2006  7月

NO430 真夏の夜のフラメンコ。カフェオーレはお好き?
2006/07/31
ビールをグビグビと呑んでいるTAGOSの横でなにやら手を何度も激しくたたきながら時折声を荒立てる若い外人女性2人組み!。
何かのトラブルかぁ?聞けば“カフェオーレ!カフェオーレ!”と叫んでいるようです!
ハ〜イ、ここは日比谷公園の中にある“日比谷野外大音楽堂”です。
通称“ヤオン”先週金曜日の夕刻に開催された小松原庸子スペイン舞踏団“真夏の夜のフラメンコ”のご招待をスーサンより受けたのです。
フラメンコといえば♪好きなんだぁけれど 離れているのさぁ〜 遠くで星をみるように♪(1966年 星のフラメンコ)が古くから歌われているように日本にとっては親しみぶかいフラメンコ!。
スペインについで世界で第一位のフラメンコ人口を誇っていて踊りの練習生も10万人以上、なんと観客動員数40万人を超えているというのですから、あの独特の12拍子のリズムとメロディに日本人は魅了されるんでしょうね。
♪メキシカンロック ゴーゴー ゴーゴー メキシカンルック ゴーゴーゴーゴー(1967年 恋のメキシカンロック)1年後に御三家のお一人の曲もヒットしましたが同じラテン系でもフラメンコほどセニョリータには浸透しませんでしたぁ〜。
半世紀ちかくフラメンコを踊り続け優れた芸術家に贈られるスペインの賞“コンパス・デル・カンテ”の特別賞を外国人初で受賞した小松原庸子さん。
このヤオンでは36回目目の公演を続けられているのですからその情熱は素晴らしいものですねぇ!!。
現在、スペインで最も注目されているというファン・デ・ファンを迎え、現代に生きるフラメンコの真髄を見せるとパンフレットにうたっておりました。
フラメンコに精通している観客の方々なのでしょう!
踊り手のタイミングをはかってのカフェオーレ!!
いや、先ほどは失礼しましたぁ〜。TAGOSの横で声を荒立てていたのはこの“オーレ!”を連発するスペイン女性2人組み。
激しい手のたたきは手拍子“パルマ”というのですねぇ。
一曲の中で早くなったり遅くなったりとうてい不慣れなTAGOSなど盆踊りになってしまうのでリズムなど乗れるはずもありません!
さぁてさて、天候もくずれることなくまさに真夏の夜にふさわしい情熱と官能のフラメンコがもりあがった時“さぁ、皆さんどうぞ踊ってくださ〜い!というアナウンスが!!
盆踊りや阿波踊り、どじょうすくいならなんとかなるのですがさすがフラメンコはむずかし〜い!!。
どうしよ〜どうしよ〜と思っていたらいきなり会場からうら若き女性達が争ってわれ先にと踊りだしたのにはびっくり!
いやぁ〜素敵ですねぇ!みんな本格的!フラメンコを習っている女性達がこんなにも多いものかとあらためてすご〜いと感激してしまいました。
それに比べ、踊っている男性はなんと一人もいなかったのでしたぁ!
そりゃむずかしいですよねぇ!若き女性に人気の高いいフラメンコ!
一緒に踊る男性はカッコ良くなきゃつとまりませ〜ん。夢見る理想の男性像をつきつけられた男性達が会場で踊るなんて無謀ですよぅ!
ちょっと踊っただけできっと腰がフラメンコです。

●ユニーク地球人 “癒しの写真館”第2弾 NEWUPです。今回もとても美しい“ブルージュ編”暑さも吹き飛びますよ!。どうぞのんびりとご覧下さいませ。


NO429 ♪ケセラ セラ〜♪ なるようになるわ〜
2006/07/30
流風雫(るふか)のヒトリゴト。

当世大学お受験事情。(初心者!流風雫の特別バージョン)
娘がようやく高校受験を終え、私立女子高に入学した去年の6月。学校側より、大学進学調査の用紙が配布され、大学名はもちろん学部まで記入して提出するようにとのこと。保護者への説明会まで開き、そのフォローはきちんとしていたのですが親子共々目はまんまる。だって、やっと受験が終わってヤレヤレって感じでしたから・・・。その後、今に至るまで数回このような機会がありました。娘は初め大学の名前ですら数校しかわからない様子。提出にあたっては頭を悩ませ、ネットで調べ、とりあえずは空欄を埋めていたような状態でした。
高2の夏の今。学校の薦めもあり大学のオープンキャンパスへ足を運んでおります。高校が実際そうだったのですが、女子高は絶対イヤだ!と言っていた娘が、学校を訪れてお気に入り。ここだけの話ですが、ダメモトのつもりで目指していたのでした。そんな経緯もありましたので、私としても自分の感性、例えば建物がきれいとかキャンパス内の雰囲気がいいとか、そんな他愛もないことでもいいから一つの動機付けになれたらいいのでは・・・との思いがありました。(悲しいかな、文系志望なのですが法学部ではない、文学部ではないと自分に合わないことには断固としたものがあるのですが、目指すもの・やりたいこととなるとなかなか・・・)
実際、オープンキャンパスを通して近代的すぎちゃうとか、雰囲気がとてもいい(「でも倍率がすごく高い・・・」by娘)など本人なりに少しずつ見えてきたようです。
M大学 ⇒ 神田駿河台を本拠地とする。23階建ての「リバティータワー」となり、まるで上場企業の本社ビルのようにも見えるほど。
R大学 ⇒ 蔦におおわれた赤レンガは今も変わらず。
緑多いキャンパスや校舎(一部)建替えの工事中だったりと様々。
ご存知ですか? 私大トップ校に続く大学の総称として、“MARCH”単語そのままマーチと言われます。5校の頭文字をとっています。明治・青山学院・立教・中央・法政の5校です。また、“日東駒専”“大東亜帝国”なんていうのもあります。これらは大学名の頭の一字をとってこんな呼び方をしています。近年(?)創設された大学もかなりあり、また入試方法も、センター試験やAO入試・指定校推薦に自己推薦入試など多種多様。共通一次・二次のはしりだった当時から考えると現代の入試方法は複雑です。(学校によって違いますので)少子化と進学希望者数が一致する為、全入時代突入と言われたりしますが将来、自分の卒業した大学がなくなっちゃった・・・なんてこともありうるかもしれません。
また余談ですが、ある予備校はいわゆる講師による授業展開ではないんです。DVDです。おわかりですか? 名講師陣の授業をDVD化し、それぞれのレベルにあわせて選択。仕切られたブースでヘッドホンを付けて学習するのです。部活で時間の調達が難しかったりする生徒などには好評のようですよ。
こうして子供の直面する状況ではじめて知ることも多くあります。な〜んにもわからなくって後手に回って後悔することを思えば、私のようなポーッとした親にも刺激を与えて下さる高校の対応もありがたいものです。
 
何度か登場したことがありますが、娘には年子の兄がおります。そうです。そうなんです。息子は高校3年生。当然娘より先にお受験なんですがねぇ〜。
今、息子は?って。13日間のラグビー合宿で東北にいっております。えーーー^っと。これが一次合宿でして、その後二次・三次合宿も控えておりまして・・・。夏休み明けには大会予選が始まりまして・・・。ご心配してくださるんですか? ありがとうございます。でもよろしいんです。子供にも個性が・特性があると思っておりますから・・・。息子はラグビー必死でやっておりますから・・・。


