2005  6月

NO94 ランチタイムのあ〜あ東洋の魔女。
2005/06/30
朝よりどしゃぶりの大雨、湿気を強く含んだ大気がまとわりつき、不快指数の針が振りきれそう〜。そんな日でも
黙々と通勤電車は都心に多くの地球人を吐き出していきますぅ。私も東京砂漠に放り出された一人なので、サバイバル本能でオアシスをもとめ銀座松屋屋上にたどりついたわけです、ハイ。ひんやり冷えたお茶をグビィッと飲んだとたんに、近頃とんと見なくなった光景が頭の中をよぎったのです。
会社の屋上でのOLさんの昼休み時間のバレーボール、男性社員のキャッチボールの風景。休憩時間に社員同志で愛好会のようなノリのありふれた定番スポーツ風景。
消えてしまいましたぁ!こんな風景。高度成長期は寝ないで働くぐらい大変なお疲れ状態にもバレーボールやキャッチボールなどをして身体を動かして疲れをとっていたのだから元気でしたよね〜。
今は違いますよ。昼休みには昼寝屋で一休み。酸素ボンベで新鮮な空気を吸いながら一休み。マッサージをして一休み。「いくわよーハイ!」いきなりバシッとバレーボールをひっぱたく過激なご休憩は決してとらないのです。ひたすら身体をやすめるのみです。今はオフィスも超高層ビル、屋上は草花を配したグリーンベルト、キャッチボールなどして万が一屋上から落下したら大変!企業責任を取ることに。汗をかきかきスポーツするビジネスマンやOLの姿は今日のこの日まで思い出すことなどまったくありませんでした。
そういえば卓球に負けじ魂を入魂したような必殺のレシーブ合戦も昼休みに見られましたぁ。この世代は動いていなければ気がすまないのでしょうか?
今、スポーツジムがすっかり中高年に乗っ取られています。あいかわらず動いていますね〜、プール内で集団で右往左往。ひょっとして皆さん!昔“カニ族”でしたぁ?

NO93 「地球人ウォッチング」 のすすめ
2005/06/29
妻、流風雫(るふか)のヒトリゴト。

ココスおじさ〜ん、お元気ですか〜?

ココスおじさん。年の頃は70歳以上。いつも白いTシャツにトレパンをはいている。
はじめてお目にかかったのは、昨年の今頃だっただろうか。角にファミレス『ココス』のある交差点がおじさんの定位置。だから、私は密かに「ココスおじさん」と命名した。反対側の歩道を散歩しながら、ココスおじさんに出会えると≪今日はラッキー!≫みたいな、ちょっぴりわくわくするようになっていた。
ヒトリ、黙々と体操をする。早朝の新鮮な空気と、太陽の恩恵を全身で受けとめる。両手を思いっきり大きく開き、体を前後に動かす。そして、何とも怪しげ(?)にくねくねと腰を回したりする。正直、このくねくね腰、目が釘付けになってしまった。なんとも独特な、でも微笑ましい体操である。おそらく、ラジオ体操をアレンジしたものと思われるが、もしかしたらご本人はアレンジどころか純粋にラジオ体操なのかもしれない。・・・そうだとしたら、ごめんなさ〜い!

冬は、一切お目にかかれなかった。
春の訪れと共にココスおじさん参上。
先月は数回見かけただろうか。でも・・・、でも・・・。
ここ半月程、おいでにならない。定位置はカラッポのままである。

風邪でもひいてしまったのかしら?
お名前を存じ上げない。もちろん、言葉を交わしたこともない。なのに、なんとなく気にかかる。・・・違う、なんとなくではない。とっても気になる。
お元気でいらしたらそれでいいのだが・・・。

ココスおじさん同様、私は毎朝、多くの方と出会う。
ウチの愛犬(おそらく、イヤ間違いなく駄犬・・・)の散歩の時間。6時前には家を出て1時間程歩く。我が家の朝はとても早いので、もう子供達も電車の中。分刻みの、時計をちらちら見ながらの慌しさから解放され、犬とのゆったりとした共有の時間である。
最近のお気に入りのコースの中に、1周1300メートルのジョギングコースがある。
いるわ、いるわ!!! 多くの方がいらっしゃる。
時間帯故か、圧倒的に60・70歳代の方が多い。
ウォーキングをしている。速歩きだったり、女性同志おしゃべりをしながらだったり。
ダンベルを両手に握り締め、ランニングをしている男性もいる。ステッキ片手に、ゆったり歩く女性もいる。
私同様、犬のお散歩。ゴールデン・チワワ・ダックス…犬種のバリエーションもとても豊富。
アッ、あのお父さん、今朝もずっとしゃべってるわ。柴犬に向かって。まるでワンちゃんが“茶飲み友達”みたいに!。
今日もきちんといらした。おそらく、後遺症で麻痺が残ってしまったと思われる男性。まだまだお若い。40歳代であろうか・・・。リハも兼ねてということなのであろう。几帳面なお人だ。

みなさん、ちゃ〜んとご挨拶をして下さる。
「おはようございま〜す。」
すがすがしい朝の挨拶。当たり前のことなのだが、やっぱり気持ちが良い。こうして、フツーに日常を送れることがありがたい。
リハの男性。顔の表情やお言葉もあんまり豊かではないように思われる。
でも、私に微笑みながらご挨拶して下さっているってこと、ちゃ〜んと届いていますからね。

タウンウォッチングもおもしろい。
同様、人をウォッチングするのもまたおもしろい。

みなさんもいかがですか?
あなたもお近くの地球人から、ウォッチングしてみませんか!
お名前を知らなくたっていいじゃないですか。同じ地球人なのですから。



NO92 ハローグットバイ!素敵マイライフ“冠婚葬祭ビジネス”
2005/06/28
「暑〜い。」ついに36.2度にはねあがりましたねー。今年の梅雨は日本列島西の渇水、北の大雨!異常気象だそうです。
「異常だぁー異常だぁー」はこのところ毎年のように聞いているので何が正常の気候なのか、わからなくなってきました。気温の変化とともに順番で咲いていく庭の花も、この暑さでほぼすべて咲いてしまったようです。これではこの後の楽しみがへっちゃいますよ。そんなに季節をビューンビューン進めるとは、スピード違反ですぅ。
そんな夏日に、ボーっとしながらも気になっていたコト、それは住宅街に増えている葬儀屋さん。多くなりましたねー。今までだったら住民の大反対を受ける業種のトップクラス、対極の結婚式をとり行うハウスウエディング会場とは大違い。でもこのところ考え方に変化が?市民権を得る土壌が育ちつつあるのでしょうか、おおきな変化ですね〜。
今は、葬儀ビジネスも若者たちベンチャー企業の大きな挑戦マーケット。“あの世の行き方”も自分自身の演出で自由自在、記憶にとどめようとする演出プランなど結婚式のごとくなってきているんですね。既存の葬儀屋さんとは毛色がまったく違うようです。ベンチャー企業は短期の株式上場によりあっという間に数がふえていくから目にみえて都心近郊にふえていると感じるのかもしれません。
そういえば結婚式会場はホテルに再びお客様が戻っているようですね。やはり祝ってくれるヒトに対しての配慮として、ご親戚が泊れる場所を確保できるし、記憶に残る美しい景色やおいしいお食事も充実させ「さぁ、ハウスウエディングに負けないぞ〜」という涙ぐましい企業努力の成果が実を結んだのですねー。
冠婚葬祭ビジネスはどうやら新旧企業バトルの真っ最中のようです。
今後住宅街に出産病院、託児所、学校、スポーツジム、介護施設、病院、葬儀場。お寺、まさにゆりかごから墓場までベルトコンベアー、まるで“人生の歩く歩道”のようです。あっ!転びました!「人生七転八起だぁ〜」と諸先輩方が叱咤激励。
「では地球人の皆さ〜ん、コロっと落ちないようにしっかりベルトにおつかまりくださ〜い!」  

