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スーサンのよもやま話No.130

2013/12/02
私の出会ったラテンアメリカ〜ベネズエラ

ベネズエラのカラカスは日本から見るとほぼ地球の反対側で、時差が日本時間マイナス13時間半。以前はマイナス13時間でしたが、2007年さらに30分遅いマイナス13時間半という端数のある時差になりました。反米急先鋒の故チャベス大統領がワシントンと同じタイムゾーンを嫌ったとの噂も当時まことしやかに流れましたが、真相はいかに?もうひとつ端数のある面白いものに、121/2(つまり100ボリバルの8分の1)なんていうコインもあります。

ベネズエラは混血の国です。混血が66%、白人22%、黒人10%、先住民2%という割合です。混血美人が多いです。美容への関心がとても高く、顔の整形だけでなく胸とお尻にシリコンを入れたセクシー美女がたくさん街を闊歩しています。

そしてガソリンが世界一安い。ハイオク・ガソリンが1リットル0.015ドルつまり約1.5円。満タンにしても100円以下です。でも世界第5位の原油輸出国でありながら、消費量の3分の1を輸入しています。ベネズエラの重質な原油を消費するためには精製しなければいけませんが、その国内生産が間に合わないからです。日本からみると石油資源自体はうらやましいですが、総輸出額に占める石油の割合が8〜9割もあり、石油に依存しすぎて他の産業が育たないベネズエラの経済も問題ありです。

石油のおかげで、ベネズエラは国としては貧しくありません。日本では考えられないようなお金持ちがたくさんいます。その一方で山肌を埋め尽くすマッチ箱のような家ranchoに住む貧困層も大勢います。2極化した社会や治安の悪さも大きな問題です。殺人や強盗や誘拐は日本の100倍とも言われます。約40年前そんな状況を音楽によって変えようと考えた人たちがいました。街角でたむろしていた子供たちを集めて楽器の演奏を教える事により彼らを犯罪から守り豊かな魂を育てようと、小さなガレージでスタートした活動が、今や全国で30万人が参加するベネズエラ青少年オーケストラシステムに成長し、大きな社会的・芸術的うねりになっています。そこで育った演奏家の中から選りすぐって構成されるのがシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ(SBYO)。その一員、チェロ奏者のアイモン・マタの話を聞いたことがあります。お母さんが4弦ギターのクアトロを、おじいさんがバイオリンを、おじさんが民謡を歌うという音楽好きの家族に囲まれて育ち、10歳の時、初めてヌクレオ(音楽練習場)を訪ねたアイモンは、双子の弟と共にSBYOのメンバーになり国内外で演奏しています。別れ際の彼の言葉が印象的でした。「ユース・オーケストラの団員は、みんな音楽を愛し楽しんでいる。笑顔がある。練習中に誰かが間違えても笑って済ませる。それで世界が終わるわけじゃないしね。」ベネズエラ人のおおらかさと明るさを感じた瞬間でした。

最後にもうひとつトリビア。「昔、アラブの偉いお坊さんが・・・」で始まる「コーヒールンバ」。これはMoliendo café (コーヒー豆を挽きながら)というベネズエラの歌です。


最後にChevere. チェーベレという言葉をご紹介します。「素敵」「ナイス」「ばっちり」「すごくいい」という意味です。いろんな場面で使えるので、覚えておくと便利です。


【基本情報】
正式名称: ベネズエラ・ボリバル共和国
面積:912,050平方キロメートル(日本の約2.4倍)
人口:約2,990万人(2012年)
首都:カラカス
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写真1.エル・システマ
写真2.今年のミス・ユニバース
 
●2013のミス・ユニバース は?
ロシア・モスクワ(Moscow)で 11月9日、2013年ミス・ユニバース(Miss Universe)の決勝が行われ、ベネズエラ代表でテレビ司会者のマリア・ガブリエラ・イスレル(Maria Gabriela Isler)さん(25)が優勝した。

 ミスコンテストの優勝者が多いことを誇るベネズエラ代表がミス・ユニバースで優勝したのは7人目。今年は総勢86人の各国・地域代表が出場。


 
スーサンのよもやま話No.129

2013/10/01
スーサンのよもやま話No. 129

●今回の主題は、  この秋にNHKのスペイン語テキスト本に掲載されました、「私の出会ったラテンアメリカ 〜コスタリカ〜」を、 著者本人の許可を得て、 加工してみました。  文及び 写真の一部。
ファイルは下記をクリック !
↓ ↓  ↓ ↓
http://tagos.888j.net/images/nhk_text_esp.jpg