NO428 夢は夜開く・・・。明日は隅田花火大会。
2006/07/28
♪赤く咲くのはけしの花 白く咲くのは百合の花
どう咲きゃ〜いいのさ この私 夢は夜ひらく♪
(昭和41年 圭子の夢は夜ひらく)
どう咲きゃいいの?って、迷わずドンドン咲いてください!!ドンドンと〜!!
いやぁ〜明日はいよいよ“隅田川花火大会”ですねぇ。下町の夏の風物詩です。
日本の打ち上げ花火って製造には花火職人さんがほとんど手作業で半年以上もかけてつくる世襲制の伝承技術から生み出される作品と聞いています。
火の玉がシュルシュルシュル、パァ〜っと夜空に真ん丸に見事な大輪の花を咲かせれば思わず
“いよぅ〜たまや〜!!かぎや〜!!”
これがなけりゃ〜日本の夏はありません。
日本の花火職人さんの伝承の匠の技術は世界中から愛されていますよねぇ。
ねぇ“玉屋”さん!“鍵屋”さん!
両国で盛大に花火が打ち上げられたのは享保18年(1733年)両国橋で腕を競い合った両屋の花火師の応援が今のおなじみの掛け声に残っていたんですね。
もとは軍事用ののろしからの花火がいつの間にか江戸文化を象徴する風物詩になりそれが今でも変わらず愛されつづけているんですから素晴らしい!!
花火は日本人の誇るべき技の結晶ですよぅ〜。
これだけ時代と世代を超えて老若男女人をわくわくさせたり夢を見させてくれる幸せ技術ですねぇ〜。
♪どんとなった花火がきれいだな そらいっぱいに広がった しだれやなぎがひろがった 
どんとなったなんびゃく あかいほし いちどにかわってあおいほし もいちどかわって きんのほし♪
(1941年 文部省唱歌)


NO427 まだまだ パタパタママ バタバタパパ。
2006/07/27
えぇ〜い!おもい切って捨ててしまおう!
そう!一度決断したならもう♪止〜まらない 止まらないカッパえびせん♪のココロですねぇ〜。
いきなりの2日続く上々の天気に身の回りの整理整頓のココロがムクムクと沸いてきて、クローゼットに押し込まれていた長年着用した衣類等や小物をとにかく整理整頓したい気分になったのです。
思えば昨日まではみんな必要なもののように思えていたから整理整頓をしないでいたわけなんですがぁ。
そうなんですぅ!きっといつかまた必要になるに違いないよ〜これ!などとそのまま大切にしまいこんでいるうちにいつの間にやら日常の記憶から消えてしまうモノがでてくるんですねぇ。
また誕生日などの記念日に人からプレゼントされたものなどはその方の思いがうれしくて残してきたものでボロボロになってもなかなか捨てることなどできませ〜ん。
“整理”とは要るものと要らないものを区分して不必要なモノを取り除くこと。
“整頓”とは散らかり乱れているモノを見栄えよくすること。なんですね。
そうそうなんとか“整頓”はできても“整理”となると“今の自分には果たして必要なのか?”をきっちり判断しないとこれから必要となるモノが入ってこないんですねぇ。限られたスペースには!!
一つ一つ思い出にふけっていたらもうポイポイできないんですね。
そうなったらその場でフリーズですよぅ。
なんだか頭の中にたまる長年の体験記憶がいっぱいで新しい体験がすっかり入らなくなってしまった人みたい・・・・。
さぁてさて、TAGOS家では暮れでもないのに昨日、今日いつの間にか整理整頓、大掃除が連鎖しています。
♪パタパタママ パタパタママ パタパタ♪
(1976年 ポンキッキ)

●ユニーク地球人
ブッチーズ・ロッキン・パラノイア・ライフVol5
NEW UPです!!
ついにbutchyさんが長らくの地下潜伏から“Return from The Underground”宣言を告げました。大変喜ばしいことです。お帰りなさい!


NO426 ♪空に太陽がある限り♪。父の8回目の命日を偲ぶ。
2006/07/26
眩しい太陽が戻って来ましたぁ!10日ぶりの真夏日ですね。
いやぁ〜待ちに待った晴れ日ですよぅ!。
青く晴れ渡った大空から強烈な太陽の光がサンサンとシャワーのように降り注げば、庭木がそのエネルギーを目いっぱいためこみ生命が光り輝くがごとくピカピカとしてきますねぇ。
こんなぁ久しぶりの晴れ日は世間では洗濯日和でもありま〜す。
長梅雨に太陽が一瞬顔をのぞかせたことでTAGOSは自動洗濯機を使わずせっせせっせと手洗いでゴシゴシ“命の洗濯”なぞをしてリフレッシュいたしましたぁ。
ところで日曜日はTAGOS家では父の8回目の“命日”
親族が集まって父を偲びながら楽しい一日を過ごしたのです。
一年を見渡せば毎日のように記念日があるけれどこの“命日”つまり“命の日”は“命”を考える記念日って意識すると、とってもとっても大切な記念日に思えてきます。
こりゃ“誕生日”の反対語ですからねぇ〜。
“どうかあなたがこの世に生を受けたその命の意味について明らかにしてください”という先立たれた方から♪よ〜く考えよ〜“命”は大事だよ〜♪という“命”の意味について皆さんよく考えてごらんなさ〜いという問いかけの日なんですね。
そういえばあるお方が言っていましたぁ!“命”という文字ってよく見れば“人が一に叩く”にも見えなくもないですよね?
人が横になって叩(たた)かれている状態。
こりゃきっと〜ゴロっと人が横になってマッサージされて気持ち良い状態ですよ!
これこそ“命”の洗濯(リフレッシュ)ですねぇ〜。
んまぁ〜ユニークな発想をするお方ですねぇ!
“命”についてはもいろいろな方がいろいろな考え方をするので答えなんて出るはずもなく・・・・。
そういえば突如思い出しましたが“息をひきとる”という意味って先立たれる人から息をひきとって次の人に繋げていくということですよね。
サントガリア星人さんのおっしゃっていた“命のバトン”ですね。


NO425 帰り道は遠かったぁ〜。夕焼け空がまっかっかの時代。
2006/07/25
♪夕焼け空がまっかっか トンビがくるりとわをかいたホ〜イのホイ♪
“夕焼け空”というのはなんともほのぼのしたイメージを想像させるものがありますねぇ。
でも〜子供時代って芥川龍之介のあの“トロッコ”の主人公の良平みたいに時を忘れて楽しく遊んだ後、気づけば夕焼けどころか夕闇があたりに迫り来るぅ!。
我が家までの帰り道を必至に急ぎながらもどんどん暗くなってなんともいえぬ不安にかられ泣きながらの帰り道。
帰り道に迷いながらどっちに行けば家にたどり着くんだろう?
きっと両親が心配しているだろう!いっぱいおこられるだろうかぁ?思えば遠くに来たもんだぁ〜・・・。
ふと夕刻、久しぶりに晴れ間ののぞいた庭の縁台にすわり、空を見上げながらTAGOSはそんな子供の頃の出来事を思い出したのです。
今の子供達にはそんな体験ってすることあるんでしょうかねぇ。
ところで今“カーナビ迷子”って言葉あるんですねぇ。
利用者本人の目的地の入力によって目的地に一番近いルートが検索されその通りに進むと違う道に迷い込んでしまうケースを指す(フリー百科事典)
そうそう、旅行などではじめて訪れた場所から急いで帰宅しようと最良なルートを検索し鼻歌まじりにハンドルをにぎっているうちに山道に迷いこんだり、行き止まりの道だったり。
だんだん夕闇が迫り来るぅ!
さすが子供のように泣きじゃくったりはしないでしょうけどねぇ〜。
こういう体験した大人のほうが今多くなっているようです!