NO91 夏は来ぬ。サヨナラ愛しきテレビ!“家電の寿命” 
2005/06/27
4日連続の真夏日です〜。丸の内に行きかうビジネスマンやOLさん達も蒸し焼き状態でした。ダダダダダンダダダダダンスリラ〜まさにマイケルジャクソンさん状態!お顔がみなさんちょっと恐かったですねー。
オフィスでは果たして28度は保たれているのでしょうか?はやくも夏バテ続出か?
わが家にも昨日の日曜日、すっかり夏バテしたのか?そのまま動かなくなってしまったモノがあります。11年目間お世話になった31型のブラック色のテレビです。3か月前から画像が揺れ始めてから“もうだめだから新しく買い替えましょうか”と家族が言うたびに何度も復活をとげるのでなんだかぁ〜とても愛らしくなっておりました。しかしついにあの女子バレーボールブラジルVS日本戦を映し出すことなく消えていきました。その2年前購入したビデオデッキ2台はすでに旅だってしまったのですが。
今、世間では7月ボーナス商戦をにらんでデジタルテレビなどの値引き合戦がはじまっています。
今の家電の性能はとてもよいので長持ちしますよねー。
だから10年前我が家に迎えた家電さん達も、いくらハイビジョンや新しい性能の家電が発売されたとしても買いかえるコトなく寿命がつきるまでとことんお付き合いしてきたのです。でも家電の進歩は10年間の月日ではすっかりかわってしまうスピードです。今の家電をあらためて見るとズングリと太っちょのテレビ。ほとんど使わないレーザーディスク、大きめのハンディタイプビデオカメラ、カタチや大きさ、幅の薄さまで、みんな今の若いお嬢さんのようにスリムで軽くてスマートなデザイン。まったく違っちゃっていますぅ!
なんだかモノを大切につかおうという気持ちと技術スピードの速さの新製品発売の誘惑にひかれる気持ちのバランスにめまいのような感覚を覚えます。
テレビはますます大きくなり音量も度迫力!その他はなんだか小さく小さく可愛くなっていっているようですがぁ・・・。
映画館並み大迫力大音量!こんなシステム我が家に持ち込んだら、なんだか暴走族一家って近所に言われそうです。
ブ〜ンブ〜ンブーン。地球人の皆様!家電長持ちしてますか?

NO90 大正後期〜昭和初期 平和な人情の下町“向島”
2005/06/26
今日は母、豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

六月二十四日、夜明け早くより、鴬のしきりに鳴く声で目がさめました。朝より風のないむし暑さ、庭に沢山色とりどりの百合の花がとても美しく咲き、この暑さでは一辺に散り終わってしまうのではないかしら?
「花の命は短かけれ」・・・・。私は一寸心配しながら朝、食事済ませ、朝より冷房かけ机に向かい大正後期から昭和の初め、思い浮かべ書いているところです。

向島の町並みは商人、小さな企業工場、狭い仕事場でこつこつと働く立派な装飾細工師が多く現在で云えば藝術の町のようにも思い出されます。
当時男性、女性は和服姿も多く、季節毎に規則正しく衣替へ、はっきり、大変おしゃれで江戸っ子気質の気取りない人情豊かな住みよい庶民の町でした。又その反面、夏はとても暑く家にいる時はおかみさんは浴衣で作った“アッパッパ”簡単着でいつも朝から晩まで忙しく立ち働き、旦那さんは麦わらで編んだ“かんかん帽子”をかぶり、キセルのタバコ入れ、扇子を腹巻にさし首に手ぬぐいちょっと下げ下駄ばきで軽く気取らない“ステテコスタイル”で町を平気で歩きます。いかにも下町ですよね。

女の子供達はいつもの廣い原っぱに来て遊びます。今日は皆んな母親より着せられた浴衣三尺の帯、結んだ後姿も、とても可愛く赤い鼻緒の下駄をはき絹張りの軽い“日傘”には涼しげな絵、皆んな仲良くクルクル廻して歌います。
「まはせばくるくる日和(ひより)傘〜柳につばめの絵が廻る〜月の明日はご縁にち〜あの山越えてまいりませう〜」
可愛い昔の女の子が目に浮かぶようです。

家並みの角には赤白の夾竹桃(きょうちくとう)が静かに咲き横には郵便局、前に赤いポスト。配達人は帽子、暑そうな制服、ズボンの足下にはゲートルを巻き、地下足袋、大きながま口のかばん、真ん中に○のなかに〒の印、肩より重そうに下げ汗をふきふき早足で行く郵便屋さん。
交番のお巡りさんは町の裏通り細かくゆっくり巡回、軍人のようで少しいかめしく肩に星の金ボタン、腰にサーベル下げ、白い手袋の手はいつもサーベルをおさえ昔の子供達は巡査はちょっとこわくえらい人のように見ていました。
町の人は通りで会うとなにげなく「ご苦労様です」とあいさつします。
遠く家並みの屋根より高く見える火の見やぐら、町の安全を守る消防士の方。
いつも真近に見ている平和な下町、又ポツポツ先を書きたいと思います。
どうぞよろしく。

NO89 優〜しい悪魔。団塊ジュニアへのささやきが始まった。
2005/06/24
新宿タワーレコードさんの売り場をフラリフラリ。今は視聴コナーは音楽ジャンル別だし店推薦のメッセージPOPもしっかりフォローされていますよねー。種類も品数も豊富まさにメガストア。品数も情報量も素晴らしいはずなのに、圧倒的な未知の情報が多すぎると、おもわず拒否反応が〜。結局、購買意欲がそがれて何も買わずじまい!こういう体験を何回も体験しているうちに店から足が遠のいてしまいました。何だかこれってとてもへんなモノ離れ現象ですよねー。地球人の皆さんはいかがですか?
CDの世界では60年代〜90年代の音楽シリーズモノが海外、国内とわずヒットしているようです。今CD離れから中高年に戻ってきてもらおうという動きが活発ですね。若者消費の飽き易さで若者離れMDやインターネットによる無料の取り込みで苦肉の策なんですぅ。
さぁて、昨年NHK戦後50周年TV放送記念で昔なつかしいドラマからあらゆるジャンルの戦後のゴールデンタイム番組が映し出されました。ここにきて中高年が若い時をふりかえってあの元気な時代を懐古し頑張ろうという気持ちに対するエールみたいな試みでしたね。NHK以外、アイドル時代からさらに石原裕次郎さん、美空ひばりさん、銀幕スターまで懐古花盛り。これが今年もどんどん広がり大きくなっています。おまけに韓流スター人気も創り出し中高年プロモーションはますますヒートアップ!
またまた疲れてきました。フォークブーム、落語ブームこれでもかぁ、これでもかぁ。ちょっとうんざりです。でもね〜。マーケットの本当の狙いは団塊ジュニア世代なんでしょ?。
ついにはじまっちゃいましたねー。六本木ヒルズ住人の軽井沢別荘計画、リゾート会員権、ゴルフ、億マンション、高級時計、宝飾、車、絵画など、団塊ジュニア世代への“悪魔マーケティング”のささやきが2005年より表舞台で本格的にスタートをきりましたね!
おーこれはキャンディーズも復活だぁ“優〜しい、悪魔”

NO88 “なんとなくカルチャー”神保町編。
2005/06/23
梅雨時は、油断するとしけた海苔みたいに身体がジトッっと湿気を帯びたようで、グニャとした気持ちになりがちです。そんな時シャンとするにはお風呂が一番。御香を焚くのもスーっとして心がなごむもんですねー。
“衣食足りて礼節を知る”着るモノも食べるモノも満たされている街は多いけれどカルチャーの香りもプラスしてブレンドされた街は意外と都心には少ないかも?
2003年3月から、気になって通っている街があります。その街は千代田区“神保町”(じんぼうちょう)。
神保町再開発でJシティという街開きがあってから、変化が激しくなりました。この街のあたりは多くの大学、各種専門学校のある御茶ノ水も含め、“日本のカルチェラタン”と呼ばれる学生街エリア、そしてスポーツ用品集積地。近くには、紙のにおいとコーヒーの香りが漂う日本有数の古書店と、レトロな喫茶店。そして大小の出版社や学士会館や如月会館などりっぱな建造物たち。今さらにユニークな専門新古書店が増えて来ているし、レストランも裏路地にたくさん増えていますねー。多くのカレー激戦区でもあり老舗中華レストランも多い。ミニシアターのさきがけ岩波ホールもふくめ、新旧がうまくブレンドされた街になりつつあります。今時、本当に珍しいですよ、こういう街は。何が珍しいというと若いヒトと年配のヒトが街のあちこちでどんどん自然にミックスされた都心の街って希少価値なんですぅ!。風俗もなく安全な街みたいですし、路地がたくさんあるから何か発見する楽しみも残されていていいですね。この街は、九段、靖国神社付近から飯田橋エリアと“伝統・歴史エリアと新開発エリア”がほどよく合わさってこれからも興味ワクワクの大好きな街の一つです。
“なんとなくカルチャー”そんな程よい刺激を感じさせてくれる、“神保町”は希少な素敵な街だと思います。
その証拠として、頼んだカレーの並み盛が大盛と見間違う致死量に達する量を食べていた時でした。ちょうどお店のカウンターに野球ユニホームの上着に横がけのおおきなバック、頭の毛がポヨポヨ、曇ったようなお目がねをかけた男性が座りました。いきなりカレー屋の御主人に一見どこかの草野球のユニホームに見えた服の由来を語る語る、風体はけっしてお洒落とはいえないけれど、いやでも聞こえてくるお話を聞けばこのかたは神保町の街の“なんとなくカルチャー”さんなのでしたぁー。

