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スーサンのよもやま話No.79

2009/09/03
 カステラのお話
カステラの語源は、カスティーリャ地方から・・・
スペインでカステラ発祥の地といわれるカスティーリャ地方は、イベリア半島の中央部に位置する標高600〜700mの高原地帯。カスティーリャという地名は、ラテン語「castellum(城)」の複数形「castella」で城の多い地方という意味に由来。15世紀末にはこの地方を治めるカスティーリャ王国が、アラゴン・カタルーニャ連合王国と結ばれ、近代スペイン成立の基となる。
スペインでカステラのルーツとされているのが「ビスコチョ」 bizcocho
語源はラテン語の”2度焼く”を意味する ビスコクトゥス(bis coctus) に由来。大航海時代の船乗りたちの保存食。

スペイン この頃の料理書
料理、デザート、ビスコチョの作り方
1611年初版。スペイン国王フェリペ3世の「宮廷料理人、マルティネス・モンティチョーリ著。ビスコチョの作り方が8種類出ており、大ベストセラーに。
天王少年使節団の一行は、スペイン・アリカンテ滞在の折、クララ修道院の尼僧が作ったマドレーヌを食べたことが文献に残されている。
長崎に本店を置くmサ屋は1624年、寛永元年の創業。前年の1623年に徳川家光が三代将軍となり、キリシタンの布教禁止を強化。創業時の寛永元年にはスペイン船の来航を禁止して、スペインとの国交を断絶。
カステラの歴史はきわめて古く、紀元前3世紀ごろ、ローマ帝国の穀倉と呼ばれたスペインで作られたと言われている。スペインでは古来慶事に欠かせない菓子とされていますが、このカステラがわが国に伝わったのは、約450年前のこと。ポルトガル船で渡来したフランシスコ会の神父によってもたらされたそうだ。そのため、カステラという名称もスペインの当時の王国、”カスティリア”国に由来すると云われている。 こうして伝来したカステラは、舶来の菓子で、しかも日本人の味覚に合ったため珍重され、豊臣秀吉も肥前の名護屋で南蛮菓子の名手、村上等安に作らさせたという逸話も残っている。 これがいわゆる銘菓「長崎カステラ」となるまでには長い年月を経ている。その間我が国において、日本人の味覚に合うよう独自の発展をし、現在のスペインにあるカステラ(bizcocho)とは、風味も形も、大変異なったものとなった。

文明堂は明治33年に長崎で創業。大正11年東京に進出、大正14年には宮内庁御用達の栄。昭和28年には日本におけるカステラの普及に感謝の意を表した書簡をスペイン大使より寄贈され、昭和56年にはスペイン政府より、 メリトシビル功労十字勲章授与、昭和55年ファン・カルロス国王及びソフィア妃来日時、更に 平成4年、クリスティーナ王女来日時、特選カステラ献上。


※ そういえば、前回の母の日のプレゼントは、 花+カステラという 一風変わったセット。乙でしょ? (^Θ^)

 
スーサンのよまやま話No.78

2009/09/02
Superfly     ※今年の紅白に出てもらいたい NO.1 です。

[『My Best Of My Life』 / ドラマ「BOSS」主題歌



『やさしい気持ちで』 /  フジテレビ めざましテレビ テーマソング


『恋する瞳は美しい』 / Canon Ixy Digital CMソング


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福山雅治     
レグザを買うつもりで行って、結局 小雪にした思い出があります。 
来年の大河ドラマは 見るぞ〜   
『龍馬伝』(2010年、NHK大河ドラマ 脚本:福田靖 龍馬:福山雅治)
『最愛』 / アルバム「残響」より   東芝CMソング

 
スーサンのよもやま話No.77

2009/08/11
花 と 美(ミスユニバース)
  2009.8.10.  国際電話出演   
  FMラジオ JFN(ジャパンFMネットワーク) の、”世界の今を伝えるコーナー”で、 
  放送された内容は 以下の通りです。



ベネズエラの花
月下美人
  
我が家のベランダに 7月咲いた、14輪の月下美人 !
スペイン語では "Dama de noche "、「夜の貴婦人」。
夏の夜、一晩だけ咲く不思議な花。夜9時ころ、甘い香りを振りまきながら、輝くように白い大きな花が次々と開きましたが、美人薄命、本当に一晩だけの命でした。
  
