アントン・ヘーシンク・安岡力也・キディランドかぁ・・・・・。
ドドッカ〜〜ン!!名も無き、身長198センチのオランダの大男が!!無差別級決勝戦でニッポンのお家芸の柔道で金メダルをダッシュ!ニッポン国民に大衝撃が走った1964年の東京オリンピック。
ヘーシンクさん、8月27日76歳で・・・・・・。
身長187センチ、スレンダーなグループサウンズ「シャープホークス」時代から黒飴ナメナメの強面巨漢、よ〜く門前仲町でお見かけした63歳の安岡力也さん。徹夜の大手術でご長男との生体肝移植。。。
8月31日、老築化に伴い、改装の為、店舗を閉店した1955年創業“キディランド”。。。。。
いやいや、数日おいて、テレビでふと見たニュースにTAGOSは反応し、頭の中にパァーっと1960年後半〜1970年代のあの原宿周辺が鮮明にピカァーンと浮かびあがりましたん。
表参道、明治通り、竹下通り、裏原宿……。東京・JR原宿駅周辺から国道246号線までのエリアは10年単位では、とにかく大きく大きく変貌して行きましたねぇ。
1976年のこと、明治通りにLIVEバー“クロコダイル”というお店が出来ました。
夜になるとちょくちょく遊びに行っていたことを思い出します。居心地が良くて通っていたけれど、お店はアメリカンと言おうか、“クロコダイル”の初代店長があの安岡力也さん!。
まだまだスレンダーななロッカーの井出達でしたぁ〜。
んまぁ〜当時、お店に集まる方を、見るだけでもおもしろかったけど、ダーツのところで、長身外人モデルさん達とワイワイワイ!立ち上がると、まるで視界0でございました。
六本木には「最後の20セント」というユニークな靴脱ぎスタイルの絨毯バーがあって、“何!コレ!”なんとも六本木ナイトを過ごすに不思議な感覚をうけたスポットでございましが、そこのオーナーが次に開いたお店が“クロコダイル”だったんですね〜。
原宿と言えば、「ラフォーレ原宿」の向かいにあった今はなき1958年、表参道と明治通りの交差点に地上7階、地1階建ての「原宿セントラルアパート」です。
後半はすっかりとんがったものがなくなっていたけど、1996年解体されるまで原宿文化の地として君臨しておりました。
その「原宿セントラルアパート」の下が「原宿プラザ」、特に70年代は個人店の数十軒のブティックが迷路のように配置されていて、入り込めば異邦人!
なんとも異様なアジアンの雰囲気と熱気!TAGOSは特にラメやサテンやテラテラのロック系「ジプシーアイズ」の異色さに強烈なオーラを見ていましたが・・・・・。1階の「喫茶レオン」はユニーク人の巣窟でしたぁ。
翌年、1977年には歩行者天国も開始されました。
竹の子族がニョキニョキ誕生でございます。今となれば裏原宿エリアの元祖的存在は「ブテック竹の子」でしょうかねぇ!
そうそう、なんと言っても原宿周辺は、戦後、ご存知アメリカ軍兵士の家族用住宅、敷地面積27.7万坪「ワシントンハイツ」。
学校や銀行、スーパーなど様々な施設があり、アメリカの街が一つできたような所。
1964年東京オリンピックとともに「ワシントンハイツ」が国立代々木競技場、選手村。
TAGOSは選手村にヘーシンクさんなど、選手のサインをもらいに日々通いつめ、巨漢のヘーシンクさんを目の前にした時には、ワナワナワナ大感動した頃も・・・・・。
あの表参道のシンボル「キディランド」、居住区域で多くの外国人が暮らしていたこともあり外国人お客様向けの雑貨、日本の玩具も扱った背景があって、とっても当時からアメリカンでした。。。。
今の店舗は解体・新築工事を行い2012年夏に新規開店を予定。
休業期間中は、原宿店から150メートルほど離れたキャットストリート沿いに「キディランド原宿キャットストリート店」をオープンですねぇ。
さぁてさて、TAGOSは「ワシントンハイツ」と同様、1983年練馬区光が丘に大規模団地が出来るまでは、そこは駐留アメリカ空軍基地・住宅用地「グランドハイツ」と呼ばれていました。
「グランドンハイツ」の中も、まさにアメリカそのもので、60年代後半でもハイツ内学園祭などに行くと、嫌というほど、同じ学生でありながら、まだまだ何とも衣食住カルチャーショックが大きかった時代でもございましたぁ〜。
☆Starbuck
http://www.youtube.com/watch?v=oCuQQcISZTM☆CLIFF RICHARD
http://www.youtube.com/watch?v=yosCYE4vwlY☆disco
duck
http://www.youtube.com/watch?v=97RjuC9YeXg●ユニーク地球人 スーサンのよもやま話No.95
に、なんちゃって特派員コスタリカ便り第一号です。