろう。
これは、パリ・ダカールラリーの模様だが、オフロードで最も過酷と言われている。事実、約20日間のレースで体重は4キロ減るそうだ。96年に60歳で初参戦、これまでの世界的なラリーへの参加は、世界中のトップクラスが参加する「パリ〜ダカール」7700kmや「パリ〜モスクワ〜北京」の全長1万キロにもおよぶ過酷な悪路を走破する国際ラリー、史上で、初めて女性がトップ10以内になったという、記念すべき記録を作った『オーストラリア・サファリ・ラリー』など、計15回に及び、中でも、61歳のデビュー2年目の年には、三大メジャー・ラリーの連続完走を果たす。
お茶を飲みながら、レース中のことを振り返ったとき、隣のナビゲーターという切っても切れない相方とのチームワークがふと気になった。始終居るわけだから、それなりに、かんかんがくがく なんでもあるんだろなーと漠然と思いをはせていた。しかし、ナビゲーターとは議論や喧嘩などご法度、つまり、しない。そんな暇はないそうだ。 

「おまけの人生、好きなことをして与えられた命を全うしなくちゃ。歩くことさえ制限されている私が、レースを通して世界へ行ける。今、が幸せ」とも、言うことなすこと、含蓄がありますねー。

また、こんなことも言っている。「大都会の人間社会のしがらみのなかで、このまま人生を使い果たしてしまっていいのだろうか?この世には、素晴らしい自然があり、素晴らしい人々がいます。自分はかってそうした人々に出会い大きな感動と喜びを得たことを覚えています。もう一度、自然に触れ、人との喜びを分かち合うことはできないだろうか?。このままでは忙しい人生が終わってしまう。本当にそれでいい?と自問自答した答えなんですよ。虚しい思いを引きずったまま、一生を終えたくなかったんです」

豊富な体験から語る「子育て論」は多くの母親に感銘を与え、生命の尊さを文字どおり血のにじみ出る努力で克服した壮絶な体験は、病気に悩む人々に勇気を与えてきたのも、よくわかる。
「私はここまでやりたいことをさせて頂いたのだから、感謝の気持ちで生きていこう」 この言葉も、重みがありますよね。

子育て論の専門家、国際ラリードライバー、海外旅行家、日本人女性として初めてイスラム教のラマダン(断食)を経験した人、世界初のホテル内託児所をつくった人、どのように形容したらいいのでしょう。もうひとつ、国際宅配おばさんの冠も付いているようである。

レースの先々にある人間ドラマは様々だ。スタート地点に群がり物を盗む子もいる。パレスチナ難民キャンプやアフリカの子供の暮らし。「走るコースの中で何ができるかな」砂の上に木で絵を書いているマリやセネガルの子供を見て鉛筆を届けようと思い立つ。「トンボ鉛筆の方が二万本くれたんです。それを日本郵船が無償で運んでくれました。みなさんから預かった愛情を渡しに行く。私は「国際宅配おばさん」。ホテルのコンピュター室から出る紙もきれいな部分を切り取り大きさを揃えて集める。不要になった毛布やボランティアの人々が集めてくれた衣類などを中央アジアのレースコースに沿って配って走る。暑いアフリカでは色鉛筆やスケッチブックを配る。「世界中の苦しんでいる子供たちにミルクと石鹸を宅配するんです。いろんな国の救援物資が港に放置され、必要としている人たちの手元に届いてないのを何度もこの目で見てきたんです。だから私は自分の手で最終目的地まで持っていく「宅配おばさん」。 ホテル・ニュー・オータニが、毛布をやめて羽毛ふとんを使用することになったことに目をつけた能城さんさんは、総務部に交渉、不要になった毛布数百枚をアフリカ等の病院に寄付することに。 さらにホテルで使用しているコピー機で、時々ミスプリで白紙が出て来ることに気がついた彼女は、その白紙をこつこつと集め、何と、9トンの紙を「ノート換わりに使って下さい」と、子供達に配ったそうだ。さらにホテルの部屋で使用された石鹸を集め、きれいに汚れを取り除き、丁寧にビニールの袋に詰め、アフリカやアジアの病院や学校に配ったりもした。

こんなエピソードは、氷山の一角かもしれません。 更に能城さん語録集なるものができてしまうのではと。それほど、インパクトのある御人である。

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※メディアとの関わりはこんな感じ
日本テレビの
『所さんの1億人の大質問!?笑ってコラえて!』の中で『砂漠を駆ける闘志の女』という特集
他、世界で最も有名な高齢女性ラリードライバーとしてフジテレビ、日本テレビ、NHKなど多くのテレビや雑誌で紹介されたそうです。
クロスロード 海外の現場でボランティア活動 “国際宅配おばさん”こと能城律子さん
「例外的日本人」 竹村健一  にも、掲載される。
1970年には世界各国を旅した経験から、読売新聞紙上にて「世界の一流品」の連載コラムを執筆。最近数多く出版されている「世界の一流品」ブームの火付け役になる。