ベネズエラは雄大な自然に恵まれ、カラカス市内どこからでも見えるアビラ山にはもちろんのこと、街中にも高さ20メートルくらいの巨木がたくさんあります。マンゴーの木もあちこちにあり、油断すると頭の上に熟れたマンゴーが落ちてきます。四季がなく常夏なのでハイビスカスやブーゲンビリア、ツツジなど色鮮やかな花が1年中咲いています。蘭の花は野生蘭をはじめ何十種類もあり、ベネズエラの国花です。
  
↓市内どこからでも見えるアビラ山
アビラ山
  
↓カラカスには珍しい巨木がいっぱい
カラカスの珍しい巨木
  
↓油断すると頭の上にマンゴーが落ちてくる
マンゴーの木
  
↓カナイマ国立公園の野生蘭
カナイマ国立公園の野生ラン

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ミス・ユニバース
もうすぐ、2009年のミス・ユニバースの世界大会がカリブの島バハマで開催されます。
ベネズエラは、ミス・ユニバース、ミス・ワールド、ミス・インターナショナルなど、ミスコンの上位常連国で、現在のミス・ユニバースも、ベネズエラ出身のダイアナ・メンドーサさん ↓です。

今年のベネズエラ代表は、2009年ミス・ベネズエラの、ステファニア・フェルナンデス ↓さん。アンデス山脈の街、メリダ生まれの18歳です。
身長178cm スリーサイズは90-60-90。

父方はスペイン系、母方はウクライナ、ポーランド系で、スペイン語の他、英語とウクライナ語を話すそうです。


日本代表も最近、ミス・ユニバース上位の常連。ベネズエラは前回ミスの座を獲得したので2年連続のベネズエラ優勝は難しいと考えている人が多いようです。でも、ミス・ユニバースに対する関心は国民的に高いのです。
1979 Miss Universe   Miss Maritza Sayalero

1981 Miss Universe   Miss Irene Saez

1986 Miss Universe  Miss Barbara Palacios

2006 Miss International
なぜ、ベネズエラに美人が多いのか
ベネズエラの人種構成は、白人(スペイン系、ポルトガル系、イタリア系)が約2割、黒人が1割、インディヘナが2%、それらがミックスしたメスティソという混血が残りの6割から7割を占めます。 美人産出国といわれるコロンビア、コスタリカ、ブラジルも白人、インディヘナ、黒人の混血の国なので、混血が美人が生まれる秘密かもしれません。
  
ベネズエラの女性はおしゃれへの関心が異常に高い
ベネズエラでは、毎月、美容院、マニキュア、フェイシャル、洋服に使うお金の、収入に占める割合が飛びぬけて高いといわれています。
ミス・ユニバースのダイアナ・メンドーサさんの写真を見て、私の日本の友人たちは「派手すぎて僕のタイプじゃない」という意見が多かったのですが、こちらの女性たちは、お化粧もファッションもかなり派手で大胆。
ただし、「色白が美しい」という概念はなく、小麦色がかっこいいと思われています。
色白で、金髪、青い目、というのは一昔前の話で、小麦色の肌に、明るい色の目、豊かな胸とお尻が現在の魅力的な女性の条件と言えそうです。
   
美人養成アカデミーがある
友人が行くカフェテリアは、いつも美人がたくさんいて、ダンスの教室か、モデル学校が近くにあるらしいというので、覗きに行って見ました。
邸宅風のその建物は、美人養成アカデミーで、友人はそれと知らず、学生用カフェテリアでランチしていたのでした。美人が多いのも当然です。
入り口で迎えてくれたのは、校長のヘルマン・バジェニージャ氏と美人秘書3人。ヘルマン校長自ら、校内を案内して下さいました。
6歳から11歳、12歳から14歳、15歳から24歳、25歳以上のクラスに分かれ、エレガンス、歩き方、お化粧法、エチケット、話し方、ダンス、ポーズの取り方、モデルになるには、などの授業を受けられるそうです。
  
↓ヘルマン・バジェニージャ校長とスタッフ
アカデミア1
  
↓授業風景
アカデミア2
  
アカデミア3
    
隣の奥さんから聞いた話では、彼女の娘が通っていた、私立の小学校には、すてきな女性になるための授業があって、やはり、歩き方、座り方、食事の仕方などの礼儀作法、話し方、着こなしなどなど、10歳くらいから学校で教えてくれるそうです。
  