●長梅雨にカビが生えそうな気分の時は
ユニーク地球人☆癒しの写真館を是非覗いて見てください。TAGOSは花の色彩や美しい風景に心洗われています。


NO424 築地で白い象を見ましたか?なんとも不思議な建物だぁ!
2006/07/24
摩訶不思議な世界の建物に入り込んでしまいましたぁ〜。
ここはパルテノン宮殿かぁ!入り口までつながる長〜く広い階段の連続!!
おっこれはなんだぁ!いきなり入り口で出迎えるは大きな白い象ですよぅ!
んまぁ〜よくよく見渡せばなんと!建物の内外に住みついている様々な不思議な動物達が見え隠れしています。
牛に猿に鳥に象、獅子や馬らしき姿も・・・・・。
ここはどこ?私は誰?いやいやこの建物に入りこむと妙に変ちょこりんな感覚をTAGOSは感じるのでした。
はい、ここはというと“浄土真宗本願寺派本願寺築地別院”そうなんです!一般には“築地本願寺”と呼ばれています。
“築地本願寺”ほど築地の中で異彩を放っている建築はありませ〜ん。
昔からなぜか近寄りがたくちょっと怖〜いぐらいのオーラを発しているタジマハールのような円屋根妻飾りの建物に圧倒されていましたぁ!
あの長い石段を登り、伽藍内に入るとこれまたその荘厳な空間の広がりや立派な祭壇や仏像に息を飲みますねぇ〜。
ここって教会?ステンドグラスやシャンデリア?極めつけは約2000本の管で構成されているパイプオルガン!
とにかくこの建物の中も歩きまわるとなんとすごい建物だぁ〜と思ってしまいます。
昭和9年に建築家伊東忠太の設計で完成したというけれどそれにしてもなんとも摩訶不思議な空間です。
ところでなぜTAGOSが親鸞聖人がお外に立たれている本願寺にいるかといえばミュージカルを見に来たんです!ミュージカルを!
本堂に向かって右側の第一伝道会館の2階に164席の“ブディストホール”このようなところにあったとは知りませんでした。
見に来たのはラスベガスレビューのような神崎順さん演出振り付けのミュージカル“JubileeV”です。
色彩が爆発してキラキラ輝くというにはこいういことなんだぁ〜と思うほど華やかでスピーディな素敵なレビューでした。
TAGOSが応援する冒険団のメンバーの一人MASAYAさんがミュージカル初デビューです。
しっかり応援!でも〜これまた摩訶不思議な本願寺内でキラキラのミュージカルというのもこれまた変な感覚ですよぅ〜。
さぁてさておとといの土曜日、本願寺内でのミュージカル閉幕後、新富町にある昭和3年竣工の“旧回効散ビル”(地球人のヒトリゴトNO394掲載)の様子を見て帰宅したのです。
不思議なことは起こるものです。
その日にユニーク地球人のゲストブックよりのメールが入っておりましたぁ!
なんと森田製薬“回効散”創業者のお孫さんからでした。お孫さんのブログ“ヒーリングタイム”5/7日付けに昭和3年落成式のビル写真を掲載しています。どうぞご覧くださいというありがたいお便りがぁ!!
なんと不思議なタイミングなのでしょう!!。

●ヒーリングタイムhttp://blog.livedoor.jp/yakiba0985/


NO423 想像力をたくましく!探してみましょう。浅草橋、柳橋編
2006/07/23
探したのになかなか見つけられないんですぅ!!
秋葉原を出発し御徒町、上野、浅草、蔵前と歩いたお話を4連続日おしゃべりしてきました。今日は最終到着地“浅草橋”です。
浅草橋駅って世間が大きく変わっている中にあっては珍しいほど変わっていない街ですよねぇ。
この原因はやはり現金問屋さんが多いからなんでしょうか?やっぱり現金は強〜い!!
“人形・ぬいぐるみ文具の卸問屋街・小売店街”“繊維製品帽子布地卸問屋街”
まぁ商売をされている方ならお店先ショーウインドーの季節ディスプレー用具やラッピング用紙、とにかく何でもそろってしまうエリアですよね。
バッグメーカーやアクセサリー等の小物類を取り扱う問屋も多いし“浅草橋”のイメージっていうのは昨今は定着しているかも?
まぁ〜浅草橋高高架下のひしめく飲食、小売店街もいい雰囲気出していますよねぇ。
でも〜TAGOSはいつも探し続けてなかなか見出せないでいるのがあの“柳橋”の面影なんです・・・。
そうです!かっては花街として栄えたあの“柳橋”ですよぅ!!
1950年代は柳橋には90軒をこえる料亭が存在していたそうです。
新橋や赤坂とはきっと違っていたに違いない!
いつも神田川にかかる最下流の橋であるミニ永代橋のような緑の鉄骨の昭和4年再架設“柳橋”から見渡す和菓子老舗の“梅花亭”あの浅草からの天婦羅家さん“大黒家”
橋の左右には“三浦屋、田中屋、あみ新”などの船宿、そして江戸前の風情を残す佃煮屋さん“小松屋”
TAGOSは柳がゆれる風情にわずかに映るかっての“柳橋”の姿を想像して見るのです。
さぁて少し歩けば、あの老舗料亭が立派なビルになっている“亀清楼”があります。
そして今は割烹“傳丸”向かい合わせは“篠塚稲荷”。
寄進者の名前に老舗料亭亀清・いな垣・柳光亭の名が記されていますねぇ。今はなき料亭ですね。
あれ?遠くから見てあそこにすごい料亭がぁ!!
近づけばギャラリー?ここって調べてみたら柳橋芸者市丸さんの個人の家だったそうです。
それにしても立派なもんだぁ!
一流の芸者さんってすごかったんですねぇ〜。
いやぁ〜それにしても今回は思わずヒトリゴトが長くなってしまいましたぁ。すいません。
“柳橋”が粋だといった時代の風情はいまはどうやらわずかな限られたエリアを歩きながら想像力をたくましくする他ないようですねぇ。


NO422 浅草・蔵前食べ歩けばいつの間にかお相撲さん?
2006/07/21
昨日のお話の続きです。
さぁて浅草国際通りをまっすぐ蔵前方面へとやって来ましたぁ。
ありましたぁ!ありましたぁ!なんとも趣のあるパン屋さん“ペリカン”が見えてきましたよぅ。
赤いテントが目印の田原町交差点から50mばかり蔵前方向の寿4丁目の場所に位置してます。
昔から通るたびにおもわずのぞきこんでしまうパン屋さんです。木製の下駄箱のような棚にいつも食パンがズラリと並んでいる地元に密着した製造販売店なんですね。食パンとロールパンの素朴なお店がポツリとあるのが、いやでも目立つんですねぇ〜。
さて“デンキヤホール”これまたユニークなお店が並びにあります。朝はトンカツサンド、昼はカツ定食、夜はお好み焼きと3つの顔を持つお店なんです。昼と夕刻ではお店前ののれんが“とんかつ”“お好み焼き”と変わるんですね。
TAGOSはここを通る時間帯はいつもお昼過ぎが多いので必ずカツサンドは昼前には売り切れ状態。お昼の食事時でもお一人様おことわりなんて張り出されているのでいつも入らず仕舞いで通り過ぎるお店なのです。
んまぁ〜浅草周辺のおいしい食べ物屋にひっかかってしまうとここまでくる間にたいていはお腹いっぱいになってますから・・・・。
そうそう食い気に走らずひたすら歩くのです!!。
そこからしばらく歩くとどこかで見たような5階建てのレトロなビルがぁ!名前も“タイガービル”
この建物あの銀座一丁目の奥野ビル(旧敏座アパートメント)1932年竣工の前面スクラッチタイル貼りになんとも漂う雰囲気がそっくり!!
奥野ビルはご存知今はギャラリーなどが入居。
このエリアだけが時が止まってしまったかのような雰囲気を醸し出しています。
ふむぅ〜蔵前の“タイガービル”このビルいつからあったんだろう?昭和初期と思われるのですが謎です。今度真剣に調べてみることに!
あっちキョロキョロ、こっちキョロキョロ、さぁて浅草橋に入りましたねぇ。
浅草橋に行く手前にはいわずと知れた“鳥越おかず横丁惣菜等食料品店街”があるけれど通りを過ぎ行くたびにだんだん体型がダルマおじさんになってしまっては“何の為に汗かいてせっせと歩いているのだぁ!”
ということになりますのでここは目をつぶってまいります。
あれ?まだ浅草橋のお話までいたりませんでした。
この続きは日曜日完結、浅草橋〜柳橋へと。

●ユニーク地球人 
サントガリア星からのメッセージNO6NEW UPです。サントガリアビームパワーアップしています。
今回、ヨットガリア星人がついに登場。エロユニークなお話ばかり。梅雨を笑いで克服間違いなしです!