さて、最近のトピックスを幾つか書いてみましょう。

●嘆きの壁 ならぬ、 嘆きの あまちゃん終了。  これから 何を楽しみに生きて行ったらいいのやら、なんて 聞こえてきそうですね。 ペットロス という言葉があるように、 あまちゃん ロス !  脚本、 音楽、 キャスティング、 三位一体の妙が感動ものでした。

それを上回る視聴率ひとり勝ち番組が、 半沢直樹。 私はあまちゃんで お腹一杯で、 半沢は見ませんでしたが、 原作者の 別番組は 見たことがありまして、 お奨めです。 それは、 空飛ぶタイヤ 、 そして 下町ロケットです。秀逸なドラマ と記憶してます。

●つい数日前公開された、 福山雅治主演の映画『そして父になる』(是枝監督)が、20日からスペイン・バスク地方にて開催されている第61回サン・セバスチャン国際映画祭で観客賞を受賞。日本映画は宮崎駿監督の『風立ちぬ』も入れて全部で16本だったんですが、 投票は初回上映を観賞した観客によって行われ、10ポイント満点中平均8.470ポイントと最高ポイントをマークして同作品が受賞となった次第。 福山ファンとしても嬉しい限り。

●オリンピックの話:
最近運動を兼ねて、 数回晴海の選手村候補地まで 行ってしまいました。 我が家の前もオリンピック3種目の競技会場なんですが、 近所まで含めると、 全競技の半分以上が、 私の自転車トレーニングコースに含まれるというわけ。
そういえば、 不動産業界の湾岸に対する鼻息荒いなー。 オリンピックが来る、 ウォーターフロントの地価が上がる、消費税が上がる、 早い者勝ちだよーと言わんばかりのセールストーク。 各モデルルームでは、 ボードに赤い薔薇をいっぱい 付けて盛り上がっている様子が目に浮かぶ。  

最近週刊誌を見ますと、 グラビア特集で、 2020年に活躍しそうなヤングプレーヤーが 取り上げられたりしています。 私の中で密かに期待しているのが、 バルセロナの下部組織で活躍してしている今12歳のFW久保建英君。 東京では18歳の年齢になります。 もし出られれば W杯に18歳で出た小野と同じ年齢ですが、 ”旬”の少し前とはいえ、 欧米ではデビューに丁度良い年齢。  彼のビデオ、 既に100回以上見ているような気がします。

●どうなることやら、 大型客船向け新埠頭&ターミナル
確かに、 レインボーをくぐれないからと 仕方なく 大井埠頭の誠にさえないところに停泊したボイジャーの例がある本件。
朝日の記事では こんな風にコメントされている。
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7年後の2020年東京オリンピックに向けて、東京湾岸エリアも進化の表舞台になろうとしている。「おもてなし」の合言葉とともに、猪瀬知事が、新たな埠頭(ふとう)を作るプランを明かした。
東京オリンピックを見据えた新たな「おもてなし」。
猪瀬都知事は25日の都議会で、注目のプランを打ち出した。
猪瀬都知事は「今度、大型クルーズ客船に対応可能な客船埠頭を臨海副都心地域に新たに整備し、万全のおもてなしを提供していきます」と語った。
整備費用100億円以上かける、大プロジェクト。
しかし、東京にはすでに、晴海客船ターミナルという立派な埠頭がある。
なぜ、新たな別の埠頭を作る必要があるのか。
大型客船などが停泊する晴海客船ターミナルは、国内外からの船が出入りするということもあり、建物は立派な造りになっている。
しかし、この場所が大きな問題となっている。
2012年8月、大型客船「クラブ・ハーモニー号」が晴海埠頭にやってきた際、船が東京湾のシンボル「レインボーブリッジ」に差しかかかると、橋げたの下ギリギリのところを通過していった。
晴海埠頭には、こうしてレインボーブリッジをくぐらなければ、たどり着けない。
2013年の4月には、大型客船「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ号」が東京へ向かった。
1,557の客室があり、3,000人以上の客を乗せることができる、まさしく「洋上の街」ともいうべき巨大船舶だが、その高さは、およそ63メートルもある。
レインボーブリッジの水面から橋げたまでの高さ、およそ52メートルをはるかにしのぐ高さだった。
そのため、レインボーブリッジをくぐることができず、手前にある水産物などを荷揚げする大井水産物埠頭に停泊することになってしまった。
2012年の1年間で、晴海客船ターミナルに客船が寄港した回数は28回で、決して多い数字ではない。
そこで、今回浮上したのが、レインボーブリッジの外側にある江東区青海エリアに新埠頭を整備する計画。
レインボーブリッジの手前にある埠頭は、300メートル級の大型船が停泊できるような岸壁に整備されるという。
さらに、埠頭の整備とともに、猪瀬知事が視野に入れているのがカジノだった。
猪瀬都知事は「あのエリアをカジノだけではなく、国際会議場や、あるいは劇場、そういう世界を作り上げていけばいいんじゃないかと思っていますよ」とと語った。
東京オリンピックに向け、急激に伸びる観光需要に応えるための複合施設。
その中には、カジノや劇場のほかに、免税ショップなどの併設も検討されている。
東京オリンピックに向けて変貌を続ける臨海地区。
あと7年後への歩みは、もう始まっている。