美容整形も盛んで、腕のよい整形外科医がたくさんいます
ベネズエラでは、女性らしい、グラマラスな体型が魅力的とされていて、豊胸、お尻シリコン、お腹の脂肪吸引、しわ伸ばし、など整形手術をしている女性がかなりいます。
周りの奥さんたちもほとんどどこかを整形していて、よくその話になります。
つい先日も、私の友人が、「見て見て、どう大きくなったでしょう? 触ってみる?」と豊かになった胸に大満足でした。シリコンを片方300ccずつ注入してもらって、費用は10万円くらいだったそうです。
知り合いのスペインレストランのオーナー(男性)も、しわ伸ばしで、とても70歳には見えません。

  
ベネズエラでよく使われる簡単な「一言」
"Chevere. " 「チェーベレ」。 
「素敵」「ナイス」「ばっちり」「すごくよかった」という意味で、いろんな場面で使えます。
「元気?」と聞かれたら、"Chevere."  「昨日のパーティーどうだった?」 と聞かれても"Chevere."


 
スーサンのよもやま話No.76

2009/08/02

PATRIMONIO MUNDIAL WORLD HERITAGE 世界遺産/人類共通の宝物
  ※2009年夏時点 スペインの世界遺産登録数は、
イタリア(バチカン市国除き)と並んで 世界トップの41箇所。

■Spain ■ スペイン
nombre tipo y ano
コルドバ − メスキータ 1 . コルドバ歴史地区  

Centro historico de Cordoba
文化遺産 / 1984、1994 /
グラナダ − アルハンブラ宮殿 2 . グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区  

Alhambra, Generalife y Albayzin, Granada
文化遺産 / 1984、1994 /
ブルゴス − 大聖堂 3 . ブルゴス大聖堂

Catedral de Burgos
文化遺産 / 1984 /
エル・エスコリアル修道院 4 . マドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡  

Monasterio y sitio del Escorial, Madrid
文化遺産 / 1984 /
アントニ・ガウディ − カサ・ミラ 5 . アントニ・ガウディの作品群  

Obras de Antoni Gaudi
文化遺産 / 1984、2005 /
アルタミラ洞窟 6 . アルタミラ洞窟と北スペインの旧石器時代の洞窟壁画

Cuevas de Altamira y Arte Paleolitico del norte de Espana
文化遺産 / 1985、2008 /
セゴビア − ローマ水道 7 . セゴビア旧市街とローマ水道橋  

Centro historico de Segovia y su acueducto
文化遺産 / 1985 /
オビエド歴史地区 8 . オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群

Monumentos de Oviedo y del Reino de Asturias
文化遺産 / 1985、1998 /
サンティアゴ・デ・コンポステーラ 大聖堂 9 . サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街)

Centro historico de Santiago de Compostela
文化遺産 / 1985 /
アビラ城壁 10 . アビラの旧市街と塁壁の外の教会群  

Centro historico de Avila y sus iglesias extra-muros
文化遺産 / 1985、2007 /
アラゴン − ムデハル様式建造物 11 . アラゴン州のムデハル様式建造物

Arquitectura Mudejar de Aragon
文化遺産 / 1986、2001 /
古都トレド 12 . 古都トレド  

Centro historico de Toledo
文化遺産 / 1986 /
ガラホナイ国立公園 13 . ガラホナイ国立公園

Parque Nacional de Garajonay
自然遺産 / 1986 /
カセレス旧市街 14 . カセレスの旧市街

Centro historico de Caceres
文化遺産 / 1986 /
セビリア大聖堂 15 . セビージャの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館

Catedral, Alcazar y Archivo de Indias de Sevilla
文化遺産 / 1987 /
サラマンカ旧市街 16 . サラマンカ旧市街

Centro historico de Salamanca
文化遺産 / 1988 /
ポブレー修道院 17 . ポブレー修道院

Monasterio de Poblet
文化遺産 / 1991 /
メリダの遺跡群 18 . メリダの遺跡群

Conjunto arqueologico de Merida
文化遺産 / 1993 /
サンタ・マリア・デ・グアダルーペ修道院 19 . サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院