NO421 “国際通り”は華やか通り。浅草六区編。
2006/07/20
昨日の続きです。
ハ〜イ歩いて歩いて“浅草国際通り”です。前はもう“浅草六区”ですよぅ。
ところでこの“国際通り”って名称、外人さんがいっぱい歩いているからそう呼ばれているんでしょうかぁ?
いえいえそもそも“国際通り”といえば那覇が有名ですよねぇ。これおおいにお互い関係ありなのでしょうかねぇ?。
TAGOSが知っていたのは“浅草国際通り”の由来の方。
浅草ビューホテルがあった場所に戦前(1939年建設)松竹少女歌劇団(SDK)が踊っていた松竹の国際劇場があったことから“浅草国際通り”と呼ばれるようになったんです。
那覇は調べてみるとそれより新しいんですね。
1947年以降建設された同名の“国際劇場”映画館(アーニーパイル劇場)が由来ということを知ったのです。
ちなみにアーニーバイルとはアメリカ兵に人気のあったアメリカに従軍記者の名前です。
東洋一を誇った“浅草国際劇場”と双璧だった“東京宝塚劇場”は戦後米軍に摂取され“アーニーバイル劇場”と名前を変えた歴史があったんですねぇ。
2つの“国際通り”の名称にも深い歴史が刻まれていたんですねぇ。
さぁてさて、由来のついでに“浅草六区”っていうのはどうしてよ?しっかり調べてみましたぁ。
明治17年に浅草寺を中心に浅草公園と呼ばれる一帯を六区画に分けられ、昭和26年解除後もこの界隈は当時の地名の名残りなんですねぇ〜。
そうそう、この“浅草六区”にいきなり似つかわしくない近代商業ビルが出来たぁ〜と騒いでいたのが1986年に出来た“浅草ROX”今やROX−2・ROX−3・ROXドームまで堂々と六区に根付いてしまっています。
このROXどこが経営しているんだぁ?
忘れていたぁ!ここってあの東京卸売りセンターの株式会社TOCなんだぁ〜。
あれあれここで長話をしていると浅草橋までの道中のお話がこりゃなかなかできませんねぇ!
いやぁ〜ここらに来るとまだまだおしゃべりしたいことがいっぱい有り過ぎて困ってしまいますぅ。
いざ出発!浅草路地裏の有名な銭湯“蛇骨湯”を通り過ぎ国際通りを浅草橋にむかって田原町交差点を歩けば浅草通り・神仏具卸問屋・小売店街。
そしていよいよ蔵前付近。なんだかここらもおもしろ〜い!!
続きは蔵前〜浅草橋編、明日に続きます。

NO420 かっぱが出てきて今日は!。旧松葉町(北上野・松が谷・東上野)〜浅草編。
2006/07/19
雨に浮かれてかっぱが町にあふれ出す!!
上野昭和通りバイク街をもうちょっと先に向かって歩けば言問(こととい)通りの交差点近くには入谷家具・インテリア展示小売店街があるんですねぇ。
まぁ広範囲にわたってよくもこうした業種別の専門店街が点在するエリアなんだと思います。
ここもまたおもしろい通りだよねぇ!
思わず和んでしまうさまざまなかたちのかっぱが並ぶ通りがありま〜す。
上野昭和通りバイク街からまっすぐ浅草六区に直結する通り“かっぱ橋本通り”
上野と浅草に通じるこの好立地の商店街は平成元年から始まった“下町七夕祭り”では大いに盛り上がる商店街となりましたぁ。
この時ばかりははおおいに賑わいますよぅ〜。
江戸時代は将軍が上野寛永寺のお詣り後、浅草観音様へお詣りするために通った御成り道でメインストリートだったそうです。
で〜も昨日は歩いていても合羽橋台所用品問屋街の通りに交差するまでの間は人っ子一人いませんでした。
TAGOSを出迎えてくれたの人間ではなくなんとも愛想のいいユニークなかっぱ達。
この通りにはかっぱ伝説の“曹源寺”があるのです。
しか〜しあらためてかっぱ橋本通りと交差する稲荷町から田原町駅の中間、菊屋橋交差点から言問通りまでの200以上の店舗が並ぶ合羽橋台所用品・高級雑貨卸問屋専門店街はいつ見ても壮観ですねぇ。
さぁてさてそのまままっすぐ歩けば明治創業“どぜう飯田屋”明治28年創業すき焼き“浅草今半”の老舗を通ってようやく浅草六区へと辿りついたのです。
さぁて、TAGOSは休まず浅草橋へと向かいます。
そのお話は明日に続きます。

●アートなお部屋 
水彩画10点 NEW UPです。
今週は再び本格的な梅雨に逆戻りですね。梅雨に咲く花々をどうぞご覧下さい。


NO419 変わり過ぎです!雨に歩けば秋葉原〜御徒町〜上野編。
2006/07/18
東京で最も変化の激しい街は?
日本経済新聞社がインターネットで都内在住者を対象に実施した“東京の街イメージ調査2006で堂々1位となった街はアキバこと秋葉原。
前年の8位からいきなりトップに踊り出たんですねぇ。
今日はその秋葉原駅を出発点としてJR高架線に沿って御徒町〜上野〜浅草〜浅草橋を終着点してと歩いてみたのです。
ヨドバシカメラマルチメディアから御徒町に向かってちょっと沿線を歩いただけでもうさびれたビルや店舗が次々にとりこわされマンション用地として開発されている光景が点々と御徒町まで続くのです。もうまったくバブル時以上ですね。にが笑いするしかありません!
早々御徒町宝石、貴金属加工卸問屋街をぬけ上野駅を抜けて入谷方面へ。
いやぁ〜久しぶりですねぇ!“上野昭和通りバイク街”上野中央口から入谷に向かう昭和通りの両側や裏通りには100以上のバイク関連店が並んでいるのは誰でもよく知っていらっしゃることでしょう。だけどバイクに興味がなければわざわざ立ち寄る機会もないままで終わってしまう特殊なエリアでもありますねぇ。
かってと全然風景が違っていましたぁ!
あっりゃ!人がまったくいませんよよぅ〜。シャッターの閉まった店も多くなって三連休後の雨降りの日といえど手持ちぶさたで店々の前に立ち並ぶ店員さん。この光景って先程歩いてきた上野アメ横通りに立ち並ぶ若者衣料店の風景と全くおんなじだぁ〜。
呼び込みを義務づけられているのか?若者が手をたたいたり大きな声を出して呼び込みをすれど客入らずの寒〜い状況!
TAGOSはハーレーダビットソンがズラリと並ぶバイク店の近くの専門店で立ち話しをしていた初老の2人組。あまりにも静か〜なので立ち話の声が漏れてきたのです。
“今きびしい〜ねぇ。跡継ぎがいないからどうなるかわからないよぅ〜”
あれあれ、今バイク街ってこんな感じなんでしょうかぁ?あまりに普通日の静かさになんだかパワーが落ちてきたので活気あるエリアへとさぁ移動です。
この続きはまた明日に続きます。