●テニスの貴賓室のお話
先週は東レパシフィック、今週は楽天オープン で、テニスの聖地有明詣で ということで、金属疲労気味の体に鞭打って日参しております。 元世界チャンプのプレーヤーが目の前にいたのですが、生来恥ずかしがりやのスーサン、 サインくださいと言えず、 ただただ 他の人がサインをもらっているのを指をくわえて見ておりました。
さて、東レのある日、縁ありまして、 普段はクローズの有明コロッセウムの貴賓室に入れさせていただきました。
係りの人曰く、 今は余り使われていないそうですが、 秋篠宮さまが 時に利用したとの話を聞き、 深々とソファに身を沈めたスーサンでした。
錦織の練習を見たかったのですが、 人がいっぱいでおそらく見ることはできないのではと推測しているところ。

 
スーサンのよもやま話No.128

2013/08/01

●まずは、私の知り合いのスペイン在住の画家、堀越氏が 独自の文化(ラテン系ではない)、伝統、言語を持ち、昨今はグルメの宝庫で脚光を浴びている、バスクについて 語っています。 本人の挿絵とともに ご覧ください。 pdfファイルですので、クリックしても開かない場合は、”ファイルを開く”から。 ファイルは こちらです。絵・写真がありますので結構重いです・・・ 
⇒ ⇒ horikoshi_tokushu_basco.pdf


●ちょっと音楽でひとやすみ

ここ数年の中で、偶然 発見した 珠玉のミュージシャンたち

@Rodrigo y Gabriela ロドリーゴ イ ガブリエラ   メキシコ出身の男女ユニットで フジロックに来たことが確かある。
http://www.youtube.com/watch?v=LpI2JSn2o0A


Aスーパーフライ  もう有名人だけど
http://www.youtube.com/watch?v=gU5oN0KVofU


B上原ひろみ  音楽の街、浜松出身 のグラミー賞受賞ジャズ・ピアニスト
http://www.youtube.com/watch?v=pf9XSfb8CWM


Cつい最近偶然発見、シンガーソングライターの エミー・マイヤー すごい才能! 世界で勝負できそう。
http://www.youtube.com/watch?v=p6vUhAmxAbM

●100年前の写真があるんですね。色は後から着色。
一点だけUp.

 
スーサンのよもやま話No.127

2013/06/08

スーサンのよもやま話No.127      

晴海で開催された お祭りを見た後の帰り道、 以前東銀座界隈に行く度、よく遊びに立ち寄っていた ノラクロさん と
ばったり会う。 10年近く時が過ぎてしまったような気がする。
どこかでお茶しませんかと言われ、 晴海のトリトン近くでお店に入って 近況をうかがう。 未だに 東銀座界隈に事務所はキープしているものの 5年ほど前から 開店休業状態らしい。
で、今していることは、 毎日 1万6千歩 歩く、 そして 毎日写真1点を 自分のブログにUpする ことが日課とのこと。 道理で 大きなカメラと ノートPCをもっているわけだ。
その写真の一部を公開しちゃいます。 こんな写真です。 コメントと一緒にどうぞ。

この花の色は、いつも舌を噛みそうになるがラピスラズリといい
その顔料は昔はとんでもなく高価だったようだ。
高嶺の花だったがゆえに人はこの顔料にあこがれ、恋をした。
この花の色は、いつも舌を噛みそうになるがラピスラズリといいその顔料は昔はとんでもなく高価だったようだ。高嶺の花だったがゆえに人はこの顔料にあこがれ、恋をした。




梅雨に入ったというのに晴れた日が続き、
まるでジョークをいわれていたのではないかという気がする。
雨に降られないのはいいけれど、後でドカッとくるのはいやだなぁ
梅雨に入ったというのに晴れた日が続き、まるでジョークをいわれていたのではないかという気がする。雨に降られないのはいいけれど、後でドカッとくるのはいやだなぁ。