Real Monasterio de Santa Maria de Guadalupe

文化遺産 / 1993 /
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 20 . サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

Camino de Santiago de Compostela
文化遺産 / 1993 /
ドニャーナ国立公園 21 . ドニャーナ国立公園

Parque Nacional de Donana
自然遺産 / 1994、2005 /
歴史的城壁都市クエンカ 22 . 歴史的城壁都市クエンカ  

Ciudad Encantada de Cuenca
文化遺産 / 1996 /
バレンシア − ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ 23 . バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ絹の商品取引所)   

La Lonja de la Seda de Valencia 
文化遺産 / 1996 /
ラス・メドゥラス 24 . ラス・メドゥラス

Las Medulas
文化遺産 / 1997 /
サン・パウ病院 25 . バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院

El Palau de la Musica Catalana y el Hospital de Sant Pau, Barcelona
文化遺産 / 1997 /
サン・ミジャン・ユソとサン・ミジャン・スソの修道院群 26 . サン・ミジャン・ユソとサン・ミジャン・スソの修道院群

Monasterios de San Millan Yuso y Suso
文化遺産 / 1997 /
ピレネー山脈のペルデュ山 27. ピレネー山脈-ペルデュ山    ● スペイン及びフランス共和国

Pirineos - Monte Perdido
複合遺産 / 1997、1999 /
イベリア半島の地中海入り江のロック・アート 28. イベリア半島の地中海入り江のロック・アート

Arte rupestre de la Cuenca Mediterranea en la Peninsula Iberica
文化遺産 / 1998 /
アルカラ・デ・エナーレス大学 29 . アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区

Universidad y Recinto historico de Alcala de Henares
文化遺産 / 1998 /
イビサ島 30 . イビサ、生物多様性と文化

Biodiversidad y cultura de Ibiza
複合遺産 / 1999 /
サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ 31 . サン・クリストバル・デ・ラ・ラグナ

San Cristobal de la Laguna    (Santa Cruz de Tenerife)
文化遺産 / 1999 /
タラゴーナの遺跡群 32 . タラゴーナの遺跡群  

Conjunto arqueologico de Tarraco
文化遺産 / 2000 /
エルチェの椰子園 33 . エルチェの椰子園

El Palmeral de Elche
文化遺産 / 2000 /
ルーゴのローマ城壁群 34 . ルーゴのローマの城壁群

La Muralla romana de Lugo
文化遺産 / 2000 /
35 . ボイ渓谷のカタルーニャ風ロマネスク様式教会群

Iglesias romanicas catalanas del Vall de Boi
文化遺産 / 2000 /
アタプエルカの古代遺跡 36 . アタプエルカの古代遺跡

Sitio arqueologico de la Sierra de Atapuerca, en Atapuerca e Ibeas de Juarros, Burgos
文化遺産 / 2000 /
アランフェス宮殿 37 . アランフェスの文化的景観  

Paisaje cultural de Aranjuez
文化遺産 / 2001 /
バエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群 38 . ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

Dualidad urbana y unidad cultural de Ubeda y Baeza
文化遺産 / 2003 /
ビスカヤ橋 39 . ビスカヤ橋

Puente Colgante de Vizcaya
文化遺産 / 2006 /
テイデ国立公園 40 . テイデ国立公園

Parque Nacional del Teide
自然遺産 / 2007 /
ヘラクレスの塔 41 ヘラクレスの塔

Torre de Hercules  (Galicia)
文化遺産/ 2009 /


《2009 ア・コルーニャの 『ヘラクレスの塔』 が世界遺産に登録される 》
  これでスペインの世界遺産は、全41ヶ所

スペイン北西部のガリシア州にある都市ア・コルーニャ(A Coruna)。
古くから港町として 賑わうこの町は、陽光が反射して光り輝くガラス張りの建物が多いことでも有名で、別名『ガラスの街』としても知られています。今回世界遺産に指定された「ヘラクレスの塔」は、 この町の旧市街地から2kmほど離れた岬にそびえています。