NO87 日本の雑貨って素晴らしい!東向島編。
2005/06/22
「雑貨ができなけりゃ、ハイテクなんて、できやしないよ!」
東向島の町工場の元気印、おなじみの岡野工業社長72歳岡野雅行さんが吠えました。「雑貨の意味、あんた知ってるかい?中国では“完成された技術”ってことなんだよ。じゃぁ、完成された雑貨わかる?これだよ、これ!」
岡野社長がTV番組ビジネス維新に出演して、みんなに見せたモノとは。へぇ〜そうなんだ。目からウロコでしたぁ。それはなんと昔ながらの日本のお財布“がま口”と金物の“タバコケース”。がま口のひねってパッチンの部分は職人さんの技術、あの技術は手作業の長年の体験から作られるもモノ。職人さん同志の「気持ちゆるくしてくれよ〜」とか「気持ち固くしてくれよ〜」と、がま口の開閉を“気持ち”の塩梅でするのだからすごい!この技術をもつ職人さんがいなくなっちゃったから、今みんな“チャック”になったのだそうです。そして金物のタバコケースも職人技。あの薄い金物の空間はふたをパチンと締めて持ち歩いてもタバコがまったく乱れないぴったりの隙間。これを万が一水の中に落としても、隙間がしっかりと職人技でピタッとしているから濡れやしない!これこそ日本でしかできない雑貨!恐れ入りましたぁ〜。
だからこのタバコ入れの中にタバコを入れるかわりに細かく小さなハイテク部品をつめこめるということだったのでしたぁ。
町工場のアイドル岡野社長が言った言葉「勝てばいいというだけの企業は駄目!義理人情を大切にしない会社は駄目!おれはさぁ、この向島を遊び歩いてたくさん月謝代はらったからヒトを見る目は間違いないよ、ほんとだよ。」
いよぉ、大統領!気持ちすぱっと言ってくれますね。
何度か(旧玉ノ井駅)東向島を訪れたけれど、ちょっとさびしいぐらいヒトがいない時も。でも町工場残ってます。どうか日本の職人さん頑張って〜。地球人の皆さん、日本の雑貨で再発見したモノありますか?教えてくださいねぇ。

NO86 豊月85歳が行く。内房総ドライブ編。
2005/06/21
今日は夏至ですよ。梅雨日にもかかわらず天候にめぐまれましたねー。早朝、真っ白、黄色、赤紫の大きな百合が美しく庭に咲きましたぁ。とっても明るくてなんだか目がぱっちり開きますね。

さて、今日は母豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

昨日は、入梅の晴れ間を見て長女の主人の運転にて私と次女娘四人でドライブ、千葉県南房総館山高速道路を一直線にて一時間三十分程で金谷海岸に来ました。目的は廣い海、新鮮な魚の食事。
久しぶりに来る漁場、砂浜のつづく廣い海、遠く漁船が見え昔ながらの素朴な民家の前の砂浜には沢山の魚が干され、いか、あじ、いわし、金目鯛、どれを見ても美味しそう。
帰りに干物の土産少し買い求め、車の走る窓よりおだやかな海遠く、近くは広がる青々とした水田。あぜ道には今が盛りのあじさいの花、農家の前には立ち葵の白、桃、赤と走る車の窓より眺める平和な風景の一日でした。

今日は少し落ち着いて大正後半より昭和初期、幼い子供の頃を楽しく思い出し、ぽつぽつ書こうとペンを取っているところです。
どうぞよろしく、又、見て下さいね。



NO85 月曜日には、“キンカン塗って、また塗って〜”
2005/06/20
今日は夏日、暑かったですねー。
“時間がな〜い”“忙し〜い”“たいへ〜ん”週明けの月曜日は、いつも電車の駅も車内も、そして街も、道路を走る車も妙にあわただしく見えたりします。大人も若者も子供も、老人も同じようにみーんなあわただしく見える。そのように見える時って、実は自分のココロのほうに余裕がなかったりするんですねー。
ココロの余裕次第で見えているモノがまったく違って見えるコトってありませんか?。
“時間貯蓄銀行員”を名乗る時間泥棒“灰色の男”そして盗まれた時間を取り戻そうとする少女モモの物語。ドイツの童話作家ミヒャエルエンデの1973年の代表作品“モモ”が1986年に映画化されたのを見た方も沢山いらっしゃるのでは?。
“時間”の大切さを少女モモを通して多くの大人達に“時間”って何?なんて問いかけました。80年代には“時間泥棒”にあったヒトがとってもとっても多かったみたいですねー。今もちっとも変わっていませんねー。灰色の男!指名手配ダ〜、ウーウォンテット!
今日、夕方、庭で雑草とりをしていたら、プーン、チクッ今年はじめて蚊に食われました。「お〜かゆい」庭からあがってキンカンを塗りました。昔から変わらぬキンカンの臭い!いま時、珍しいですよねー、こんな強烈なアンモニアの臭い!
でも、スーッとココロに染みていきますよー。キンカンは塗り込むごとに不思議と「懐かしいなぁー」という気持ちにさせるレトロな香りです。なるほど〜、臭いでもヒトは“時”を感ずることができるんですね。
“キンカン塗って、また塗って〜”自分にとっての大切な“時間”を静かに想います。

NO84 男の世界!しょうぶの日曜日。
2005/06/19
曇天の中にひときわ映える菖蒲の花。緑色の葉に真っ白や薄いピンク、濃い紫、黄色の鮮やかな色彩が見事です。
睡蓮の白い花、赤い花も池の水面に美しく咲き、梅雨の日もとてもいいものですねー。多くのカメラを持った中高年ご夫婦がいっぱい!花はヒトをふんわり優しくさせますね〜。夫婦円満にはお花パワーか!
今日は、“父の日”なのでちょっと35年ぐらいタイムスリップして若き時代のお父さんの世界をご家族にお話ししまーす。
それは1970年、その時代、業界ではオトコの美学“違いのわかる男達”のマーケットのしかけに必死に力を注いでおりました。女性社会進出にともない男性像も“違いのわかるゴールドブレンドコーヒー”みたいな男性像、女性から見て物分りが良く、センスのある知的なキャラクターをつくりあげたのでした。これは大変ダ〜。理想はアラン・ドロンさんかスティーブ・マックイーンさん!ところがそこにいきなりあらわれた、無骨で渋いオヤジ!。「ウーン、マンダム」 マンズワールド(男の世界)という曲が流れ、男臭さをふりまき口髭をたくわえ、あごをこすりながらほほえむチャールズブロンソンさん、男性化粧品のTVコマーシャルでした。ターゲットは20〜29歳商品、でも結局10代後半から20歳はじめの男性に売れたそうです。当時の若い男性達は、正面きって“俺は男だぁ!”といえない環境に入っておりました。“男らしさ”を当時の若い男性達が自分たちの心に触れた瞬間にマンダムが大ヒットしたんですねー。
さぁて、いよいよ“2005年再び男性復権の年”などと同じようなニュースが目にとまることが多くなりましたぁ。それでは“女性復権”なんて言葉聞いたことあります?ワタシはありません。今や“女性専用”という言葉は世にあふれています。では男性専用は?どうですか?
ほとんど消滅ですねー。“ウェ〜ん、マンダム”
さぁて、今日は日曜日、世のお父さん達に幸あれと願います。
お父さん、本当にお疲れ様です。これからもご健康でおすこやかに。