小さな花が密集して大きな花になっている。
イワシが塊になって泳ぐ姿を思い浮かべてしまった。
双方とも生存上のメリットがきっとあるに違いない。
小さな花が密集して大きな花になっている。イワシが塊になって泳ぐ姿を思い浮かべてしまった。双方とも生存上のメリットがきっとあるに違いない。




鴨が散歩をしてる。
きっと頭の中の半分は餌探しのことで占められているだろうと思う
オイラがそうだから、きっと同じだと思う。
お互いに、食べ過ぎないように血糖値管理に気をつけようね。
鴨が散歩をいる。きっと頭の中の半分は餌探しのことで占められているだろうと思う。オイラがそうだから、きっと同じだと思う。お互いに、食べ過ぎないように血糖値管理に気をつけようね。




色のグラデーションがなめらかで、
まるで人が描いたようにきれいだ。
自然はどのようにしてこのような技術を身につけたのだろう。
色のグラデーションがなめらかで、まるで人が描いたようにきれいだ。自然はどのようにしてこのような技術を身につけたのだろう。



赤ちゃん葉っぱでもないのに産毛がいっぱい。
虫からの防衛のために生やしているのかなぁ。
脱毛をし忘れたのかなぁ。
赤ちゃん葉っぱでもないのに産毛がいっぱい。虫からの防衛のために生やしているのかなぁ。脱毛をし忘れたのかなぁ。

 
スーサンのよもやま話No.126

2013/05/11

スーサンのよもやま話 No.126  

コスタリカ便り   by O.K.. 3編まとめて

コスタリカには大統領公邸はない
entrada Residencial Villa Real

この前、サンホセ郊外にある友人の家に遊びに行ったら、入口の警備が厳しくて車の列ができていました。
手持無沙汰だったので、待っている間に写真をパチリ。
自分の番が来てよく見ると、注意書きが・・・
「身分証明書を見せてください」
「敷地内では20キロ以上で走行してはいけません」
「クラクションをならしてはいけません」
「写真をとってはいけません!!!」
敷地内に入ってからもバイクに乗った警備員があちこちで誘導をしています。
あとで友人に聞いたら、この団地(?)には敷地内にラウラ・チンチーリャ大統領の自宅があるのだそうです。
で、このものものしい警備も納得です。
コスタリカの大統領には公邸がありません。
みんな大統領になっても、自分の個人のお家に住んでいます。
5月にオバマ大統領がコスタリカにやってくるけど、そんな国賓訪問の歓迎夕食会とか時はどうするの?と聞いたら、ホテルとか国立劇場のサロンとかを使うそうです。
日本では皇族はもちろんだけど、首相官邸や、衆議院議長公邸や、議員宿舎とかもあるんですよね。
お国柄と、国民の感覚の違いですね。




日本文化週間@サンホセ

エレディアのナショナル大学で日本文化週間イベント。
焼き鳥や焼き飯やたこ焼きの屋台、メードカフェには長蛇の列ができ、空手の実演や、習字、盆栽展、浴衣の着付け、そしてなんといってもコスプレ。
たっくさんのコスタリカの若者が、ロボットやアニメキャラクターにふんしていて面白かった。
やっぱり、日本のポップカルチャーの人気は根強い。
参加型なのがいいね。

そしてびっくりするような人気だったのが、癒し系ロボットの「パロちゃん」
ご主人様の声を認識し、目をぱちくりさせたり、しっぽをふったり、いろんな芸ができるらしい。
でもとっても高いらしい。


DSC01974.jpg  DSC01973.jpg コスプレ、なりきってる
DSC01963.jpg 極真空手実演
DSC01969.jpg 名前を習字であげてた!
DSC01970.jpg 癒し系ロボット パロちゃん




モヒート Mojito
mojito

キューバ生まれのカクテルMojito モヒート
Mojitoとは、魔法、魔力などの意味をもつブードゥー教の"MOJO"と言う言葉に由来し、「小さな魔力」っていう意味になるのかな。

そのモヒートを作り方を友だちが教えてくれた。
作ってみたら簡単でとってもおいしくできたので、ここでご紹介。

ホワイト・ラム (ハバナ・クラブとかバカルディとか) 1カップ
ライムジュース 1カップ 
シュガーシロップ1カップ (1カップのお砂糖と1カップの水を煮詰めて作る)
ミント(またはペパーミント)一掴み
炭酸水 (私はSeven Upが合うと思う)