【ヘラクレスの塔の概要】
ローマ時代に建てられた灯台で、長い間放置されていたものを18世紀に改修したもの。現存するローマ時代からの灯台としては世界唯一。高さ59mの塔は、海抜約60mの 岬に立ち、現在も海上交通の保全に重要な役割を果たしています。現在博物館となっている内部は見学可能で、234段の階段を上ると、素晴らしい眺望が楽しめる展望台が あります。また、2008年9月から、アメリカ・ニューヨークの「自由の女神」と姉妹提携を結んでいます。ヘラクレスの塔の詳細は 次のコーナーで。

【ヘラクレスの塔のアクセス・見学】
住所 Avda. de Navarra s/n 15002 A Coruna TEL +34.981.223.730 URL www.torrehercules.org (スペイン語) アクセス ア・コルーニャの旧市街地から約2.5km。マリア・ピタ広場近くの港からトランビア(路面電車)を利用。 見学時間 10月〜3月 毎日10:00〜18:00 4月〜6月・9月 毎日10:00〜19:00 7月・8月 月〜木曜・日曜の10:00〜21:00、 金曜・土曜の10:00〜00:00 * 最終入場は閉館の15分前 入場料 一般 2.5ユーロ (20名以上のグループ:1.5ユーロ)

【ア・コルーニャの街】
ア・コルーニャ市は、サンティアゴ・デ・コンポステーラがあるア・コルーニャ県の県庁 所在地。サンティアゴから電車で約1時間(約1時間に1本)と近く、日帰りデスティネーションとしても人気が高い港湾都市です。 旧市街地では、中庭の美しいサンタ・マリア・ド・カンポ教会などが目を引き、町の中心として賑わうマリア・ピタ広場には重厚な市庁舎が建っています。海沿いを歩くと、まるで 孤島のような岬があり、歴史考古学博物館が置かれるサン・アントン城があります。また、ガラス窓を多く使ったモデルニスモ建築も多い町です。市街地から少し離れると、沿岸部には海岸遊歩道が設けられており、サイクリングやウォーキングを楽しむこともできます。近代アートも盛んで、「ヘラクレスの塔」一帯には、複数の彫刻オブジェが屋外に展示 されています。 古くから漁港として栄えたア・コルーニャでは、市場を覗くのもお勧めです。市場は通常 日曜・祝日以外の午前中(08:00頃〜14:00頃)に営業しています。
ア・コルーニャ観光局公式ウェブサイト www.turismocoruna.com (英語)

ヘラクレスの塔 (Torre de Hercules)

【歴史】
ア・コルーニャの湾岸の歴史は、ケルト民族の定住によって始まります。そして
トラヤヌスがローマ皇帝に君臨していた2世紀頃、ローマ人はその好立地に 注目し、鈴や銅、鉄を求めてイギリス領の島々へ向かう船舶を誘導するための灯台として「ヘラクレスの塔」を建設しました。しかし5世紀頃、ノルマン人の 侵略を受けたこの地の人々は内陸部へと逃れ、この港町を去りました。 13世紀に入ると、当時のスペイン国王アルフォンソ9世によって港周辺の復興が始まり、町は『クルニア』(Crunia)の名で呼ばれ、海上貿易の発達と共に 大きく成長しました。しかし「ヘラクレスの塔」は、使用されることなく放置され続け、16世紀には塔の石材の 多くが、今もこの町にあるサン・アントン城や城壁の建材として再利用されたと言われています。「ヘラクレスの塔」が再び脚光を浴びるのは、18世紀、スペインがアメリカ大陸やヨーロッパ諸国と海洋貿易を活発に行って いた時代です。当時のスペイン国王カルロス3世の許可を得て、1788年から1791年にスペイン・エクスト レマドゥーラ州出身の建築家エウスタキオ・ジャンニーニ(Eustaquio Guiannini)の手で塔の復旧工事が行われ、現在の姿に生まれ変わりました。

