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スーサンのよもやま話No.54

2008/09/18
テーマ: ミャンマー映画祭’08 を振り返って

第2回ミャンマー映画祭 in Japan 無事終了しました。 関係者の方々のご尽力の賜物と思います。

さて、開催の翌日、新橋経済新聞社から主催者がインタビュー取材を受け、9月16日付けのヘッドラインニュース記事として掲載されました。
映画祭当日の様子が垣間見れますので 下記にご紹介いたします。 また、会場写真も参考までに。
記事文中に”字幕”とあります。 かつて、 スポットで、 品質管理の映像制作(最終的には1巻から20何巻まで)に監修協力をと頼まれ、 安易に Yesと応え、 後、大苦労に巻き込まれた記憶がよみがえってまいりました。 外国語字幕を割り付ける作業って、目が疲れるとかだけじゃなく、 大げさに言えば、 想像を絶する根気を要するんです。 やってみて、初めてわかりました。
まあ 前段階の過程においては笑えないストーリーがいろいろ あるものです、はい。

ミャンマーのお菓子、 生まれて初めて試食しましたー。 記事にある、「モンロゥン・イーボー」 当日、私も偶然その場に居ましたが、 ミャンマー語ってちんぷんかんぷん! 言語に関しては歴戦の勇士である私ですら(←冗談!) アルファベットが全く判読できない上、音韻的にも日本人には難しそうで、 お菓子の名前たったひとつとっても、その場にいあわせた人たち、何回聞いてもいまひとつわかりませんでしたー。 (^○^)
こちらのお菓子のほうが 日本人の口には合うような気がしましたし、おいしかったです。

今回はコメディーが中心、 さて次回は? アクション、コメディー、メロドラマ以外のジャンルはどうなのか 興味は尽きません。



<新橋経済新聞社 ’08 9月16日付けのヘッドラインニュース記事として掲載>
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新橋「ミャンマー映画祭」に50人−手作りミャンマー菓子も好評

前回の横浜での上映に比べ、若い層が多かったという「ミャンマー映画祭2008」。次回は来年の予定。
 ビクター新橋ビルのホール(港区新橋1)で9月13日、「ミャンマー映画祭」が開催され約50人が鑑賞に訪れた。

 昨年に続き2回目の上映となる今回の作品は、どちらもラブストーリーがベース。1本目は時代設定が40〜50年ほど前の「ドタバタ」コメディー「ぼくを愛して」で、アニメのような効果音や大げさなリアクション、奇想天外なストーリー展開が場内の笑いを誘った。

 2本目はミャンマーで人気の俳優たちが出演する4人の男女の愛憎劇「ザベの香り−真実の愛について」で、韓流ドラマ「冬のソナタ」並みの展開の早さとどんでん返しが見どころ。「ザべ」とは、同国の正月にあたる「水祭り」の時期に咲く国民的な花で、現代ミャンマーが垣間見える作品となっている。

 「上映作品に出演している女優さんが舞台あいさつにする予定だったが、急に来られなくなった。彼女が来日していれば在日ミャンマー人ももっと来てくれたと思う」と企画・主催する三井優さんは残念そうだったが、ほぼ満席となった場内を見て「ほとんど宣伝せずにこれだけ集まってもらえたのは上々」と笑顔を見せた。

 会場では、「日本ミャンマー・カルチャーセンター」などで料理を教えるミャンマー人のマ・ティンさんが用意した手作りミャンマー菓子とお茶が無料で配られた。菓子は「水祭り」に振る舞われるという2種類。中にヤシ砂糖の入った白玉団子にココナナッツをまぶした「モンロゥン・イーボー」と、もち米とヤシ砂糖のういろうのような蒸し物「シェーターミィ」で、どちらも甘さ控え目の素朴なもの。珍しいスイーツに、訪れた人々は次々と手を伸ばした。

 10年前にミャンマーを旅行して以来同国に興味をもったという大学生・坪田朋也さんは「(映画は)ベタな感じがかえって新鮮。予想外に面白かった。今後はボランティアで何かできたら」と話していたほか、ミャンマーで1年間日本語教師をしていたという馬道優美さんは「ミャンマーを懐かしく思い出した」と感想を口にした。

 「準備期間や人出・予算の関係などで画質や音声には若干問題があった」(三井さん)が、レアなミャンマーの姿を見る貴重な機会となった。三井さんはあくまで政府などの公的な力が介在しない上映を目指しており、ボランティアを頼りに地道な活動を続けている。作品の翻訳は在日ミャンマー人、意訳は三井さん自身が手掛けており、「本当に大変だった」と三井さんは振り返る。