NO418 今日は“海の日” お台場からつながった“りま丸”の存在。
2006/07/17
今日は日本国民の祝日“海の日”ですよぅ!。
地球人の皆さん、三連休ゆっくり休むことはできたでしょうか?
今回、はじめて今日の祝日“海の日”を意識したのです。
先日ユニーク地球人掲示板でお台場がテーマとなった時、デンヴァーのakiyamaさんから“海員組合”の出来事を教えていただいていたからです。
特に意識したことのない祝日“海の日”は海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う”ことを趣旨としているんですね。
そうだぁ〜。海のことなら母に聞いてみたらいいかも?
早速、母豊月(ほうげつ)86歳に一歳上の戦死した兄の郵船勤務時代の思い出を聞くことにしたのです。
いやぁ〜よく覚えていましたぁ〜。
戦前日本客船隊の最後を飾る昭和15年竣工の“新田丸”“八幡丸”“春日丸”。
その1つの“新田丸”は戦前日本の最大級の欧州航路用豪華客船。クイーンメーリー号と比べても遜色がない程の客船だったんですねぇ〜。
その竣工式の披露パーティに兄が両親を招待した話やその船が第二次大戦のため予定していた航路は実現しなかったのだと聞きました。
その後は調べてみたら空母として横須賀の基地から出撃することになるんですね。
豊月(ほうげつ)86歳がはっきり覚えていた貿易商になりたいと希望に燃え郵船に就職した兄のわずか2年間の航海。途中戦争に駆り出され帰らぬ人となってしまった兄からの航海話。
TAGOSは豊月の兄が希望をもって赤道を越え航海していた頃の船の名前を覚えているか尋ねてみたのです。
豊月は記憶を辿りながらついに口から出た船の名は“りま丸”
TAGOSはすぐにインターネットで検索するとありましたぁ!ありましたぁ!それも立派な実写写真がぁ〜。
母豊月(ほうげつ)86歳はもちろん夢を持って南洋航海していた若き兄の乗っていた60年以上前の船の姿など今日になど見れるとは思っていなかったのです!
いやいや、今日の“海の日”にはTAGOSは特別な思いを感じる感動の日となりました。
これもお台場からのご縁としみじみと感じているのです。


NO417 迷惑メールかぁ?。届いた1通のワクワクメール。
2006/07/16
オォ〜メールボックスに大量の迷惑メールだぁ!!
昨日、PCを開いてメールをチェックしていると一通の気になるお中元とタイトルされたTAGOS宛のメールが。
あれあれそれは“ユニーク地球人”の“ブッチーズ・ロッキン・パラノイア・ライフ”コラムニストButchyさんからのメールだったのです。
正直心配していたのです。突如音信不通!Butchyさん神隠しにでもあったかも!ず〜っとパラノイアライフの道を極めていますから。
気になるメールボックスをクリックしたのです!
ア〜しまったぁ!こりゃ膨大な迷惑メールかぁと思わず勘違いするほどのホームアドレスがずら〜りと下まで連なっています!
さてはButchyさんの名を語った迷惑メールかも〜。
恐る恐るその1つを開いて見るとTAGOSは大感激!それは確かに間違いなくButchyさんからのメールに間違いありませ〜ん!!
アドレスを開いて見るとそれは1960年代〜70年代のフレンチポップス・アメリカ・イギリス・日本に渡る大変貴重なミュージシャン達のビデオクリップだったのです。
いやぁ〜世界からよくぞこれだけの映像を集めたものだぁ!さすがButchyさんの音楽に対する集中力は半端じゃないと感心しきり。
たとえばフレンチポップスでは1963年代の“シルビーバルタン”“フランソワーズアリディ”“フランスギャル”のモノクロからカラーまで。
“シルビーバルタン”の17歳でロコモーションをうたうイエイエ時代の映像が見られるなんて!!
当時フランスではBB(べべ)“ブリジットバルドー”が戦後の若い女性のヘアスタイルやファッションのべべスタイルをつくりあげてからその後久しく出なかったけどバルタンスタイルはファッション誌ELLEやVOGUEにも再三取り上げられていたし音楽雑誌サリュレコパンでは常にトップ“アイドル”として君臨していましたぁ。
そんな映像がこれでもかぁと出てくるので、昨日から今日までず〜っと見続けております。
いやぁButchyさんらしい突然のサプライズにもうなんといったらよいか、まったく諦めていたあの当時のイキイキした映像と音楽がこんなにも見られるなんて!TAGOSは夏バテなんか絶対しませんよぅ〜。
あぁ、そうそう地球人の皆様!!こんなに喜ばしてくれたButchyさんのコラム復活はもうじきです。

●ユニーク地球人
スーサンのよもやま話NO19NEW UP です。
無名仙人さんシリーズ“日本人のいじめ体質”について語られています。


NO416 夢四国21世紀ー心と自然回帰の旅。
2006/07/14
こりゃ〜鰻の蒲焼状態ですねぇ!!
蒸されて焼かれてなんと35度を記録しましたぁ!
TAGOSはフラフラとしながらも大手町日経ホールへとやって来ました。
昨年に引き続き今年も四国観光シンポジウム「夢四国21世紀ー心と自然回帰の旅」講演を聞くためです。
昨年は四国の各県の知事さんがはじめてこの大手町に大結集し、四国の魅力をおおいにアピールしたのでした。
TAGOSは以前から四国にはとても惹かれるものがあるのです。
なにかまだはっきりしないけど“日本人の原点”というか、このテーマである心と自然の回帰を四国に感じてしまうのです。
さぁて、今日は“美しき日本の残像”というテーマの基調講演が東洋文化研究所のアレックス・カー氏によって語られましたぁ。
“ちいおり”と自ら名付けた徳島県祖谷(いや)山村にある築300年の茅葺き屋根の古民家に住み、日本の文化価値観の再興に奔走しているお方です。
えぇ!そんなにも大変なことになっているとは!
世界の財産でもある日本の自然美が失われていく多くのスライドを見せながらの講演がとてもびっくりしたし、気付かせかたがとてもユニークだったので、そのことをおしゃべりしようと思います。
国破れて山河なし?
日本の国家予算の中での公共事業の割合は50%近くに達しているのだそうです。公共事業の掲げるスローガンはいつも「人に優しく、自然に優しく」
そして昭和25年建設省が国土整備を推進し続ける為に発表した歌がアレックス・カーさんから紹介されました。
建設省制定曲名“ユートピアソング”
♪歌は揺れる リボンは揺れる 山も谷もアスファルト ランランランラン素敵なユートピア♪
♪街は花園 ネオンの都 月とささやく摩天楼ランラン・・・希望のユートピア♪
同時にこの公共事業によって日本中の何千という河川や海に不必要なコンクリートの堰やダム、そして何千本のアスファルト道路工事が日本の美しい山々の奥深くで、今も次々に進行しているスライドを見ることになったのです。
すごいインパクトでしたぁ!これは山村の緑の美しさの中に忽然と出現した無味乾燥の巨大な巨大な灰色コンクリートオブジェだぁ!
ハァ〜都心は目だって様変わりしているけれど日本中のあちこちですごいことが起こっているのだと愕然としたのです!
確かに昭和25年は、日本のユートピアを求め泥にうまって動かない自動車をスムースに走らせる立派な道路や、世界に示す建造物は必要であったと思います。
しか〜し、こんなところに今なぜ? そこに住む人たちの暮らしと、伝統と、美意識が、コンクリートに塗り固められてしまうようで息ぐるしかったですねぇ。
日本には日本人の忘れている美しさが沢山あるんだと改めて感じたシンポジウムとなりました。