【建物】
ローマ時代に建てられた当初は四角い塔で、最上階の三階には松明が灯されるドームが設けられていました。外部から各階へ階段かスロープが設置され、直接入ることができていたと考えられています。この仕組みを利用して、外から持ち込んだ薪を屋上階へ運び入れていたと言われています。 ローマ時代の面影は外観にはほとんど見られませんが、内部はその遺跡が展示される博物館となっています。現在の塔は、ローマ時代の塔に花崗岩の石板を張り、補強され大きくなった18世紀のネオクラシック様式の 建物。新たに扉や窓を配置し、内部には展望台へ登る234段の石畳の階段が設けられています。また、最上階のドーム部分も取り壊して設置された八角形の小塔部分には、灯台のライトが設置されています。 塔の高さは59mで、海抜約60mの岬にそびえています。展望台からは、ア・コルーニャ市街をはじめ、遠くにはサダ島、ベタンソス島、アレス島やフェロールの町などの眺望を楽しめます。毎晩点灯される灯台のライトは、 毎20秒に4光の白光を放ち、36kmの距離遠方からも確認することができます。また日中でも、霧などで視界が悪いときは、10km強の距離まで聞こえる注意音を出し、ア・コルーニャ沿岸部の安全航行に重要な役割を 果たしています。

【伝説・言い伝え】
「ヘラクレスの塔」に関しては、長い歴史のなかで、多くの伝説や言い伝えが語り継がれてきました。 ア・コルーニャの原点 スペイン国王アルフォンソ10世の年代記の記録によると、この地域の住民はゲリオンという名の巨人に支配され怯えていた。ゼウスの息子のヘラクレスは、住民を助けるためこの巨人と戦い、3日間の長期決戦の末に勝利したヘラクレスは、巨人の首を埋葬した場所に、勝利を記念する塔の建設を命じた。 ブレオガン王 12世紀にケルト人修道士が書き記した「侵略記」には、ブレオガン王によりブリガンティアという町が 築かれ、大きな塔が建てられたとある。その塔こそ、ヘラクレスの塔。ブレオガン王の息子の一人は、 空気が澄んだ冬の一夜、その塔からうっすらと見えた島の侵略に挑んだ。彼の敗北の敵討ちにと、彼の弟が大群で攻め入り、当時ダーナ神族が暮らしていたその島を治めることに成功する。 鏡の歴史 ヘラクレスの甥のヒスパン王は、賢い人物として有名。彼は、ヘラクレスの塔の上に鏡を設置することで、一般市民にも岸に近づく船舶が敵か見方かを見分けられるようにしたと言われている。

 
スーサンのよもやま話No.75

2009/07/26
南米便りNO.16  by OK

7月23日夜9時、べランダの月下美人が10個同時に開き始めました。

そこで一句。 【日本語とスペイン語で]

暗闇に
妖しく開く
月下美人

En la oscuridad
Se abre seducida
Dama de Noche

スペイン語で月下美人は ダマ・デ・ノーチェ 夜の貴婦人です。

 
スーサンのよもやま話No.74

2009/07/21
南米便り No.15 by OK テーマ>オランダ領アンティル諸島

7月17日〜19日、2泊3日で、カリブ海 オランダ領アンティル諸島のキュラソー島に行ってきました。
ベネズエラの北わずか60km、カラカス空港から飛行機で35分です。
でも近いとはいえ、オランダ領。町並みも人もずいぶん違っていました。
気候も、空港から乗ったタクシーの車窓から見えたのは乾いた土とサボテンがにょきにょきと伸びる風景で、緑の巨木が溢れるカラカスとは別世界です。
スペイン語も英語も通じますが、現地の人たちは、先住民アラワク族の言葉とスペイン語、ポルトガル語、オランダ語、フランス語、英語が絶妙に混ざり合った「パピアメント語」という言葉を話していて面白かった。
白い雲が流れる澄み切った青空、さんご礁に囲まれた真っ青な海、風にゆれる椰子の木、大きな海鳥が風に乗って空中遊泳。 ゆったりと時が流れていました。
首都のウィレムスタッドは、ユネスコの世界遺産にも指定されている美しい町並みで、パステルカラーに塗られたマッチ箱のようなお家が並び童話の世界のようです。町の中心に、プンダ地区とオトロバンダ地区を結ぶクイーン・エマ橋がかかっています。この橋は何艘ものボートの上に乗っかっていて、船が通る毎に、ボートに乗った橋が移動して川が開くのです。その間はみんな橋の両側や橋の上でのんびり待ちます。こんなおとぎ話のような島がカリブ海にあったのですね。

参考情報
キュラソー島(クラサオ島、Curacao)は、オランダ領アンティルの中心的な島。ベネズエラの北約60kmに位置していて、面積は448km2;。人口173.400人(2006年)で、首都はウィレムスタッド。
1499年スペイン人アロンソ・デ・オヘーダ(Alonso de Ojeda)とイタリア人アメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespucci)によって発見された。発見当時、アラワク族がいたがスペイン人の入植により絶滅した。1636年オランダ艦隊がキュラソー島に上陸した。

写真1: 首都 ウィレムスタッド Wilhemstad
写真2: ホテル前のビーチ

 
スーサンのよもやま話No.73

2009/07/12
南米便り:テーマ> ベネズエラにピースボートがやってきた!