著作
「女のアフリカ」(文芸春秋)
「オイルダラーの秘密」(サンケイ出版)
「乳ガンが生きる力をくれた」(宙出版) 
「人生に失格はない」 徳間書房


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※98年には エイボンスポーツ賞を受賞する。
講演会多数。

勝手に想うと、逆転満塁ホームラン の人生かな! 彼女の持つ、不屈の精神力、バイタリティー、旺盛な冒険心、飽和状態に達するということはないようです。
モットーが「やるときは、とことんまでやる」 この一言で、おわかりになるでしょう。

人生おもいっきり、生きている気がする。 でも気負いは感じられない。

なんで 自分ばかり、こんな試練に見舞われるんだと凡人の私は思うことがある。彼女の生き様、そして生きるという哲学に比べれば、自分はちっぽけだなーと 思わざるを得ない。

別れ際に(昔はベンツだったが)現在の愛車四駆を前にして、いつもの笑顔で、 今でも35000km 走るのよ〜と。
元F1レーサーのジャッキー・イクスから、メカがわかるナビも紹介されている。

かねてからフランス国営テレビも注目の御年71歳のユニーク地球人”能城さん”、出れば、またまた ギネスものである。 


後日談があるので少し補足:

ありがとう と ごめんなさいが言えれば、 どこの国でも生きていける!
今までの走行距離は、150万Km、レースを含めると200万Kmと、さりげなく私に言った。私なんて、せいぜい年1万Km で、いいとこどっこい。
彼女と話していて、頭にこびりついている言葉をあらためて抜粋すると、
今まで愚痴を言ったことがない! 悲劇の主人公にならない! 母に感謝! 自分の肉体に挑戦! 大自然の過酷さの裏に、神秘がある!
美しい国 という言葉、最近よく耳にする。能城さん曰く、最近 美しい心が少なくなってきた!
貫く精神大事!
肉体は精神によって引き上げられる!
サハラの砂は角がない。 サハラで、サハラの砂になりたいと思った!

今年2007年9月〜10月のエジプトラリー、そして2008年1月のパリ・ダカへというのが予定されている。 しかし、全部実現するには、経済的な側面は別として、 フィジカル的にも、精神的にも、 ゴルゴ13並みの強靭な体が要求されるのではと、つい思ってしまう。
レース以外では、 今までも依頼に応じて、学校とか 自治体関連、企業向けに時に講演会を行ってきたようだが、更に時間の許す限り、推し進めて行きたいと、熱く私に語った。

将来の夢:
1.月に立つ
  かつて、人類第一号 月着陸船の本物ををなでなでしたときの感動を忘れない私ですが、 月に立つって、どんな感じでしょう?
2.水素カーで 日本横断
  ほとんど水しか排出しないクリーンさが売り物の水素カー。 

近年知人の一人に、液化天然ガス、次にバイオ燃料、つまり植物性燃料に目をつけ検討している人がいますが、その人に数年前私が言ったのは、ハイブリッド、オランダで既に使われている天然ガス、マレーシア・タイなどで実走行しているバイオもいい、しかし、これらはつなぎ ということでしょう、究極のエネルギーは、水素ですよーと、言っていた夢の水素が、そろそろ身近に感じられるようになったわけである。実際、先見の明があるBMWは液体水素を燃料とする水素自動車をベルリンで公開、ガソリン併用の水素カーに関してはマツダも2006年実用化(この場合気体水素)している。といっても、本当の意味での実用化はいつのことやら。たとえば、水素スタンドは日本では一箇所しかなく、水素補給車を持ち込むしか手がないのが現状。
日本は、エネルギーに関しても、後手後手にまわっているが、環境問題は避けて通れない、大きな地球問題であろう。
それに 夢をからめた能城さん、 是非私もその夢を共有してみたいものだ。

この話をまとめながら、 じゃ自分はというと、 微力ながらも、今後も国際貢献を粛々と継続、そして深めていきたいと、 あらためて思うこの頃である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・追記
2011年秋 

能城さんとは頻繁に会っていたわけではないが、数十年前からのお付き合い。 振り返れば、ニューオータニといえば、能城さん、能城さんといえばニューオータニという具合に、 表裏一体のイメージだった。