 次回の上映作品は「切り口を変えて国家的スケールのものを考えている」(同)。上映は著作権取得や字幕などの準備が出来次第で、来年には開催できる見込みだという。

 
スーサンのよもやま話No.53

2008/09/04
 無名仙人さんが怒ってます。吠えてます。・・・・・

『記者クラブの廃止』 コメント by 無名仙人


報道は公平で、客観的な意見でなくてはならない、と言われる。  昨今のジャーナリストは政治と国民の間に立つような”公平”であり、国民の側に立っていない。 客観的報道というのは、政治が間違った方向に向かっている時に、「国民の理解を得られないでしょう。」、と程度の低い記事になる。 明らかに国民の不利になるような法案が審議されているのなら、はっきりと反対を表明するのがジャーナリズムだ。

報道はジャーナリストの良心であり、信念である。 昨今のジャーナリストは政治家には媚び諂い(こびへつらい)、番記者などは付いて回っておこぼれをもらう事しか脳が無い。 悲しいかな、政治と報道が同じ線上に存在しているのだ。 報道で重要なのは真実を伝え、ジャーナリストはその良心、信念からの意見を述べる事が使命なのです。

ジャーナリズムの本来の義務や責任を阻害しているのは、政治家であり、官庁であり、警察等々の公の機関である。 国会や、官庁、警察、県庁、市役所等に全国で800有余ある記者クラブとの癒着は傍から見ていると滑稽そのものだ。

それぞれの機関に常駐する記者たちは、そのスペースの家賃も払わず、電気、冷暖房、清掃、ガス、水道、下水道の管理経費、更にはクラブ職員の給与も、そのほとんどが税金で賄われている。 明らかに税金の不法支出と言わなければならない。

また、記者クラブが主催する記者会見には、クラブ以外の記者が参加する事ができない、排他的な面も存在する。 クラブ記者と各機関の担当者と癒着は目にあまるものがあり、営利企業である報道機関に対する便宜供与はあきらかだ。 つまり、新聞社、通信社、放送局は各機関の飼い犬のようなものである。 公正なニュース、批判記事などとはかけ離れた癒着記事が横行する温床なのだ。 全ての記者クラブなど早急に廃止しなくてはならない。

ある大臣が外遊にでた。 同行する記者は国会報道を許されている自民党の息のかかった16社、読売、HNK朝日、など総勢20人くらいの報道陣。 それらが皆、政治部の部長クラスと言う、かなりレベル的には高い、と思われている記者たちだ。 驚いた事に、空港からのハイヤーが全て現地に駐在している企業、大使館の負担だった事だ。

滞在中、ホテル代は個人が負担するものの、移動の際のハイヤーや高級レストランの食事代、その他の全ての費用は現地駐在の会社や大使館の負担で、揚句の果てには大臣の奥さんが買い物に出かけた際、大臣から、「君たちも奥さんにプレゼントしてやれ。」、の一声で、皆が高価なハンドバックを買い漁っている姿はミスボラシイかぎりの光景だ。

その買い物の総額は1千万円位したのだが、それを大使館が、立て替えた″事も不思議だった。 それが後に鈴木宗男のスキャンダルから発覚した、外務省の機密費に関する報道で、理解出来た。 大臣になるとその程度の支出は全て旅行経費の中で処理されてしまうのだろう。 問題なのは報道各社と政治家の癒着構造と、依存体質にある。

自民党にとって見れば総理の「記者懇談会」と言う名の超高級晩餐会に出席を許されているトップVIPなのだ。 「永田クラブ」の接待に年間数億円単位の接待費が使われている。 「永田クラブ」所属の16社は首相の海外旅行に国の政府専用機に同乗することが出来、訪問地の経費は全て政府もちだ。 つまり、国民の税金でマスコミを養ってやっている事になる。

偉そうな事を言っている大新聞社や放送局の皆が美味い汁にありついているのだから、外務省の機密費の徹底的な解明と調査を目論んでいた田中真紀子はまさに孤軍奮闘だった訳だ。 外務省だけでなく、政治家、報道各社の誰もが伏せてほしい、知られたくない、公にしたくない事柄なので、真紀子外務大臣降ろしは、全くの援護射撃など無い状態での退陣でした。