@最初の4つの材料をミキサーで混ぜて、茶こしでこす。
Aグラスに指2本分くらいのミックス液を注ぎ、氷を加える。
BSeven Up (または炭酸水)をグラスの上まで注ぐ。
Cミント(またはペパーミント)の葉っぱを飾る。

のど越しの良さにつられて飲みすぎに注意。

 
スーサンのよもやま話No.125

2013/04/01
極端に高価な日本の電話       by 無名仙人

 日本に住んでいて海外と関わりの無い人は国際電話などは必要ないかもしれませんが、私のように外国に住んでいて、しかも日本以外の他の国に友人を持つと必然的に国際電話は日常的な通信手段です。

 息子たちも旅行と言えばほとんどが外国に行きます。 2010年2月に起こったチリ地震の時、偶然息子が嫁さんのお姉さんの出産祝いにチリに行っており、心配になり携帯に電話してみたが通じない、そこでSMSでメールしてみたら折り返し皆無事でホテルの壁に亀裂が出来たが倒壊するほどの危険は無い、と返事が来て安心したものです。

 日本の携帯は外国で使用する場合はあらかじめ電話会社にその旨の登録をしないと使用できないと言うような事を聞いた事がありますが不便な事だと思います。 海外のほとんどの国はNOKIAシステムを使用しているので携帯はそのまま使えます。

 数年前に各国に散らばった友人がロンドンでの再開をした事がありますが、ヒースロー空港からホテルに向かう途中携帯に電話があり、知り合いの日本食レストランで皆が集まって食事をしている、と言うパリの友人からの連絡があり直接そちらに行く事が出来て便利さを実感しました。

 お互いがロンドン市内にいる場合、南アフリカの友人の携帯に短い電話して料金を調べたら40円程度でした。 日本に電話をする機会が多いのでその場合はテレフォンカードを使用しています。 500円程度のカードで日本に電話しますとおよそ5時間通話が出来ます。

 そんな感覚からある時日本に滞在していてお土産に持ち帰るものをKDDの残金が1万5千円位のプリペイ携帯でヨーロッパの自宅と話していたら、わずか20分程度で残金がありませんと切れてしまった。 これには本当に驚きました。 日本からの海外への通話料金は旧態依然で全く安くなったいない事を身をもって知りました。

 日本の電話会社は物言わぬ利用者をいい事に暴利を貪っている。

 
スーサンのよもやま話No.124

2013/03/04
<集めてみました サラリーマン川柳 の数々>

「父からの 友達申請 ひく娘」

「家族割 あるのに妻と 通話なし」

携帯と 亭主の操作は 指一本

『辞めてやる!』 会社にいいね!と 返される

「家のこと 嫁のブログを 見てわかり」

「家事停止 望むは妻の 再稼動」

「スッピンで プールに入り 子が迷子」

「妻よりも しゃべってなでてる タブレット」

「携帯と 亭主の操作は 指一本」

「「美魔女かな?」 化粧濃すぎて ただの魔女」

「ゆるキャラと 思えば愛しい 肥えた妻」

「俺の愚痴 “いいね”ボタンを 妻が押し」

「我が家では 子どもの寝顔が 金メダル」

「読みきれぬ 妻の心と 円と株」

「党名を 覚える前に 投票日」

「電話口 『何様ですか?』と 聞く新人」

「やな上司 退職したのに 再雇用?」

「すぐキレる 妻よ見習え LED」

「iPS 再生したいな 国・経済

「政治家も ビールに負けじと 第三に」





過去の歴代1位作品


第25回
「宝くじ 当たれば辞める」が 合言葉
第24回
久しぶり〜 名が出ないまま じゃあまたね〜
第23回
仕分け人 妻に比べりゃ まだ甘い
第22回
しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ
第21回
「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!
第20回
脳年齢 年金すでに もらえます
第19回
昼食は 妻がセレブで 俺セルフ
第18回
オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る
第17回
「課長いる?」 返ったこたえは 「いりません!」
第16回
タバコより 体に悪い 妻のグチ
第15回
デジカメの エサはなんだと 孫に聞く
第14回
ドットコム どこが混むのと 聞く上司
第13回
プロポーズ あの日にかえって ことわりたい
第12回
コストダウン さけぶあんたが コスト高 四万十川 
第11回
わが家では 子供ポケモン パパノケモン
第10回
「早くやれ」 そう言うことは 早く言え
第9回
『ゴハンよ』と 呼ばれて行けば タマだった
第8回
やせてやる!! コレ食べてから やせてやる!!
第7回
連れ込むな! わたしは急に 泊まれない
第6回
いい家内 10年経ったら おっ家内
第5回
まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる
第4回
ボディコンを 無理して着たら ボンレスハム



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

下は、 おまけ!