残念ながら最近余り都心のホテルに寄る事はなかったが、 久しぶりに 上智大の土手をウォーキングがてら通ったのでその延長でホテルニューオータニの 能城さんが かつて ”リッツ ショップ”としてお店を経営していたところ(フロント階)、そして 3階にある、ベビールームを 2011年夏 訪れた。 風の便りに、入院したようなことはかつて聞いたような気もするが、生涯独り身ということもあって、尋ねる人も思いつかず、また尋ねるのも怖く・・・、 結果は予想に反しなかった。 

いろいろなことを思い出したと同時に、 もっともっと多くの人に 彼女の存在を知ってもらいたかった、そして、
もっともっと夢を語ってもらいたかった・・・

今頃 天国でもハンドルをにぎっているんでしょうか??? 
  それとも、千の風になって 地球のはるか上空から青い地球を見守っているのでしょうか??

1935年生まれ 〜2009年2月6日  能城律子73歳で永眠

スポンサー探しのときは微力ながら私も動きましたが、 こうなってみると 当時もっとしてあげられることがあったのではないかと思ってしまうほど存在感のある方、そして包容力に満ち溢れた方でした。

たまたま知り合いがNHKラジオに出演たしたときの能城さんのインタビュー音声を送ってくれていたので参考までに下にUp↓
NHKに出演したときの能城さんの肉声(2008.5.30)
http://suzuki.888j.net/noshiro/img/ritz_koe_080530.mp3


〜〜最終稿として 文追加。  夢はまだまだ (引き継がれて)続く 〜〜

 
スーサンのよもやま話No.102

2011/07/30

Yoshin Ogata (イタリア在住の彫刻家)さんから暑中見舞いとともに、 今年2011年の作品3点が送られてきました。 
背景はどこ?と思いながら よく見ると、

1点目は、 Beijing 北京



2点目は、Vergnacco(UD) イタリア



3点目は、Istanbul トルコのイスタンブール


世界のいろんな国に彼の作品が設置されているのを聞いてきましたが、日本の友として嬉しい限りです。

★ ==================================== ★

また、今日 海外からのメールにあった 時計が超ユニーク。 なので全く別件ですが、そこにリンクを貼ってみますね。
http://www.asriran.com/files/fa/news/1389/8/16/155486_922.swf

 
スーサンのよもやま話No.101

2011/07/13

コスタリカ便り    report  by OK

Canada Day
Canada Day

今日はカナダ・デイ。1867年イギリスから自治権を獲得した建国記念日。
パンケーキにメイプルシロップをたっぷりかけた朝食パーティ。
セリーヌ・ディオンが歌う、オーカナダで始まったが、カナダの国歌はフランス語と英語のミックスなんだ。
オーカナダ
世界中から移民を積極的に受け入れ懐の深い国。ひろい国だからこそできるんだろう。
建国時、350万人だった人口がどんどん増えて現在3400万人。2031年にはカナダ総人口の3分の1が、非白人系住民になるというのだからすごい。



コカコーラ・ボトル・アート


Museo de Arte costarricense exposicion botellas coca cola obra adrian gomez

今年は「コカコーラ」誕生125周年らしい。
その記念イベントとして、コスタリカのアーティストたちがコカコーラの巨大ボトルを使った作品を創り、サバナ公園にある、コスタリカ・アート美術館(MAC)で展示中だ。
コカコーラのよいPRにもなり、「MACはコカコーラからいくらもらったのだ?」という批判もあるようだが、それぞれのアーティストが工夫を凝らし競い合って創った作品は見ごたえがある。
子供をモチーフに鮮やかな色合いで私のお気に入りのアドリアン・ゴメスの作品も楽しい。



ヒスイ博物館 Museo de Jade
Museo de Jade Museo de Jade

セントロのINS (コスタリカ保険庁)のビル1階にある、ヒスイ博物館を見学。
ヒスイの発掘物だけでなく、石器や陶器なども展示してありなかなか面白い。
特に、ころころころがしながら連続パターンを印刷するための工夫に興味をひかれた。


画家 アドリアン・ゴメス Adrian Gomez
adrian gomez adrian gomez adrian gomez adrian gomez

スペイン文化センターで、画家アドリアン・ゴメスの絵画展がスタートした。
鮮やかな色遣いで、子供を主人公にした優しい絵を描く作家で、私が大好きなアーティストだ。
今日は本人ともお話ができてラッキー。
彼の作品がほしいけど、小さな作品でも3000ドルくらいすると言ってたからちょっと無理だなあ。コスタリカにいる間にせっせと展覧会に通うことにしよう。

 
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