放送局など哀れなもので、5年ごとに総務省に放送免許の更新を申請しなくてはならない事になっている。 これだけでも放送局は政権党に関するいかなるスキャンダルも報道できない仕組みになっている事がわかる。 昨今の規制緩和の要求の中で、日本民間放送連盟が期間延長を願い出ているが、権力に直接結びつく生殺与奪の権限を手放そうとしてない。

報道機関は記者会見などで発表された事柄をそのまま記事にするだけなのだ。 それは子供の使いで、ジャーナリストの仕事ではない、馬鹿でも出来る事です。 つまり、日本のジャーナリストは自らその使命を放棄し、自尊心など無くしてしまった、単なるメッセンジャーボーイなのです。

報道各社のもう一方の歪んだ癒着は、利益追求体質だ。 スポンサーと言う生命線によって左右される会社としての利益追求構造は、スポンサーに対しては絶対服従、報道部よりも営業部のほうがはるかに強いのです。 大スポンサーが不祥事を起こし、それを記事にする時には、営業から圧力がかかり、この圧力によって多くの企業の不祥事が記事にならない事は周知の事実です。

さらに、定期購読という排他的な流通制度による宅配制度があるため、安定した収入源があり、真剣に記事など書く必要性が無いのです。 適当に紙面さえ埋めれば、波風の立つような記事など書く必然性も、意欲も無いのです。

残念ながら、日本にジャーナリストと言う職業など無く、育たなかった。 そこにあるのは新聞社や放送局に勤める単なるサラリーマンであり、政財官界の妾だったのです。

おしまい

 
スーサンのよもやま話No.52

2008/08/17
ユニーク写真集

































































 
スーサンのよもやま話No.51

2008/08/01
テーマは 「北京オリンピックに因んで」

北京オリンピック 2008年 8月8日(見事に8並びですね〜) いよいよ開幕です。

イタリアに長く滞在する、古くからの友人であり、彫刻家である、緒方氏から、北京オリンピックに因んでの作品ニュースがまいりましたので、偶然とはいえ開幕直前ということもあり、タイムリーにご紹介したいと思います。

一昨年の2006年に北京市がオリンピック彫刻公園建設計画の発表したのに基いて、世界中から集まった1000以上プロジェクトデッサンから
300点(優秀作品150点、佳作作品150点)が選考され、その後2007年に北京市内でその立体模型の展覧会が開かれ、2次審査の模型による選考があり、100基の野外彫刻作品が昨年の末から北京郊外の石工房と金属工房の2箇所で作品制作が行なわれました。

これらのオリンピックをテーマにした作品は、完成した北京の広大なオリンピック会場の要所に設置されています。 

 緒方氏の作品 ”5 RINGS (五輪)”は世界のスポーツの祭典のシンボル(五大陸の象徴する五つの輪)を三十数年追い続けている「水のテーマ」と関連付けて「水輪」の形を持たせて、オリンピックの開催される北京から、このプロジェクトのテーマの一つでもある「世界は一つ、夢は一つ」の願いが広がって行くようにとの意味を込めたもので、「水」に因んだこの作品は、ユニークな建築の水泳競技会場付近に最近、設置されました。

石はトルコ産ベージュ色大理石を使い、高さ280cm、重量約7トンで、昨年末、緒方氏は短期間北京に赴き、中国の石職人達と一緒に制作したもので、作品完成までには約2ヶ月掛かっている、とのコメントがありました。

※写真2葉添付

これとは別に先日連絡があり7月27日にカラーラのアカデミア・デラ・トーレ文化賞(Premio Nazionale Culturale "TORRE DI CASTRUCCIO") というのを受賞させてもらうことになったとの朗報も 届いたそうです。 
理由は今まで行なってきた芸術分野における文化活動に対してということですが、昨年9月から11月に掛けて開かれたベニス近くのウディネ(Abbazia di Rosazzo)での個展が考慮されたのかも知れません、とのお話。
因みに、この賞は科学、文化関係者に年に一回与えられるもので、今年で15回目になるそうです。

 
スーサンのよもやま話No.50

2008/07/21
今月のヨーロッパの新聞の経済欄に 下記のごとくある統計が掲載されているのが目に留まった。 韓国の足音がすぐ後ろに迫っている指標だ。
昨今、いろいろな数字が新聞その他メディアを賑わす。 〜ランキングとかの類であるが、日本の位置取りは総じて芳しくない。