NO415 わすれものは何ですか?朝から“ALWAYS三丁目の夕日”
2006/07/13
昭和30年代にタイムスリップだぁ〜。
いやぁ今日は蒸し風呂に入ったような日でしたね〜。梅雨時の真夏日33度〜35度を記録しましたぁ。
昨日レンタルした“ALWAYS三丁目の夕日”DVDを早朝に家族で見終わった後、どうやら日常のリズムがずいぶんとずれてしまったみたいです!。
映画ストーリーはもうとっくに皆様がご存知なのでふれることもありませんが昭和33年という時代背景で展開される日常生活を送る三丁目の住人達の人情物語、そしてなんといってもその当時の東京の街の再現映像にはぐっとくるものがありますよねぇ。
室内にひんやり冷房をかけながら座っているTAGOSが、扇風機が回る昭和の夏の畳生活場面など目の当たりにすると感覚がふ〜とその当時にタイムスリップしているのです。きっと当時の子供に戻ってしまっているんですね。
さてさて“ALWAYS3丁目の夕日”の昭和30年代の東京の街の風景は実写ではないけれどすごい映像を見せてくれました。
日本映画の黄金時代といえばちょうどこの昭和30年代の年。
東京の風景が大きく変わり始めた古く良き東京の街を映してくれるのも数々の当時作られた日本映画ですよね。
有名な小津安二郎監督の“東京物語”にもハトバスで巡る丸の内や銀座、銀座松屋デパートの屋上等、の情景があったり、成瀬巳喜男監督にいたっては“州崎パラダイス・赤信号”では江東区東陽町1丁目付近、“銀座二十四帖“築地警察署、新橋演舞場近く“稲妻”木場、新田橋、“足にさわった女”日比谷映画街等等、東京の街を背景とした当時の多くのロケ地が見れるんですねぇ。
もちろんご興味のある方は、あの石原裕次郎さん主演の映画だって小林旭さんの銀座旋風児“マイトガイ”シリーズや、加山雄三さん若大将シリーズ、ふうてんの寅さんシリーズだってふんだんに出てきます!!。
そうそう“ALWAYS三丁目の夕日”で昭和の東京の街が懐かしく思えた方は実写で街を歩いている方々や当時の風俗が色濃く残されている日本映画を是非一度見られれたら、“あ〜あ、そうだそうだ!ここにはこんなお店や建物、こんな服装してたねぇ〜”
ひょっとして長年忘れていた“自分のわすれもの”がみつかるかも・・・。


NO414 美しき日本の風習。心通わすお中元。
2006/07/12
カナカナカナカナ・・・・。
あれ?ヒグラシが鳴いているぅ!
なんだぁ!ありゃ赤トンボが止まっている〜。いきなり初秋かぁ!
いやいや梅雨もまだ明けていないのに、すっかり秋が目の前に見え隠れしているのです。
チビコオロギもチョロチョロしていますからねぇ。
もうじきお盆7月15日まであと3日ですねぇ。
日頃お世話になっている方々に感謝の気持ちをこめての贈り物“お中元”のやりとりもいよいよ終了です。
関西では7月上旬〜8月15日 関東は6月下旬から7月15日が一般ですね。
虚礼廃止などといっても歴史ある日本の風習はしっかり息づいています。
サントガリア星人さんがお盆のことをユニーク地球人に書かれているように7月15日の中元と日本古来の祭りごとの一つである7月の御霊祭の贈答習慣に加えて、インド発で伝来した孟蘭盆会(うらぼんえ)とお盆とが重なってお中元の贈答が行われるようになったそうです。
江戸時代以降からというんですから長〜い歴史ですよねぇ。
お中元がついたとたんにどちらの側もお礼を添えてお電話にてご家族などの近況報告に笑顔がはずみます。とてもいいもんですねぇ〜。
さてさて、いつもお花を贈答品にされている方から早速とどきましたぁ。いつもどんな花を贈ってきださるのか楽しみなのです。
おっ!この花は“アンスリューム”一つの花で1ヶ月以上楽しめるお花ですよぅ!
やがて古くなった花は色が暗い色に変化して真っ赤から緑色に変わるのです。
そしてだんだん暗い色に変化してその状態をアンティークフラワーとして鑑賞できるんですよぅ!
遠く離れていても贈り贈られ、お世話になった方々へのお礼とご健康なことをお互い確かめ合う“お中元”
心かよう美しき日本の風習ですねぇ。

●癒しの写真館(トップページ左下クリックです)
NEW コーナーご覧下さい。美しい風景です。


NO413 豊月(ほうげつ)86歳が語る。か細く咲く一輪の露草。
2006/07/11
毎日のように曇り空、湿度高くうっとうしい日が続いています。今日も曇りです。
春、庭の木に巣づくりした野鳩は立派に小鳩二羽巣離れ。
親子そろって玄関脇の坪庭の軒下に仲よく場所を替えて住み付いています。
私は時々、楽しみに見守って見ています。
古木にかこまれた奥に笹、どくだみ、とくさ、特に茂みが大変です。
茂みの中にちらっと可憐な紫の花が?
“あら・・・・。”あの時の“つゆ草”がか細く一輪咲いていました。
しばらく腰を下ろし、しみじみ懐かしく見つめていました。
それは二十年前主人が健在でいた頃、よく日本橋三越に二人で屋上園芸部が好きで行きました。
その時買って植えた“露草”入梅時に見ながら縁側で主人と抹茶を頂いた思い出です。
時の流れの早さはさびしくなる時も有りますが、早速絵はがきに描きました。
今日見つけた“露草”来年は雑草に負けないで立派に咲いて下さい。
私もつつましく心に秘めて元気に頑張りたいと思う豊月(ほうげつ)です。
皆々様、ご健康にて。

●NO409に豊月の水彩画を新たに挿入いたしました。


NO412 2007年様変わり!有楽町で会いましょう。
2006/07/10
ウォ〜ビールがうまい!うま〜いぃぃ。
東方・日出る処にて生ビールをぐいぐいと・・・。
先日、東京フォーラムに2003年7月に移動して来た老舗ビア&レストラン“レバンテ”でTAGOSは一人2階の窓の外を見ながらモノ思いにふけっておりましたぁ。
“レバンテ”といえば有楽町、有楽町といえば“レバンテ”よくご存知ですよねぇ。
1947年(昭和22年)有楽町駅の顔として50年余り存在した誰もが知るお店、スペイン語“レバンテ”とは“東方・日出る処”という意味なんだそうです。日本におけるビア&レストランの草分け的存在で小説家松本清張の「点と線」をはじめとした数々の小説の舞台になったと支配人さんが記しております。
さてさてその有楽町駅前は再開発が急ピッチに進んでいますよぅ!
地上21階、地下4階、塔屋1階の複合ビルの建設場所は東京交通会館と有楽町マリオンにはさまれた区画です。
核店舗が1階から8階の丸井、地下道連絡通路に専門店街、10階〜20階オフィス、地下2階から地下4階駐車場、来年10月に誕生ですよぅ。
これで有楽町はまったく様変わりしてしまいます!。有楽町って1丁目と2丁目しかないですからねぇ。
そうそう地下通路も整備されて有楽町から丸の内、大手町、東京駅まで、さらに銀座和光や東銀座の歌舞伎座まで雨に濡れずに行けるようになるのだそうです。
ということで今一番変化している通りは銀座にむかって有楽町からつながる“銀座マロニエ通り”なんですねぇ。
マロニエ通り周辺は今工事だらけ!。
プランタン銀座2期工事・三共銀座プロジェクトのブルガリ・富士フイルム再開発・マスミューチュアル生命ビル解体&新築工事・和光並木通り新築工事等など。
2007年にむかってすごい勢いで変化していますよ!
中心地区でも個別の立替計画がまだまだ進行中です。
いやはや、留まることなくスピードがどんどん加速していますぅ〜。