4月23日に横浜港を出港し世界一周の航海をしている日本のNGOピースボートが、7月7日ベネズエラのラ・グアイラ港に入港しました。

乗客の皆さんはそれぞれの興味に応じていろんなツアーに参加しましたが、私は、「エル・システマの魅力に迫る」ツアー、「ベネズエラの学校訪問」ツアーに同行しました。

エル・システマというのは、ベネズエラ青少年オーケストラシステムのことで、誰でも無料で楽器の演奏や合唱が学べるシステムです。現在の28万人の子供達・若者がベネズエラ各地にある音楽センター(ヌクレオ)で学んでおり、5年後に100万人をめざしているそうです。そこから選りすぐりの演奏家で編成されているのが、ベネズエラ・シモン・ボリバル青少年オーケストラです。私達はカラカスのシステマ本部を見学しにいったのですが、ちょうど、コンサートのリハーサルをやっているということで絶対音をたてないという条件で特別に演奏を聴かせてもらうことができました。そしてホールに入った時、目の前で指揮をしていたのは、なんと!100年に一人の指揮者とも言われるグスタボ・ドゥダメルでした。彼もこのシステムから生まれました。今28歳だそうです。このシステマの成功で音楽大国となったベネズエラ。楽器がいくらあっても足りません。今回ピースボートは、日本で楽器の寄贈を募り、たくさんの楽器をベネズエラの子供達に寄付しました。子供達の嬉しそうな顔を写真で見てください。

翌日の学校訪問では、保育園、幼稚園、小・中学校、高校、大学、成人学校、聾唖学校で5450人が学ぶグラン・コロンビア学園都市を視察しました。この学校規模はラテンアメリカでは一番、世界では2番だそうです。視察の後は、子供達と習字、折り紙、バスケ、あやとりなどで楽しい交流ができました。

あるお客さんがベネズエラ人の高校生4人に「日本について何を知っていますか?」と聞きました。「・・・」。
「何でもいいですよ。」それに対して驚くべきことに4人とも「何も知らない」と応えたのです。ベネズエラに住んで、こちらのほとんどの人にとっては、中国人・韓国人・日本人はみなチーノス(中国人)だということは気がついていましたが、日本についての知識がここまでゼロに近いとは思っていませんでした。ピースボートの皆さんもちょっとショックをうけたようでしたが、今回の交流、少しはお互いのことを知る助けになったのではないでしょうか?

船は9日の夜11時、ラ・グアイラ港を出港し、今パナマに向けて航行中です。 ボン・ボヤージュ!

※写真3点掲載

 
スーサンのよもやま話 No.72

2009/07/1
南米便り  @

こんにちは。
何年もいるのに、先日初めてカラカスの地下鉄に乗りました!

テレサ・カレーニョ劇場に、来週日曜日のベネズエラユースオーケストラとヨーヨーマの競演コンサートのチケットを買いに、朝7時半に家を出て、1号線チャカオ駅からべジャス・アルテス駅まで往復0,9ボリバル(1ボリバル=公定レート44円、実勢並行レートだとその半分くらい)。
1983年に開通し、その当時最先端だったというだけあって、結構きれいで快適でした。