生活の質では、 フランス、ドイツ>スペイン、イタリア>イギリス>ギリシャ、ポルトガル>>越えられない壁>>日本 なんて意見もネット上では散見されるほど。 もう、声高に GNP世界第二位とか、 外貨保有世界トップクラス とか、言ってられる場合ではないかも。
失われた16年、 すべての元凶は、政治か・・・

「平均年収 購買力平価(ユーロ換算)比較」
 
ルクセンブルグ 31964
アメリカ合衆国 30394
スイス 28840
アイルランド 28386
オーストラリア 27576
ベルギー 26981
ノルウェイ 26758
オランダ 26618
英国 26521
デンマーク 25663
オーストリア 24823
カナダ 23332
フランス 22718
ドイツ 22472
日本 21820
フィンランド 21227
韓国 20696
スウェーデン 20604
イタリア 19021
ギリシャ 18904
スペイン 18369
ポルトガル 13435
ハンガリー 12750
チェコ共和国 11523
ポーランド 10368
スロバキア 9555
OECD ヨーロッパ 21875
ユーロ圏 22085
OECD全体 24380


とは言うものの、日本の底力は枯渇・終焉したわけではない。 但し、リセットが必要であることは言うまでもない。
将来が見えない国に 明日への活力は生まれない。
どげなせないかん!! 

 
スーサンのよもやま話No.49

2008/07/16
地球の反対側から、南米便りが届きましたので、掲載いたします。

今回取り上げるテーマは、”美”。
既にニュースとして配信されているので皆さん、ご存知と思いますが、08年のミス・ユニバースに輝いたのがベネズエラ人、そして 準ミスがコロンビア人ですから、南米恐るべし!! 写真にはバトンタッチする前年度ミスの日本人の森さんも載っています。個人的な感想ですが、その前の年の準ミスに選ばれた”知花くらら”さんとは、”知的”な意味も含め、足元にも及ばないような印象です。 一度、TVでその過程を追った”美の裏”を見た記憶がありますが、それはそれは大変な努力を強いるようです。

南米便り from カラカス by O.K. 2008年7月16日 雨 21度

7月14日、ベトナムのニャチャンでミス・ユニバース世界大会の最終選考会が開かれ、世界一の美女の栄冠は、去年のミス、日本人の 森 理世さんから、べネズエラの22歳 ダイアナ・メンド−サさんに受け継がれました。
ベネズエラ人としては歴代5人目のミスユニバースだそうです。
世界80カ国からの参加者が、その美と魅力を競い、最終の5人に残ったのが、ベネズエラ、コロンビア、ドミニカ共和国、メキシコ、ロシアですから、やはりラテンアメリカ勢は圧倒的に強かった(美しかった?)
ベネズエラは美容整形が大変盛んで、豊胸、豊尻(ヒップ)、しわのばし、などなど、人工美人も多いのですが、ダイアナさんは生まれつき美人なのかな?
すらりとした長身に緑の目、物怖じしない親しみやすさが素敵です。

写真は、3点ともダイアナさん。

 
スーサンのよもやま話No.48

2008/07/02
「コロンビアでボランティア&世界遺産を訪ねて」 特別寄稿 by O.K.

数ヶ月前から南米に事務所を構えるユネスコのラテンアメリカ・カリブ高等教育センター(IESALC-UNESCO)でボランティアをしています。そのIESALCとコロンビアの教育省が主催するラテンアメリカ・カリブ地域高等教育会議CRES2008が、先月6月コロンビアのカルタヘナ・デ・インディアスで開催され、私もボランティアながらお手伝いとして参加させてもらいました。

37カ国から3500人が参加して、この地域のあるべき高等教育の方向性について3日間活発な議論が交わされました。たぶん日本人の参加は私だけだと思いますが、東京の国連大学の先生の名前が名簿にありました(お名前がラテン系でしたのでこの地域出身の方かと思います)。それから、ご両親が鹿児島からペルーに移住した日系人でご本人はペルーの国立大学の学長さんという方ともお話しました。今回の会議ではいろいろな発見がありました。
まず、驚かされたのが開会式。  コロンビアのウリベ大統領が入場するなり、会場の隅にいた学生の一団がプラカードを掲げて立ち上がり、「学生はテロリストではない。テロリストは学生を亡き者とする政府だ!」と繰り返したので一瞬騒然となりましたが、ウリベ大統領は少しも動ぜず、「言い分があるなら聞くから代表者、壇上に上がってきなさい。」と、大統領と学生代表者との予期せぬ討論会が始まりました。「強圧的に大学に介入する政府の態度は許せない。」「大学は科学と自由の場であって、体制に反抗する若者を育てる場ではない。」と15分くらいのやりとりの末、「抽象的なものでなく具体的な抗議があるなら文章で提出するように。」ということでこの場は収まりました。