●癒しの写真館(トップページ左下)
NEW コーナーが出来ました。癒されますよぅ
是非、覗いてみてくださいね。


NO411大相撲七月場所初日に思う。無類力士“雷電”
2006/07/09
始まりました!始まりましたね!大相撲七月場所が。
最終W杯サッカー決戦で盛り上がっているなか、日本の伝統スポーツ、いやいや伝統的な儀式が今日初日をむかえたのです。
あれあれ、モンゴル力士の白鵬もブルガリア力士琴欧州も負けてしまいましたねぇ。
そういえばこのところ、力士の名前をきいても顔がすぐに思い浮かばないのです。
相撲との距離感がいつの間にかできてしまっていることに気づきましたあ。
なんでなんでしょう?TAGOSにとって色々あるけれど、それは飛びぬけて絶対に強いひいきの力士が戦い合うライバル決戦相撲がなくなりつつあることかもしれませ〜ん。やたら強くてにくらしいほどの存在感の力士が!
先日門前仲町の鶴岡八幡宮の横綱力士碑に見た“無類力士”いやぁ〜そんな強い力士は誰だぁ?
その力士の名は雷電為右エ門!史上最強力士に推す意見も多いと聞きます。
江戸時代の大関(1790〜1819年)身長6尺5寸(197センチ)体重46貫(172キロ)今のエストニア出身力士把留都(バルト)とまったく同じ巨漢。
調べれば調べるほど伝説になるくらいのすごい力士ですよねぇ。あまりの強さに鉄砲(つっぱり)張り手、閂(かんぬき)を禁じ手とされたというくらい!!
現役21年、勝率なんと96パーセント!強い!
まぁ〜、現在ではこの“雷電”という名前、知っている?と尋ねてもまったく知らない人が多いでしょうねぇ。
それでも“ライディーン”なら知っているなんて人はいるかも?1975年から放映されたロボットアニメ“勇者ライディーン”雷電王というロボット名募集から雷電=ライディーンへ。
そうそう今でも時々携帯電話の着信メロディーが突如車内に。あのテクノポップバンドYMOが1980年に出した独特のメロディー“ライディーン”。
これアニメのライディーンかららしいけどしっかり“雷電”という名は伝説となって生きているお相撲さんですよね。
双葉山、大鵬、北の湖、千代の富士との立会いすごいことになったでしょうねぇ。
さてさて、今場所の優勝は果たして誰なのでしょうか?

NO410 粋な深川、いなせな神田。門前仲町はご利益通り。
2006/07/07
めしだ!めしだ!深川めしだぁ〜!
あさりや青柳の剥き身を使った汁かけご飯が下町の伝統食“深川丼”これって戦前まではごく一般的だったらしいですね。あさりの炊き込みご飯が今の“深川めし”ですよ。
いきな深川、いなせな神田、いよぅ〜ここは深川門前仲町ですよぅ!
日本橋・江戸橋から永代通りを抜け,隅田川にかかる永代通りを渡りきると深川とよばれる一帯です。よくゼロメートル地帯なんて言われてましたね。
日本橋から門前仲町へは昔は都電が足となっておりました。
TAGOSが幼少時、日本橋からここまで走って遊びに来ていたのです。
さてさて大正15年に架け替えられたシンプルなアーチ型の“永代橋”。
ここは子供にとって興味をそそるところでよくよじ登っては見かねた大人達から“こらぁ〜危ないから降りなさ〜い”などと夢中になって遊んでいる悪がき共を注意してくれたものでしたぁ。
ほぅ〜歴史を紐解けば最初の元禄の永代橋は上野寛永寺本堂のなんと余材を使って造られたのだそうです。いやぁ、子供とは言え登りついていたとはなんとばち当たりなぁ〜。
“永代橋”は渡っただけでご利益がありそうです。
ご利益といえば富岡“深川不動堂”の参道は“人情ご利益通り"
と命名されていますねぇ。赤鳥居をくぐれば和風旅館や象牙店などが軒を並べていますね。
なにより縁日時はお不動さんから鶴岡八幡宮にかけて150店ほどの露店がずらぁっと並ぶ時が壮観ですよぅ!
門前仲町は浅草などと違って、普段日は人通りは閑散としているんです。そう浅草みたいにバスでくる多くの観光客が見られないんですよ。そう言えば外国の方々も少ないようですねぇ。
だからゆったり江戸情緒を楽しむことができる見どころいっぱいの貴重なエリアなんです。
ここだけはなくならないでぇ〜と思いつづけているのが“辰巳新道”細いまがりくねった路地に小さな飲み屋さんがひしめきあっている別世界。花街の面影を残すところです。神楽坂、新宿荒木町、人形町などなど風景が変わりつつある中、“仲町”守ってくださいねぇ。
TAGOSの大好きな街の一つです。

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愉快な企画ですねぇ!デリうた宅配って。


NO409 笹の葉サ〜ラサラ。どこかで揺れてる人の心。
2006/07/06
“当たりますように パパの宝くじが”
“バレーを続けていられる収入がありますように”
“じしゃくになりたい(いりなちゃんと)
いやぁ〜身に詰まされるなぁ〜。
“一年後にいいことあるように”
おっ、もう今年諦めちゃったのかぁ?
“自分を信じられる実力がつきますように”
う〜ん毎日、毎日一所懸命なんですねぇ!
はい、ここは朝7時の有楽町線の有楽町改札口です。
出勤時間帯に入り大勢の人達があわただしく通りすぎるすぐ横に七夕さまの笹にたくさんの願いごと短冊が添えられていたのです。
皆さん、どんな願い事しているんだろうなぁ?
こんな出勤時に他人様の願い事など不謹慎にもあれこれながめている暇人なんぞはTAGOSを除いておりませんハイ!
“おふくろ おやじに会いたいなぁ”
この方はふるさとを思っていらっしゃるのか?
もうすでにご両親がお空で・・・・。
さぁてさて、帰宅すると母豊月(ほうげつ)86歳が笹飾りを一日かけてつくりあげておりましたぁ!。
母豊月に贈った誕生日や母の日のプレゼントや花束を包んだラッピングやリボンなどを全部保管していて、
夕刻にはすっかり坪庭にある2本の笹に色とりどりの七夕飾りとすでに書き込まれた短冊が風に揺れておりましたぁ!
家族分の願い事を書く短冊もすっかりつくりあげ、
“ハイ、どうぞ皆の願い事”と準備万端なのです!
間違いなく明日の早朝には家族全員の願いごとが飾られているのです!。
坪庭の上には鳩の家族が住みつき、願いごとの短冊は心を込めて贈ったラッピングやリボンで出来ているし、これじぁ〜なんだか願いが叶いそうな気分になりますねぇ。

♪人は誰も悪い事を 覚えすぎたこの世界 築き上げたユートピアは 壊れ去った もろくも

誰も見えない廃墟の空 一羽の鳩がとんでいる 真白い鳩が 
 
生きることの喜びを 今こそ知る 人はみな  

汚れない世をこの地上に 再び創るために 人は目覚めた

生きることの喜びを今こそ知る 人はみな
(1968年 廃墟の鳩 タイガース)

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どうぞご覧下さい!!!


NO408 新しい朝が来た希望の朝だ!それ いち にい さん。
2006/07/05
リズム!リズム!そうリズムです!!
♪新しい 朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け
大空あおげ ラジオの声に 健やかな胸を この香る風に開けよ それいち にい さん♪
現在、水前寺清子さんが歌っている某缶コーヒーCM。
いやぁ〜これほど日本人の多くが知っていて、音楽を聴けば思わずリズムにのって身体が反応してしまう“ラジオ体操”
子供の頃TAGOSも例外にもれず、眠い目をこすりながらも近所の朝の公園へと体操カードをぶらさげながら走って行きました。
そこではおじいさんもおばあさんも、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、老若男女一緒になってリズムに乗せてハイ元気よ〜く!
思えばな〜んとほほえましい光景だったのでしょう!
今、犯罪の温床のようになっている誰一人いない砂漠のような公園とはえらい違いですよぅ!
その後、企業内でも仕事に入る前に全員で体操なんてこれまた国民的活動だったんですね。
しか〜しまぁ“ラジオ体操”の歴史ってすごいです。
“全国の皆さんおはようーございます!さぁ、今朝も元気に体操をしましょう。手を腰にヨーイ、はじめ!”
歴史ありますよぅ!放送開始は昭和3年(1928年)開始ですからね。
“ラジオ体操”の歴史は国民が体験した昭和の歴史そのものなのですね。
TAGOSの時代は“軽快なピアノの音”に身体が思わず反応してしまいます。
今でも子供からご年輩までいつでも心通わせることのできる“ラジオ体操”
そ〜れ、いち、にい、さん!ダァ〜。

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地球人の皆様方に是非是非見て聞いていただきた〜い!
今日のような日は“紫陽花の花”素敵です。