NO83 ヤァ!ヤァ!ヤァ!父の日がやってくる!。
2005/06/17
今年の2月3日「鬼は〜外、福は〜うち」世間のお父さん達は鬼の面をかぶり、妻子の為に逃げ回ります。そして今度はお父さんが大きな声で“豆まき”を自ら率先して豆をまき散らし家の中の邪気を追い払います。
その時の頼もしいお父さんの姿は、いやでも家族の目に焼きついたはずです。
それなのに、それなのに!この時期、毎年同じニュースが飛び込みます。うっかり忘れちゃう“父の日”の存在です。毎年、“母の日”と比べられその存在の薄さにいつも
世間のお父さん達の影が薄いだとか頭が薄い?だとか言われ続けています。日経新聞にも過去1年に行った年中行事として、父の日の贈り物を挙げたヒトの割合(37.6%)、母の日の贈り物(49.3%)を10%下まわり、節分の豆まき(38.0%)よりも低い実施率。家族の中で最もコミュニケーションを問う相手のアンケートには、父親(2.5パーセント)母親(25.0%)を大きく下回り、お父さんの存在が薄れているという結果を公表しています。
だいたい“父の日”はお父さん自体も忘れているコトがほとんどじゃないでしょうか。
そもそも“父の日”の存在が薄いコトは、別になんとも思わないけれど、“お父さん”自体の存在が否定される言い方は悲し過ぎます。“オーなんてヒドイ〜オウィ!言い方、パパパパヤ〜”歌っている場合ではありませんでした。調べてみると“父の日”は6月第3日曜日。日本で一般行事となったのは1980年代。もともとアメリカで正式に父の日が祝日になったのは1972年。健在している父には赤い薔薇、なくなった父には白い薔薇、ドット婦人が元祖でしたぁー。
せまる2日後、果たしてお父さんに手渡されるモノとは?
そういえば、お父さん。豆まきの後のお豆のおかたずけしましたか?ワンチャンがパクッと食べて下痢などしてご家族に恨まれていませんか?ない?それならだいじょうぶ。
それにしても世間の“父の日”ギフトのユニークネーミング。“遅れてゴメンネ父の日”や“Dont forget Papa ”など。
 最初から忘れられていますぅ!

NO82 何を伝えていきますか?地球人のみなさん。
2005/06/16
「日本は、どうなっちゃったの!」こんな気持ちにさせられる出来事が頻繁におこるようになりました。
日本内部がいじめや犯罪など、元気やモラルをなくしていく日本に対して憂国の考えが前面にでてきてますよねー。
日本を見直そうという動きが政治経済教育の分野までおよんでいるんです。
世間では、将来の少子化を憂慮してビジネスターゲットを、2年前から本格的に新しいマーケットの主役として踊り出る団塊の世代やシルバー世代に焦点を合わせています。日本の内需拡大に多いに貢献していただこうと準備していたのですね。
日本の61歳以上で定年を迎えても働く人が今ふえているそうです。フランスなどは17パーセントぐらいらしいですから、移民を受け入れて雇用を保っていた海外も日本の再雇用に注目しているようです。どうなるんでしょう?
でもやはり将来をになう若者がキラキラ光っていない国には未来がない!そんな危機感を覚えます。今日本には若いパワー64万人の不労者数がおり、今もどんどんふえちゃっている!
戦後60年日本が失ってしまった大切なモノ。将来にむかって羽ばたいていくには、足元をしっかり見据えて飛び立たなくては。戦後の日本に生まれたヒトは両親やさらにその上の祖先の絆(つな)がりを聞かされているヒトはどれだけいらっしゃるのでしょう?そして子供達にこれから何を伝えていくのでしょうか。考えてしまいます。まずは自分から“伝えていくコト”をはじめるのがてっとり早いですかね〜。
地球の生物の一部の人間たちの心が荒れてくると地球もおかしくなっちゃうし、怒っちゃう!天災も多くなりました。地球人の皆さん、やはり生き物と地球は深く絆(つな)がっているんですんね。
“地球人のヒトリゴト”おかげさまで3ヶ月をむかえるコトができました。
たった1人のヒトリゴトが伝わっていく。おかげさまで素敵な出会いが!
地球人の皆様、ありがとうございます。

“地球人のヒトリゴト”をいつも助けてくれている友人の
“鈴ネットお台場&スペイン情報”がリンクに参加してくれました。お台場とスペインのことならませておけ!、ヨーロッパのコトでも情報量豊富な頼れるユニークな友人です。是非覗いて見てくださいね。

NO81 日本男子は扇子と着物でクールビズ!
2005/06/15
「男どもが、夏だというのにネクタイと上着を着用するものだから、無駄なエネルギーを消費するのよ!冷房が効きすぎで冷え性になっちゃう〜」OLさんの叫びです。
地球の温暖化現象の原因となっていたのは、実は汗をハンカチでふきふき一生懸命働いていたお父さん達でした。
クールビズ(夏の軽装)運動は国民運動なのです。ビズはビジネスを省略したもの、3200点の応募作からの決定したのですね。冷房は28度に設定。日本がG8サミットで京都議定書の発効をした関係もあり、国民がもりあがってくれなければ、日本の立場がありませーん。
昨日、恵比寿、代官山、中目黒などは、皆半袖Tシャツ姿のクールビズ人間であふれていましたぁ。若い男性は、けっこうヨレヨレ、テレテレの素材を身にまとっていますが、中身のボディがキューッとひきしまっていますのでファッションとしてきまっています。
どんなに暑くとも職場でお父さんがジャケットを脱ぎ棄てられない本当の理由は、ぽっちゃりしたかわいいお腹まわりを見せたくないからなんです。
ましてや若い人の前で脱ぎ捨てることなどプライドが許しません。若い人に負けてしまうからです。ノーネクタイで颯爽と白いシャツを着こなすリチャードギアさんには決してなれないのです。
では、どうすればいいのでしょう!京都議定書、日本からの提案となれば、“着物”しかありません。そう、お父さんの下腹がどんなに出ていても、それがかえって大人の男のチャームポイントになるのです!
クールビズは、日本男児なら“着物”これで決まりでーす。帯には省エネの扇子を差して、パタパタ仰ぐ。ねぇ、いいじゃありませんか?ここは日本ですよねー。
日本伝統のお着物で決めた侍ビジネスマン!大人の男の魅力たっぷりでかっこいいでしょうね。
あれ!三波春夫さんや三橋美智也さん、村田英雄さんがいっぱいに!
“いいじゃないかえ、皆の衆〜”

NO80 ミニコミュニティですか?。増えつづける都心の立ち飲み店。
2005/06/14
「オシャレ〜」今なお、日本人の良く使うお言葉の「カワイイ〜」と同じぐらい使われているんじゃぁないですかね。
渋谷駅から明治通り沿いに広尾まで歩く間には、おととし頃から、新しいそんな“オシャレー”なレストランが竹の子のようにオープンして、グルメスポットともなっていますよねー。でも、昼ともなると若いビジネスマンやOLさんで賑わい、列をなしているのは、ほかほか弁当さんや各コンビニさん。みなさん堅実なんですね!お金だけでなく時間の節約と一石二鳥です。社内に持ちかえってたべるのですから働きものですね?
明治通り沿いは、ラーメン屋さんの激戦区で、入っているお店とガラガラのお店がはっきりわかれてしまっています。ラーメン屋さんも一時、みょうに“オシャレ”になって女性客がお一人様でも入れるコトにひとまず成功しましたね。今では牛丼屋さんでも居酒屋さんでもあまりおしゃれにしすぎると、うさん臭くてかえって入らなくなっちゃいました!“オシャレ”すぎるラーメン屋さんって、もう入りたくないのが心理です。入りたいも入りたくないも、そのおおきな要素に“デザイン力”というのが心理に大きく影響しているのは否定できません。今は“オシャレ”な立ち飲み店がおおはやり。若い女性が多くなると、自然男性客がふえるのですから、いつでも女性は半額だったり、オープン時はフリーだったり特典がいっぱいです。しかしとにかく立ったままの飲食はスぺースが狭い程、自然に独自のお客様ルールができてくるミニコミュニティみたいなノリですかね。
かっては、80年代六本木などはお店の料金がどこも高いので、良く自動販売機の前で海外からのモデルさん達や若いヒト達がグループでビール缶を片手にもりあがっていました。冬でしたけれどねー。「疲れたー。早く自分の家で1人でゆっくりしたーい。だけど飲みニケーションも必要よねー。」どちらも満たせる立ち飲みはフットワークが軽いし、程よいヒトとのふれあいもできる、これも一石二鳥です!。しばらくはこの商売も元気なようですねー。
ところで、新橋のガラガラの居酒屋さん、おかげでゆっくりできますねー。どっこいしょ!さぁ、こちらは、じっくりコミュニケーションです。