冒頭からのこの即興性、その後の会議での討論者、会場の参加者の積極的な発言には感心させられましたが、CRESで話し合われた内容も「高等教育は公的社会財産であり、普遍的な人権であり、国の義務である。それが、この地域の国々の持続可能な発展のための基礎である。」と、貧困を克服するための教育、発展のための教育、人権としての教育など、私には新しい世界でした。

それからもうひとつカルチャーショックだったことは、硬いテーマの会議にもかかわらず、参加女性たちの服装がとてもカラフルでセクシーだったこと。リボンやフリルをあしらった、赤、黄、緑などの原色かつ露出度満点のドレスは「これからパーティー?」というような華やかさで目の保養になりました。

私は3日間、国連のスタンドで広報資料などを配ったのですが、「国連のミレニアム目標」とか「持続可能な開発・発展」「貧困の撲滅」などについての資料請求や質問をかなり受け四苦八苦しました。日本は先進国とく事情もありますが、このようなテーマに関心を持つ人がどれだけいるでしょう?

会議が終わった土曜日、自由時間で世界遺産にも登録されているカルタヘナ・デ・インディアスの街を見学することができました。コロニアル建築が続く城壁に囲まれた旧市街、海賊からの攻撃に対する要塞など、スペイン殖民時代の歴史的建造物がたくさん残っており、一日では見切れませんでした。せっかくのカリブ海での海水浴もできなかったし、また行く機会を期待したいです。それにしても一年中25度前後の理想的な気候に慣れてしまった身には、高湿度、気温35度のカルタヘナはこたえました。


写真1.コロンビア・カルタヘナ 世界遺産 カルタヘナ要塞
写真2.カルタヘナの フルーツ売り

写真3.月下美人 大輪の写真
我が家のベランダに奇妙な形のつぼみが膨らんできたなあと思っていたら、なんと!昨夜輝くように真っ白な花を咲かせました。
夏の夜に開花し、夜明けとともに一夜限りでしぼんでしまう「月下美人」という花だそうです。スペイン語ではDama de Noche 夜の貴婦人といいます。目にしみるほどの強く甘い香りを漂わせ、暗闇の中に輝くような美しさで白く浮かび上がり、夏の夜のひと時を酔わせてくれました。今朝は花を閉じて下を向いてしまっています。美人薄命ですね。

 
スーサンのよもやま話No.47

2008/06/04
テーマ > 芸術と権利

世界は今空前のアートブームだとか。

アジアの現代アートは欧米で大人気ですし、 中国のアートオークションも活況を呈しているようだ。 日本の新聞でも、クリエーターさんの某作品がサザビーズで幾らで落札などというニュースは珍しくなくなった。

アート界において嬉しい潮流であることは間違いないが、そこで かねて気になったことがある、 アートと著作権、つまり権利 とのかかわりにスポットを当ててみることにする。
以前、 ダリの権利問題に遭遇した経験がある。 それが係争問題に発展した。 有名な作家であればあるほど こじれるのが常だ。 この件はおそらくまだ、解決してないのではと思っている。  スペインの法律関係に詳しい方のお話を元に、要約すると以下のような関係が見えてくる。

一枚の絵を買ったとする。 この絵には著作権と作品の所有権という権利がある。 買った人は、所有権を得るわけである。 具体的には、この作品を展示・貸与・譲渡して収益を得ることができる権利である。

しかしこの絵をポスターやカレンダーにするような著作権は作者の権利で、日本においては、特別にこの権利の譲渡契約を結ばない限り、作者に帰属する。

一方、スペインでは、作者には道徳権利があり、この権利を譲渡、売買することは絶対にできないようだ。 例えば日本人作家がスペインで個展をし、販売した作品に関して作者には以下のような権利が生じるとのことである。

・作者がその作品がどのように普及すべきかその方法を決める権利 −−−
 これはその作品が作者の意思によって初めて展示されたときに生じる権利で、例えば作者がその作品を以後一切公衆の場で展示しないという判断をした場合、作者の生存中と死後70年間保護される権利。