NO407 風鈴の音涼し仲見世通り。 浅草に夏が来る。
2006/07/04
訪れただけで元気になる街ってありますよねぇ!
正面にとびきり大きな赤い提灯、雷神と風神が奉られているといえば、誰でもご存知“雷門”です。
そう浅草のシンボルですねぇ〜。
このシンボルの提灯前はいつも観光客が入れ替わり立ち替わりの記念撮影の場所だから、じっくりゆっくり見ることもなく今まで過ごしてまいりましたぁ。
そこで今日は、団体観光客の説明ガイド中に紛れ込みしっかりと見届ける機会にめぐまれたのです。
ほほ〜、提灯の底部には龍の彫刻がぁ!雨を降らして火事にならないようにという意味です。
提灯の裏側にまわると書かれている文字は“風雷神門”これが浅草寺総門の正式名称なんですねぇ。
この“雷門”慶応元年(1865年)田原町からの火災で消失してから昭和35年(1960年)の95年間は地名だけだったとは知りませんでした。
そうそうあの大きな提灯の下に再建に功労した会社名と個人名が記されていましたぁ。“ナショナル”“松下幸之助”。いやぁ〜今まで気づかなかったぁ。
この提灯の紙と竹の部分は10年おきぐらいに張り替えるのだそうですが2003年に張り替えているんですね。
いやいや,TAGOSは勉強になりましたぁ!
ただただ馴染み過ぎた光景を素通りしていたら、何千回来たってまったくその歴史などわからぬままでしたもの。
例え何度同じものを見たとしても、“好奇心”が枯れていないなら、ちょっとした知識を得ただけでこんなにもいい気分にさせてくれるものなんですねぇ〜。
さてさて、雷門から本道へ続く250メートルにわたる参道の両側に建ち並ぶ門前商店街は普通日であろうと活気にあふれています。
とにかく老若男女、外国観光客入り交じりの賑わいすごいです!。
もうじきですよぅ!7月は6日の“下町七夕祭り”6日から8日は“入谷朝顔祭り”。9から10日“ほおずき市”、29日の“隅田川花火大会”
夏だ!夏だぁ!日本の夏だぁ〜。

●癒しの音楽♪冒険団(トップページ左下クリック)
是非、是非、覗いてくださいねぇ。


NO406 心地イーのは、E(イー) or F(エフ)?
2006/07/03
お久し振りでございま〜す。流風雫(るふか)です。

私、とっても嬉しいのでございます。
この“地球人のヒトリゴト”が皆様の・・・、多くの方達のお力によって、一歩一歩成長しているのが嬉しくてたまらないのです。

“ユニーク地球人” ⇒「スーサンのよもやま話ナンバー18 by無名仙人さん」
♪ジェットストリーム・・・ジェットストリーム・・・ジェットストリーム・・・♪ 
とあのリフレイン、城達也さんにどこかしらを鷲掴みされたような、それでいて心穏やかにすんなりとはいってくるあの声と語り口。今よりず〜っと若かった当時の私は、よくこのFM放送を聴いておりました。何となく私の中では、「渋〜い憧れの男性の声色」でした。また音楽に関しても、ジャズやフュージョン(今、このジャンルはない?)等のイージーリスニングを流していたりと、今思えばひよっ子の私にはちょっぴり背伸びの番組だったかもしれません。
深夜放送の「オールナイトニッポン」のDJは、あのねのねや鶴光さんの世代(だったような・・・)。「パック イン ミュージック」などもありましたネェ。
でも、ジェットストリームはやはりどこか違いました。私の中では今はどうなんでしょう、まだ続いていたらごめんなさい・・・細川俊之さん 「ワールド オブ エレガンス」もそれと同類項です。
これって、番組のクオリティーや選曲のセンスっていうものももちろん大切だと思うのですが、『声』の魅力っていうのも、とても大きいと思うのです。

「1/fゆらぎ」⇒ 簡単な説明ですが、精神的な安らぎを与えてくれる可能性のある変動(波)現象のこと
ex. 小川のせせらぎ・風にそよぐ木の葉の音・鈴虫の声などの自然界の音 
人工的な音ならお寺の鐘を撞く音等『心地の良い音』
「1/fゆらぎ」このゆらぎが脳内のα波を増加させ、癒されます。
日本音響研究所によりますと、この「1/fゆらぎ」の声を持つ歌姫は、今は亡き美空ひばりさんと、そして現代では宇多田ひかるさんだそうです。
実証はされずとも城さんの声が私に、f分の一のゆらぎを、そして就寝前の癒しを与えてくれたのでしょうか。

言霊が五線譜の上を飛び跳ね、そして踊り、パッションがそれを形とする。
●“癒しの音楽♪ 冒険団”
是非、トップページの↑こちらをクリックしてみて下さい。スーサンさんの血と汗と、腱鞘炎一歩手前のお力のお陰で、≪大丈夫ですかぁ!≫ 冒険団のエネルギッシュな音楽をお楽しみ頂けることになりました。
もしかしたら、エフ以上の「1/e ゆらぎ(いいゆらぎ)」に出会えるかもしれません(?)。パワーをもらえるかもしれません。
お時間の許すままに、どうぞごゆっくり。



本当に皆様お一人お一人にペコリと、お礼を申し上げたい気持ちで一杯です。
どうぞこれからも、宜しくお願い致します。


NO404 着信アリ!。記憶が飛んだ男。
2006/07/02
金曜日の夜に残された“着信アリ”
ふと気がつくと携帯に表示されている時間差わずか数十秒差でお二人からそれぞれ届いた2件の着信履歴。
またやってしまいましたよぅ〜。
ライブハウス内でのマナーモードしっぱなしに気づかないでそのままに!
マナーモードって電話をかけてくださった人に対しては“バットマナー”になっちゃうことも・・・・。
とにかく翌朝気づいてメッセージを再生すると、どちらとも無言、かすかに聞こえるザワザワという音が残されただけのメッセージ!
さてさて、夜の携帯着信2人組みとは誰?
ジュンとネネか!ヒデとロザンナか、はたまたベッツイ&クリスか、ヒロシ&キーボーかぁ〜などとおおいにボケているところではないのですが、そのくらい昔からお仕事をご一緒していたたお二人なのでしたぁ。
だから、無言メッセージでもすぐに気持ちが伝わりますよぅ〜。
金曜日の夜でしたから、きっとどこかでお酒なんぞお二人で飲んで盛り上がって、TAGOSのところでも電話してからかってやろうじゃないのなどと!
今日の日曜日、くつろいでいるだろうという時間帯にお二人にそれぞれ電話してみたのです。、
案の定、竹芝桟橋からの納涼船でいい気分になった後お二人での二次会の酒の席でTAGOSをほんのちょっとでも思い出してくれて電話してくれていたのだそうです。
これってとてもとても嬉しいことですよぅ!。
若き時は、昔は携帯などなかったから、友人宅に夜中に電話して“今からおいでよ〜。楽しいよぅ〜”などとお誘いする時の声がお酒飲むとやたら甲高くなってご家族まで起こしちゃたなんていう経験!皆さんも少なからずしていませんかぁ?エッしていない?
すいません!TAGOSは若気のいたりです。
でもこうして、TAGOSがいい年になっても、こうしてお二人のお酒の会話の途中で、こうしてチョコっとでも電話をかけてきてくださるって本当に嬉しいですねぇ!
そこで、お一人に“お久しぶり!”と電話してみたら、“僕電話かけましたっけ?その時の記憶飛んじゃっています”
はぁ?こらこら!!うっかり間違い電話かぁ!
いいえ、違いましたぁ。このお人、最後には記憶飛んでしまうのですが、もう一人のお方が証明してくれました!
んまぁ〜あまり遠くまで記憶飛びすぎないように気をつけてくださいよぅ!
♪飛んでイスタンブール 光る砂漠でロール 夜だけのパラダイス♪
(1978年 飛んでイスタンブール)

●ユニーク地球人 
スーサンのよもやま話NO18 NEW UPです。
無名仙人さんが語るかってラジオで夜空に輝く満天の星の彼方まで誘ってくれたなつかしい番組のお話です。