NO79 “後ろ向きの人生”も、また楽し。“思い出”をインターネットにのせて
2005/06/13
私の母、豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

私は大正時代の生まれ、現在家族と共に静かな鴬鳴く郊外に住んでいる者です。
先きの人生はわかりませんが、ただ健康で暮らせれば幸せ・・・・近頃は後ろ向きの人生、苦しかったこと、楽しいうれしいこと、過ぎ去った遠い昔を偲び思い浮かべながら、ありのまま気楽に簡単に書く事がとても好きになり、楽しくいきがいを感じているこの頃です。
私は現代人のパソコンは、家族よりくわしく便利な物と聞かされてはいますが、今更私は覚えようとも思いません。
家族によって私の書いた思い出、インターネットにのせていただきました。すると早速、遠い海外の方よりコメントをいただきました。その時の気持ちとてもうれしく感謝しました。又家族の会話も多くなりました。
本当にパソコンの便利さ、地球の果てまでとは?驚き。
大正生まれの私がつづった事柄、又家族にお願いして載せて頂きたいと思っています。
老後の楽しみ一つふえて、益々長生きしそうです。
皆様、これからもよろしくお願いいたします。

NO78 お江戸日本橋。さよなら“フジペット”
2005/06/12
お江戸日本橋のすぐ近くにあった大切なカメラ屋さんが店を閉じておりましたぁー。数ヶ月前にはあったのに!そこはFedex Kinkosに代わってしまっていたのです。
子供の頃、父が最初に買ってくれたカメラ“フジペット”うれしくてうれしくて、その日のことは今でもはっきり覚えてます。子供の頃の思い出の場所がまた失われました。木原店(きはらだな)の細い通りにあった東京三菱銀行さんもついに去年の11月6日に移転し、第百生命さんはとっくにdavinci nihonbashiビルにオーナーチェンジ。日本橋三越さんちかくの東洋バルブさんも移転、なじみの場所がどんどん消えていちゃいます。でも、こんな失われる一瞬に立ちあえただけでも今は幸せだと思うようになりました。たいていの方は、「ありゃー。いつのまにかなくなっている!」と思うか、まったくわからないまま記憶から失われてしまうかでしょうね。
私が本来、街歩きが好きなのは、どうも子供の頃の影響があるようです。私の幼少の時、東京オリンピックで急激に街の風景が変わりはじめた頃、高速道路工事ちかくであそんでいました。子供心に毎日のように変わっていく様子になにか興味をひかれることがあったのかもしれません。日本橋の上にかかった高速道路も今では、美観や伝統を大事にしない野暮な工事といわれています。
その当時は、子供心に「お江戸日本橋の上に未来の夢の橋がかかるんだー」 正直違和感など感じるどころか、「東京も外国のように素敵になるんだなー」などとウキウキしていましたねー。もちろん大人の老舗の旦那衆は違っていたのでしょうが。
街が急激に変化し、そのことを見つづけることに楽しさや興味をひくようになって以来、街歩きはいつの間にか“変化の風を感じること”に楽しみを覚えるライフワークのようになっていったのです。
場所がら幼い時の遊び場はデパート。徒歩圏10秒内ですから、それが幼い時からごく自然の環境だったのですね。
デパートで一番好きだった遊び場は、カメラ売り場のポジフイルムが円形の照明に浮かび上がるディスプレーのあるところ。そこにはおさな心でも、おしゃれな街パリや素敵なロンドンの街、ニューヨークの夜景が夢のような美しい国に思えました。遠い国があこがれに思えました。
大人になってからは仕事で、ほぼ日本全国出張の期間が長く続きました。そこでまた見知らぬ街に行くたびに深く興味ある風土にひかれる。私は歴史を知るといった街歩きではないけど、その街で“感じる気持ち”が大好きなのです。今では、変わらぬ街の良さに心うたれる気持ちも、すっかりそなわりましたけど。
地球人のみなさーん。私1人では体感できる街は限られています。皆さんの好きな街や思いでの残る街をもっともっと知りたい!そしてもっともっと全く違った地球人さんたちの頭の中にあるユニークな思いを聞いてみたーい!
世代を超えて、国を超えて、是非ユニークな“思い”伝えてくださいね。

NO77 昭和初期”雲は流れて”に想う。豊月(ほうげつ)85歳が語る。
2005/06/10
地球人のみなさま、関東甲信越地方は、今日梅雨入りです。昨年より4日遅く、平年より2日遅いということです。涼やかな紫陽花がいいですねー。
今日は母豊月(ほうげつ)85歳がミミズさんの書かれた「雲は流れて」を拝見した気持ちをお伝えしようと思います。

母、豊月(ほうげつ)が語ります。

早速、ミミズさんの「雲は流れて」の題目、この言葉は私は大好きです。終戦より六十年、今は平和、大空に静かに流れて行く雲、私の晩年も今は家族に守られ、健康に気をつけながら過ごすこの頃です。
早速読ませて頂き、区切りよく書かれていますので、とても読みやすく次ぎから次ぎに頁字を楽しく拝見させて頂きありがとうございます。
私の妹は、七十七歳、今でも下町向島に住み、今はビル、マンションが立派に立ち並び昔の面影はほとんどなく、早速電話にて知らせてあげました。

一年は元旦の計にあり、お正月を迎え家の角ごとに笹竹、しめ縄飾り、静かなお正月。時々さわさわ笹がゆれ、親、親戚より頂くお年玉、袋より出したり入れたり数える楽しさ。
青空高く舞い上がる凧の糸をしっかりあやつりながら持つ男の子供達、女の子供達は可愛い羽子板、羽根つきの音も今は見られない、当時のお正月はとても情緒が有ってなつかしいですね。読んでいるうちにますます楽しく当時がよみがえります。
小学校の修身科目、教室で教育勅語、先生初め生徒全員大きな声で一斉に朗読、私は今でも暗唱が出来ます。建国ニ千六百年の唄の節もいまだにしっかり覚えています。明るい唄なので時々子供達に唄って聞かせる事も有ります。
当時の厳粛な雰囲気の学校の式は、お書きになっている通り大変でしたね。小学年生はどんなにつらくがまんして立っていたのか、廣い講堂退場後、ところどころに小便のもらした跡がのこり先生方も緊張して知らなかったのでしょうか。現代の子供達に聞かせたらどう答えるでしょうか?
昭和六年頃より満州事変、世の中はラジオの戦争のニュースも激しく放送されるように世の中不景気、暗いいやな時代でした。

明るい鯉のぼり尋常小学唱歌見ながら“橘香る朝風に高く泳ぐや鯉のぼり”を唄い、お陰様で今日はさわやかな初夏の上天気、昔の唱歌は心暖まる、今日の気分は最高の気分です。
下町には銭湯屋が多くたまに母親と一緒に湯船につかり菖蒲、寒い時の柚子湯にしたり極楽でした。母は九十三歳で他界、時々思い出します。
今も相変わらず精養軒、弁天堂周辺は睡蓮今が見頃、不忍池の糸柳もやさしく、散歩するには本当に今が一番良い季節、上野も近く、桜満開時は都市とは思われない静かな素敵な場所ですね。私も弁天堂で茶の湯の席に娘の頃行きました。子供の頃上野が近いのでよく両親に連れられて遊びにきました。なつかしいですね。子供達は美術館によく行くようです。