これは すごい パーフォーマンスだ! 
WRECKING CREW ORCHESTRA  ELワイヤーを使った ストリート・ダンス・ユニット
http://www.youtube.com/watch?v=-Rot9uaVO8s

 
スーサンのよもやま話NO.123

2013/02/02

コスタリカ便り   2編       文:OK

@ Dota Coffee

サンタ・アナ・デ・ドタ。
おいしいコーヒーの産地で、お店では売っていないコーヒーが買えると聞いたので、泊りがけでコーヒー探しのドライブ。
小さなひっそりとした村で、目的のコーヒー工場もすぐに見つかった。
工場見学もさせてもらえて、農園にも連れて行ってくれて、超ラッキーだった。
たくさんのコーヒーパックと、コーヒー豆入りチョコレート。
いいお土産ができた。
DSC01484.jpg DSC01483.jpg DSC01507.jpg


DSC01494.jpg DSC01493.jpg



A受難の花
_flor de la pasion
友人がきれいな花飾りを持ってきてくれた。
「トケイソウ?」と聞いたら、こちらでは、おしべとめしべの部分がキリストの磔のように見えるからFlor de la Pasion(受難の花)と呼んでいるそうです。
そしてこの花から実るのがパッション・フルーツ。
パッション・フルーツって「情熱の果実」じゃなかったんだ。「受難の果実」。う〜む。

 
スーサンのよもやま話No.122

2012/12/31
スーサンの映画の窓 11月〜12月該当 ランキング3つ☆以上

ミッション:8ミニッツ   '11
ロンドン・ブルバード -Last Bodyguard- '10 英   ※犯罪サスペンス
あなたが寝てる間に… (2回目) '95 w/ Sandra Bullock
◎昼下がり、ローマの恋      '11 伊   w/ Robert de Nilo
永遠の僕たち      '11
バンバン・クラブ -真実の戦場-    ''10 カナダ/南ア
ザ・レッジ -12時の死刑台-     '11 ※サスペンススリラー
麒麟の翼 〜劇場版・新参者〜       '11 日   ※東野圭吾ミステリー
ブッチ・キャシディ −最後のガンマン-   '11 スペイン  Mateo Gil監督
チョイス!              '08
明日に向かって撃て!        '69 (複数回目)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

映画の話でなく、写真の話です。 友人が フォトコンテストで 12月賞をいただきました。

2012年12月      首都高開通50周年 
 (首都高のある風景50選)フォトコンテスト (優秀作品 金賞)「湾岸の光り」

ついでに ひとつ前の賞が、
東京湾開港70周年記念     フォトコンテスト(優秀作品賞)「東京ゲートブリッジ日の出」


上に、2点の写真をUpします。

 
スーサンのよもやま話No.121

2012/12/01
今回のテーマは、 彫刻家の緒方さん!

イタリアに身をおいて早40年越え、 その作品は、 イタリアのみならず、 ドイツ、スペイン、フランス、 エジプト、アブダビ、 中国、 台湾、  日本の宮崎県、 ロシア、韓国、 アメリカ、イスラエル、 アルバニア、 今年はオーストラリアと 世界の隅々まで届きそうだ。
日本でのこの12月の個展では、東京都心での開催なので おそらく小物中心でモニュメントはないのが残念。  昔日本からイタリアの彼の家及び工房を訪問したことがあり、彫刻に携わる苦労は言葉では言い尽くしがたいと感じている。
でも 石の上にも40年、 結果として 様々な受賞もしているのでちょっぴり報われたのではなかろうか。
 
1974 カラーラ国際絵画グラフィックコンクール 一等賞 (カラーラ イタリア))
Concorso Internazionale di Pittura e Grafica
1°Premio per la grafica (Carrara Italia)
   
第2回国際絵画グラフィックミーティング展 グラフィック部門 一等賞 (アベンツァ イタリア)
UMeeting Internazionale di Pittura e Grafica
1°Premio Grafica (Avenza Italia)
1975 現代美術ビエンナーレ"B. GOZZOLI"賞
ジョバンニ・ボッカッチォ600周年記念 特別賞 (チェルタルド イタリア) 
Il Biennale d'Arte Contemporanea
Premio "B GOZZOLI"
Premio Speciale
VI Centenario della Morte di GIOVANNI BOCCACCIO (Certaldo Italia)