・作品の作者名の表記を、本名・ペンネーム・サイン・匿名など具体的に指定する権利 −−−
 これは作者が作者名をどのように表記して欲しいか選べる権利。

・作者がその作品の現況について知る権利 −−−
 これは作品がどこにどのようにして保管または展示されているかを知る権利で、作者の生存中は作者が、以後永遠にその遺族が知る権利を有する。

・作品のいかなる変形、変更、部分使用を禁じ、配慮ある対処を求める権利 −−−
 この権利はスペインの裁判で多々争われるが、作品の所有者であっても作者に無断で写真を撮って作品を変形したり、部分的に印刷物やホームページなどに使ってはいけないということ。

・第三者が得た権利を尊重しながら必要と思われる作品の手直しをする権利 −−−
 これは作者がアーティストとして進化した場合、その作品が文化財産として保護されている場合を除いて所有者の許可の元、手直しができる権利。

・作者が知的または道徳的信条を変え、ある作品を市場から抹殺したい場合、所有者に事前に賠償することにより作品を市場から抹殺できる権利 −−−
 別名「後悔の権利」。作者に正当且つ妥当な目的があればこの作品が展示されていることでプロの作家生命に影響を及ぼすという判断で、展示しないようすることができる権利。 
 例えば、その作品を作成した頃は当たり前でも、それが現在の道徳ではいけないことと判断されるような題材になった場合。

・その作品が作者にとって唯一のまたは珍しい作風の作品であり、それが第三者の所有にある場合、作者がそれを見る権利 −−−
 これは作者が希望すれば所有者の都合に合わせて決められた場所や方法で作品を見ることができるという権利。 しかしここで重要なのは作者が所有者にアンソロジーの展覧会を行うためにその作品の貸し出しを依頼したり、その展覧会のカタログにその作品を含めることができること。

道徳権利の損害に対して、スペインの裁判では多額の賠償金の支払いが命じられることがあり、 また、作品の形状が油絵なのか、デジタル作品またはマルチメディア作品なのかによっても該当する権利は異なるそうだ。


長い歴史を持つ、芸術先進国のスペインの権利に対する意識・哲学が垣間見れる比較事例であろうと思う。

かつて、日本の有名な企業のオーナーが、棺おけに自分の好きな絵を一緒に入れてくれと言った話、 また、かつて、知り合いが 絵を買って所有していたら、なんでもできるんでしょう?(つまり、煮ても焼いても的に)とコメントしたことを思い出す。

アフガニスタン、カンボジア、はたまた、イースター島などでも随分と破壊/逸失されたと聞いている。
失われた作品は ハイテク修復技術を駆使しても、2度と戻ってきません。 芸術作品は人類の遺産、 拠って、後世に引き継がれていくことを願っています。

参考写真:村上隆による「NIRVANA」

 
スーサンのよもやま話No.46

2008/05/01
〜〜〜 500年の時空を超えて 〜〜〜
1.マゼラン と エルカノ    2.歴史に学ぶ 支倉常長とスペイン  3.一口メモ

・歴史に学ぶ マゼラン と エルカノ

マゼランのほうが遥かに認知度が高いが、史上初となる世界周航【1522年】を達成したのは、実はスペインのエルカノだった。 が更に細かく言えば、バスク人と言った方が正解かもしれない。この航海における功績により、地球の図に「Primus circumdedisti me (ラテン語で“我を一周せし最初の者”の意)」という文字を配した紋章がカルロス1世より与えられた。

マゼラン、マゼランと聞くたび、スペルはどうやって書くのか、疑問に思っていた頃を思い出す。 ポルトガル語名(本名)はフェルナン・デ・マガリャンイス (Fernao de Magalhaes)、スペイン語(カスティーリャ語)名はフェルナンド・デ・マガリャネス(Fernando de Magallanes)。「マゼラン」は英語での綴りを基にした慣用表記で(発音はマゼランではなく「マジェラン」)。
1480年生。現ポルトガル出身で、最初の地球周航者と言われ、南米大陸の南端”マゼラン海峡”を発見しその名を残す。「地球は丸い」ことを実証したことで知られている。ポルトガルの国王には援助を断られ、 結果、スペインに赴き、スペイン人ベアトリスと結婚。 後、カルロス一世(後のカルル五世)に仕えた。1519年、5隻の船隊を率いて スペイン・セビリアを出発、南米沿岸を南下して、マゼラン海峡を発見し太平洋へ出た。のち、現在のグアム島に到着、次いでフィリピン・サマール群島南端に到着。マゼランはここで原住民に殺されたが、スペイン人、ファン・セバスチャン・デ・エルカノは、彼の志を継ぎ、航海を続行、船団のなかでただ1隻無事だった小帆船”ビクトリア”の船長となって、17人の生存者を励ましながら、スペインに帰国し人類初の世界一周航海を成就させた。