どこを拝見してもなつかしい文章ありがとうございました。
私の歩んだ人生は遠くになりにけりですが、一つ年上の兄、当時早稲田大学卒業後丸の内日本郵船に入社、二回程、南洋航路客船に乗り家に帰ると同時赤紙にて出征。
前途ある青年、兄、遺骨となって帰ってきました。
現在は雲は流れ、平和になりそろそろ梅雨期に入り、花色とりどりの小雨にぬれた紫陽花近く、娘達に連れられて見に行きたいと思います。

誠にありがとうございました。

NO76 新“都心の街の歩き方”。ユニークを探せ!勝手に“応用編”
2005/06/09
庭の雑草とのバトルが続いています。そろそろあじさいの季節。菖蒲はまだ二分咲きぐらいですかね。
さぁて、新“都心の街の歩き方”の続きのヒトリゴトです。都心の街は立体ですから、街歩きも自然ゆっくりになってします。
上ばかり見て歩いているものですから、いつも歩いているヒトから不思議そうに見られます。いや怪しいヒトに見られているのかも〜。2000年以降から大規模オフィスが竹の子のようにニョキニョキふえたのは誰でもご存知ですね。では、地球人の皆さんは何に一番感心をもたれましたか?
私は商業施設の核として入居したレストランラッシュを特に興味をもって見ていました。たぶん、そこから日本中、いや世界からのレストランの大移動がはじまってしまいましたぁ!。すごかったですねー。そうしたらどうでしょう!デパートのレストランフロアーのリニューアルラッシュ。ホテル、駅ビル、ショッピングセンター、駅の地下街レストランにいたるまでまで、あれよあれよといううちにピカピカのピカに新しくなっちゃいました。それも日本各地の未出店だった老舗レストランや料亭、世界各国のインターナショナルな有名レストランまでもがやってきましたぁー。
はっきりいって多すぎ!。その証拠に皆様、はーいガラガラでーす。カラスくんは喜んでいますけど。どうしてそんなムダなことを!誰だってそう思いますよねぇ。ムダとしりつつ、現在もビルごと転売して儲けるには、有名レストランがいなくては困っちゃうおヒトが世間には多いのですー。「商業施設の賃料はテナントの売上高と連動するものだから、有名なレストラン誘致がビルの集客力につながるから収益がふえる。」これって常識ですよね。いつの時代にも風が吹けば桶屋が儲かる。つまりつい最近までは、ニュービジネスの花形は“外食ベンチャーの仕掛け人”でした。だけどもうすでにビルはレストランのみじゃぁ、集客できなくなっちゃった。こりゃ大変ってコトで
今現在は次ぎなるステップにはいったようですねー。
さぁて地球人のみなさん、次ぎなる一手は何だと思われますか?
かぎられた都心の街の中で新しいものが生まれているように見えますが、その種はここにはありませんねー。みーんなそとから貴重な種を持ってきて、花咲かせるのですね。
街には1年後ぐらいに花開くビジネスの種はいっぱい落ちているようです。華やかな商売が集まる平面の街歩きでは、なかなか見つけられないかもしれません。
立体的街歩きで上や地下などにすでに“育ちつつある種”を見つけるコトは可能性大かも。でも“もとの種”はここにはないんです。あっ!そうそう、もう今は街歩きは外に飛び出すだけじゃダメになっちゃっいました。
そう新しい都心の街の歩き方!
今度は内に入る街歩き。パソコンの中にも無限のバーチャルな街が増殖しているんですぅ。この街に迷いこむと立体的どころかもう宇宙的なんですね。
地球人の皆さん、新“街の歩き方”は足を鍛えることよりパソコンをたたく指を鍛えるコトになっちゃうかも。
しかし、バーチャルな街づくりにも、みなお金かけてますねー。こりゃエリアも巨大過ぎて歩くのが大変です!宇宙船を準備してくださーい!

NO75  新“都心の街の歩きかた”。ユニークを探せ!“銀座編”
2005/06/08
銀座の文具専門店“伊東屋”さんに用事があって出かけました。伊東屋さんは別名イドウヤ(移動屋)といわれるほど、常にお店のレイアウトをかえて新鮮さを保つコトで有名ですねー。伊東屋さんは、今では積極的にデパートなどの大型商業施設に出店をするようになりましたねー。
デパートが自前の家具売り場を家具専門店にまかせたように文具専門店も誘致するようになったからですねー。あれほどの専門アイテムを自前でやっていたらもうやっていけませんものねぇ。
さて、そんなことで今日は銀座をウロウロしてました。和菓子が大好きなコトもあり今日は、通りがかりに銀座7丁目の「かずやの煉(れん)」を買いに行きました。“1日192個かつくることができません”というのがうたい文句の路地裏の小さなお店です。2004年5/16日オープンでしたからもう知っているかたは多いですよね。。たった1人のもと鳥料理専門店の若き板前さんがつくった抹茶・ねり黒ゴマの創作菓子。
小料理屋を日中だけ間借りして営業しているんですね。銀座店舗の家賃は高いから、こうしたユニークな商売方法になるんですね。20代の夢おおき若者ですからできることですね!。南青山でもかなり前から(8年前以上)、小さな小さなビルの1つの駐車場を昼のみ間借りし、アジアの旅を続けながら、日本では小さな車でカレーを売る若者がいました。今ではそんな若者達もすっかりメジャーになって、今や東京フォーラムの広場や大手町のサンケイビルの広場でネオ屋台村などと称し、立派におしゃれな車で商売してますものねー。あれ!そんなコトなつかしがっている間に“かずや”さんのお菓子をワタシの前の1人の女性が大量にオーダーしていますぅー。いやーよかったぁー最後の1箱となりましたが買うコトができました!。運に見離されてははいませんでした〜。
そういいえば銀座松坂屋さんの地下2階のほぼすべてが4月11日にアパレル(衣料業)のワールドさんの“ファインリファイン”という家具インテリア新業態1号店に大変身しています。
松坂屋さんも地下2階の売り場をユニークにするために専門の企業におまかせーとなりましたね。
松坂屋さんも再開発計画があり、それまで、自前でなまじっか大きく動けないのでしょう。
街の変化は生き物のようです。都心で街歩きを楽しまれるかたは、とても多いコトでしょうね。
わたしは大好きです。草むしりのときが無我になれると同じような感覚の街歩きがワタシは一番好きです。そんな時に新しい発見やアイデアが生まれるからなんです。
そんな、お話をまた明日聞いてくださいねー。


NO74 「エコ」でも「エゴ」でもない、私は「トホホライフ」?
2005/06/07
妻、流風雫(るふか)のヒトリゴト。

 昨日、気分転換にと小1時間程車を走らせ、ハーブガーデンにいってまいりました。
急に思い立った為、到着した頃既に3時過ぎ。平日という事も手伝い人もまばら。色とりどりのお花を愛でながら、それはそれはゆったりとした私だけの時空を味わってきました。
 このハーブ、こんなに身近なものになるなんて、私はちょっと驚きです。今から十数年前、ラベンダー見たさに北海道の富良野・美瑛への家族旅行。(そうです。TVドラマ≪北の国から≫のロケ地でもあります。)
ラベンダーの香り・北海道特有のあの壮大な大地に解け込む花々・そしてそのカラートーンの美しさ・見事さに感動したものでした。(当時はシンプルなお花が多かったのでしょうか?・・・マリーゴールドの黄・サルビアの赤・ラベンダーの紫・そして風にそよそよと揺れるポピー。と今でもその光景は目に焼き付いています。)
でも、その頃はそんなにメジャーではなかったような気がします。梅の頃なら偕楽園。桜の頃には千鳥淵・・・と、お花見の感覚に近かったのではないでしょうか。ところが今ではここそこにハーブガーデン。そしてオイルにエステ・・・。「アロマ○○」とこんなに身近な存在になったのはご存知の通りです。「園芸」からカタカナの「ガーデニング」へと呼び名が移り変わりっていったのも、この普及の一要因かもしれませんね。
 こちら、地球人の皆さんの中にも、ハーブや薔薇にご興味のある方・どっぷり(?)ハマっていらっしゃる方、おいでになられるのではないですか?