第5回 ブルネレスキ国際彫刻コンクール 視覚芸術展 一等賞 
神話(反流) 制作 (フィレンツェ イタリア)
V°Premio Internazionale < BRUNELLESCHI >
Rassegna arti visive 1975
1° Premio per la scultura (Firenze Italia)

1977 マリーノ国際彫刻コンクール 特別賞 (マリーノ イタリア)
Concorso Internazionale di Scultura "Citta' di Marino"
Premio Speciale (Marino Italia)
1978 第18回カラーラ美術工芸展 彫刻部門 金賞 (マッサ カラーラ イタリア)
Commissione Provinciale per L'Artigianato di Massa e Carrara
XVIII Mostra Artigiana del Marmo
Medaglia d'oro per la Scultura (Massa Carrara Italia)



1979 第1回カラーラ国際彫刻シンポジウム 一等賞(カラーラ イタリア)
神話(対話)制作
T Symposium internazionale di scultura
1° Premio (Carrara Italia)

第19回カラーラ美術工芸展 彫刻部門 一等賞 (マッサ・カラーラ イタリア)
Commissione Provinciale per L'Artigianato di Massa e Carrara
XIX Mostra Artigiana del Marmo
1°Premio (Massa Carrara Italia)
1981 第5回 ラベンナ国際小ブロンズ彫刻ビエンナーレ 金賞 (ラベンナ イタリア)
X Biennale Internazionale del Bronzetto 
Medaglia d'oro (Ravenna Italia)
1983 第5回 国際彫刻シンポジウム Cassa di Risparmio銀行 買い上げ賞(カラーラ イタリア)
X Symposium internationale di scultura
Premio della Cassa di Risparmio (Carrara Italia)
1987 第3回 国際彫刻シンポジウム 一等賞 (ディーニュ・レ・バン フランス)
III Symposium internazionale di scultura
1°Premio (Digne-Les-Bains Francia)
1988 第5回ファナーノ国際彫刻シンポジウム 一等賞 (ファナーノ イタリア)
X Symposium internazionale di scultura
1°Premio (Fanano Italia)
1990 第2回ファッツィーニ賞受賞 (グロッタンマーレ イタリア)
Premio Nazionale Pericle Fazzini
1°Premio (Grottammare Italia)
1991 コスモス・コモン彫刻大賞受賞 (飯塚 福岡)
Cosmos Common gran premio (Fukuoka Giappone)
1992 建築景観文化賞受賞 (鹿児島 日本)
Prmio Architettura e Paessagio della citta' di Kagoshima per la Scultura-Fontana"Sirena"
(Kagoshima Giappone)

芸術と素材展 一等賞 (コテ・サンタ・アンドレイ フランス)
L' art en la matie're
1°Premio (La ・Co'te・St.・Andre' Francia)

1995 エトゥルーリアルテ国際彫刻展 一等賞 (ヴェントゥリーナ イタリア)
1Etruriarte 6
1°Premio per la scultura (Venturina Italia)

都城市文化賞受賞 (都城 宮崎)
Premio di cultura (Miyazaki Giappone)

花蓮第一回国際彫刻シンポジウム 一等賞 (花蓮 台湾)
T Symposium Internazionale
Gran Premio (Hualien Taiwan)
1997 グラニート国際シンポジウム 一等賞 (ブッドゥゾ イタリア)
Symposium Internazionale su Granito
1°Premio (Budduso' Italia)

第6回 マーロット・タルシーハ国際彫刻シンポジウム 一等賞(イスラエル)
VI Symposium Internazionale per la Scultura (Maalot-Tarshiha Israel)
1998 花蓮ランドマーク・コンクール大賞受賞 (花蓮 台湾)
Concorso di Progetto di Land Mark con Architetto
Grande Premio (Hualien Taiwan)


2000 第27回 国際現代美術展スルモーナ賞 一等賞 (スルモーナ イタリア)
XXVII Premio Sulmona
Rassegna Internazionale D'Arte Contemporanea
1°Premio per la scultura (Sulmona Italia)
2001 第28回スルモーナ賞 買い上げ賞 (スルモーナ イタリア)
XXVIII Premio Sulmona Premio Acquisto (Sulmona Italia)
2007 北京オリンピック彫刻選抜展 優秀賞 (北京 中国)
China Beijing Olimpic Park City sculpture Design Competition
Outstanding Award (Pechino Cina)
2008 第15回アカデミア・デル・トーレ賞 文化部門受賞 (カラーラ イタリア)
XV Premio Nazionale Culturale Torre di Castruccio dell' Accademia della Torre-Carrara
(Carrara Italia)
2010 リーメン・アルテ・ビボ・バレンティア賞 一等賞(カラブリア イタリア)
Premio Limen Arte Vibo Valentia 
1°Premio (Calabria Italia)