マゼランの目的は現在のインドネシアのモルッカ諸島でナツメグやコショウなどの香辛料を手に入れることで、内実は、肉の保存、薬として重宝する”富”を求める航海であった。
幾多の乗組員の反乱もあり、航海は苦難の連続、マール・パシフィコ(平和の海→太平洋)では島影ひとつ見えず、食料は底をつき、帆げたの牛革やネズミまで食べざるを得なかった。結果、ビタミンCの欠乏に因る壊血病に悩まされる羽目になった。フィリピンでの住民との戦いによりマゼランは命を落とし、エルカノが指揮を引き継ぎ、翌年スペインに帰り着く、足掛け4年の世界一周冒険の旅であった。 270人余の船員は18人に、5隻の船は1隻に、しかし、その一隻に積み込まれていた当初の目的である香辛料は、他の4隻の損失を補ってあまりある利益をもたらしたと言われている。

今は地図は誰でも手に入る。 かの時代は地図は当然ない。 ましてや21世紀の現代はGPSまで容易に準備できる時代に比し、 この先に何があるのかわからない状況で、西へ西へと向かって行った、また別の言い方をすれば、地の果てを目指した当時の冒険者の心境はいかばかりかと想う。 でも、そこには 夢とロマンと富へのあくなき欲望が渦巻いていたんでしょうね。

・歴史に学ぶ 支倉常長 と スペイン

1613(慶長18)年、伊達政宗は宣教師のソテロとともに支倉常長をローマに送ることを命じた。一行は仙台領の月の浦(宮城県石巻市)から、太平洋・大西洋を日本人で初めて横断し、メキシコ、スペイン、ローマへと渡る。この大航海の目的はメキシコとの通商と宣教師の派遣をスペイン国王とローマ教皇に要請することであった。彼らはローマで熱狂的な歓迎を受け、教皇パウロ5世に謁見し、政宗の手紙を渡す。
 しかしこのころから日本では次第にキリシタン弾圧が厳しくなってきているという情報が、教皇のもとに届いていた。そのため常長たちの努力もむなしく、ほとんど成果を得られないままに帰国しなければならなくなる。しかも、彼らがようやく帰国した1620(元和6)年には、日本では全国的にキリスト教が禁止され、信者たちは次々と処刑されるという厳しい時代となっていたのである。

スペインでの 行程
1614.10. 5 サンルーカルに到着
1614.10.21 セヴィリアに到着
1614.10.27 セヴィリア市長と接見
1614.11.25 セヴィリア出発
1614.12.20 マドリッド到着
1615. 1.30 マドリッドでスペイン国王フェリペ3世に謁見を賜る
1615. 2. 4 宰相レルマ公を訪問
1615. 2. 5 マルガリータ王女を訪問
1615. 2.17 支倉常長,洗礼を受ける
1615. 8.22 マドリッド出発,夕刻アルカラ・デ・エナーレスに到着
1615. 9.30 サラゴサに到着
1615.10.3? バルセロナに到着,3〜4日滞在後,ローマに向かう

1614.10.5にスペインの地を踏んでからバルセロナを発つ1615.10.3まで、スペインには,約1年間滞在。 この間,常長は,異文化と真正面から対峙。

最初に踏み入れた地が、サンルーカル。 そのサンルーカルとセビリアの間に、コリア・デル・リオの町があり、支倉常長の上陸を記念して,彼の銅像がグワダルキビル河の河川敷公園の真ん中にある。 びっくりしたのは、 コリア・デル・リオの市と言うか町のHPに 支倉常長のページがあったこと。 

 元ミス・スペインは日本人?
以前、ミス・スペインに選ばれた女性は、ルーツを日本に持つと言われている。彼女の祖父は、セビリア近郊、コリア・デル・リオ 出身の、スアレス・ハポン さん (ハポンとは 日本の意)。
一説によると、ハポン姓を名乗る人たちは、伊達正宗の命を受けて派遣された、支倉常長率いる遣欧使節団の一行の末裔なのか? 