 そうそう余談になりますが、私の知る限り、80年代には既に原宿に「生活の木」(ポプリやハーブを扱うお店)がありましたよ。学校帰りによく立ち寄った記憶がありますので・・・。

 話は戻りますが、このハーブにももちろん旬があります。お花の開花を旬とするならば、それはほんの一瞬。今が旬の鰹(かつお)やそら豆のように、ハーブの旬を味わうならエディブルフラワー(食用花)として華のあるナスタチューム。パスタでおなじみバジル。(バジリコスパゲッティー) ブームにもなったローズヒップをはじめ、ミントやレモンバームなど多様なハーブティー。(なんでもダイエットに効くらしいと、楽して痩せたい女心に火をつけた、ローズヒップや雪茶…PC上のランキング上位の頃がありましたネェ〜。すごいブレークでした。笑)本当に身近になりました。

 前書きが長くなってしまいました。これからが本題です。

 私はお花が大好き。もちろんハーブも随分植えました。ところが虫さん達もハーブが大好きとみえて、現在、レモンバームなどは点々模様。葉脈だけになってしまうのも時間の問題です。ところが・・・です。私、虫が苦手なのです。アブラムシでさえ、爪楊枝で除去しているあり様。情けない事です。では、薬を散布すればいい、とお思いですか? いいえ、相手はハーブです。口にする植物です。農薬入りのハーブ、わざわざ自宅で育てますか?・・・それが悩みの種なんです。
 ハーブガーデンで伺いました。丁度草むしりをしている女性がいらっしゃいましたので。
「こちらのハーブはとってもきれいですけど、何かしていらっしゃるのですか?」
「いいえ、ここは無農薬のハーブを育てているので、薬などは一切使っていないのですよ。」
「エッーーー、虫とかいないんですか?」
(無知丸出しとはこの事!です。虫がいないはずないじゃないですかネェ〜。お恥ずかしい・・・トホホ^^;)
「虫はいますよ。草の下をよ〜く見てごらんなさい。食べられた葉っぱの根元に必ずいますから。そして退治するんです。」
「エッーーー、退治って潰すんですか?」
「その虫を土の中に埋めて、戻してあげるんですよ。」

 そうです。これこそ自然界のリサイクル。エコではありませんか。すごいなぁ〜、って思います。そうそう、また横道にそれますが、薔薇研究家の梶みゆきさんという方は、化学農薬・肥料を使わずにバラを育てていらっしゃるそうです。薔薇ですよ! 週一で消毒をしなくちゃいけないあの薔薇をです! 素晴らしい取り組みだと思いました。

 『貴方も足元を見つめてごらんなさい!』 私にいわれたような気がしました。・・・トホホ・・・^^;

NO73 “MOTTAINAI”よ!エコライフVSエゴライフ。
2005/06/06
もう、半年たっているんだ〜。冷やしうどんをすすりながら、そう思いました。そういえば、今の食べ物で“旬”といえば、鰹(かつお)やそら豆なんかでしょうかねー?ふとそんなコトを考えました。
「やっぱり“旬”のモノはおいしいねー」などと、ほとんどのヒトはいいますよねー。本当はその土地の風土を含めた味わいもあるのですが“旬”は、やはり鮮度が命。
多くのヒトがよーいどんで、今食べる野菜といい魚肉といいピチピチ鮮度を求める時代!そうなると“エコライフ”志向と“エゴライフ”のはざまで心が揺れてしまいませんか?なぜですって?“エコライフ”の考えの基本は“もったいない”コトをしないコトですかねー。でもー、たとえば、身近なところでコンビニのお弁当の破棄。回転すしのネタの破棄などなど“もったいない”コト多いですよねー。鮮度が失われるのはわずかな時間です。
人間が旬を求めれば、求めるほど確かに物流システムもスピードをまし、保管機能も充実。道路や空路、海路も整備されて国は発展していくのでしょう。「もっと新鮮なタコ食べたい〜」寿司屋での彼女のひとことで国が発展しちゃうのですからすごいものです。
でも失われるモノも大きそうですねー。
1986年にソニー故会長盛田昭夫さんは日本の“もったいない”という言葉をローマ字“MOTTAINAI”世界にむけて日本のDNAを発信したのは有名ですね。最近ではノーベル平和賞のワンガリーマータイさん(ケニア副環境相)がさかんにテレビなどで紹介されていたので“もったいない”という言葉が注目されているのは、いいコトです。
そんな目でもう一度、回転寿司屋さんを見て見ましょう。例えば、回転寿司の○○寿司さんは合成着色料などをいっさい使わない旨を表示。レーンの片隅に設置したセンサーと皿につけたICチップで商品を管理。30分(一部55分)経過した寿司は自動的に棄てる。そう棄ててしまうのです!もったいない!でも○○寿司さんはそんなムダをほっとくわけないのです。“売れるネタ予測が廃棄ロスとの戦い”つまり企業にとってハイテクを駆使してロスカットに最大の努力をはらっているのです。これはもともとコンビニさんのノウハウ。だから人間のカンだけでは“旬”のサービスにこたえるコトは不可能にちかくなっているんですね。
「ITは大嫌いダー!日本には四季があっていいねー。旬を味わう贅沢は。コンピューターかなんだか知らないが、味もそっけもない世界に生きている奴にはわからんだろうなー、アナログに生きろっていうんだ!」
こういうヒト、お近くにいませんか。そういうのを“エゴライフ”っていうのかもしれませんよ。
生き物の命を決してムダにしないようにしたいものです。
地球人のみなさん、ITの技術力は知らぬところで人間の智恵として大いに役立っているんですねー。

NO72 昭和初期インド人にびっくり。石鹸リサイクル商人のいた下町“向島”
2005/06/05
母、豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

昭和初期、東京向島下町は、葛飾郡の頃は、埋立地、沼、廣い原っぱ。
初夏ともなれば蓮の花があちらこちらの沼地に優雅に見事に咲かせ、又池のほとりには、葦(よし)が長くおおい茂り、風の日などさわさわなびき、池の面が見えない程水草、ほてい草、夢をみるようなあわい縁の花、蛙の鳴くのどかな田舎町。
その反面、押上(おしあげ)より柳島、十間橋の長い川沿い
の道程(みちのり)は橋も多く大きな工場、吾妻製鉄、吾妻ゴム、万年筆のエボナイト工場、ことに有名な石鹸工場がさかんな墨田区。
花王、三ツ輪、ミヨシ石鹸工場が並び、その奥地には数知れない中小企業。朝ともなれば職工、女工さんが大きな弁当を持ち、足早に工場にむかう。
出勤時はおのおのの橋を渡り大勢の工員、工場の門のなかにすいこまれる様に消え、その光景は格別に労働者の多い住みよい庶民の町のようです。
遠くより空にそびえたつ煙突の数、もくもく煙を出し流れる煙、四方の風向きによってすぐ天気がわかる墨田界隈の工場町(こうばまち)。貧富の差もはっきり見えるところでもあるような気もします。

私が子供の頃よく見た、各石鹸会社の太い配管より流れ出る油脂の多くまじったどろどろの廃棄油、長いゴム靴をはき、冬でも夏でも一年中汚れた川につかって石油缶に汲みいれ、多勢の仲間たちと一日中数多くに入ったどろどろ油脂缶、家に持ちかえりバラック建ての仕事場で缶より流し濾過(ろか)、何回も繰り返し再生。立派に固形の製品、ちいさな企業手作りの石鹸工場に売りさばき、小売り雑貨商、又工業石鹸として安く工場に売り、どぶ川より採集した“リサイクル商人”たち。よくぞ考えた職業、特に安い石鹸はけっこう人気もあったようでした。
花王石鹸会社工場には時々印度(インド)人が視察に見え真っ黒な顔、頭には眞白い幾重にも巻いたターバン。
色もあざやかな赤黄青の背の高い肩より布をまとい短靴。
婦人の方も交え、日本人の通訳が車よりおりると同時に、物珍しさで、子供大人の黒山の見物人で取り囲みざわめき大変。今思いだしても恥ずかしい時代でした。
その当時は石鹸の原料はおもに椰子の実の油ではないかと思われ、今もなつかしい向島墨田の工場の盛んな町、煙突より高く流れる煙の風景、たまに思い出します。