この道一筋で努力を続けてきた証であり、足跡なんですね。

最後に、イタリアのフィリッポ・ロッラさんが、 彼のことをこう評しています。
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緒方 の大理石彫刻は、彼の奥深い過去の記憶に刻まれた感動を盛り込み、彼自身の運命への探求を映し出している。

未知のことを露にするかのように過去のことが彫られ、新しい明かり、新しい時期のもとに引き戻されたかのように新たに生き始めた記憶。

彼は、自身に大きな影響を与えた幼年時代の記憶を熱く語る。彼は、祖国・日本が水と泥の滴から生まれたという国造り神話に魅了された。

天上の神々が大きな鉾で液体状態の世界を掻き混ぜ、鉾を引き上げると滴が大洋に落下し日本の国をなす島々を形作った。彼は、わずか7歳の時に初めて祖父から聞いた神話を笑いながら、とても愉快に語った。さらに微笑しながら、日本の古い歴史に関わる本を多く読んだり、それについての多くの絵を見たりしたともいう。

彼は、もう一つの彼の人生の重要なエピソードについて語っている。

ある日、学校で美術の教師からロダンの彫刻が載った本を見せられ、それらの写真にとても感銘を受けて、「私も彫刻家になりたいと」と呟いた。17歳でまだ将来について、はっきりとした考えを持っていない時だったが、官能的で強い形態を持つロダンの彫刻は彼に奥深い影響を与えた。それはほとんど彼の芸術的将来の予兆でだった。

成長するにつれて、アメリカ、ヨーロッパにおける遊学に興味を持ち始めた。その旅行の費用を稼ぐため、彼は太平洋そしてインド洋で操業する漁船の船員として働いた。またしても水が、彼の人生の日常の身近なものとして、強烈に印象付けるものとなった。

無意識のうちに、彼は水の色彩、水の匂い・香り、水の動きの中で生活していた。

1970年、充分な費用を貯めた後、彼は彼自身の「大切なもの」を探すためロンドンに向かって旅立った。大英博物館に保存されているヨーロッパの文化やエジプト文明について学んだ後、彼はヨーロッパ中の著名な芸術、文化の首都見学に旅立った。

彼の芸術行脚はヨーロッパだけでなく、大西洋を渡りアメリカ合衆国、マヤ文明に魅せられて中央アメリカ、メキシコと、旅の中でも続いた。

探求と瞑想の時期の後、彼はヨーロッパ、イタリアに戻った。ミラノ、フィレンツェ、ローマに滞在しながら、英国・ロンドンに再び戻った。

もう一つの勉学と仕事の実りの多い時期の後、彼は自由な精神に基づいて、ロンドンで稼いだお金で買った自転車で魅惑的なローマの町まで20日間の旅に出た。

「本当に忘れがたい旅だった。とても素晴らしかった。この20日間、宇宙と一体になった感じがした」と彼は言う。ヨーロッパ、またはアメリカを海岸から海岸へ、列車を乗り継ぎながら、またヒッチハイクをしながら、また自転車をこぎながら走破した。それはまるで、サル・パラディーソのように。

ヒッピーが流行した時期だったが、彼はヒッピーというよりも、旅途上で生きること、生存することを学ぶことに関しては、ビート世代の人々に似ているように思う。

ミラノ、フィレンツェ、ローマでの体験、そして最後(1975年)に卒業したカラーラの美術学校での経験は、彼の潜在能力を最大限に発見した、あるいは引き出した貴重な時期であった。

幼年時代から水と神話、旅に魅せられた放浪する芸術家・緒方良信。
彼のこれらすべての感動の瞬間は、芸術家または旅行家であることから生まれたように思う。
それは、彼の生まれ故郷・宮崎県都城の実家の料亭で、芸者たちが優しく優雅に振る舞う芸術的・官能的なもの、それが彼の自由精神をここまで作り上げた起因となっているのかもしれない。
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大作のモニュメント3点の 写真を掲載します。
写真1. 太陽の門 in ドイツ
写真2. 天からの賜物 in バルセロナ、スペイン
写真3. サンタ・マリア・ディ・コスタンティノポリ教会 (ポンペイ近郊) in イタリア

 
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