{夢とロマンの歴史の1コマ}と呼ぶに値する記事が以前掲載された。 実は、少し大げさに言えば、死ぬ前に一度は訪れてみたいと思っている地がスペインにある。コリアデルリオ市だ。かつてJapon (日本)姓を持つミス・スペインが誕生し、スペインの雑誌にも大きく取り上げられ、一部の人の注目を集めた。その前からこの話は聞いていたが、その都度”本当かいな”と内心思っていた。
仙台藩主、伊達政宗の命を受け、支倉常長率いる「慶長遣欧使節団」(1613〜20)がスペイン国王に親書を手渡した史実は、教科書で目にされた方も多いと思う。 
※支倉が持ち帰った品々は2001年に歴史資料では初の国宝になったので、いつか対面してみたいと思っている。  しかし時代の皮肉か、交易を約する返書を得られず7年後帰国。スペインに渡った日本人約30人、
乗船記録から約7人が帰国してないらしい。海への玄関口であるコリア市にその後 ハポン姓が現れ、現在同市には、その姓を持つ人の総数は648人。コリア市のエストレージャ教会のぼろぼろの洗礼台帳に、”1667年11月1日、フアン・ハポンの娘を洗礼”と記述。 司祭が「生の宝石」と呼ぶ洗礼台帳上の、最古のハポンらしい。貧しさもあって苗字が無かったが子の洗礼のため父親の苗字が必要になり祖国日本を名乗り始めたのではないかという説は、まことしやかであろう。現地に残った使節団の一員が祖国ハポンを名乗り始めたに違いないと、地元の郷土史家も言う。スペインにいた頃、私の耳にもこの”ロマン話”は伝わっていた。2003年に洗礼れたカルロス・ハポン・アルバレス君(当時2歳)が最も若いハポンとのこと。ハポンの子供に時に蒙古斑が見られるという話はかつて聞いたことがあるが、実際見たことがないのでなんともいえないが、地元では「お尻に咲いた花」というそうだ。見事な表現だと思う。日本で開催された愛知万博に合わせ、マゼランが世界一周を果たした帆船ビクトリア号が復元されスペインから日本へ。そして石巻(2005年5月)で、かつて支倉らをスペインに運んだサン・ファン・バゥティスタ号(やはり復元)と歴史的出会いを果たしたようだ。2004年末、コリア市にある、カフェテリア”Sendai”に、支倉家29代当主支倉哲男(当時87)さんから手紙と家系図が届く。愛知万博
で両帆船が旧交を温める際に皆様と握手を交わしたいという趣旨の手紙だ。 
”貴スペインに使をなした侍の子孫”からの手紙をそのカフェで見たハポン姓の人たちが返事を書く。 前述カルロスの父、J・カルロスは「苗字の由来を考えるとき、私たちが同じ祖先を持つことを誇りに感じます。」と。ハポンばかりが時に週末、あのカフェ”Sendai”に集まり、サッカー中継で盛り上がるという。 これこそ、歴史のトライアングルと言えるだろう。 
コリア市のカフェ”仙台”で、時にそこに集う、 歴史の末裔と共に ”オレー・オレオレオレー 〜”なんて、肩を組んで叫ぶのも乙ではないでしょうか。
因みに、コリア・デル・リオの町の公式ホームページにはスペイン語ではありますが ”ハポンさん”について”の ページがありました。

スペイン一口メモ:

・ローマのスペイン広場
スペイン広場(Piazza di Spagna)は、ローマにある有名な広場。映画「ローマの休日」 オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所。広場の中央には、「バルカッチャの噴水」がある。広場からは、トリニタ・デイ・モンティ階段、通称スペイン階段が延び、トリニタ・ディ・モンティへと続く。この階段は、フランチェスコディサンクティスによるもの。 当初、フランスの外交官の寄付によって造られたものの、間近にあるスペイン大使館からこの名で呼ばれている。


・ウィーンのスペイン乗馬学校
世界最古と言われる ウィーンにある、スペイン乗馬学校。スペイン乗馬学校は世界で唯一、古典馬術を今日に伝えています。この高等馬術は、ルネサンス文化とともにウィーンにもたらされました。皇帝フェルディナント1世の息子マクシミリアン大公は、1562年頃からスペイン馬の優れた品種をオーストリアに取り入れ、気性の激しい馬たちを調教するため、1572年に作った。

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写真1.マゼラン
写真2.エルカノ像
写真3.世界でたった一隻しかない帆船ビクトリア号(史上初めて世界一周した船)復元船

 
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