NO72 梅とりですぅー。“豊月(ほうげつ)85歳が語る”TAGOSプロローグ編
2005/06/05
夕方、ウグイスがさわやかな声で鳴きつづけています。
今日は初夏のような天気でした。昼は庭にて家族で梅とりですぅー。昨年は505個とれたけど、今年は53個とさびしいかぎり。昨年大きく枝をきったからです。そこにワガヤのくいしんぼう犬がガリッと、貴重な梅を一個、かじったのでした!歯型がついた不良品が一個隔離されて庭のテーブルにさみしく置かれていました。
バチがあたったのか、後ろ姿がヒクヒクとおかしい動きをしていたくいしんぼう犬は、案の定すっかり戻しておりました!涙目だったですねー。本当はみんなで庭にでているのがとてもうれしかったのでしょう、ゴロゴロと何回もころげまわっておりました。ボサボサ犬です!十歳でも、まだまだ、やんちゃな子なんですョ。なにしろ食べ物に弱いですから!ワニ小僧です。

さて今日は、意欲的にお話をし続ける母、豊月(ほうげつ)85歳の昭和初期の記憶を地球人のみなさまにおとどけします。

NO71 都心がザックリ変わっちゃう!“丸の内方式VS“青山方式”A
2005/06/03
昨日の続きですよ。ヒトリゴト聞いてくださねー。

このエリアが選ばれた理由は@すでにインフラが整っている。A昼と夜との人口のギャップが激しい。千代田区は昼100万人、夜3万人。街の再生で、やるべきコトは、エリア価値を向上させることができるヒトを街に入れるコト。つまり魅力的なヒトを呼び込むための仕組みづくりに力を注いでいるのです。“人間中心主義の都市再生”なんですね。クリエーター・アーティスト・起業家などエリアの資産価値の上昇には、魅力的な人々をエリア内にどれだけ集めるコトができるかが“青山方式”なんですねー。
コレド日本橋の広場に、2003年にはデザイン屋台を出したり、空きビルでイベントを開いたりがんばっているのです。30代以上のヒトは群れるコトを嫌うヒトが多いようですが、20代前半の若者はコミュニティをプラスに考えるヒトが多いのだそうです。だからワイワイガヤガヤとお祭り気分でもりあげていくのですね。みずからが楽しんで、その気持ちが伝播していく感じでしょうか。
青山ではイデーという家具インテリアなどをあつかう会社の社長さん(現在会長)が呼びかけ人となって、青山を中心で行なわれた“東京デザイナーズブロック”というイベントを開催。多くのデザイナーやクリエーター、複数の企業、投資家が参加したのがはじまりで、このノリがそのまま“セントラルイースト東京CET”の活動につながっているのですねー。
今、このように都心の中で大手財閥プロジェクト、そしてクリエーターたちの街づくり、そしてNPO法人の地域コミュニティが急速に活動しはじめているのです。
どうやら、街はさまざまなヒトの思いの集まりでかわっていくようです。地球人のみなさんは、どう思われますか?

NO70 都心がザックリ変わっちゃう!“丸の内方式”VS“青山方式”@
2005/06/02
1998年から本格的に始まった都心の再生プロジェクトはダイナミック!東京オリンピック時以上の劇的スピードで大変化!。その変化のスピードは1日単位、いや時間単位でしょう。ワタシは街を歩き回るたびに、そのすさまじさをこわいぐらいに身体で感じるのです。
特に丸の内、大手町はやはり財閥プロジェクト。インフラ基盤からの整備すべての徹底ぶりが半端じゃありませんねー。街の重厚さが群を抜いています。このスピードはさらに加速。街の趣は行き交うヒトが雰囲気をつくるもの。丸の内仲通りは特にヒトが増えつづけます。ワタシはこのようなインフラからザックリかえてしまう財閥の開発方式を“丸の内方式”と勝手に命名。ならばもう一つが“青山方式”だぁー。小さなコミュニティを合体させる若者主導の開発方式。旧都心エリアに、多くの若者プロジェクトが、街活性化のための活動をさかんにしています!代表的なプロジェクトが“セントラルイースト東京CET”。
かって東京の中心部であった地域をデザインやアートの観点から再発見。目的は古くからの文化の息づかいに接する。空きビルの新しい利用方法を考える。住む、働く、学ぶ、そんな魅力ある場所に変えていく方法です。
エリアは神田・御茶ノ水エリア。浅草橋・馬喰町エリア。
日本橋・八丁堀エリア。このエリアが選ばれた理由は?
さあて、長くなっちゃうので、この続きは明日おしゃべりいたします。
では地球人の皆様お休みなさ〜い。

NO69 昭和初期。東京下町“向島のどんどん焼き”。
2005/06/01
母、豊月(ほうげつ)85歳が語ります。

5月30日、2、3日前は青葉かおる、さわやかな上天気。
今日朝より小雨。肌寒く時々雷もなり、そろそろ入梅も近くいやな日です。身内の人が遊びに来ていましたので、昼、家族揃って外食。郊外でもこの店はいつも繁盛、奥の座敷に案内され気楽な食事。雑談を交えながらそのうち、私の孫娘は去年、東京月島佃島、昔は漁港の町、お茶漬けにおいしい佃煮屋の多い粋な下町、現在は銀座にも近く立派なマンションが立ち並ぶ交通の便利な町に住んでいます。今も横丁通りには、昔ながらの建物も残り、おつなもんじゃ焼きの店が何件か有るようです。今は、月島に行ったら名物のもんじゃ焼き、是非一度は食べ知るのも、おもしろいと思います。

私は、子供の頃昭和初期、向島の下町に住んでいた、長屋の駄菓子屋さんを思い出しました。
昔は気候は今より一月も違っているような感じ。
秋ともなれば肌寒く、うす棉入れの着物に、べっちんの赤い足袋、下駄をはき母親より小遣い五厘(ごりん)十銭玉、幾つか頂き、三尺帯に赤い財布をはさみ、小遣いの使える楽しい駄菓子屋さん。一人一人名前をおぼえているやさしいおばさん。娘さん親子、子供相手の品数細かい駄菓子屋。
男の子、女の子の好きな駄菓子。遊びおもちゃも沢山。
子供が大勢集まる愉快な駄菓子屋の店先は、寒くてもいつも元気に遊ぶ男の子達。私は寒いので台所まで見える六畳程の狭い座敷にあがり、ろばたのようなわく組の上に鉄板をのせ、下は大きな灰の中に炭の火が柔らかく、暖かく5、6人位囲み作り食べる、どんどん焼き。
おばさんは早速「○○ちゃん、甘いあんこ玉焼きが好きね。小さいうどんこを溶かした小鉢に幾つ入れるの?」
小さな声で「一つ。」 そうすると二つ付いている丸い寒天につつまれたあんこ玉、ひねるようにおばさんは取り、一つ鉢にぽこんと入れ、小さな竹べらでつぶし、まぜるようにと、やさしく教えてくれます。いよいよ鉄板に流し入れ、じっと見つめていると湯気がふんわりとたちのぼり、そろそろ竹べらで混ぜ、うすくのばし作り、口に何べんか持って食べ、あのときの味はおいしいのか、まずいのかわかりませんが、まわりの子供達と一緒に焼くいか天、揚げ玉、ねぎに桜えび、ソースを入れたキャベツ焼き。
いろいろの臭いがただよい暖かい雰囲気のどんどん焼き。
ただかきまわして焼けばよい子供にとってやさしい暖かい食べ物。私は友達と遊ぶのが苦手ですが、家にいて退屈すると寒い日など、雰囲気のあたたかい駄菓子屋が大好きでした。私は食事中聞いた、月島の名物もんじゃ焼きはいつの頃から流行してきたのでしょうか?
今は下町に多く見られるもんじゃ焼き屋さん、是非一度冷暖房の設備良く、いつか行って、ネタの良い好み次第の美味しいもんじゃ焼き、食べてみたいと思います。
私はふと思うのです。昔昭和初期、子供の頃の駄菓子屋のどんどん焼きの流れではないかと考えます。
母親より小遣いで食べた“どんどん焼き”家族で楽しく暮らした向島を思い出し、遠い遠い昔の話です。