今回のコンサートは、グスタボ・ドゥダメル指揮、ヨーヨーマのチェロという豪華競演にもかかわらず、20ボリバル〜60ボリバル(公定レートで900円〜2500円!実勢だとその半分)という格安です。私は新聞の広告に出ていた値段が一桁間違えてるんじゃないかと思いながらでかけました。
着いたとき、すでに200人の列ができていましたが、2400席のうち、半分が予約済み(たぶん政府関係用)、残り半分が購入用で、一人最高4枚までしか買えないということでしたので、200番なら十分買える位置で、早起きした甲斐があったなあと安心していました。
ところが!ベネズエラ人の割り込みの術を計算に入れていませんでした。
発売開始から1時間たった、午前10時。
なかなか列が前に進まないのを不審に思った私の隣にいたおじさんが「今何番になったか数えてくる」と言って出かけて行きました。
先頭から人数を数えながらおじさんが戻ってきました。信じられないことに「330番」。
いつまでたっても列が前に進まないわけです。
330番だともう買える可能性もかなり薄くなってきました。
そしたらそのおじさんが「政府用に確保している席を放出するよう交渉してくる」と窓口に走って行きました。
そして、「500席確保したよ〜」「ブラボー」
その後も席がなくなりそうになると、何度か交渉し、結局、2400席のうち、1900席が売却にまわされました。
それから炎天下で行列すること8時間! 
もうちょっとで窓口にという午後4時、無情にも私の15人前で1900席が完売してしまいました。

ショック・・・。 日射病の症状が一気に現れ、帰りはタクシーで帰りました。
でも妙に関心したのは、ベネズエラ人たちは割り込みした人たちに文句を言うでもなく、完売ですと言われた時もおとなしく帰って行ったことです。
何事にもこだわらないのが彼らのよいところかも。

炎天下
行列したのに
ヨーヨーマ

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南米便り A
こんにちは。

つい先日、ドゥダメル指揮、ヨーヨーマのチェロとドゥダメル指揮の競演コンサートのチケットを求めて、8時間炎天下で行列した末に結局目前で売切れてしまったお話をしました。
そして、週末の日曜日が、コンサート当日でした。
で・・・ 聴いてきました! 生ヨーヨーマ(馬友友)!
コンサートの切符は、売り切れだったのですが、11時からのリハーサルを見せてもらったのです。
リハーサルといっても、ベネズエラ青少年オーケストラシステムで音楽を学ぶ子供達でテレサ・カレニョ劇場は超満員。
11時に指揮者のグスタボ・ドゥダメルが舞台に入ると、会場は大興奮。アイドルかロックスターかなんかのコンサートみたいでした。
ドゥダメルは、会場にいた子供達の憧れの的なのです。
1部では、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」と「序曲1812」そして、第2部がヨーヨーマのチェロによるドボルザークの「チェロ協奏曲ロ短調」でした。
ヨーヨーマは、チェロを愛しむように抱きかかえて、まるでダンスでもするように、右に左にスイングしながら演奏するのですね。
リハーサルなので、ドゥダメルが団員達に指示をしながらコンサートを仕上げていく様子がみられて、面白い体験でした。
本当に幸せな日曜でした。

写真:地下鉄駅
   劇場
   ヨーヨーマ

 
スーサンのよもやま話No.71

2009/06/19

持つべきものは女友達...






ずう〜っと友達!!!

何があっても、どんなになっても!!!!!!!



 
スーサンのよもやま話No.70

2009/06/16
南米便り -- テーマは ポルトガルナショナルデイ --

こんにちは。

先週、ポルトガル大使館で「ナショナルディ」のお祝いがあり出かけてきました。
6月10日「ポルトガルの日」はカモンイスという16世紀ポルトガル大航海時代の詩人の命日だそうです。

大使公邸の入り口で迎えてくれたのは、ポルトガル大使とロサ・モタさんでした。
1980年代、マラソンの国際大会で笑顔で走り優勝を重ね、88年のソウル五輪金メダリストあの、ロサ・モタさんです。

パーティの最中、私はず〜っと、あの変わらない笑顔、何かの小動物のようなスリムな体型に見とれていましたが、おひとりになられた時を見計らって、「えいっ」と思い切って声をかけてみました。

私がスペイン語で聞くと、彼女がポルトガルで応えてくれ、「北京オリンピックでは野口みずき選手が欠場して残念だったけど、日本の女子マラソンはたくさんいい選手がいて、今現在そのレベルは世界でトップ。」「日本にはよく行く」「1994年までレースに参加していた」というようなお話だと理解しました。

笑顔のすてきなロサ・モタさんと、幸せなひと時でした。 そして、日本女子マラソンの活躍、楽しみです!



写真:ルイス・デ・カモンイス(Luis de Camoes、1524年頃 - 1580年6月10日)は、ポルトガル史上最大の詩人とされる人物
※ ポルトガル語人名> Camoes の o の上に波線が付きます。

 
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